goo blog サービス終了のお知らせ 

酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「枯れ葉」~ノルタルジックなカウリスマキの世界

2023-12-31 20:24:46 | 映画、ドラマ
 無職だから金はない。映画館に足を運ぶのも月4~5回が限度で、見逃した作品も多い。年間ベストテンなんておこがましいので、スクリーンで見た作品限定で、記憶に残る10本を監督名とともに挙げてみたい。今年は邦画の傑作が多かった。「怪物」(是枝裕和)、「福田村事件」(森達也)、「月」(石井裕也)はテーマ性と衝撃度で甲乙付け難い。前々稿で紹介した「市子」(戸田彬弘)も3作に拮抗する秀作だった。

 洋画なら「パリタクシー」(クリスチャン・カリオン)、「熊は、いない」(ジャファール・パナヒ)、「アフターサン」(シャーロット・ウェルズ)、「悪い子バビー」(ロルフ・デ・ヒーア)で、「告白、あるいは完璧な弁護」(ユン・ジョンソク)もリメイクながら韓国映画の底力を示すエンターテインメントだった。あと1作を何にしようか迷っていた。「ロストケア」(前田哲)、「渇水」(高橋正弥)、「あしたの少女」(チョン・ジュリ)が候補で、昨年公開でアンコール上映だった「ケイコ 目を澄ませて」(三宅唱)は選ばないことにした。

 最後のワンピースは、映画締めで見た「枯れ葉」(アキ・カウリスマキ監督)になる。タイトルがいい。俺の現在そのものを言い表しているようだ。まあ、落ち葉の方が近い気はするが……。「希望のかなた」完成後に引退を宣言したが、6年ぶりの復帰である。カウリスマキを見たのは8作目、ブログに記すのは6作目で、スクリーンの端々に過去の精華と色彩がちりばめられていた。

 「枯れ葉」のW主人公は似たような境遇の男女だ。アンサ(アルマ・ポウスティ)はスーパーで働く非正規従業員で、賞味期限切れの総菜をホームレスに与える場面を見咎められてクビになる。ホラッパ(ユッシ・バタネン)は移民が働く工場でブラスト作業を担当しているが、仕事中の飲酒がばれてクビになった。

 そんな二人が出会うのはカラオケ店だ。互いのことが気になりながら言葉を交わせずにいたが、偶然再会し、初デートは映画館だった。上映していたのはカウリスマキの盟友であるジム・ジャームッシュのホラーコメディー「デッド・ドント・ダイ」である。ホラッパはアンサに渡された電話番号が書かれた紙をなくしてしまう。惹かれ合った二人は街を彷徨い、映画館前でようやく再会する。ネットと携帯を嫌うカウリスマキらしい設定だ。

 フィンランドは国民の幸福度が高く、貧富の差は小さい。ジェンダー問題でも世界のトップクラスだ。だが、カウリスマキの目に映る光景は異なる。1996~2006年に発表された「浮き雲」、「過去のない男」、「街のあかり」の<敗者の三部作>では非運の連続で社会から疎外された者たちに優しい眼差しが注がれていた。傷ついた男を包み込む菩薩の如き女性を演じていたのは、〝カウリスマキ組〟の姉御というべきカティ・オウティネンである。他者と折り合えない孤独な青年だった「街のあかり」の主人公は「枯れ葉」のホラッパに似ている。

 カウリスマキは小津安二郎の作品を見て映画の世界の扉を叩いた。寿司好きは有名で、「希望のかなた」の登場人物は寿司屋に転じるという設定だった。日本の曲が流れるシーンも多く、「枯れ葉」では戦争のニュースに苛立ったアンナが変えたチャンネルから「竹田の子守唄」が流れていた。本作は音楽映画の趣で、カラオケ店で歌われる曲を含め、ロックンロール、民謡、シューベルト、マンボ、チャイコフスキー、シャンソンの「枯れ葉」が、時にアンビバレンツにシーンと重なる。ハイライトといえるのは姉妹シンセポップデュオのマウステテュトットが演奏するシーンだ。聴いていたホラッパはアンサに受け入れられるため断酒を決意する。

 カウリマスキの演出は俳優たちには大きなプレッシャーのはずだ。カメラ固定のワンテイクで、暗転が多用される。感情表現は控え、簡潔な台詞と目の動きで物語を紡ぐよう指示されるのだ。だから、本作の最後でアンサがホラッパにウインクするシーンに胸が熱くなった。煙草と犬もカウリスマキのお約束で、ホラッパはヘビースモーカーだ。心優しいアンサは仕事先で殺処分寸前の犬を引き取り、チャップリンと名付ける。ここにもカウリマスキのオマージュが表れている。

 〝カウリマスキ時間〟というべきか、現在のヘルシンキが舞台なのに、どこかノスタルジックかつメランコリックなムードの中で、くたびれた中年男女の思いが繋がった。アンサとホラッパ、そしてチャップリンが歩く歩道に余韻は去らない。アンサとカラッパが聞くラジオからロシアのウクライナ侵攻に関するニュースが流れていた。カウリスマキは戦争の時代に、ささやかな愛を対置したのだ。

 最後に。今年も遺書代わり、防備録にお付き合いいただいて感謝しています。よいお年をお迎えください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「市子」~杉咲花の魂がスクリーンで弾けた

