弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「風立ちぬ」~逆ガル~堀越二郎氏

2013-06-30 08:44:31 | 趣味・読書
新聞に、宮崎駿監督作品の映画「風立ちぬ」の全面広告が掲載されています。
絵には、『堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。「生きねば。」』の文字と、天空から舞い降りてくる一機の飛行機が描かれています。飛行機は、逆ガル形主翼、固定脚を持った単発プロペラ機です。

堀越二郎といえば零戦の設計主務者として有名です。
一方、逆ガル形主翼を持ったプロペラ戦闘機としては、アメリカのF4Uコルセアが有名です。もちろんコルセアは引き込み脚ですが。(下の写真:ウィキペディアから)
U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.253.7154.022

堀越二郎氏は、三菱内燃機名古屋航空機製作所の技術者として、七試艦戦(艦上戦闘機)、九試単戦(単座戦闘機)(後の九六式艦戦)、十二試艦戦(後の零戦)の設計主務者を務めています。初作品の七試艦戦(昭和7年)は失敗作でしたが、堀越氏にとってはいい練習台でした。そして、九試単戦(昭和9年)で一気に世界の最先端に躍り出ます。それからさらに、十二試艦戦(昭和12年)の成功により零戦の伝説を生み出すことになるのです。

さて、「風立ちぬ」の写真にある逆ガル形飛行機は一体何でしょうか。

七試艦戦は、こちらの写真によると主翼はやや逆ガルですが、固定脚のカバーがでかすぎます。

九試単戦についてウィキペディアでは、
『三菱の試作機は都合6機製作されたが、最初の試作一号機は逆ガル型の主翼を持ち、続く試作機や量産された九六艦戦とはかなり印象が異なる機体であった。実質的に九六艦戦の原型となったのは試作二号機ということになる。設計主務者は後継の零式艦上戦闘機の設計で知られる堀越二郎技師。日本で初めて全面的に沈頭鋲を採用した機体でもある。』
と説明しています。
そうすると、「風立ちぬ」の逆ガル形飛行機は、九試単戦の1号機がモデルということになるのでしょうか。

黒島 椿のアンニュイな日記に逆ガル形の写真が掲載されています。記事には、
『どうやら駿氏は九六式艦戦の試作型、9試単戦の2号機やら3号機(逆ガルのヤツです)がでてくる物語らしいです。』
『九六式艦戦の主翼は美しいです。』
の文言が出てきますが、正確には「九試単戦の1号機」というべきでしょうか。

九試単戦に基づいて制式採用となった九六式艦戦については、ウィキペディアに以下の写真が掲載されています。
三菱 A5M 九六式艦上戦闘機
第12航空隊所属の96艦戦2号2型機(A5M2b)後期生産機、増槽タンク装備。右に見えている3-104号機は前期生産機。後方に並んでいるのは96艦攻。
主翼途中(固定脚の位置)から若干反りが増加しているようには見えますが、逆ガルとまではいえないようです。

私の手許に、堀越二郎・奥宮正武著「零戦 (1975年)」という書籍があります。この中に記載が見つかりました。
まず、54ページに九試単戦第一号機の写真があり、逆ガル形が明らかです。
次に57ページに以下の記載があります。
『三、翼の形と構造
低翼単葉機では、本質的に戦闘に必要な前下方の視界が悪いのはやむを得ない。当時は複葉やパラソル型からの移り変わりの時で、これが操縦者には予期以上に強く受け取られ、初めは低翼にともなう難問の一つだった。
そこで、この視界の問題と、一本柱の脚の強度、重量の問題との有利な解決策として、中央翼に大きい負の上反角を与え、脚の取り付け点付近から外方に大きな正の上反角を持たせた逆鷗(鴎)形配置を一号機に採用した。
この配置は、すでに述べた通り七試艦戦の時、佐波中佐から示唆されたが構造の複雑なことと安定上懸念があったので、その時は私は用心してこれを見送った。その後イギリスのスーパーマリーン社で、試作戦闘機(スピットファイアの前身)にこの型を採用したことが分かったので、一つこちらもやって見ようという気になった。が、この方法は、やはり翼の折れ目に気流の乱れが生じ、それが安定操縦性に悪影響を及ぼすおそれが大きく、この形式一本ヤリで進むことは危険と思われたので、二号機は初めから中央翼を水平に設計した。』
そうでしたか。堀越氏ご本人の記述ですから確かでしょう。これで、七試、九試、九六艦戦にいたる翼の形について統一的なストーリーが明らかになったと思います。

