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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「型破りな教室」~スクリーンではじけるデルベスの情熱と信念

2025-01-22 22:05:09 | 映画、ドラマ
 西山朋佳女流三冠が挑んだ棋士編入試験第5局は柵木幹太四段が勝ち、2勝3敗になった西山のプロ棋士入りはならなかった。西山は終局後、「勝敗が成績に残らないのに、真摯に指してくれた5人の試験官に感謝している」と語っている。俺は将棋界の不文律<相手にとって重要な一局を勝ちにいく>を思い出していた。柵木は現在フリークラスでC級2組に向けて苦しんでいる。ましてその背中を、将棋に身を賭しつつ夢破れて去った者たちが見つめている。柵木にとっても〝存在証明〟といえる一局だったのだ。

 向いている仕事は皆無で、教師など適性ゼロと言い切れるが、それでも、教師や学校に焦点を定めた映画を見ないわけではない。新宿武蔵野館で先日、メキシコ映画「型破りな教室」(2023年、クリストファー・ザラ監督)を観賞した。実話に基づく作品で、舞台はアメリカとの国境近くにある町マタモロスだ。冒頭でギャング団が運転するバンから死体が落とされる。授業中もパトカーのサイレンが鳴り響くなど、暴力が蔓延するマタモロスの小学校に、セルヒオ・ファレス(エウヘニオ・デルベス)が赴任する。原題“Radical”通り、セルヒオの授業は常識外れだった。

 本作と背景は異なるが、〝人生の終着駅〟釜ケ崎を舞台に描かれた「かば」(2021年、川本貴弘監督)を思い出していた。同作も実話がベースで、中学教師の蒲は、朝鮮半島をルーツに持つ生徒たちと同じ視線でぶつかっていく。「生徒に日々教えられている」と語った教師たちの実感は、「型破りな教室」のセルヒオとそのまま重なる。セルヒオは最初の授業で教室のレイアウトを変え、机と椅子を四方に積んで自身は中央の床に座った。

 生徒たちへの最初の問いは、沈みかけた船の仮説だった。救命ボート6隻に乗れない人は死ぬ。「君たちはどうする」と尋ねられ、生徒たちは浮力について考え始めた。翌日には井戸に落ちたロバが自力で助かった話をして、それぞれが秘めた可能性を説いた。セルヒオはパロマ(ジェニファー・トレホ)が浮力の法則をノートに記していたことに気付いていた。

 セルヒオとパロマは実在している。共通テストで全国最低レベルの小学校に通いながら最高点を獲得したパロマは<次のスティーブ・ジョブスは11歳のメキシコ人少女>とメディアで紹介された。父の廃品回収業を手伝うパロマは数学や物理に才能を発揮し、自力で望遠鏡を組み立てている。彼女が眺めているのは国境の先にあるNASAで、そこで開催される宇宙飛行士育成セミナーへの参加を夢見ていた。家庭環境を考えたら不可能に近い。

 パロマに恋をし、彼女の夢の実現に協力するニコ(ダニーロ・アルディオラ)は、兄にギャング団入りを誘われている。ニコと同じく架空の生徒であるルペ(ミア・フェルナンダ・ソリス)は救命ボート問題に触発されて倫理に目覚め、ジョン・スチュアート・ミルの哲学書を読むようになる。自身の関心に則って課題を見つけて探求するように生徒を導くセルビオの教育方針は、生徒たちの姿勢を変えていく。ギャング団に運び屋役を担わされていたニコを悲劇が襲った。

 チュチョ校長(ダニエル・ハダッド)の持論は一般的な教師と同じで<誰が支配者であるか知らしめる必要がある>というもの。太っちょなチュチョは次第にセルヒオの方針に共感を覚えるようになり、浮力の実験で水槽に飛び込んだり、パソコンの買い入れを請求したりする。共通テストを巡って不正を働く同僚や強圧的な教育長などにより、セルヒオは八方塞がりに陥った。

 「コーダ あいのうた」で主人公ルビーを励ます音楽教師に続き本作のセルヒオ役と、エウヘニオ・デルベスは教師が当たり役であることを世界に印象づけた。どんな人だろうとチェックしたら、驚きの連続だった。エネルギッシュだが年齢は現在63歳で、校長役のハダッドより上かもしれない。メキシコでは大人気のコメディアンで、本作ではプロデューサーとして10年近く製作に関わってきた。スクリーンでバチバチはじけていたのは、デルベスの情熱と信念だったのだ。

 ラストでアインシュタインの言葉「私の学びを妨げる唯一のものは、私が受けた学校教育である」がクレジットされる。教育の在り方を問いかける快作だった。
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「はたらく細胞」~アイデアに溢れた教訓エンターテインメント

2025-01-13 22:32:38 | 映画、ドラマ
 今年になって初めて見た映画はWOWOWで録画しておいた「ピクニックatハンギング・ロック」(日本公開1986年、ピーター・ウィアー監督)だった。オーストラリア固有種が息づく壮大な景色に、美少女3人が忽然と姿を消すミステリアスな作品である。40年近く前に解けなかった謎に挑んだが跳ね返された。「刑事ジョン・ブック 目撃者」ではアーミッシュを、「モスキート・コースト」では文明社会への嫌悪を描いたウィアー監督の原点といえるかもしれない。