2023-12-24 21:47:58 | 映画、ドラマ
 暇に飽かせてYoutubeを見ることが多い。ロック関連の充実は目を瞠るものがあり、モリッシーの来日公演(11月28日、豊洲PIT)の映像もアップされている。スミス時代からのファンである俺は、反王室主義者、反戦を掲げるベジタリアン、そして性的マイノリティーへの理解者であるモリッシーを絶賛してきたが数年前、異変が起きる。反イスラム、反移民を標榜する極右政党を支持していることが明らかになったのだ。

 2016年のワールドツアーで来日した際、オーチャードホールに足を運んだが、SNSで〝最も乗りが悪い客〟として東京を挙げていた。その後に3枚のアルバムを発表したが日本盤は出ていない。今回のライブは意外なほどフレンドリーで、スミス時代の6曲もセットリストに含まれる充実した内容だったらしい。「いまモリッシーを聴くということ」の著書もある英国在住のブレイディみかこ(作家、ジャーナリスト)は、弱者の側から去ったモリッシーをどう捉えているのだろう。

 モリッシーは俺にとって〝失踪者〟になってしまったが、様々な視点で失踪を扱った映画は多い。当ブログで紹介した作品で思い浮かぶのは「ザ・バニシング-消失-」、「さがす」、「ゴーン・ガール」、「彼女が消えた浜辺」、「search/サーチ1・2」、「オールド・ボーイ」あたりか。これらと遜色のない作品を新宿で見た。「市子」(2023年、戸田彬弘監督)である。原作は監督自身が主宰する劇団の旗揚げ公演作品「川辺市子のために」だ。

 公開後半月ほどだから、ネタバレは最小限にとどめたいが、傑作が揃った今年の邦画の中でも上位にランクしていいと思う。スクリーン右下に時が示され、カットバックしながら物語は進んでいく。主人公の川辺市子を演じた杉咲花の本作に懸ける思いが伝わってきた。冒頭(15年8月)、市子は東大阪市の生駒山で白骨死体が見つかったことをニュースで知る。市子は前日、恋人の長谷川義則(若葉竜也)にプロポーズされていた。併せてプレゼントされたのは花火大会用の浴衣である。市子の花火への憧憬は作品中に織り込まれていた。

 3年間同棲していた義則に求婚された時の市子の表情が印象的だった。鼻をこすって笑みを浮かべたが、照れのためではなく諦念ゆえだったことが明らかになる。市子は姿を消し、捜索願を出した義則の元を訪れた後藤刑事(宇野祥平)は「川辺市子という人間は存在しない」旨を伝える。義則は後藤とタッグを組んで市子の真の姿に迫ろうとする。

 市子が月子と名乗っていた時期があったこと、市子の周辺で2人の人間が消息を絶っていることが明らかになる。月子とは何者か、市子が〝この世に存在していない人間〟になった経緯が、義則が小さな手掛かりを追って辿り着いた市子の母なつみ(中村ゆり)によって語られる。高校時代の市子に思いを寄せていた北秀和(森永悠希)の証言に、義則は衝撃を受けた。

 市子と〝共犯関係〟にあった北は、どんなことがあっても彼女を守ると決めていた。高校時代、帰宅途中の2人は夕立に遭う。猛雨の中、立ち尽くして空を見上げ、市子は「最高」と叫ぶ。全てを流して浄化したいという願望が感じられた。卒業後に出会った市子に、北は「悪魔みたい」と囁く。天使と悪魔のアンビバレンツを表現しきった杉咲花の表現力に感銘を覚えた。

 市子は自殺願望の女性と連絡を取り、北と待ち合わせる。市子は北の車のヘッドライトにまぶしそうに手で顔を覆う。そして、事件が報じられた。オープニングで市子は海辺に佇み、エンディングで坂道を歩く。そこはどこなのかわからないが、無国籍の市子は彷徨い続ける宿命なのだ。義則との3年間を語るモノローグが心に刺さる。市子の、そして杉咲花の魂がスクリーンで弾けていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「JFK/新証言 知られざる陰謀」~主犯に迫ったオリバー・ストーンの執念

2023-12-16 22:58:49 | 映画、ドラマ
 国連総会緊急特別会合(12日)でガザ地区の情勢を巡り、即時停戦、人質解放、人道支援確保などを求める決議案の採決が行われ、153カ国が賛成して可決された。前回(10月27日)から26カ国が棄権から賛成に回り、イスラエルを擁護するアメリカの孤立が際立つ形になった。アメリカ国内でも若い世代でパレスチナ支持が急伸しており、民主党に投票してきたイスラム系団体もバイデンを見限った。〝トランプ再登場〟の悪夢が現実味を帯びてくる。

 60年前の1963年11月22日、テキサス州ダラスを遊説中のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された。日本時間翌日(勤労感謝の日)、小学1年だった俺は近所の同級生たちとオルガン教室に向かう。俺の母を含め保護者たちが深刻な表情で話していた。その日朝、アメリカから放送史上初めてニュース映像が送られてくるという歴史的な実験が行われたが、メインになったのは大統領暗殺である。

 新宿武蔵野館で先日、「JFK/新証言 知られざる陰謀」(2021年)を見た。監督は「JFK」で知られるオリバー・ストーンで、新たに機密解除された証拠や証言に基づく稠密なドキュメンタリーだ。ストーンといえば〝牽強付会〟、〝力業〟いうイメージがあるが、本作では調査報道の手法でジャーナリスティックに取材を進めていた。