ところで、宮崎駿の「風立ちぬ」は、もともと雑誌「モデルグラフィックス」に連載した漫画が原作だそうです。モデルグラフィックスですか。懐かしい名前です。
Model Graphix (モデルグラフィックス) 2009年 03月号に、私が撮影した写真が掲載されたからです。ブログ記事Model Graphix誌・トラ・トラ・トラ!特集に顛末を書きました。
Model Graphix (モデルグラフィックス) 2009年 03月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
大日本絵画

以下の拡大写真の右端に、「photo/Shunta Naito」と記されているとおりです。


私にとって、堀越二郎、七試艦戦、九試単戦、十二試艦戦の知識は、第一に柳田邦男著「零式戦闘機 (文春文庫 や 1-1)」に拠ります。この機会に、再度この本を紐解いてみたいと思っています。

ps 7/25 堀越・奥宮著「零戦」に掲載された逆ガル・九試単戦の写真は、こちらに掲載されていました(2枚のうち下の写真)。

ps2 9/23 Wikipediaに九試単戦1号機の写真が掲載されたので、こちらにも転載しておきます。
原典 あみあみ [キャラクター&ホビー通販] | 九六式艦上戦闘機と九試単座戦闘機の作り方(書籍・仮称)
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3 コメント

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兵器としてはどうでしょうか。 (とら猫イーチ)
2013-06-30 13:29:28
 日本の戦闘機は、零戦や隼のように優美で繊細な姿で、撃墜王が搭乗すれば、どのような敵であっても叶わないかのように思われます。
 でも、戦闘機(だけではありませんが)として、武器として観れば、諸種の欠陥が観えて来ます。 大空のサムライとして名声を馳せた故坂井三郎氏の著書に依れば、登載している無線機は使いものにならず、氏がラバウルでの激闘中には、使えないものなら、少しでも空気抵抗を減らすためにと、木製のアンテナ柱を取り去ったそうです。 また、20mm機関砲は、成程、命中すればその威力は大きいものの、砲弾が重くて、射弾が放物線を描くために、簡単に敵機には中らなかったそうですし、7.7mm機関銃は威力不足で命中しても敵機は火を吹かず、B17等は簡単に撃墜は出来なかったそうです。 米戦闘機は、12.7mm機関銃を6門から8門装備して、主翼前縁一杯に火を吹かせて追撃して来る様が羨ましかったと回想されています。 
 こうした兵器として実用の観点から観た場合には、似たような性能の兵器を多品種少量生産するよりも、装甲でパイロット(兵士)を守り、実用的兵器を搭載し、型式を統一した戦闘機(兵器)を大量生産した方が戦時には合理的です。 日本と比較して、例えば、米海軍では、第二次大戦緒戦のF4Fから、後継機であるF6Fで機種が統一されていて、日本海軍のように、零戦から紫電、雷電等々と諸々の機種を開発してはいません。 陸軍でも同じです。 
 これは、手工芸と近代的大量生産との違いのようです。 そう云えば、日本陸軍では、兵士に対して、三八式歩兵銃を取り扱う際には、天皇陛下から貸し与えられたものとして部品一つでも失うと、大変なことになり厳罰が与えられたのも、部品間の互換性が無く、部品の一点、一点が手作業に依りすり合わせられた手工芸品であったからです。 近代機械工芸品ならば、どのような機械であっても互換性が無ければなりませんが、一点一点手作りのような生産では、近代戦の消耗戦を戦える筈がありません。 
 この点では、ナチスドイツと「英国の戦い」(Battle of Britain)を闘い勝利した英国とは相当な開きがあります。 この国では、彼我の撃墜数の均衡が破れる折には、勝利か敗北が明らかになる、として冷静に生産数と被撃墜数の統計をとっていたそうですから。 当時のこの国の心配は、撃墜され生還しなかったパイロットの代替要員であったそうです。 
零戦の時代 (snaito)
2013-07-01 00:28:49
零戦は、以下のような前提の元で計画されたと理解しています。
1.1000馬力の非力なエンジン
2.パイロットの卓越した技能
3.無意識で「短期決戦」と思い込んでいた。