 初めて映画館で見たのは「はたらく細胞」(2014年、武内英樹監督)だった。清水茜によるベストセラーコミック(同名)とスピンオフ作品「はたらく細胞 BLACK」を原作に、父娘のドラマとそれぞれの体内で蠢く細胞たちの活躍が同時進行していく。アイデアに溢れる原作と実写化に際しての緻密な構成力が、笑って泣けるエンターテインメントを創り上げた。関係者のチャレンジ精神に拍手を送りたい。

 人間の体は37兆個の細胞の集合体だ。体内パートの主人公は赤血球(AE3803、永野芽郁)と白血球(U1146、佐藤健)で、赤い帽子とジャンパーを纏った赤血球は各細胞に酸素を運んでいる。全身白ずくめの白血球は侵入した細菌やウイルスの排除を担っている。7000人以上のエキストラを動員し、CGをフル稼働させた映像に圧倒された。

 女子校生の漆崎日胡(ニコ、芦田愛菜)とドライバーの父茂(阿部サダヲ)、日胡の恋人である武田(加藤清史郎)が父娘パートの主人公だ。AE3803とU1146が働くのは高校生の日胡の体内で、清潔で活気に溢れている。くしゃみしたり、ケガをしたりした時は、体内と日胡の様子がカットバックする。父茂は喫煙者で、毎日のように同僚と酒を飲み、締めはラーメンだ。食べる量も多いし、脂っぽい物も大好きだ。健診の数値は最悪で体内は荒れ果てている。新米と先輩の赤血球が必死で酸素を運んでも効果は挙がらない。

 本作で一番楽しめた、いや、身につまされたのは、配達中の茂が必死に便意を堪えるシーンだ。年齢と不摂生で腸の働きが衰えた俺は、便秘と下痢を繰り返している。茂の体内における内肛門と外肛門の戦いは、俺の体内でも毎日起きているのだ。トイレで意識を失い、病院に搬送された父を案じて、日胡が食事の管理に取り組む。茂の健康は劇的に改善された。
 好事魔多しというか、日胡の体に異変が起き、白血病を発症する。成長出来ない幼い白血球たちは白血病細胞になる。U1146は目をかけていた少年と戦うことになる。体内のシーンは連隊ものを彷彿させるアクション満載だ。かつての茂の体内のように、日胡の体内も廃墟に化していく。茂が献血した血が奇跡的に日胡に輸血され、新米赤血球もAE3803とともに奮闘する。身を賭したAE3803とU1146によって骨髄移植は成功した。

 日胡が武田への思いを打ち明ける場面では、アドレナリンが急上昇し、細胞たちがカーニバルのように騒ぎまくっていた。例を挙げればきりがないほど印象的なシーンが多かった。仲里依紗、深田恭子、小沢真珠らスターたちがメイクして細胞たちを演じていた。体内と体外のラブストーリーがリンクする心温まる作品だった。

 教訓も幾つかあり、俺も体を気遣わなければと思って映画館を出たが、ラーメン屋の前で足が止まる。麺大盛りに卵をトッピングし、ライスまで付けてパクついた。電車の中で自己嫌悪に陥ってしまった。
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「お坊さまと鉄砲」~幸福を追求する国の手作り絨毯

2024-12-25 22:57:33 | 映画、ドラマ
 今年も月4~5本ペースで映画館に足を運んだ。新宿武蔵野館で観賞した「お坊さまと鉄砲」(2023年、パオ・チョニン・ドルジ監督)は映画締めに相応しい年間ベストワン級の傑作だった。ベストテンなどと銘打つにはサンプルが少な過ぎるが、スクリーンで見たという括りで感銘を覚えた作品を10本挙げておきたい。※( )内は監督名

「PERFECT DAYS」(ヴィム・ヴェンダース)
「オッペンハイマー」(クリストファー・ノーラン)
「お坊さまと鉄砲」(パオ・チョニン・ドルジ)
「葬送のカーネーション」(ベキル・ビュルビュル)
「哀れなるものたち」(ヨルゴス・ランティモス)
「あんのこと」(入江悠)
「二つの季節しかない村」(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)
「キエフ裁判」(2022年、セルゲイ・ロズニツァ)
「侍タイムスリッパ-」(安田淳一)
「ありふれた教室」(イルケル・チャタク)

 これらに続くのが「ラストマイル」(塚原あゆ子)、「正体」(藤井道人)、「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」(上田慎一郎監督)のスリリングな邦画のエンターテインメントで、「落下の解剖学」(ジュスティーヌ・トリエ)、「罪深き少年たち」(チョン・ジヨン)、「碁盤斬り」(白石和彌)、「アイミタガイ」(草野翔吾)も記憶に残る作品だった。

 ここからは改めて「お坊さまと鉄砲」について紹介したい。ドルジ監督はデビュー作「ブータン 山の教室」で世界各国の映画祭で数々の栄誉に浴し、2作目になる「お坊さまと鉄砲」はフランス、アメリカ、台湾が製作に関わっている。ブータンの映画界は台湾と人的交流があり、手法も影響を受けているという。