 <軍産複合体=保守派=差別主義者=CIA=FBI=マフィア=亡命キューバ人らが連携してケネディを暗殺した>が定説だが、リー・ハーベイ・オズワルドが単独犯として逮捕され、その2日後、刑務所に移送される車に乗る直前、ジャック・ルビーに射殺される。06年にNHK・BSで放映された「暗殺のランデブー~ケネディとカストロ」は<ケネディ暗殺はキューバ諜報機関(G2)の単独犯行>という衝撃的な仮説を提示したが、「JFK/新証言――」を見れば信憑性は低いと思う。

 ストーンはポイントを挙げて検証していく。オズワルド単独犯説では射撃場所を教科書倉庫ビルに設定している。〝魔法の銃弾〟が後方からケネディの体内を貫通して同乗していたテキサス州コナリー知事の手首など7カ所に当たったことになるが、発見された弾丸に傷がない。検視官はケネディの首に当たったのは射入痕で、即ち進行方向前のグラシノールの丘から撃たれた可能性を指摘した。

 ダラス警察はオズワルド単独犯説で突っ走り、オズワルドが所有していたライフルを凶器と決めつける。オズワルドの言動をFBIとCIAは把握していたが、事件前に監視リストから外した。ルビーはマフィアでオズワルドと面識があったという情報も無視される。ケネディの脳の状態など数々の疑問をもみ消したのはウォーレン委員会だった。

 ウォーレン委員会は悪の巣窟だった。ジョージア州知事時代に人種隔離政策を推進したリチャード・ラッセル・ジュニア、ナチスドイツ系企業と関係があり日系アメリカ人の強制収容を決定したジョン・マクロイ、アレン・ダラス前CIA長官、保守本流で後に大統領になったジェラルド・フォードらが顔を連ねている。新大統領に就任したリンドン・ジョンソン肝いりの面々で、ケネディとは距離を置いていた。

 ジョンソンの最初の仕事は、ケネディがストップをかけていたベトナムへの積極的な介入で、軍需産業から後押しされていたことが窺える。ストーンはジョンソンこそ陰謀の〝主犯〟と仄めかしていた。ケネディ夫人のジャックリーンは服や体に夫の血や脳がこびり付いたまま大統領専用機に赴き、ジョンソンの就任式に立ち会った。着替えを勧めた側近に「彼らがやったことを思い知らせてやる」と話したという。

 ラストでアラバマ大学への黒人学生入学を支持したJFKの格調高い演説が紹介される。JFKは民主主義のシンボルになったが、司法長官だった弟のロバートともどもマフィアに目の敵にされていた。彼らの父ジョセフはマフィアと緊密な関係を築いていたが、息子たちは組織犯罪撲滅を公言する。マフィアが革命前、マネーロンダリングとして使っていたのがキューバで、両者が繰り返し陰謀説に登場するのも理由がある。

 ストーンはあくまで軍需産業、差別主義者、CIA、FBIに照準を定め、多くのデータや証言を用いて暗殺の真相に迫った。自由と民主主義に価値を置くストーンの執念に喝采を送りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザ・バニシング-消失-」~宣伝部長はキューブリック?

2023-12-08 22:23:09 | 映画、ドラマ
 チバユウスケさんの訃報が届いた。享年55と早過ぎる死である。記憶に残るのはミッシェル・ガン・エレファント時代で、チバさんは削いで研いだ言葉を礫にして吐き出すボーカルスタイルだった。ファンになるにはあまりに老いていて、ライブに触れたのはフジロック'98(豊洲)の一度きりだったが、最後方で目の当たりにした聴衆を熱狂させるパワーに、「彼らが今、世界一のバンド」と感じた。

 ミッシェル・ガンはともに邦楽ロックを世界標準に引き上げたブランキー・ジェット・シティと交流があったし、俺にとって最も大切なバンドであるルースターズへのオマージュを表している。〝魂のロッカー〟チバさんの冥福を心から祈りたい。ミッシェル・ガン解散後、殺気さえ覚えるパフォーマンスで〝鬼〟と評されたギタリストのアベフトシさんは一線を退き、ひっそり亡くなった。2人が奏でる轟音ロックが天国で鳴り響いているに違いない。

 新宿武蔵野館で1988年にオランダで製作された「ザ・バニシング-消失-」(ジョルジュ・シュルイツァー監督)を見た。国内上映権消失のため1週間の限定上映だった。1988年といえばACミランに所属していたフリット、ファンバステン、ライカールトがオランダを欧州王者に導いた年で、心が戦ぐのを感じた。ちなみに本作の主人公レックス(ジーン・ベルヴォーツ)はカートップに自転車を2台載せており、ツールド・ド・フランスの実況中継が流れている。

 本作には絶対的な宣伝部長が存在した。かのスタンリー・キューブリックで、3回観賞し「これまで見た中で最も恐ろしい映画」と絶賛した。シュルイツァー監督が「あなたの『シャイニング』と比べたら」と問うと、「本作に遠く及ばない」と答えた。かくして<サイコサスペンスの史上ナンバーワン映画>の評価が確立する。〝粗探ししてやる〟とひねくれ者の俺は、食い入るようにスクリーンを眺めたが、伏線は周到に張り巡らされていた。

 オランダ人のレックスは恋人サスキア(ヨハンナ・テア・ステーゲ)とフランスへの小旅行を楽しんでいる。ティム・クラッベによる原作タイトルは「金の卵」で、サスキアは冒頭、「金の卵に永遠に閉じ込められる夢」と見たとレックスに語る。さらに「金の卵はもう一つあった」と付け加えた。トンネルの中で車がガス欠して、レックスはサスキアを置き去りにしてガソリンを買いにいく。サスキアは闇の中を叫びながら歩いていた。

