酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ドアーズの真実~一線を越えた者たち

2006-10-27 00:33:13 | 音楽
 <僕は時々想う この世界で一番幸せな人を 何を手に入れたら感じられる 何処にもいないさ そんな人は>……。ファイターズ日本一の瞬間、ブランキー・ジェット・シティの「幸せな人」が頭をよぎった。「幸せな人」とはもちろん新庄である。謹慎中の金村をメールで励ますなど、新庄は求心力としてチームにプラスαを生み出した。熱さと温かさが伝わってくる最高の「ジ・エンド」だった。

 さて、本題。先日、NHK衛星でドアーズの60年代のライブが放映された。メンバーの証言や当時のインタビューもあり、知られざるバンドの真実に触れることができた。1stアルバムの1曲目「ブレーク・オン・スルー」には「トゥ・ジ・アザーサイド」の副題が付いている。ドアーズは<一線を越える>ことを身をもって示したバンドだった。

 <「イエスタディ」が流行っていた頃、俺たちは「ヘロイン」を歌っていた>……。これはヴェルベット・アンダーグラウンドを率いたルー・リードが、得意げに語った言葉である。ロックを抵抗の武器に磨き、アートの領域に引き上げたのはアメリカのバンドの功績である。大衆的な人気をも獲得したドアーズは、代表格というべき存在だった。

 才気溢れる若者が全米から集うUCLA映画学科で、ドアーズは産声を上げた。ジム・モリソンの悪魔的なボーカルとレイ・マンザレクのキーボードが肝といえるが、ストーンズやフーと比べるとライブでのインパクトは小さい。今回の番組でドアーズがパフォーマーとして成熟できなかった謎が解けた。「反体制」と「風俗紊乱」のレッテルを貼られたドアーズは、徹底的に締め出しを食らったことで、演奏機会が限られていたという。

 モリソンの変死で実質的な活動は4年だったが、<歌詞>を<詩>に高めたモリソンの志向やサイケデリックなサウンドは、その後のロック界の指標になった。DNAはパティ・スミス、ストラングラーズ、エコー&バニーメンを中継し、21世紀のパンドたちにも宿っている。かのトム・ヨークも「エニイワン・キャン・プレイ・ギター」で、「ジム・モリソンになりたい」と叫んでいた。

 ストーンズは「エド・サリバンショー」に出演した際、規制通り歌詞を改変したが、ドアーズは約束事を本番で破り波紋を広げた。ドアーズだけでなく<一線を越えた>バンドたちは、アメリカで厳しい弾圧を受けたが、ジョン・レノンもFBIの監視下にあった。「イマジン」がいまだに放送禁止なのは、レノンがラディカルと見做されているからである。

 昨年の話だが、ブレアの掌で踊らされた「良い子ロッカーたち」には心底腹が立った。「イマジン」は「ライブ8」の最後に合唱されるべき曲だが、メジャーレーベルの飼い犬たちに、<一線を越える>勇気など期待できない。だが、モリソンやレノンの反骨を受け継いだロッカーは少なくない。有名どころを挙げれば、マニック・ストリート・プリーチャーズ、モリッシー、パール・ジャム、デーモン・アルバーンといった面々だ。ドアーズの精神は世紀を超えても生き続けている。

 最後に、スカパーで放映された「ブラックリスト」の感想を。<日本のイギー・ポップ>大江慎也が、チバ、ベンジーと同じステージに立っていた。ドラムは池畑で、ルースターズ時代の曲にはジーンときたが、大江は晩年のモリソンのように丸々太り、膨らんだ顔は武田鉄矢によく似ていた。若い頃から太っている俺に、とやかくいう資格はないけれど……。


コメント (2)
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