 ブータンといえば人口90万弱の仏教国で、僧侶は絶対的な尊敬を集めている。1972年以降、国民総幸福量(GNH)を指標に政策を進めてきた。GDPに捕らわれる他の国とは成り立ちが異なるのだ。2006年、国王(現龍王)が立憲君主制移行を宣言し、普通選挙の実施が発表された。準備のため模擬選挙が行われるが、本作の舞台になるウラ村も大混乱に陥る。模擬選挙の方式は<赤=民主主義の拡大>、<青=経済成長>、<黄=伝統文化の保持>を唱える架空の候補から1人を選ぶというものだが、背後に控える実力者が知名度を上げるために策を弄するから、それぞれの支持者が角突き合わすことになる。

 瞑想中だったラマは訪れた僧侶のタシ(タンディン・ワンチェク)に、法要が執り行われる次の満月(4日後)までに2丁の銃を手に入れるよう頼む。ラマと銃というアンビバレンツな組み合わせに驚いたタシだが、悪戦苦闘して探し始める。タシが主人公といえるが、夫が選挙に夢中になって困り果てたツォモ(デキ・ラモ)、政府から模擬選挙を盛り上げるために派遣された女性の選挙委員ツェリン(ペマ・ザンモ・シェルパ)、銃コレクターのアメリカ人ロンの案内人ベンジ(タンディン・ソナモ)の主観を繋いで物語は進行する。

 首都ティンプーとウラ村のコントラストも鮮やかで、ロングの映像は風景画のように美しい。ユーモアもたっぷりで、ラストではブータンの男根信仰を物語るシーンもあった。有権者登録が低いことに「他の国では大きな犠牲を払って選挙権を勝ち取ったのに」と憤っていたツェリンだが、短期間で登録者が急増する。「選挙に何の意味がある」と疑問をぶつける村民への丁寧な説得が実ったのかと思いきや、微笑ましい理由に観客は安堵する。

 テレビとネットが最後に導入されたブータンでも、テレビの影響は大きかった。既に村民から由緒ある銃を1丁入手していたタシだが、「007」の映像をたまたま見てワルサーPPKを2丁ロンに所望する。そして満月の日、法要の場所に投票所が設置される。2丁の銃を手にしたラマが村民たちの前に立ち、選挙と銃が示す意味を語り始める。タシは機転が利いた言動で警官たちもケムにまいていた。

 主要キャスト以外が殆ど素人の本作は、手作り絨毯といった趣だ。丹念に紡がれた糸が鮮やかな物語を予定調和で形作っていく。奇跡のような作品だった。
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「正体」~藤井道人&横浜流星の最強コラボ

2024-12-17 22:29:20 | 映画、ドラマ
 YouTubeで困ったことがある。将棋なら銀河戦準決勝、麻雀なら最強位戦の結果がオンエア前にアップされていた。興を削がれるとはこのことだが、暗黙のルールが必要なんて感じるのはアナログ老人ゆえだろう。YouTubeといえば岩田康誠騎手が中京から京都に移動中、音楽を聴いていたことを問われ騎乗処分を受けた。通話したわけではないことに同情したのか、15日の京都競馬場では、ルメール、坂井、岩田の次男である望来騎手が岩田のジョッキーパンツでレースに臨んだ。トップ騎手たちの〝抗議〟にJRAはいかに対応するだろうか。

 新宿ピカデリーで先日、「正体」(2024年、藤井道人監督)を見た。染井為人原作で、亀梨和也主演で製作されたドラマ(22年、全4回/WOWOW)も充実した内容だった。一度見たからいいか……。そんな考えがよぎったけれど、幸いにして物忘れが進行している。冒頭からラストまでハラハラドキドキ、スクリーンに引き込まれていった。先月末に公開されたばかりなので、ネタバレは最小限にとどめたい。

 高校生の時に一家3人殺害の罪で死刑判決を受け、脱獄した鏑木慶一(横浜流星)の343日に及ぶ逃亡を描いたのが本作だ。なぜ逃走したのか、そして343日で何を掴んだのかが明らかになっていく。最初に身を寄せたのは大阪の浮島土木で、労働者が借金のカタに送られる最底辺の現場だ。髭もじゃで眼鏡をはめたベンゾ-は窮地の野々村(森本慎太郎)を助けようとするが、正体がばれて東京に移る。

 那須としてフリーライターとして文才を発揮した鏑木は編集者の安藤沙耶香(吉岡里帆)に認められ、同居するようになる。施設で暮らしていた頃に磨いた料理の腕もチャームポイントだった。沙耶香の父淳二(田中哲司)は痴漢の冤罪で弁護士としての名声を失っていた。記者の垂れ込みで沙耶香の部屋を飛び出した鏑木は明確な目標を持って長野県のケアハウスに向かう。桜井と名乗る鏑木に恋心を抱いた職員の舞(山田杏奈)が大きな役割を果たすことになる。