 ぎくしゃくする場面があったので、〝サスキアは自ら去った〟と勘繰ったが、さにあらず。仲直りした2人に視線をやっている男がいた。レイモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)だ。ドライブインに飲み物を買いにいったサスキアは戻らず、3年の月日が経ったが、レックスはサスキアの写真入りのポスターを現場近くで貼っている。テレビ番組に出演し、「君に会って真実を知りたい」と犯人(=レイモン)に呼び掛ける。レックスの元に犯人からの手紙が届くようになった。

 本作で興味深いのは構成で、レックスとレイモンの日常がカットバックされる。新しい恋人が出来たレックスだが、喪失感に苛まれている。一方のレイモンは大学教員で、妻と2人の娘と平穏な生活を送っている。異常者には見えないが、心に歪んだ欲望を秘めていた。女性を車に乗せて拉致するため、綿密に計画を練っているが、実行に移すと失敗ばかりのドジ男なのだ。

 家族とのエピソードで印象に残るのは庭で食事をするシーンだ。台の引き出しにサソリ? が蠢いていて、妻や娘が挙げた叫び声に鳥が呼応する。レイモンは笑っていた。レイモンは正義と悪の狭間で揺れていた。川で溺れていた少女を橋から飛び降りて救出し、娘の尊敬を得たレイモンだが、究極の悪を志向していた。偶然が幾つも重なりターゲットになったのがサスキアだった。

 レックスとレイモンはアムステルダムで遂に出会い、車に乗って国境を越える。両者の会話は緊張感が溢れ、レイモンは真実を語る条件を提示する。確実に睡眠薬が入ったコーヒーをレックスに勧めるのだ。見る側も試されている。あなたは飲まずに去るのか、飲んでサスキアに起きたことを知るのか……。レックスは決断し、酷いラストに至る。

 レイモンは検問所係員に「自分は閉所恐怖症」と語る場面があった。レイモンにとって生き埋めとは考え得る最悪の状況だったのか。シュルイツァーは5年後、本作をセルフリメークしている。タイトルは「失踪」で、ラストはハリウッド的な結末という。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「水いらずの星」~愛の深淵から噴き上がる水

2023-11-30 22:17:48 | 映画、ドラマ
 俺はエンターテインメントを好む。〝藤井聡太絶対王朝〟が確立した将棋界だが、AIとの共存でエンタメ度は増した。解説する棋士たちはサービス精神に溢れ、タイトル戦での食事やおやつの紹介は〝観る将〟の関心の的だ。キャラが立った棋士も多いが、俺が贔屓にしているのは藤井王将に挑戦する菅井竜也八段だ。

 女流棋士なら磯谷祐維1級だ。〝発見〟したのは王将挑戦者決定リーグで、記録係の席に目力の強い金髪ギャルが座っていた。将棋連盟ではなく、LPSA(日本女子プロ将棋協会)に入会したのは「奇抜な髪色でも認めてもらえる自由さがあるから」と話している。アマ時代の戦績は抜群で、師匠は独創的な棋風で知られる山崎隆之八段だ。数年後、<里見・西山2強時代>に割って入ることが出来るだろうが。

 俺ぐらいの年になると、マンネリとわかりやすさもエンタメのプラス要素に組み込まれる。新シリーズも面白いとは思わないが、「相棒」にチャンネルを合わせてしまうのはそのためだ。体力と集中力が落ちているので、2時間半を超える映画はパスするが、例外もある。新宿武蔵野館で164分の「水いらずの星」(2023年、越川道夫監督)を見た。別の映画を見た後、同館入り口で主演の河野和美に声を掛けられ、「今月中に上映される映画に出ています」とサイン入りのチラシを渡されたのがきっかけだった。熱い思いが伝わったので見ることにした。

 河野は10作以上の作品に関わっており、「水いらずの星」では製作も担当している。原作は松田正隆による同名の戯曲で、映画化に際し台詞は出来る限り忠実に再現したという。冒頭とラスト以外の2時間は女(河野知美)と男(梅田誠弘)の台詞で進行する一幕物で、舞台は女のアパートだ。俺は演劇に疎いから、2人芝居の見え方が演劇と映画でどう異なるか理解出来ない。演劇なら2人のやりとりを等距離で見ることになるが、映画では男女いずれかの視界に映る相手の表情を捉えるケースが多く、本作も同様だ。

 両者の微妙な表情と佐世保弁に、リハーサルが積み重ねられたことが想像出来る。2人はかつて佐世保で結婚生活を送っていたが、男が働いていた造船所が閉鎖された。女は福山に駆け落ちした別の男と別れ、叔父の子を身ごもったが叔母に毒を盛られて流産するという悲惨な体験を経て坂出に流れ着いた。一方の男は末期のがんを患い、余命いくばくもないという設定だ。

 絶望の淵に沈む2人だが、互いを思いやる気持ちは消えていない。だが、セックスに至る場面で奇妙なことが起きる。「1万円でいいよ」と女が囁くのだ。女は売春で生計を立てていた。雨音が聞こえ、2人が抱き合う時、天井から漏れた水がバケツに零れていた。本作の基本イメージである水がラストで迸る。

