弁理士の日々

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NGO、常在戦場

2006-05-27 00:01:21 | 趣味・読書
何かのきっかけで大西健丞氏の「NGO、常在戦場」を知り、読んでみました。
NGO、常在戦場
大西 健丞
スタジオジブリ

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いや、すごい若者(今では壮年期か)です。「走り続けるNGO」ですね。
1967年大阪生まれ。英国で大学院在学中にイラクのクルド人自治区に入り込んだのを皮切りに、1996年にNGOピース ウィンズ・ジャパン(PWJ)を設立します。その後、イラクのクルド人自治区、コソボ、東ティモール、アフガニスタンで支援活動を推進します。

突発的な内戦などを契機として、大規模な難民が発生する場合を考えます。コソボや東ティモールの場合がそうです。このような場合、世界各地からいち早くNGOグループが現地入りし、難民保護の活動を開始します。NGOグループは集まって協議し、活動分担を決めます。この初期段階において現地で十分な足場を固めておかないと、そのグループは主導的な活動の場を確保することができません。先行したグループの下請け作業に甘んじることになります。
このような実態を痛感した大西氏は、紛争の第1報が入ったら即座に、その現地に活動の足場を築くように活動します。それにより、コソボではPWJの緊急支援活動を軌道に乗せることができました。阪神・淡路大震災で使われた仮設住宅をコソボに運び、他のグループと共同で500戸の建設をしました。
そして体力回復のため一息つく暇もなく、東ティモールで紛争が勃発します。PWJのスタッフは「もう団体としての力の限界を超えている」という慎重論を持っていましたが、大西氏は東ティモール行きを決断します。まあ、グループの人たちはこのようなリーダーのもとで大変だったでしょうね。

大西氏と鈴木宗男氏との対決は、この本を読むまではあまり意識していませんでした。2002年1月のできごとなのですね。
大西氏は、政府主催のアフガニスタン復興支援国際会議に出席するために日本にいました。
朝日新聞の「ひと」欄に、大西氏の発言として「お上の言うことはあまり信用しない」というフレーズが引用され、これに対して鈴木宗男氏が激怒し、そういうけしからん団体は出席させるな、と外務省に圧力をかけたようなのです。
外務省は大西氏に「とにかく鈴木さんに謝って欲しい」と要請しますが、大西氏は徹底的に戦うことを決意します。一度は外務省が鈴木氏の意向を入れて大西氏の出席を取り消しますが、すったもんだの末、2日遅れで大西氏の出席を認めることとなります。
朝日新聞の記事は、「なぜ国連や政府機関に職を得なかったのか」との質問に大西氏が、出身地の大阪の風土はお上をあまり信用しないところがある、と答えた文脈から抜き取られたものだそうです。ほんと、朝日新聞は余計なことをします。

佐藤優氏が書いた「国家の罠」では、鈴木宗男氏の良い面を取り上げました。対して大西氏に対する鈴木氏の態度は、鈴木氏の悪い面がもろに出ています。権勢に任せてバカなことをしたものです。また外務省も、鈴木氏の横やりに対して何の抵抗もできなかったのですからひどいものです。

イラク戦争後、大西氏はバグダッドの国連本部のセキュリティーチェックがいい加減であることを体感します。そのころ、PWJから一人の女性スタッフがバグダッドの国連本部に出向していました。たまたま彼女が日本に立ち寄ったときに、大西氏は不吉な予感を感じます。彼女に「組織同士のケンカになっても構わないから、バグダッドへの赴任は拒否すべきだ。契約違反等の責任はこちらで被るから、バグダッドにだけは行くな」と強く意見を述べます。そして2003年8月、バグダッドの国連本部が爆破されます。その前に彼女の異動は認められていました。もし異動していなければ、命がなかった模様です。
大西氏の危険予知能力はすごいものです。

これからも大西氏には活躍して欲しいし、同じように若い人たちが後に続いて欲しいものです。
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