弁理士の日々

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マークボウデン著「ブラックホークダウン」

2013-07-03 21:10:18 | 歴史・社会
ブラックホーク・ダウン〈上〉―アメリカ最強特殊部隊の戦闘記録 (ハヤカワ文庫NF)
マーク ボウデン
早川書房

これは、1993年10月3日にソマリアの首都モガディシュで起きた戦闘の記録です。
当時、ソマリア内戦が泥沼化しており、戦争による難民の飢餓が国際的な課題となっていました。国連は食糧援助のためPKOによる軍事的介入を行いました。
ソマリアには米軍が駐留しておりまたしが、国連の指揮下にあるわけではなく、米国が単独で指揮下に置いていました。その米軍は、モガディッシュ市街のすぐ外にある飛行場に駐屯しているわけですから、米軍を脅威に陥れる強力な反対勢力がソマリアに存在していたわけではありません。種々の部族が相互に敵対して戦乱状況にあったのです。
しかしこの当時、モガディッシュ市民は米軍を忌み嫌っていました。市民の多くは小銃を保持しており、またハンディロケット砲を有する部族の民兵も市民に混じっていましたから、もし米軍が無防備に姿を現したら、市民が米兵に襲いかかるであろう状況でもありました。残念ながら。
アフガニスタンでもイラクでも同様ですが、善意で進駐する米軍が現地の人たちから忌み嫌われるというのは皮肉なことです。

国連と米軍に抵抗する最大武装勢力はアイディド派でした。米軍は、アイディド派の幹部二人がモガディッシュの中心部のある建物で会合するという情報をつかみました。そこで米軍は、真っ昼間にヘリコプターでこの建物を急襲し、幹部二人を拘束・拉致しようと企てるのです。
作戦はこうです。
ブラックホークヘリコプター搭乗したデルタフォース部隊が目標の建物にロープ降下して敵を急襲し、目標の幹部二人を拘束します。別のブラックホークヘリコプター4機にそれぞれレインジャー部隊が搭乗し、建物の周辺4箇所にロープ降下し、防御陣地を構築します。それと同時にハンヴィーとトラックからなる車列が米軍基地を出発して目標の建物に到着し、拘束した敵幹部を乗せて基地に帰還する、というのです。空からの攻撃支援として、リトルバードという攻撃ヘリコプターも参加しています。

それまで、米軍は同じような作戦を何回か行い、成功してきました。そのため今回も作戦は成功するだろうとふんでいました。
しかし、実態はそんなに簡単ではなかったのです。
アメリカ軍を攻撃する市民や民兵が有する武器は、大部分が小銃、それにロケット砲、少数の機関銃です。ロケット砲は対戦車砲であり、目標に衝突することによって起爆します。従って、ヘリコプターのような目標には向いていません。しかし彼らは、ロケット砲を改良していたのです。時限起爆装置を取り付け、発射してヘリコプターに到達した頃を見計らって爆発する手段を手に入れていました。そして、数打ちゃあたるでしょうか、このロケット砲によって、何と2機のブラックホークが目標建物近くで撃墜されてしまうのです。

米軍は確固たる方針を持っていて、「ヘリコプターが撃墜されたら、必ず搭乗者を助けに行く」ことにしていました。そこで、建物の4隅を防御していたレインジャー部隊も、目標を急襲したデルタフォースも、迅速に撤収する方針から、墜落したヘリコプターに向けて移動する方針に変更しました。この時点で、迅速な撤収という当初の計画が実現不可能になることが決まりました。

もう一つ、何千人というモガディッシュ市民が、米軍急襲現場に向けて集まってきました。この中には、武器を持たない人、小銃を手にした市民、民兵などが混じっています。いずれも、米軍に対する激しい怒りという点では共通していました。

このあと、戦闘は15時間に及びました。
かたや、勇敢で、卓越した戦闘能力を有している99人の米軍兵(ヘリコプターからの支援を含む)
他方は、勇敢で、戦闘能力は素人である市民が大部分の何千人というモガディッシュ市民(民兵を含む)