 ストーリーらしきものはないが、男が海を渡って女の元を訪ねるシュールな冒頭に、スクリーンで交わされる会話は冥界で交わされているのではないかと感じる人もいると思う。男はがんで、女は毒で既に亡くなっていると想像することも出来る。男が撮った写真と描いた絵が現実との結び目で、2人が穏やかに過ごした時期を窺わせる。

 記憶に殺人を織り込んだ女の右目から水が溢れ、画面がドラスチックに展開する。愛の深淵から噴き上がった水が世界を崩壊に導き、船に乗った男が女の眼球を手に3年前、包帯を巻いた女と会話する。女の顔の前に手が差し伸べられて、エンドタイトルになる。

 惑いながらスクリーンを出ると河野が立っていた。買っておいたパンフレットにサインしてもらい、少し話をする。「あれは男の手なんですか」と問うと、「全て見る方の想像にお任せですが、たぶん」と頷いていた。河野は乳がんと闘っている。病に勝ち、更なる活躍を祈っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「悪い子バビー」~神とロックに導かれる人生賛歌?

2023-11-20 18:41:51 | 映画、ドラマ
 別稿(4月16日)で紹介した連続ドラマW「フェンス」がギャラクシー賞に選ばれた。キー(松岡茉優)と桜(宮本エリアナ)のミックスバディが、復帰50年を迎えた沖縄で起きたレイプ事件の真相に迫っていく。野木亜紀子の脚本は日米地位協定、珊瑚礁破壊、辺野古移設問題、沖縄を食いものにする癒着、福島原発による子供たちの被曝にまで踏み込んでいた。WOWOW制作のドラマはテーマ性とエンターテインメント性を併せ持っているが、本作は白眉といっていい。

 新宿武蔵野館で衝撃作と出会った。「悪い子バビー」(ロルフ・デ・ヒーア監督)は豪伊合作で1993年に製作された。原題“BAD BOY BUBBY”の本作は世界の映画祭で多くの栄誉に浴したが日本では公開されず、VHSのみが発売された。タイトルの「アブノーマル」が映画関係者の評価を物語っている。当時の単館ブームに乗れそうもないと判断されたのだ。

 舞台はオーストラリア南部のアデレードだ。バビー(ニコラス・ホープ)は街の一角にある廃屋に生まれてから35年間、「外の世界は汚染されている」と語る母に監禁されていた。母はガスマスクを被り、施錠をして外に出る。服従を強いられたバビーの友だちは猫とゴキブリだけだ。夜は母の性の玩具になる。

 冒頭の30分は目を背けたくなるシーンの連続で、まさに地獄の光景だ。変化が訪れるのは牧師姿の実父の登場で、母は唐突に、あれほど依存していたバビーを邪魔者扱いする。バビーは猫に続き、両親の顔をラップで巻いて死に至らしめ、危険な外に出る。ちなみにバビーには死を認識出来ず、ラップで巻いた猫の亡骸とともに行動する。本作は寓話、メタファーと捉えることが出来る。第一のテーマは信仰で、廃屋の壁には磔刑されたキリスト像が架かっており、マリアの絵が繰り返し現れる。

 バビーの耳に特殊マイクを着けて収録した音を流すなど、工夫が凝らされていた。第二のテーマは音楽で、ヘンデルや賛美歌、バイオリン協奏曲、パイプオルガンが流れていたが、メインはロックだ。ツアー中の売れないバンドと知り合ったバビーは雑用を引き受ける。ブランクを経て再会したバビーは引き寄せられるようにステージに立ち、イアン・デューリーやニック・ケイブを彷彿させるパフォーマンスで観客を惹きつける。

 バビーはパパ(実父)とバビーを巧みに使い分け、自分に掛けられた言葉を模倣し、叫びに昇華する。表現の本質に則り、善悪を超越した無垢なロックシンガーになり、コミュニケーション技術を身につける。興味深かったのはバビーの性的嗜好だ。虐待を受けた母は巨乳だが、母性への憧れがあるのが、バビーは無遠慮に女性の胸に触り、時に騒動を引き起こす。そんなバビーは理想の女性に出会った。障害者施設で働くエンジェルで、もちろん巨乳だ。

 本作のハイライトは、バビーが入居者のレイチェルを抱きしめるシーンだ。レイチェルは伝えられない気持ちを理解してくれるバビーを愛するようになる。バビーは彼女の思いを受け止めつつ、抱擁しながら耳元に囁く。「僕にはエンジェルがいる。ごめんなさい」と。バビーは究極の愛を学んでいたのだ。

 無神論者と対話したり、招かれたエンジェル宅で両親の異常な帰依を罵ったり、バンドメンバーと唐突に神について議論したりと、日本人の理解を超えた部分もあった。いかに自分の生き方を構築していくのかを問う実存主義とも通底しているのだろう。ラストは人間賛歌とも取れるが、主観はバビーではない夢なのか、それとも神の目なのか。一度見ただけでは解けない謎が残る傑作だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サタデー・フィクション」~魔都で蠢く恋と謀略

2023-11-10 21:01:31 | 映画、ドラマ
 前稿冒頭で斎藤幸平(経済思想家)が「報道1930」でグレタ・トゥンベリが<パレスチナと共に立つ>とボードを掲げたことを踏まえ、人種、階級、ジェンダーなどのカテゴリーが相互に関係し、人びとの経験を形づくっていくインターセクショナリティー(交差性)が世界を変える第一歩になると期待を寄せた。そのことを関連しているとは言い切れないが、保守的といわれる米ケンタッキー州の知事選や3州の議会選挙でも妊娠中絶を唱える民主党が勝利を収めた。トランプ有利とされる大統領選挙にも影響を与えそうだ。

