弁理士の日々

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カルビー常務 武田雅子さん

2022-06-02 17:13:16 | Weblog
日経新聞夕刊2面の1週間連載記事、5月23日の週は「カルビー常務執行役員 武田雅子さん 人事部は魔法使い」でした。5回の連載記事です。
まずは、武田さんの略歴をまとめてみます。
1968年東京生まれ。
 青山学院の中等部・高等部
 青山学院女子短大に進学
 学校を休学し、アルバイトをかけ持ち
 短大中退
89年にクレディセゾン中途入社(21歳)。吉祥寺パルコ内のセゾンカウンター配属。
 2年経たずにショップマスターに。
 吉祥寺で3年半過ごした後、近隣店や大阪・梅田、栃木の宇都宮のセゾンカウンターで店舗責任者を経験
 営業推進部に所属し、2年目には課長に就任。トレーニング課にて、現場の教育指導を手がける。その後、人事部の課長も兼任。戦略人事部において人材開発などに関わる。
2004年36歳の時、乳がんの告知を受ける。
2014年人事担当取締役に就任(46歳)。
2016年には営業推進事業部トップとして、大幅な組織改革を推進する(48歳)。
2018年5月に初めての転職で、カルビー株式会社に入社(50歳)。

青山学院には当然4年制もある中、武田さんは短大を選びました。
『4年制か短大か。「早く社会に出たい」との思いから短大を選びました。短大卒の社員は数年だ結婚退職することが多いと知ったのは入学後。長く働きたいという私の望みとは異なりました。とにかく社会を自分の目で見ようと学校を休学し、アルバイトをいくつもかけ持ちしました。』
武田さんの勘違いで短大を選んでしまったのですね。
新聞記事のタイトル部には『当時の日本は、女子学生の就職では「4年制大学より短期大学が有利」といわれていた。』と記載されていますが、これは違和感があります。武田さんより20年前の私の世代、あるいは山口県の80年代では、確かにそのような風潮が感じられましたが、80年代後半の首都圏、それも青山学院の高等部クラスでそのような認識があったとは思えません。新聞記者の勘違いでしょう。

21歳でクレディセゾンに中途入社しました。配属先は吉祥寺パルコ内のセゾンカウンターで、通路の一部にカウンターを設けたような職場です。「また間違えた」と思いましたが、仕事にのめり込みました。
「人は修羅場では早く育つもの。2年たたないうちにショップマスターになると、もう現場に上司はいません。」
武田さんが苦手な細かい事務作業や保険の勧誘について、職場にはそうした仕事が得意な人がいます。会社のマニュアルからは外れるものの仕事を任せることにすると、8人のチームで20人分くらいの仕事ができるようになりました。
『初任地のあった西東京地区では「武田チルドレン」が10人はいたはず。』
ショップマスター次第で店のムードや業績が「違う会社みたい」といわれるほど変わります。「これでいいのか」と疑問を感じ、会社に提言を行いました。「それなら、自分で仕組みを作れ」と言われ、東京・池袋の本社へ異動することになりました。
全国の支店を支援する営業推進部に所属し2年目には課長に就任。
人事部の動きが遅く感じられ、上司に文句を言ったら今度も「じゃあ、おまえがやれ」。人事部の課長を兼任することになります。

36歳で乳がんの告知を受けました。仕事の休みは3週間でした。薬の副作用もあったのか、うつ症状に苦しみました。
ご自身のがんとうつの経験から得たものを、勤務先の人事制度にも生かすことにしました。結果として世の中の動きを先取りすることになりました。

2018年、クレディセゾン取締役からカルビーに転職し、人事担当として、これまでの経験を生かし組織の活性化に取り組むことになりました。
『数年たち、はっきり実績を上げる部署が出てきました。いいリーダーにはスポットライトをあて、工夫を共有していく。うまくいっていないリーダーには人事がこっそり相談にのります。』

21年2月、専門性を持った外部の人が副業としてカルビーで「ちょびっと」働く仕組みを始めました。同年12月にはカルビー全社員対象に副業を解禁しました。前職のクレジットカード販売の経験から、外の人と一緒に仕事をする癖がついていたのです。

また1人、優秀でかつ魅力的な女性を知ることができました。
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