著書の中で、戦闘記録は詳細を究めます。あたかも自分が現場に居合わせているかのようです。
米兵は、当初は非武装の市民に向けて発砲することに躊躇がありましたが、非武装市民の後から民兵が撃ってきますから、しまいには、発砲がある限り、その周辺に非武装市民がいることにお構いなしに反撃を加えることとなりました。
レインジャー部隊、特にデルタフォースの戦闘能力は秀逸です。モガディッシュ側からの射撃はなかなか米兵に当たりませんが、米兵が撃つ小銃弾は間違いなく相手を倒しているようです。
「戦闘能力に優れる少数の歩兵部隊は、烏合の衆である大部隊を相手にしても負けない」ということを実感しました。

この書物が優れているのは、現場に遭遇したソマリア人にもインタビューを行い、ソマリア人から見た戦闘状況を明らかにしているところです。そのため、この戦いがソマリア人から見たら「正義の戦い」であることが見て取れます。

ソマリアに駐留する米軍は、戦車も装甲車も持っていません。そして、ハンヴィーとトラックでは、怒れる何千人のソマリア人に包囲された現場に到着することは不可能です。
一方、ソマリアには、マレーシア軍が装甲兵員輸送車、パキスタン軍が戦車を保有していました。急遽それらの部隊が米軍基地に招集されました。しかし、米軍、マレーシア軍、パキスタン軍が共同で作戦することなど今まで訓練でもやっていません。そのぶっつけ本番を、かれらは実行するのです。
夜が明ける直前、戦車と装甲車を含む車列は、米兵が死守していた地域に到着し、米兵はやっと窮地から脱出することができました。

この戦闘で、米軍側は19人の戦死者を出しました。一方のソマリア側は不明ですが、500人以上が死亡したであろうと推定されています。

以下次号。
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2 コメント

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米軍は、特殊作戦下手ですね。 (とら猫イーチ)
2013-07-06 11:28:17
 米軍は、昔から、この種の特殊作戦は下手ですね。 ソマリアでの作戦でも、激烈な戦闘状態に突入したのは作戦上では失敗です。 特殊部隊は、主に敵地後方へ潜入して作戦行動の後、敵に察知されず退避するのが第一で、敵に包囲され援軍を要請したり戦闘状態に陥り退避が容易で無い状況に陥れば、その作戦を秘匿出来ず失敗したことになります。 
 こうした作戦を第二次大戦時から実施している英陸軍特殊空挺隊(SAS)や、英海兵隊特殊舟艇隊(SBS)の作戦実態は、容易に明らかになりません。 ロンメル・ドイツ軍を相手にサハラ砂漠で実施した作戦でも、戦後の今頃になって、漸く、全貌が明らかになりつつあるくらいです。 最近、明らかになった事実では、何でもロンメルを暗殺する作戦も実施されたようです(失敗しましたが)。
 一般人の眼に作戦実態が明らかになった唯一の例は、イラン大使館占拠事件で、SASが突入して犯人全員を射殺して人質を救出した事例ぐらいです。 第一次湾岸戦争で、イラクのスカッドミサイルがイスラエルに着弾し、イスラエルの参戦が憂慮された結果、SASが投入され、スカッドミサイル破壊作戦が実施され、何時の間にかミサイル攻撃が止まりましたが、作戦の実態は不明のままです。 その他、イラク、アフガニスタンでもSASとSBSは作戦を実施しているようですが、実態は明らかではありません。 
 何か、米英では、国民性の違い等が理由で、特殊作戦の巧拙が別れるのでしょうか。 それとも、国民が一億も居ない国で世界を制服した英国では、実力以上の知恵で武力をも超える特殊な能力を有する実行部隊が必要であったのかも知れません。  
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特殊作戦 (snaito)
2013-07-06 13:41:04
モガディッシュの戦闘の場合、白昼に首都のど真ん中にヘリコプターから大挙して舞い降り、また大挙して車列で撤収しようというのですから、最初から秘密作戦ではないですよね。たまたま実施部隊がデルタフォースという秘密特殊部隊ではありましたが。
ヘリが撃墜されたら作戦が破綻することがわかっていながら実施したのですから、計画は甘いといわざるを得ません。

イギリスのSASについては、「ブラヴォー・ツー・ゼロ」を読み、記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/s/%A5%D6%A5%E9%A5%F4%A5%A9%A1%BC
読み直したところ、まさに湾岸戦争でのスカッドミサイル対策でしたね。作戦は失敗しましたが、SAS隊員たった8名でイラク軍の250人を死傷させており、やはりその戦闘能力の高さには舌を巻きます。
SASの場合、隊員が敵中に取り残されても救助には向かっていません。その点がアメリカの方針と大きく異なるところでしょうか。
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