 戦時中の現在も同様だが、第1次世界大戦後の1930年代も混沌という坩堝で煮えたぎっていた。象徴はベルリンで、映画「キャバレー」やルー・リードの「ベルリン」に描かれていたように頽廃と狂気が渦巻いていた。遠く離れた上海も、麻薬と売春が蔓延する妖しい魔都だった。両者に共通するのは文化の混淆と政治の嵐である。ベルリンではナチズムが忍び寄り、上海では様々な勢力がせめぎ合っていた。

 当時の上海を舞台にした書物は無数にある。記憶に残るのは川合貞吉著「ある革命家の回想」と「ゾルゲ追跡」(F・W・ディーキン、G・R・ストーリィ著)だ。小説ではともにブログで紹介した「ジャスミン」(辻原登)と「わたしたちが孤児だったころ」(カズオ・イシグロ)が記憶に残る。「ジャスミン」では上海在住時(1930年代)の父を主人公に据えた映画が製作中と知った息子が上海の撮影所を訪ねる。「わたしたち――」では上海租界で少年期を過ごした主人公が、孤児になった経緯を探るため上海に帰って来る。

 上海を舞台に、真珠湾攻撃直前の数日間を追ったモノクロのスパイアクションを新宿武蔵野館で見た。「上海の死」(ホン・イン)と「上海」(横光利一)の2作をベースに脚色された中国映画「サタデー・フィクション」(2019年)である。諜報戦と蘭心大劇場で演じられる芝居が交錯する入れ子構造で、現実とフィクションの境界を行き来する。芝居のタイトルは「サタデー・フィクション」(原題/蘭心大劇院)で、ロウ・イエ監督作は2月に見た「シャドウプレイ」以来だ。

 蘭心で主演する人気女優のユー・ジン(コン・リー)、恋人で演出家のタン・ナー(マーク・チャオ)、日本海軍の古谷三郎少佐(オダギリ・ジョー)を軸に物語は進行する。迷路に迷い込んだ部分もあったので帰宅後、HPをチェックして事実関係を確認する。ユーはフランス諜報部ヒューバート(パスカル・グレゴリー)の養女で、キャセイ・ホテル支配人とも協力関係にある。古谷は特務機関の梶原(中島歩)とともに、暗号更新のため上海にやってきた。フランス諜報部は古谷の亡き妻・美代子と似ているユーを接近させる〝マジックミラー作戦〟を発動する。

 各国の諜報部員が入手したかったのは日本が先制攻撃する場所で、ナチス占領下にあったドゴール率いる自由フランスも同様だった。中国も共産党だけでなく様々な勢力が角を突き合わせている。ユーに近づいてきたバイ・ユンシャン(ホァン・シャンリー)は蒋介石率いる重慶政府の諜報員だ。ユーの元夫は日本と協力関係にあった南京政府の施設に監禁されていた。

 芝居「サタデー・フィクション」はストライキを背景にしたラブストーリーで、そこにユーとタンの悲恋が重なる。美代子を誤射して命を奪ったのはユーだった。〝マジックミラー作戦〟は成功したかに思えたが、ユーが聞き出した情報を最初、ヒューバートに正しく伝えなかったのは、古谷への贖罪の意識があったのかもしれない。魔都で恋と謀略が蠢くスタイリッシュな作品だった。

 どこか冷めたユーの表情、繰り返す雨のシーン、ジャズの生演奏の余韻に浸ってスクリーンを出ると女性に挨拶される。「武蔵野館で今月中に上映される映画に出てます」とサイン入りのチラシを渡された。彼女は「水いらずの星」に主演している河野知美で、インディーズ系を中心に10本以上の作品に関わっている女優、監督、プロデューサーである。彼女の思いが伝わったので見ることにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「月」~社会の底から見上げた月

2023-11-01 19:38:24 | 映画、ドラマ
 小説「列」を紹介した前稿で、相対的な評価に囚われる現代社会の問題点を記した。映画や音楽についても、<歴代ベスト100>などランキングを挙げ自らを権威付けするメディアは多く、つけ込まれているファンは少なくない。悪しき例は「ローリングストーン誌」だ。1980年前後はクラッシュなどパンクを酷評していたのに、彼らが次代のメインストリームと評価されるやランクを高めに修正している。

 何の権威もない俺も、年末に映画ベストテンを記してきたが、昨年は<映画館で今年見て感銘を覚えた作品>という風に〝姿勢〟を改めた。今年もこのスタイルでいきたい。この10カ月、多くの傑作に出合えたが、とりわけ感銘を覚えた「怪物」(是枝裕和監督)、「福田村事件」(森達也監督)に匹敵する映画を新宿バルト9で見た。「月」(石井裕也監督)である。

 長男を亡くした痛みが癒えない洋子(宮沢りえ)、昌平(オダギリジョー)の夫婦が本作の軸になっている。洋子は作家として脚光を浴びたことがあったがスランプに陥り、生活を立て直すため重度障害者施設「三日月園」で働くようになる。施設で仲良くなった職員は作家志望の陽子(二階堂ふみ)、絵が上手なさとくん(磯村勇斗)だ。4人は表現にこだわりを持っており、昌平も人形アニメーションを製作している。

