弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

私の履歴書・近藤道生氏

2009-04-05 09:08:28 | 歴史・社会
日経新聞の私の履歴書は、女優の香川京子さんの後を受け、現在は博報堂最高顧問の近藤道生(みちたか)氏のシリーズが始まっています。

近藤氏のことは存じ上げていませんでしたが、第1回から興味ある内容が綴られています。

昭和16(1941)年の暮れ、近藤氏は大学2年生でした。
12月8日の真珠湾攻撃の報道を受け、日本中が歓喜で沸き立ちます。近藤氏はひそかに海軍筋の情報を聞きかじっていたので、勝つ見込みがない対米英戦争など始めるべきでないと思っていましたが、時勢はそれを口に出すことを許しません。
近藤氏は下宿を出て東大図書館に行きます。
『そこには旧制武蔵高校で1年先輩だった相浦忠雄さんがいた。誘われるまま二人で図書館の屋上に上がると、眼下に広がる東京の家並みを前に相浦さんは「君、これが全部、焼け野原になるんだよ」と唐突に言う。
「そうでしょうか。日本の軍部もそれまでには手を打つでしょう」と、戸惑いながら相浦さんの横顔をのぞき込んだ。相浦さんは迷いもなく「いやいや、必ずそうなる」と言って口元を引き結ぶ。
相浦さんは、米英を相手に戦争を始めれば、国力の違いから間違いなく負けると思っていた。にもかかわらず、開戦となったからには愛する者のために命を捧げようと考えたに違いない。
商工省に入るとすぐに海軍短期現役主計中尉となり「第一線熱烈志望」の声をあげて前線に出て行った。そしてほどなく戦死した。
相浦さんは武蔵高校、東大を通じて宮沢喜一さんと並び称される逸材で後年、宮沢さんが首相になったとき「相浦さんが生きていればどちらが先に首相になってもいいような人物だったな」と、皆で語り合った。』

真珠湾攻撃の直後、よほどの知識人であっても日本海軍の勝利に快哉を叫んだようです。満州事変以降、国民はまともな情報に接することができなかったのだから当然と言えば当然です。日米開戦の末路を正確に予言できた人はごく僅かだったと思いますが、ここに登場する相浦さんは、その僅かなうちの一人だったのでしょう。


私の履歴書の第2回では、開戦から20日経過した12月30日、近衛文麿公に招かれての箱根での夕食会が紹介されます。このときの近衛公の発言は「アメリカと戦いを始めたのはいかにもまずい。陸軍は私に対米交渉をやらせまいとするし、アメリカは最後になって、中国大陸から一兵残らず撤兵しろとプリンシプルにこだわり、極めて挑発的だった」だったそうです。
私が知っている近衛公は、支那事変勃発時に拡大を阻止するどころか積極的に拡大したこと、日独伊三国軍事同盟を締結して後戻りできない状況にしたこと、日米交渉の最終段階で結局政権を投げ出したこと、といった印象です。真実はどうだったのでしょうか。

近藤氏は、東大法学部を繰り上げ卒業し、大蔵省に出仕するとすぐ、昭和17年9月に短期現役士官として海軍経理学校に出向することとなります(私の履歴書第3回)。

ps さらにこちらにも追加の紹介記事を書きました。
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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
会社役員 (石川定義)
2009-04-27 17:26:01
近藤氏の戦争体験、その後の大蔵省、博報堂、この方は大変腹の座った大人物だと思う。このような人物はもう簡単に
二度と出てこないだろう。やはり、戦争で生死の瀬戸際を体験されたので人間の命というものを達観されたものだと思う。このような人に指導頂けたら幸せ
だと思う。
大変参考になりました。
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近藤道生氏 (ボンゴレ)
2009-04-27 22:51:40
石川さん、コメントありがとうございます。

近藤道生氏の私の履歴書は、初回から14回までが戦争体験の回顧であり、終戦後に大蔵省、そして半ば騙されて博報堂の社長を勤めた経緯については25回までに完了し、26回の今朝の分は少年時代に遡っています。
近藤氏にとっての戦争体験の重さがわかろうというものです。
博報堂社長時代、広告の事業を伸ばしたことについては社員の功績としてさらっと述べるに止まり、近藤氏のなした仕事としては、過去の博報堂に巣くってきた裏社会との縁を絶ちきる仕事が書かれていました。裏社会から「殺す」と脅されても、戦争で死線をくぐり抜けてきた近藤氏には効きませんでした。