1000馬力エンジンの足かせは、結局太平洋戦争の終結まで日本を束縛し続けました。
太平洋戦争劈頭までは、相手側も同じ1000馬力級のF4Fワイルドキャットでしたから、零戦が圧倒的に優位に立ちました。ところが2000馬力級のF6Fヘルキャットが主力に取って代わると、もういけません。
本来あそこで、日本海軍も零戦から2000馬力級の新鋭戦闘機にバトンタッチしなければならなかったのですが、後釜が育たず、じり貧となりました。

十二試艦戦の仕様が海軍から提示されたとき、とにかく運動能力・旋回能力さえ優れていれば、パイロットの卓越した技能と相まって敵を圧倒するので、防備は必要ない、というスタンスでした。確かに開戦劈頭はその通りだったのですが・・・。
ヘルキャットが登場して零戦が被弾し始めると、日本軍はパイロットの救命を考えず、基地に帰還できないとなると自爆していきました。そして戦争は短期決戦どころか長期持久戦となり、ベテランパイロットが消耗すると2番目の前提が崩壊します。

じゃあどうすれば良かったか、結局、「アメリカ相手に戦争をおっぱじめたことがすべての敗因」に行き着いてしまいますが。
IF (ZwP)
2014-03-17 01:21:45
零戦が色々と問題を抱えていたのは事実ですが
(一番大きいのはやはり日本軍が「速戦即決」の幻想を抱えていた事だと思います。
 出会い頭の一撃で相手をKOできれば相手との体力差も自分側の損害も度外視できるという「理屈」ですね)、
とにかく戦争初期に軍が求める性能を十分以上に満たしていた事は事実で、
逆説的ですがもし零戦や99艦爆・97艦攻といった主力機がもっと平凡な性能の機体だったら
真珠湾攻撃のような冒険的な作戦はやれず日米の関係も変わっていたかもしれませんね。

以下は余談ですが…
米海軍はF4F、F6F、F8F以外にも双発戦闘機のXF5Fスカイロケットや
記事にもあるF4Uコルセア等も開発していました
(F4Uは開発に難航し海兵隊で運用が開始されましたが後に海軍も使用しました)。
また紫電や雷電は「局地戦闘機」という別カテゴリーの機体でして、
「艦上戦闘機」としては96式~零戦~烈風と三菱一社のラインで開発されています。
これは合理性云々というより日本の航空産業の規模が小さすぎて
一社にかかる負担が大きすぎた(無論機体カテゴリーが多すぎたり、
陸海軍での融通が無かったのも問題)せいですが。
アメリカでは映画「タッカー」の発明家プレストン・タッカー等も回転機銃座の開発や
戦闘機開発で参加していましたが、日本でこのような民間の力は求めるべくも無かったでしょう。
また零戦に搭載されたエリコン20mm機銃は大戦後期に米海軍に船舶用対空機銃として採用されていますし、
また零戦が相手にするのは重防備の米爆撃機ですからあのくらいの口径が必要だったのも事実です。
一方対戦闘機用に7.7mmで間に合うという見積もりは甘すぎでしたね
(お陰で艦爆、艦攻の自衛用機銃も全部この口径…)。

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