 映画にリアリティーを求めるなら納得いかないシーンもあるが、瞬時の判断で逃亡する鏑木を追う又貫刑事(山田孝之)の表情に、懊悩が滲むようになる。残忍な犯行と捜査先で知り得た鏑木の人間像にギャップを覚えるようになったからだ。藤井監督作を映画館で見るのは「ヤクザと家族The Family」に次いで2作目だが、「新聞記者」を含め社会派のイメージが強い。本作でも格差と貧困、少年犯罪、冤罪とそれを生む警察組織の硬直化、膨張するSNSといった現在日本の問題点を後景に据えていた。

 来年度の大河ドラマに主演する横浜にスクリーンで接するのは「流浪の月」以来2作目だが、WOWOWで見た「ヴィレッジ」(藤井監督)と「春に散る」でその表現力に感嘆していた。脚本に没入して絶望、孤独、狂気、優しさを演じ分けるカメレオン的名優といえるかもしれない。「正体」のキャッチ<5つの顔を持つ指名手配犯>は過去作の蓄積があったからこそといえる。

 最も印象的な台詞は鏑木が又貫に語る<信じたかったんです、この世界を。この世界を、正しいものは正しいと言える世界だと>だった。横浜は常々〝役を演じる〟のではなく、〝役を生きる〟と話しているらしい。28歳の横浜の今後の活躍に注目したい。
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「アングリースクワッド」~ジェットコースタームービーに快哉を叫んだ

2024-12-09 17:32:42 | 映画、ドラマ
 尹錫悦大統領による非常戒厳宣布に大きな衝撃を受けた。1980年に軍事政権打倒を掲げて立ち上がった市民を虐殺した光州事件の記憶が甦る。俺も韓国民衆との連帯を訴え、デモや集会に参加した。<民主度>で追い抜かれたと実感していた韓国でのまさかの事態だが、親日派で知られる尹大統領はニューライト(新保守主義)の流れに与しており、与党を含めた政治家の拘束も指示していたことが明らかになる。

 「報道1930」に出演していたパトリック・ハーラン(通称パックン)はアメリカとの類似点を指摘していた。韓国では軍が民衆を強圧することなく、殆どの国民も非常戒厳に批判的だが、アメリカでは事情が異なる。半数以上の国民が議事堂に乱入したトランプ支持派を英雄視しており、恩赦が行われることは確実だ。分断が進行している点では両国で共通しているが、「憂慮すべきはアメリカ」とパックンは語っていた。

 公権力に批判的な作品が多いのは韓国映画の特徴だが、ドラマ「元カレは天才詐欺師~38師機動隊~」をリメイクした「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」(2024年、上田慎一郎監督)にも警察や税務署への抜き差しならぬ不信感が背景にあった。本作は内野聖陽と岡田将生のダブル主演で、タイトル通り〝怒りの同盟〟たちが敵と対峙する。内野が小心な税務署員の熊沢を演じ、岡田は天才詐欺師の氷室役だ。岡田は別稿(11月12日)で「ラストマイル」を紹介したばかりで、ドラマ「トラベルナース」でも好演している。まさに旬の俳優なのだろう。

 上田監督は「カメラを止めるな!」(2017年)で<アイデアが世の中を変える>を現実にしたが、あくまでインディーズでのこと。果たして商業映画で成功するだろうか……。そんな不安を払拭してくれたのが「アングリー――」で、緻密に練られた脚本を担当したのは上田と「相棒」や「科捜研の女」でお馴染みの岩下悠子である。

 公開後半月ほどなのでネタバレは避けたいが、ぐいぐい引き込まれるエンターテインメントを支えていたのは、ヤクザをもビビらせる闇金業者役の真矢ミキを筆頭に個性的な仲間たちだ。魂を売った安西税務署長(吹越満)、正義感の強い税務署員の望月(川栄季奈)、理解ある八木刑事(皆川猿時)が重要な役割を担っていたが、存在感が際立っていたのは脱税王の橘を演じた小澤征悦だった。

 狂言回し的な役割を担う氷室によって、熊沢は演じる内野そのままのギラギラした野性を表情に滲ませていく。司法書士の酒井(神野三鈴)とともに買収と脱税を繰り返す橘の口癖は「怒りを持つな」だったが、屈辱を味わわされ続ける熊沢はビリヤードで対決に挑む。そこから物語はジェットコースター状態になり、どんでん返しの連続で突き進む。前日譚も明かされる爽快感に溢れるラストで、編集の妙も感じさせた。

 ネットでチェックする限り、上田は内野、岡田、小澤と綿密な打ち合わせを行い、熱量でキャスト陣を感嘆させていたようだ。監督にはいろいろなタイプはあるが、上田はインディーズ時代から変わることなく〝仲間意識と映画愛〟をベースに映画を作っているのだろう。
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「アット・ザ・ベンチ」~癒やしと和みの会話劇

2024-11-30 16:53:52 | 映画、ドラマ
 竜王戦第5局は前局で完敗した藤井聡太竜王(七冠)が佐々木勇気八段にリベンジし、3勝2敗と防衛に王手をかけた。42手の△8六歩が敗着のようで、藤井は封じ手前に優勢を築いていたが、逆転の目もあった。藤井の67手の6六歩が受けの妙手で、その後は藤井が押し切った。ここまで先手番が勝っており、次局が先手の佐々木にもチャンスは十分ある。

