酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「無頼より大幹部」~渡哲也の真骨頂とは

2006-12-13 00:48:13 | 映画、ドラマ
 ヤクザ映画にハマった時期があった。昭和館前まで足を運んだものの、行き先が地下(ポルノ専門館)になったこともしばしばだったが……。ヤクザ映画といえば東映で、日活作品が語られることは希だ。先月「チャンネルNECO」で放映された渡哲也主演の「無頼シリーズ」全6作(日活、68~69年)も、興行的に大コケだったという。

 ここでは第1作「無頼より大幹部」について記すが、ストーリーの基本はシリーズを通して変わらない。堅気を夢見る一匹狼の五郎(渡)だが、「人斬り五郎」の勇名が仇になり、抗争に巻き込まれてしまう。<手段を選ばず伸長する新興勢力VS道義を弁えた斜陽の旧勢力>の図式は、ヤクザ映画の定番といえるだろう。日本社会はヤクザ映画に描かれたままの道筋を辿った。<知と利>を追求する者が闊歩する一方、<義と情>は世紀を超えて死語になる。当時のスクリーンを彩っていたのは、<任侠の死に花>だった。

 シリーズ全作でヒロインを演じた松原智恵子は、清楚さと芯の強さを自然体で表現している。俺が初めて女性の美しさを意識したのは松原のスナップショットで、子供心に「何てきれいな人だろう」と見とれてしまったのである。脇を固める三条泰子と松尾嘉代も、忘れ難い女優たちだ。昼メロで見せた三条の艶かしい姿態が、俺にとってのエロティシズム入門だった。40代後半でヌードを公開した松尾嘉代は、女性の美しさを支えるのが意志であることを教えてくれた。

 五郎が指を詰めるシーン、手打ち式と虐殺のカットバック、青江三奈の「上海帰りのリル」をBGMに展開する無音の殺戮シーンなど見どころは多いが、五郎が昔の恋人に会いに行く場面が特に印象に残った。サラリーマンの洪水をひとり逆流する五郎の姿に、ヤクザの在り様が象徴的に示されているからだ。主題歌に「流浪の果ての虫けら」という一節があるように、「無頼シリーズ」ではヤクザを<人外の存在>として描いている。

 日活退社後、渡は「仁義の墓場」(深作欣二、75年)で極北を彷徨うヤクザを冴え冴えと演じ切った。邦画史に輝くNO・1のヤクザ映画との評価が定着している。深作監督と再度コンビを組んだ「やくざの墓場 くちなしの花」(76年)でブルーリボン主演男優賞などを獲得し、渡はキャリアのピークを迎えた。

 その後、ブラウン管に活躍の場を移し、骨太の俳優として認知されている。石原プロを支え続けた実直さ、病魔と闘った逞しさが好感度の高さに繋がっているのだろう。だが、この30年は渡にとって、晩年だったと思えてならない。「無頼シリーズ」で切っ先三寸の黒ドスに憤怒を込める姿、2本の「墓場」で演じた凄まじい狂気と崩壊こそ、俺にとって渡哲也の真骨頂なのだから。

コメント (3)
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