このような体験を積まれ、現在までご存命の方々はごく少数派になってしまっただろうと推察します。
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Unknown (genjin)
2009-04-28 18:04:35
僕も今月の私の履歴書に深く感銘しております。
僕自身、小田原出身なんですが、同郷にこんなすばらしい人がいたとびっくりしています。
最初の1~13くらいまでが、戦争の話のようですが、飛び飛びで読んでいたので、全部読んでおけばと、後悔してます。
返信する
近藤道生氏 (ボンゴレ)
2009-04-28 19:36:49
genjinさん、コメントありがとうございます。

日経の私の履歴書は、印象に残るすばらしい人生を見ることができる一方、古新聞を古紙回収に出したらその後は何も残りません。
今までも印象に残った記事がたくさんあるのですが、どなたの話だったかさえ忘れてしまいます。

そこで私は、特に印象に残った内容についてはこのブログに記録することにしているのです。
例えば、
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/b8edfb3312c9eb4250f3be5f221fd078
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/83869de0bd052c052bde26ad6f245dc6
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/b7a532f97a2e7592cddde4ab84850d2b
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/427accddc863eeddc9a060b6599d7c5b
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/6d8ae6bc56babd41a1b7acddc27d9303
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/5c9ae945fd1d2fd0f00169af4a0b71fa
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/f3299e40d44b89e8d8e059785a03c2bd
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/121da677075b85c87bde830f9a737d16
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/a50317b9bc53415b0a70b0f977eb9853
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/94edbbf57873705cadfd662de08e4b2b

私の履歴書が安価な文庫本や新書になるとうれしいのですが。
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Unknown (かなこ)
2011-10-20 17:06:01
近藤さんのことを調べていて貴ページにヒットし、拝読させて頂きました。
コメントが載せられると知り、さっそく送信させて頂きます。このようなページを作って下さって感謝申し上げます。
「私の履歴書」は語弊を承知で申し上げれば、概して戦前のページが面白く、戦後はその緊迫さに反して輝きを失うのが多いなか、近藤さんの圧倒的な迫力は2年半を経た今も鮮明です。近藤さんは確か「防暑服5000着を東京に要求し、それが南方に送られた」と書いておられたと記憶します。
戦前の豪胆さもさることながら、むしろ戦後はもっと冷や冷やさせられて、このような日本男児は近藤さんが唯一ではないでしょうか。また何か新しいことがお分かりになりましたらアップして頂けたら幸いです。最後になりましたが、2年も経ってからの投稿をお詫び致します。
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近藤道生氏について (snaito)
2011-10-20 20:30:16
かなこさん、コメントありがとうございます。

近藤さんについては、私の履歴書を執筆されていた当時にこのブログで記事にしたほか、ご逝去のとき、そしてその後に近藤氏の著作を購入して読んだ感想についても記事にしました。上記の記事のほかには以下の記事があります。

近藤道生氏と戦争体験
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/0aa9370922fffd1c0b10e7267ded9a8d
近藤道生氏ご逝去
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/6189e45d61896f9b0fcab82d68524139
「戦陣訓」の果たした役割
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/0ebe302950bc60ff206938da0b2258f6
「敵機、弾倉を開いた」
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/130ad80b8db2e13b8a986eac4580812b

防暑服の件は記事で取り上げませんでしたが、そのために立った一人でジャングルを歩き抜き、目的を達成した努力には圧倒されました。

戦中に近藤さんのような苛酷な体験をされた方が無数におられたはずですが、すでにそのほとんどの方がお亡くなりになったと思われます。近藤さんのように記録を残して戴けたことは本当に有り難いことです。
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伯父の記事 (吉井)
2012-06-28 21:50:24
伯父の情報を検索していて当ページにたどり着きました。
すでにご存命ではないとのことで、もう少し早くこの内容に気が付いていれば直接お伺い出来たかと思い残念です。
返信する
近藤道生氏 (snaito)
2012-06-29 00:33:30
吉井さんこんにちは。
近藤道生さんは、吉井さんの伯父さんだったのですね。
私は、日経新聞の私の履歴書で読んだほか、2冊の自伝を読みました。壮絶なその人生にはただ驚くばかりです。
ご存命中に吉井さんがお会いになれなかったのは残念なことでした。
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