 テアトル新宿で先日、「アット・ザ・ベンチ」(2024年、奥山由之監督)を観賞した。写真家、CM、MV、PVのディレクターとして活動してきた奥山にとって、本作は初の長編映画だが、5編の短編からなるオムニバス形式のインディーズ作品だ。タイトルから窺える通り古ぼけたベンチが舞台で、場所は奥山がよく訪れる二子玉川の川沿いだ。保育園造成に向けて閉鎖された公園で、唯一残されたベンチに集う者たちによる会話劇だ。

 将棋は〝盤上の会話〟とよく言われるが、本作も言葉のキャッチボールで進行する。奥山はこれまでの作品で俳優、劇団関係者、脚本家と人脈を築いてきたのだろう。広瀬すず、仲野太賀(第1・5編)、岸井ゆきの、岡山天音、荒川良々(第2編)、今田美桜、森七菜(第3編)、草彅剛、吉岡里帆、神木隆之介(第4編)とキャスティングは豪華だ。

 最近ではSNSが人を繋げるツールとして語られるケースが多いが、本作では会話が軸になっている。68歳の俺は本作を見ながら、若い頃に他者とどう繋がっていたのか振り返っていた。結論は〝会話下手〟で、〝俺話〟はするけど相手との間合いの取り方がうまくない。それは今も変わらず、言葉で女性の心を捕らえることは出来なかった。

 役名が出てこないので俳優の名前で感想を記すことをご容赦いただきたい。第1編では広瀬がベンチに幼馴染みの仲野を呼び出す。久しぶりに会った2人は職場の話やら取り留めない会話をする。演技というより自然体で、広瀬が自身を「売れ残り」という辺り、リアリティーはないのに妙に納得してしまう。時間を置いた第5編では親密さがアップしており、会話から結婚間近の雰囲気だ。ほのぼのと温かい空気感が心地良かった。

 第2編では同棲している岸井と岡山の痴話喧嘩が展開するが、寿司をネタにした蓮見翔の脚本に感心した。喧嘩といっても岡山の至らなさを突く岸井の一方的な攻撃で、至らなさを女性に責められ続けた俺は、何となく岡山に同情してしまった。闖入者の荒川との掛け合いも面白い。第3編は男を追いかけて東京に出てきてホームレスになった姉(今田)と心配して実家に帰そうとする妹(森)が雨の中、感情剥き出しに言葉をぶつけ合う。孤独とは、愛とは、家族とは……。普遍的な価値に思いを馳せてしまった。

 第4編は奥山自身が脚本を担当しており、遊び心がちりばめられている。冒頭はモノクロで、ベンチ撤去のため区役所の職員(草彅)と部下(吉岡)がやってくる。2人の会話は全く噛み合わず、宇宙語のようなやりとりが始まる。やがてカラーになって、ディレクター(神木)が登場し、撮影の方向を協議する。意外なオチも用意されていた。

 閑散とした光景が時間の経過で表情を変え、会話する者たちの心象風景を浮き彫りにする。人と人とのコミュニケーションの基本は相手の顔を見ながらの会話であることを教えてくれた癒やしと和みの会話劇だった。
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「アイミタガイ」~偶然の糸が織り成す柔らかな円環

2024-11-21 22:44:33 | 映画、ドラマ
 火野正平さんが亡くなった。「必殺シリーズ」や「ハングマン」、そして数多くのドラマや映画、Vシネマに出演した火野さんだが、〝兄貴分〟的な感覚を覚えるようになったきっかけはナビゲーターを務めた「日本縦断 こころ旅」だった。視聴者の「こころの風景」を自転車で訪ねる紀行番組で、不良っぽさはそのまま、火野さんは時には自嘲的に出会った人たちと交流する。スタッフと食事するシーンが楽しみで、好物はオムライスだった。

 親近感を抱くようになった火野さんはここ3年、スクリーンで存在感を示すようになる。「土を喰らう十二ヵ月」ではジュリーにアドバイスする大工役を、「生きててよかった」ではジム会長を好演する。前々稿で紹介した「ラストマイル」ではラストでの奮闘に喝采してしまう。60年以上にわたって活躍してきた火野さんはここ数年、腰痛を訴えていたという。内蔵を痛めていたのかもしれない。「ゆっくり休んでください」と名優に哀悼の言葉を送りたい。

 TOHOシネマズ新宿で先日、「アイミタガイ」(2024年、草野翔吾監督)を見た。原作は中條ていで、草野、故佐々部清、市井昌秀の3人の監督が脚本に名を連ねている。三重県桑名市を舞台に、練り上げられた物語で主役を務めるのは黒木華だ。オンエアされた作品は数本見たが、スクリーンで接したのは「舟を編む」以来、11年ぶりだ。本作で黒木はウエディングプランナーの梓を演じていた。

 冒頭は梓が親友の叶海(藤間爽子)と語り合う場面だ。2人は中学生以来の親友で十数年間、支え合って生きてきた。いじめを受けていた梓に救いの手を差し伸べたのは叶海だったし、カメラ少女だった叶海の肩を押したのは梓だった。叶海は今、プロのカメラマンとして活躍している。現在と中学生時代がカットバックし、梓が叶海に手を引っ張られて走るシーンが繰り返し現れる。