 映画館に足を運んだ方は、違和感を覚えたに違いない。相模原障害者施設殺害事件に着想を得た辺見庸の原作には洋子、昌平、陽子は登場しないからだ。原作は殺人者の「さとくん」、語り手である入居者の「きーちゃん」を軸にストーリーは進行する。映画では洋子が、生年月日が同じであるきーちゃんを気に懸けるという設定になっていた。辺見の熱心な読者は、この点から本作を否定的に評価しても不思議はない。だが、忘れてならないのは、石井監督も辺見の全ての著作を読んでいる熱心なファンであることだ。

 前提は自身が老健施設に通い、母親が養護施設に入居したことだが、辺見は著作や講演会で<老いていても、障害を抱えていても、人間の価値や尊厳は変わらない>と繰り返し表明している。ハイライトシーンは、入居者の大量殺害を決意したさとくんと洋子が対峙する場面だ。さとくんに「あなたは同志」と同意を求められた洋子だが否定した。

 洋子は全編、苦渋の表情を浮かべている。第一は陽子による問い詰めだ。3・11を題材にした小説で世に出た洋子だが、「目を覆いたくなる被災地の状況や臭いが一切省略されている。薄っぺらい作品」と批判される。洋子にも言い分があり、「暗い部分も書きたい」と編集者に提案したが拒絶され、書けなくなったのだ。

 第二は高齢で妊娠したことだ。障害を持って生まれた息子は3歳で亡くなった。友人である産科医(板谷由夏)に相談し、産むか中絶するかの判断を委ねられる。<出生前の診断で異常が認められた場合、96%の夫婦は中絶を選ぶ>という事実が明かされる。さとくんによる殺害、そして中絶……。位相が異なる二つの〝殺人〟が見る側に示される。

 俺は原作読了後、ブログに紹介するのは無理と感じた。だから、「月」発刊記念の講演会を知り、解題に期待した。一度キャンセルされ開催の運びになった会の冒頭、辺見は<「月」を対象化出来なかった。脱稿後も「月」は終わっていない。閉じ込められている>(論旨)と述べていた。作者自身も苦悩していたのだ。辺見は「月」を書いた〝動機〟をメインに言葉を紡いだ。

 辺見は日本の現実を後景に据えている。引き取り手がなく、存在が消された遺体である「行旅死亡人」を施設入居者に重ねていた。<加害者であるさとくん=悪、被害者であるきーちゃんたちは善>……。洋子はこの構図に則り、<命の価値>と<誰しもが生きる権利>をさとくんに説いたが、辺見は<人間は例外なく障害者。健常者と障害者の区別はない>と考えている。

 洋子が施設に通う道は森の中で、カラスの群れが舞い、地面に蛇がとぐろを巻いている。社会から途絶し、隠蔽された場所のメタファーか。見上げた空に懸かる三日月がタイトル通り本作に通底するイメージになっていた。冒頭に示される「コレヘトの言葉」(旧約聖書)からの<なんという空しさ 全ては空しい かつてあったことはこれからもあり かつて起こったことはこれからも起きる 太陽の下 新しいものは何ひとつない>は辺見が俯瞰する日本社会の未来なのだろう。

 映画についての感想が記されているかもしれない。そう期待して辺見のブログをチェックしたら、この半月余り、イスラエルへの抗議が綴られていた。

 <かつてナチスにやられたことを〝ゲットー〟ガザに対してやっている。〝優越民族〟の自意識を〝劣等民族〟パレスチナに向けている。狂気だ>
 <執拗な病性。イスラエルによるパレスチナ人殺戮には報復以上の異常な執着がある。反吐が出る>
 <イスラエル軍事指導部はある種の〝サイコパス〟だ。ガザには何をしてもよいと思っている。皆殺しも可か。虫酸が走る>

 ガザの人たちが見上げる夜空、どんな月が懸かっているだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バーナデット ママは行方不明」~南極に咲く奇跡の華

2023-10-15 21:41:45 | 映画、ドラマ
 きょう67歳になった。俺のような無能な人間が東京砂漠で生き長らえてこられたのは、ひたすら運が良かったからである。周りに支えられてきたが、とりわけ家族の力が大きかった。特養施設で暮らす母、亡き父と妹にはいくら感謝しても感謝し過ぎることはない。絆の意味を考える今日この頃だ。

 俺が親近感を覚える街といえば、日本では函館で、欧州では歴史とサッカーでバルセロナ、ロックでマンチェスターだ。アメリカなら〝文化の拠点〟ニューヨークだが、「コールドケース」の再放送をスカパーで見ているうち、フィラデルフィアに馴染んでしまった。かつてはECWの拠点で、〝ブラザーフッド〟の街だ。NFLならイーグルス、MLBならフィリーズに肩入れしているが、両チームとも好調で気分がいい。

 さらに挙げるならシアトルだ。ニルヴァーナ、パール・ジャムらが世界を震撼させたグランジ発祥の地である。そのシアトルを舞台にした「バーナデット ママは行方不明」(2019年、リチャード・リンクレイター監督)を新宿ピカデリーで見た。アメリカ公開後、4年を経ているのは、日本ではヒットを見込めないと配給会社が考えたからかもしれない。

 前稿で紹介した「BAD LANDS~バッドランズ」は4人の擬制家族が織り成す宿命に彩られた物語だったが、「バーナデット――」は対照的に家族の絆を描いたコメディーだ。主人公は主婦のバーナデット(ケイト・ブランシェット)で、IT長者の夫エルジー(ビリー・クラダップ)、娘ビー(エマ・ネルソン)と暮らしている。

