西山朋佳女流三冠が挑んだ棋士編入試験第5局は柵木幹太四段が勝ち、2勝3敗になった西山のプロ棋士入りはならなかった。西山は終局後、「勝敗が成績に残らないのに、真摯に指してくれた5人の試験官に感謝している」と語っている。俺は将棋界の不文律<相手にとって重要な一局を勝ちにいく>を思い出していた。柵木は現在フリークラスでC級2組に向けて苦しんでいる。ましてその背中を、将棋に身を賭しつつ夢破れて去った者たちが見つめている。柵木にとっても〝存在証明〟といえる一局だったのだ。
向いている仕事は皆無で、教師など適性ゼロと言い切れるが、それでも、教師や学校に焦点を定めた映画を見ないわけではない。新宿武蔵野館で先日、メキシコ映画「型破りな教室」(2023年、クリストファー・ザラ監督)を観賞した。実話に基づく作品で、舞台はアメリカとの国境近くにある町マタモロスだ。冒頭でギャング団が運転するバンから死体が落とされる。授業中もパトカーのサイレンが鳴り響くなど、暴力が蔓延するマタモロスの小学校に、セルヒオ・ファレス(エウヘニオ・デルベス)が赴任する。原題“Radical”通り、セルヒオの授業は常識外れだった。
本作と背景は異なるが、〝人生の終着駅〟釜ケ崎を舞台に描かれた「かば」(2021年、川本貴弘監督)を思い出していた。同作も実話がベースで、中学教師の蒲は、朝鮮半島をルーツに持つ生徒たちと同じ視線でぶつかっていく。「生徒に日々教えられている」と語った教師たちの実感は、「型破りな教室」のセルヒオとそのまま重なる。セルヒオは最初の授業で教室のレイアウトを変え、机と椅子を四方に積んで自身は中央の床に座った。
生徒たちへの最初の問いは、沈みかけた船の仮説だった。救命ボート6隻に乗れない人は死ぬ。「君たちはどうする」と尋ねられ、生徒たちは浮力について考え始めた。翌日には井戸に落ちたロバが自力で助かった話をして、それぞれが秘めた可能性を説いた。セルヒオはパロマ(ジェニファー・トレホ)が浮力の法則をノートに記していたことに気付いていた。
セルヒオとパロマは実在している。共通テストで全国最低レベルの小学校に通いながら最高点を獲得したパロマは<次のスティーブ・ジョブスは11歳のメキシコ人少女>とメディアで紹介された。父の廃品回収業を手伝うパロマは数学や物理に才能を発揮し、自力で望遠鏡を組み立てている。彼女が眺めているのは国境の先にあるNASAで、そこで開催される宇宙飛行士育成セミナーへの参加を夢見ていた。家庭環境を考えたら不可能に近い。
パロマに恋をし、彼女の夢の実現に協力するニコ(ダニーロ・アルディオラ)は、兄にギャング団入りを誘われている。ニコと同じく架空の生徒であるルペ(ミア・フェルナンダ・ソリス)は救命ボート問題に触発されて倫理に目覚め、ジョン・スチュアート・ミルの哲学書を読むようになる。自身の関心に則って課題を見つけて探求するように生徒を導くセルビオの教育方針は、生徒たちの姿勢を変えていく。ギャング団に運び屋役を担わされていたニコを悲劇が襲った。
チュチョ校長(ダニエル・ハダッド)の持論は一般的な教師と同じで<誰が支配者であるか知らしめる必要がある>というもの。太っちょなチュチョは次第にセルヒオの方針に共感を覚えるようになり、浮力の実験で水槽に飛び込んだり、パソコンの買い入れを請求したりする。共通テストを巡って不正を働く同僚や強圧的な教育長などにより、セルヒオは八方塞がりに陥った。
「コーダ あいのうた」で主人公ルビーを励ます音楽教師に続き本作のセルヒオ役と、エウヘニオ・デルベスは教師が当たり役であることを世界に印象づけた。どんな人だろうとチェックしたら、驚きの連続だった。エネルギッシュだが年齢は現在63歳で、校長役のハダッドより上かもしれない。メキシコでは大人気のコメディアンで、本作ではプロデューサーとして10年近く製作に関わってきた。スクリーンでバチバチはじけていたのは、デルベスの情熱と信念だったのだ。
ラストでアインシュタインの言葉「私の学びを妨げる唯一のものは、私が受けた学校教育である」がクレジットされる。教育の在り方を問いかける快作だった。