 梓はどこか間が悪い恋人の澄人(中村蒼)との結婚をためらっている。ウエディングプランナーの梓だが、両親の離婚がトラウマになっていて結婚願望はない。唯一真情を話せるのは叶海だが、海外取材中に事故に遭って亡くなった。梓は親友の死を受け入れられず、些細な日常を綴ったメールを叶海のスマホに送り続ける。そのことに気付いたのは解約出来ないでいた叶海の母朋子(西田尚美)だった。

 梓と叶海、上記の朋子だけでなく、「アイミタガイ」は女性たちが柔らかな円環を作り上げる作品だ。梓の叔母範子(安藤玉恵)はホームヘルパーで、担当しているピアノをたしなむ小倉こみち(草笛光子)と親しくなる。安藤は「ラストマイル」でキーパーソンのひとりであるシングルマザーを演じており、草笛は本人とほぼ同年齢の役柄だった。金婚式イベントでのピアニストを探していた梓は、範子の紹介でこみちと会い、叶海との思い出が蘇る。中学生だった2人が心を癒やされた曲を弾いていたのはこみちだった。

 梓が澄人と訪れたのは祖母の綾子(風吹ジュン)の家だった。隣家の火事や家の整理にテキパキ対応した澄人を好ましく思った綾子は、本作のタイトルである<アイミタガイ=相身互い>について話す。誰かを思ってしたことは巡り巡って見知らぬ者を救い、いずれ自分にも返ってくることを表していて、フーガ形式で進行する本作を言い当てている。偶然があまりに都合良く連なる展開に違和感を覚えたが、<アイミタガイ>の意味を重ねて納得してしまった。

 細部まで計算されていて、台詞にも理由付けがある。登場人物が電車のドアを挟んで立つシーンには微妙な距離感が表れていた。中盤で叶海が、ラスト近くで梓が後ろ向きに倒れるシーンが印象的で、ぜひご覧になって、誰が支えたのかを確認してほしい。生きる意味を温かく問いかける傑作だった。
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「ラストマイル」~謎解きとシステムの二重螺旋を疾走する

2024-11-12 18:30:19 | 映画、ドラマ
 米大統領選について記した前稿を<(民主)党内でリベラルが復権し、弱者の側に立つことを期待している>と結んだ。セレブは失望をあらわにしているが、富裕層の実感など無視していい。バーニー・サンダース上院議員(無所属、民主党会派)の<労働者階級を見捨てた民主党が労働者階級から見捨てられても驚きではない。中南米系や黒人の労働者の支持も失った>(論旨)の指摘は正鵠を射ている。

 さらに<格差拡大に手をこまねき、療や福祉の整備に消極的な民主党は富裕層や大企業に支配されている>と疑問を呈した。今回の上院選でも当選したサンダースは党内左派に支持されており、環境危機に関心が強く、パレスチナ側に立って反戦を掲げるZ世代(18~29歳)も裏切った。民主党が機能不全から立ち直るのは難しそうだ。

 新宿ピカデリーで「ラストマイル」(2024年、塚原あゆ子監督)を見た。ずっと気になっていたが、他の映画を選んでいた。内容の濃さに驚かされる秀逸なエンターテインメントで、見逃さないでよかったというのが正直な感想である。見落としていたのは脚本が野木亜紀子であること。野木といえば、連続ドラマW「フェンス」や映画「罪の声」に感嘆させられた。未見だが、「ラストマイル」は塚原―野木のコンビによる「アンナチュラル」と「MIU404」(ともにTBS)と世界観を共有する作品という。両ドラマに出演した俳優たちが同じ役柄で名を連ねており、キャスティングが超豪華なのも当然だ。

 エンターテインメント作品ゆえ、ストーリーの紹介は最小限にとどめたい。さすが野木作品と感じたのは、ストーリーの緻密さだけでなく、グローバリズムと大量消費社会の矛盾を背景に据えていることだ。流通業界最大のイベント「ブラックフライデー」前夜、世界規模のショッピングサイト「デイリーファスト」(デリファス)から配送された段ボール箱が爆発し、連続爆破事件が起きて混乱の極致になる。

 当日朝に関東センター長に着任したのはキャリアウーマン風の舟渡エレナ(満島ひかり)で、九州支社から来たという設定になっている。表情豊かにテキパキ対応するエレナだが、満島の表現力のたまものというべきか、表情に滲む翳と憂いが表情の正体が後半に明らかになっていく。チームマネジャーの梨本孔役は岡田将生で、日本のブラック企業で働いた経験から脱力感を漂わせている。両者のやりとりが回転軸になって、ストーリーはアンストッパブルに疾走する。

 住居費や物価の上昇もあり格差が拡大しているアメリカでは、ホームレスが急増している。同国の特殊事情もあるだろうが、日本でもハイパー資本主義の冷徹なシステムはフル回転している。梨本はかつて働いた会社と比べ、デリファスは天国だと感じていたが、数年前に起きた〝ブラック〟な事件が物語の起点になっていた。当時を知る日本統括本部長の五十嵐(ディーン・フジオカ)はあくまで効率と利益を追求する資本の論理に拘泥する。

 真犯人は誰で、どのような手段を用いたのか。そして、エレナの正体は……。謎解きとともに、エレナは流通業界のシステムに一石を投じようとする。羊急便の倉庫責任者の八木(阿部サダヲ)は賃料引き下げを目論むデリファスに抵抗した。本作で存在感を示したのはドライバーの佐野を演じた火野正平だ。トラックの中で息子(宇野祥平)に語り掛ける言葉に、プライドと格差社会の厳しさが滲んでいた。火野ファンの俺は、ラストでの奮闘に快哉を叫んでいた。

 映画館に足を運べない方は、DVDをレンタルしてご覧になってほしい。エンターテインメントでありながら、奥深いテーマを秘める「ラストマイル」は自信を持ってお薦め出来る作品だ。
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「ジョイランド 私の願い」~女性たちに光は射すか

2024-10-29 21:29:34 | 映画、ドラマ
 総選挙は裏金問題がメインテーマで自公が惨敗した。残念だったのは格差と貧困、気候危機、ジェンダー、福祉と医療が争点化されなかったことだ。選挙は本質的な議論が伴わない空騒ぎで、すでに政局が取り沙汰されている。世間の耳目は、既に来週に迫った米大統領選に移った。

 新宿武蔵野館で「ジョイランド 私の願い」(2022年、サーイム・サーディク監督)を見た。舞台はパキスタン第2の都市ラホールで、ハイダル(アリ・ジュネージョー)、ムムターズ(ラスティ・ファルーク)、ビバ(アリーナ・ハーン)の3人が主人公だ。家父長制が根強い同地で、無職のハイダルは父の家で暮らしている。妻のムムターズはメイクアップアーティストとして収入を得ており、主夫に加え、兄夫婦の娘たちのお守り役を務めているハイダルは肩身の狭い思いをしている。

 兄夫婦の新たな子供の誕生を祝う宴の準備として、山羊を屠ることになった。ナイフを手に躊躇するハイダルに、「おまえは男だろう」と父と兄から罵声が飛んだ時、ムムターズが代わりに首をはねた。悪しきマッチョイズムへの反発があったのだろう。ハイダルに仕事の話が舞い込んだ。経験ゼロながらビバの後ろで踊るダンサーに選ばれたのだ。

 俺は本作を観賞しながら、日本の現状と重ねてきた。自民党は敗れたが、高市元政調会長を軸に極右ブロックが形成されつつある。パキスタンの家父長制は戦前の帝国憲法下の家族に近いし、右派は夫婦別姓に否定的でジェンダー問題を無視している。〝パキスタンは日本の近未来〟かもしれない……、悪い予感がした。

 閑話休題……。ビバはトランスジェンダーであることを公言している。女性専用車両に座っていると、客から「あなたは向こう(男性車両)に行きなさい」と言われた。その女性とビバの間の席に割って入ったバイダルは笑みを浮かべていた。ビバとバイタルの距離が縮まったのは、ビバに芝居の経験を問われ時だった。「ロミオとジュリオット」でジュリオットを演じたことを伝えると、ビバは嬉しそうな顔になった。

 ビバを演じたアリーナ・ハーンもトランスジェンダーとして知られている。作品中、仲間のダンサーたちがビバと親しいバイダルを、「胸やあそこはどうなっている」とからかう場面があった。ちなみにビバは性別適合手術を考えているという設定で、肉体的には女性のままだった。

 ビバの部屋で2人はキスを交わす。精神的に男性に欲望を感じないはずのビバはバイダルへの強い思いで性的な境界を越えようとする。躊躇したバイダルに、ビバは別れを告げた。バイダルはムムターズの妊娠を知らされた。検診で男の子とわかり、父をはじめ一家は祝賀ムードになるが、ムムターズの表情は冴えない。男権主義への怒りがくすぶっていたからだ。

 最近は16:9もしくは16:10の横長が多いが、本作のスクリーンサイズは正方形に近い4:3だ。パキスタン社会の閉塞感を表現するために選ばれたのだろう。本作のハイライトというべきは、ムムターズと義姉のヌチが家から近い遊園地「ジョイランド」でいっときの解放感を味わうシーンだ。ムムターズはバイダルが就職したことで仕事を辞めさせられている。ヌチも同様で資格を生かすことなく主婦業に縛られている。不仲に思えた両者だが、抱えているものは同じだった。

 ムムターズの苦悩が生み出した衝撃的結末に嘲りの言葉を吐く父と兄や親族に、バイダルは憤りを隠さない。家族と社会の軛から逃れるためには死しかないというムムターズの選択が心に迫った。バイダルが玄関のガラス越しにビバと、そしてムムターズの回想シーンで初めて出会ったムムターズと向き合うシーンが印象的だった。いずれもドアが開かなかったことが、バイダルと両者との壁を象徴しているように思えた。

 ラストでバイダルは海辺に佇み、高まる波に向かっていく。その先にあるのは自由か、それとも?
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「二つの季節しかない村」~ジェイラン監督が仕掛けたダブルミーニング?

2024-10-20 21:46:56 | 映画、ドラマ
 前稿で紹介したオンラインセミナーでも紹介されていたが、NHK・BSで放映されたドキュメンタリー「If I must die~ガザ 絶望から生まれた死」は心を揺さぶる秀逸な内容だった。ガザの詩人リフアト・アウラールによる19行の詩「If I must die」は、〝遺書代わり〟として世界中の反イスラエル集会で朗読されている。大学で文学を教えるアウラールはSNSやメディアでイスラエルの非人道的空爆とガザの惨状を訴えてきた。イスラエルの諜報部員からの脅迫電話を受けたアウラールはこの詩を公開した後、避難先への空爆で亡くなった。崇高で感動的な詩はネット上で公開されているので、ぜひ読んでいただきたい。

 アウラールが授業で「ベニスの商人」を扱った際、強欲なシャイロックについて〝当時のユダヤ人差別や絶望的な状況は現在のパレスチナと共通する部分もあり、一方的に責め立てるのは間違い〟と生徒に伝えた。アウラールが渡米した時はユダヤ人宅にホームステイし、親しく交流している。真逆にあるのがイスラエルの閣僚で、「パレスチナ人は人間動物だから絶滅していい」とかつてナチスドイツがジェノサイドを正当化した論理を用いていた。アウラールが<ひとりひとりの物語>を軸に据えて表現したヒューマニズムは世界に広がっているが、ハリスにもトランプにも、日本の与野党の政治家にも届いていない。希望が現実になる日は来るだろうか。

 新宿武蔵野館で先日、「二つの季節しかない村」(2023年、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督/トルコ・フランス・ドイツ合作)を見た。トルコ映画を紹介するのは「ユスフ3部作」、「葬送のカーネーション」に次ぎ3度目になる。ジェイラン監督はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞するなど、世界の映画祭で数々の栄誉に浴している。舞台はトルコ東部のインジェス村(架空)で、タイトル通り冬と夏の二つの季節しかない。冒頭からラスト近くまで、音さえ凍てつくような雪景色の中で物語は進行する。

 3時間18分という尺の長さにためらっていた。理解出来ず寝落ちしてしまうのではないかという不安は杞憂に終わる。圧倒的な風景と4人の主要な登場人物の葛藤に引きずられ、時が経つのを感じなかった。主人公のサメット(デニズ・ジェリオウル)はインジェス村で美術教師をしている。辺境の村に赴任してから4年経ち、〝自分はこんな所でくすぶっているべきではない〟とイスタンブールへの転任を願っている。

 尊大で時に感情を爆発させるサメットのルームメートは社会科教師のケナン(ムサブ・エキジ)だ。サメットは他校の英語教師ヌライ(メルヴェ・ディズダル)を紹介されたが、結婚願望が強く、同じくアラウィー派であるケナンと引き合わせる。そもそも自分に原因があるのに、急速にヌライと接近するケナンにサメットは嫉妬する。

 サメットは休暇明け、自分を慕っている女生徒セヴィム(エジェ・バージ)にプレゼントの鏡を渡した。セヴィムはその後も校内のサメットの部屋を訪ねたりしている。異変が生じたのは、持ち物検査で鏡とラブレターを没収されたセヴィムが、担任でもあるサメットに返してほしいと訴えたからだ。サメットが拒否したことをきっかけに、サメットとケナンは<不適切な生徒との距離>を訴えられた。サメットとケナンはヌライとの関係と、匿名の訴えで二重の軋轢を抱えた。

 下衆の勘繰りと嗤われるかもしれないが、ジェイラン監督はダブルミーニングの手法を用いたのではないか。ヌライ役のメルヴェ・ディズダルは本作でカンヌ映画祭最優秀女優賞に輝いたが、光っていたのはセヴィムだった。ヌライがヒロインなら、トルコ現代史を背景にした奥深いドラマになるが、セヴィムに焦点を据えると、♪そんなに近くに立たないでと歌うポリスの「高校教師」を彷彿させる禁断の恋が浮かび上がってくる。本作のポスターやパンフレットにフィーチャーされているのは、雪景色を背景に物憂げな表情を浮かべているセヴィムだ。

 ハイライトは、ヌライの部屋でサメットとヌライが対話するシーンだ。ヌライは抗議活動のさなか右の膝下を切断し、義足を装着している。正義を掲げて声を上げ続けることの意義を強調し、状況を把握しながら沈黙しているサメットを批判する。活動家と知識人の溝は超えられないが、2人は体を重ねた。決して愛ではなく、同情でもない。サメットがいったん部屋を出ると、撮影スタッフがたむろしている。ミスマッチとも思える遊び心に驚いた。

 春が来て、黄色が主調になった遺跡を3人が訪れる。上記の事実を知るケナンはヌライと寄り添い、離れた所に立っているサメットの脳裏をよぎるのは、雪合戦などセヴィムとの思い出だ。「セヴィムに興味を持ったのは、彼女に可能性を感じたからだ。彼女は色褪せ、この村に埋もれていくだろう」というモノローグが重なる。サメットは村を出ていく。彼を待ち受けているのはどんな世界だろう。
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