弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

タリバーンがアフガンを制圧(2)

2021-08-17 17:31:25 | 歴史・社会
アフガン政府崩壊、バイデン氏「想定より早かった」…完全撤収は「後悔していない」 8/17(火) 読売新聞
『米国のバイデン大統領は16日、アフガニスタンでイスラム主義勢力タリバンがアフガン全土を掌握したことを受け、ホワイトハウスで演説した。アフガン政府の崩壊が「想定より早かった」と認めつつ、「私は米国の終わりなき戦争に終止符を打つ決断を後悔していない」と述べ、駐留米軍を完全撤収させる方針が正しかったと強調した。』

「アフガン政府が崩壊することは想定していたがその時期が想定より早かった」と言っているようです。「アフガン政府の崩壊を想定していたのに、米軍の完全撤退を決めた」ということですね。何をか言わんや、ですね。

テロとの戦い振り出しに 米、アフガン民主化に失敗 2021年8月16日 日経新聞
『【ワシントン=中村亮】アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが15日、首都カブールに進攻し大統領府を掌握した。米国は2001年の米同時テロをきっかけにいったんはタリバンを打倒したが、その復権でテロとの戦いが振り出しに戻る。米主導の民主化は貧困や腐敗の問題を解決できなかった。巨額を投じたテロとの戦いの挫折は今後の世界の秩序を揺さぶりそうだ。』

上記記事は、あくまで「アメリカから見えるアフガニスタン」せいぜいが「カブールから見えるアフガニスタン」ですね。これでは、アフガニスタンの各地の実態は見えないでしょう。

以下、前日に引き続き、私のブログの過去記事から拾います。
《中村哲さんはアフガニスタンで殺害されました。ご冥福をお祈りいたします。》
中村哲「アフガニスタンで考える」 2008-07-10
『この本(中村哲「アフガニスタンで考える」)を読んだ第一印象は、外国から首都カブールを通して見えるアフガニスタンと、国土の大部分を占める山間部に直接暮らして見えるアフガニスタンとは、その姿が全く異なっている、ということでした。
「アフガニスタンは、国土のまんなかにヒンドゥークシュ山脈という巨大な山塊を抱えた、文字通り『山の国』です。国土の面積は日本のほぼ1.7倍ありますが、そのおおかたは山岳地帯です。しかも6千メートル、7千メートル級の山々が林立しているのです。したがって、谷も非常に深い。ですから、昔から交通の便が悪く、よくいえば割拠性が強く、地域の自主性のもとにそれぞれの地域をそれぞれの勢力が治めていました。」
「それぞれの共同体、部族共同体の中を律する要の役割を、イスラムが果たしているのです。」
「割拠・乱立する地域共同体が、共通の不文律でもってアフガニスタンという天下を形作っている、といえます。」』

8月17日朝日の「天声人語」では、「推計によると・・・(アフガニスタンの)市民の犠牲が4万人を超える」とした上で、中村哲さんが「誤爆で子供や女性を殺され、親兄弟が報復社会の中で戦闘要員になっていく」と「本紙」で語っていた、と述べています。
また、当ブログ過去ログ
参議院外交防衛委員会での中村哲氏 2008-11-08
『○アフガンを蝕んでいるのは暴力主義。治安は悪くなる一方で、パキスタン北西部を巻き込んでいる。
対テロ戦争という名の外国軍による空爆が、治安悪化の原因。
かつてなく、欧米諸国軍への憎悪が民衆にうずまいている。

○武装勢力は、各地域でばらばらに抵抗している。2千万人のパシュトゥン人を抹殺しなければ戦争は終わらない。
○アフガニスタンの農村の特徴は、兵農未分化であるということ。
○アフガニスタンで復讐は絶対の掟である。
○一人の外国兵の戦死に対し、アフガン人はその百倍の死者が出ている。


1年前国会での伊勢崎賢治氏参考人発言 2009-01-16
『まずアフガンの治安問題。
国際部隊がテロリストせん滅のためにピンポイント爆撃を行うと、その周りの、戦闘員には絶対になり得ない女子、子供が巻き添えになるという
、これは今大変な数に上っています。これがアフガン世論の反感を買っており、南東部では一般の農民がタリバンの方に寝返ってしまう
次に麻薬問題。
世界で流通するケシの93%がアフガン産です。これだけ麻薬が増えているのは政治が腐敗しているからです。政府を構成する閣僚が、麻薬生産に邁進しています。
--当ブログ過去記事以上---------------

8月17日朝日新聞
『米バイデン政権が米軍の完全撤退を表明した4月以降、タリバーンは戦略的に支配地域を広げた。6月頃から州知事や長老らに水面下で接触し、安全を確保する代わりに「無血開城を」と根回しした。軍基地から大量の武器や軍用車を奪い、各地の刑務所から仲間を脱走させて勢いづいた。』
やはりそうでしたか。アフガニスタン各地の住民が、政府と政府軍ではなく、タリバーンを選んだ、ということですね。それがあるからこそ、今回の極めて迅速な「全土制圧」に至ったのでしょう。

2001年12月~02年初めに、米国が有利な形でアフガン戦争を終わらせられる局面があったといいます。政権が崩壊したタリバンが幹部を訴追しないとの条件で米国に降伏を申し出ていました。これを拒否したのがブッシュ政権でネオコン(新保守主義)を標榜した当時のラムズフェルド国防長官らでした。(8月17日日経新聞)

そうでしたか。「蒋介石を対手とせず」を思い出してしまいました。
日中戦争の初め、第2次上海事変から南京攻略に至った段階で、当時の近衛首相が「蒋介石を対手とせず」と述べたのです。これが、日中戦争を泥沼化させる一つの契機だったと言われています。
アフガン戦争では「タリバーンを対手とせず」でしたか。たしかに、アフガン戦争は20年以上の泥沼と化し、最後はアメリカの敗北で終結しました。
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