 ケイトの出演作で印象に残るのは「ブルージャスミン」だ。堕ちていくジャスミンの心情を清冽かつ繊細に表現したケイトは、同作でアカデミー賞主演女優賞など数々の栄誉に浴している。監督のウディ・アレンは<言葉で説明できる領域を超越した天才>と絶賛していた。ケイト演じるバーナデットはママ友や隣人とうまくやっていけない。いわゆる〝コミュ障〟で、ワーカホリックのエルジーも、バーナデットの振る舞いに異常さを覚え、治療が必要と考えカウンセラーを妻に紹介する。

 この展開に「ブルージャスミン」が重なり、悲劇的な結末が待ち受けているのではと心配になった。同作のラストで、ジャスミンの微笑みに、崩壊と狂気を予感したからだ。「バーナデット――」は色調が異なるが、家庭における女性の位置を見る者に問いかける。キャリアウーマンは本作にどのような感想を抱くだろうか。

 バーナデットはグランジのように、業界に革命をもたらした天才建築家だったことが、少しずつ明かされていく。子供たちのパーティーで、「あの子の父親はパール・ジャムのメンバーなのよ」とママ友が話す場面が印象的だった。追い詰められたバーナデットは隣人オードリー(クリステン・ウィグ)に救いを求める。絶交状態にあった2人が和解し、しみじみ語り合うシーンに心が和んだ。

 まあ、深く考えて語るタイプの映画ではない。バーナデットは再会した建築家ジェネリック(ローレンス・フィッシュ)に悩みを打ち明ける。「周りとうまくやっていけない」と……。ジェネリックは「理由は簡単。君は本来の姿を見失っている。創造の道に戻ったたら解決する」と答えた。それが本作の肝台詞で、バーナデットは思い切った行動に出る。

 バーナデットとは19世紀、ルルドの泉で聖母マリアが出現するという奇跡を体験した少女の名前だ。本作でもバーナデットは壁をスルスルすり抜け、家族の応援を受け、南極点で奇跡の華を咲かせる。ハートウオーミングなハッピーエンドだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「BAD LANDS」~抗い喘いで疾走するクライムサスペンス

2023-10-11 22:31:15 | 映画、ドラマ
 藤井聡太竜王・名人が永瀬拓矢王座を破り、八冠制覇を成し遂げた。凄まじい逆転劇で、自らの失着を責める永瀬の動作が印象的だった。将棋はイーブンの条件での闘いだが、世界は今、イスラエルとハマスの戦争に注目している。米メディアはイスラエルに肩入れしている。だが、ツツ主教が<現在のアパルトヘイト>と断罪したように、イスラエルが国際人道法に違反して封鎖してきたガザは「天井のない監獄」と呼ばれている。

 むろん、ハマスの先制攻撃を肯定するわけにはいかない。だが、イスラエルが占領開始以来、積み重ねてきた戦争犯罪は許されるものではない。そもそもイスラエルとパレスチナの軍事力は100対1以上だ。俺は数々の暴力に抗ってきたパレスチナの側に立ってブログに記してきた。両国が交渉による解決を選ぶことを願っている。

 <全てに抗い、全てを掠め取れ>……。こんなキャッチコピーで謳われた映画をTOHOシネマ新宿で見た。「BAD LANDS~バッドランズ」(2023年、原田眞人監督)である。原作は「勁草」(黒川博行著)で、主人公は男だったが、映画では安藤サクラが演じるネリに変わっていた。特殊詐欺グループで受け子を束ねる〝三塁コーチ〟のネリと、血の繋がらない弟ジョー(山田涼介)との近親相姦的な妖しさがケミストリーを生み、滑車の役割は関西弁だ。冒頭とラストに登場する〝月曜に走る女〟が伏線になり、1週間の濃密なクライムサスペンスがスクリーンを疾走する。

 舞台は釜ケ崎で、<格差と貧困>が本作の背景にある。ネリはあいりん地区を闊歩していた。ボスの高城(生瀬勝久)はネリの実父で、特殊詐欺だけでなく、生活保護者を搾取する貧困ビジネスにも手を染めている。ネリのドヤでもある簡易宿泊所で暮らす曼荼羅(宇崎竜童)はかつて高城の盟友で、幼いネリを可愛がってくれた。

 ネリとジョーの姉弟、高城、そして姉弟に父性をもって接する曼荼羅……。ギリシャ神話の悲劇に現れるような、宿命に彩られた4人の擬制家族がストーリーの軸である。劇中に流れるバッハはドヤ街とミスマッチに感じるが、原田監督は「サラバンド」を家庭劇に用いたベルイマンにインスパイアされたという。

 本作は上記の4人以外に、個性的なキャストが登場する。特殊詐欺グループに迫る日野班長(江口のりこ)と佐竹刑事(吉原光夫)、ネリを支配していたIT企業社長の胡屋(淵上泰史)、賭場の金庫番である林田(サリngROCK)、受け子に身を落とした教授(大場泰正)たちだ。狂気と暴力がスクリーンから零れてくる作品で、抗い喘ぐジョーを表現した山田の熱演が光っていた。

 崖っ縁に追い込まれたネリを救ったのは仮想通貨にも通じる林田と〝月曜に走る女〟だった。家族という桎梏から解き放たれたネリは、これからどのように生きていくのだろう。自由とは、人を縛る金とどう折り合いをつけるのか。近い将来、何事もなかったように釜ケ崎に戻り、くたびれたおっさんたちに声を掛けているような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする