酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「テロルの決算」~浅沼暗殺から36年

2006-10-12 01:03:23 | 社会、政治
 「昭和史全記録」(毎日新聞社)を眺めていると、狐につままれた気分になることがある。例えば1960年……。安保闘争を先導した浅沼稲次郎社会党委員長は36年前のこの日(10月12日)、山口二矢の凶刃に斃れる。実況中継された演説会でのテロは、3年後のケネディ暗殺に劣らない衝撃を与えた。

 追悼集会が全国で開催され、反テロを掲げたデモに数十万の国民が加わる。翌月の総選挙は社会党にとって弔い合戦のはずが大幅減で、分裂した民社党と合わせても前回を4議席下回った。意外な結果に思えるが、当時の世論の流れは、「テロルの決算」(沢木耕太郎著)にも記されている。浅沼の死は、池田首相の<所得倍増計画>に吹き飛ばされてしまったのだ。

 闘士のイメージが強い浅沼だが、無産政党から代議士に当選したものの、転向の先陣を切った。国家総動員審議会委員、聖戦貫徹議員連盟幹事、翼賛議員連盟理事と禍々しい肩書が、変節を物語っている。死ぬまで皇室崇拝者だった浅沼が<左翼の箱>に分類されていること自体、歴史の悪戯だが、対照的なのは<右翼の箱>深くに仕舞われている北一輝だ。北は徹底した反皇室主義者で、武力革命成功後、<木偶>としての天皇を使い捨て、民主主義社会に移行する道筋を想定していた。アジア連帯を掲げ、中国革命実現に奔走した時期もある。

 浅沼は訪中時(59年)、いきなり初心に帰った。かつて中国侵略を煽ったことへの贖罪、毛沢東への敬意もあっただろうが、「アメリカ帝国主義は日中人民の共通の敵」と演説し、波紋を広げた。大言壮語の既成右翼に心底絶望していた二矢は、<同根>として親近感を抱いていた浅沼の豹変に激昂し、抹殺を決意する。

 暗殺の瞬間を捉えた写真は、「子連れ狼」の鮮烈なラストに重なる。柳生烈堂は大五郎を刃ごと導き、「我が孫よ」と抱き上げる。<烈堂―大五郎>と<浅沼―二矢>……。殺す者と殺される者の背景には、相似形の宿命のドラマがあった。自らを罰したいと願っていた浅沼にとり、純粋な意志に衝き動かされた二矢こそ、この上ない暗殺者だったのか。

 善玉の浅沼に対し、徹底した悪役は岸信介首相だった。ファッショ的議会運営で悪名を独り占めした岸首相の退陣も、自民党にとって<毒消し効果>があったはずだ。孫の安倍首相は「村山談話」のみならず、従軍慰安婦をめぐる「河野談話」も政府として踏襲すると明言した。昵懇とされる池田大作氏のアドバイスといわれるが、右派からみれば許し難い豹変と映るかもしれない。ひ弱なイメージが拭えない安倍首相だが、祖父の血を継ぎ、<平成の妖怪>に化ける可能性も出てきた。今のところ「のっぺらぼう」だが、本性むき出しの「かまいたち」に転じる日が来るかもしれない。

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