7月13~15日の三連休、安土城、観音寺城、彦根城の3つのお城を訪問しました。
13日(土)に大阪で用事を済ませ、13,14日の2日間、京都のホテルに宿泊しました。14日はJRで安土駅まで移動し、その日のうちに安土城と観音寺城を訪問しました。15日はJRで彦根駅まで移動、彦根城を訪問し、そのあと東京まで帰ってきました。
まずは、安土城訪問記を記します。
《安土城郭資料館》
JR琵琶湖線を安土駅で下車します。
駅の南側に、安土城郭資料館があります。今回の安土城と観音寺城の百名城スタンプは、両方ともそこでゲットすることができます。まずはスタンプをゲットしました。
この資料館で、下の写真を撮影すると共に、資料を入手しました。
安土城断面
安土城断面
織田信長の南蛮甲冑
《安土城》
資料館から安土城まで、タクシーで移動します。資料館の方が、電話でタクシーを呼んでくださいました。
われわれの目標は、天主跡の往復です。下の地図によると、ふもとから天主跡まで、延々と石段を登っていくことになります。
安土城地図
上の図は、受付付近の表示板を撮った写真です。その拡大図を下に示します。
安土城地図(拡大図)
上の拡大図に丸文字を追記しました。下の文章の丸文字と対応します。
① 安土城大手道
大手道の石段は、直線状に延々と続きます。直線の石段が終わると、さらにジグザグの石段です。
石段の石仏
石段を構成する石として、石仏を利用したもの(上の写真)が何カ所か存在します。
② 天主へ向かう石段です。
天主跡周辺地図
やっとのことで本丸までたどりつきました。本丸の先が天主です。
③ 本丸跡
本丸跡から天主台
④ 天主台
天主台には、礎石が残っています。
⑤ 天主台から遠望
こうして、天主まで到達し、来た道を戻りました。
安土城は、織田信長が築いた有名な城ですが、現在は、石段と石垣が残るのみです。今回、自分の足で天主まで登り切り、自分の身体で安土城を実感しました。
安土山は標高が199m、ふもとからの標高差は110m程度とのことです。今回、標高差110mを登って降ったわけですが、大変な重労働でした。
この安土城、天主閣が壮大でかつ斬新であることで有名です。そのような特徴を具備しているのですから、信長も、標高差110mの山の上になぞ構築しなくても良かったのではないでしょうか。信長と家臣団、お濃の方とお付きの者達が、毎日この山を上り下りしていたとしたら、大変ご苦労なことでした。
安土城は、本能寺の変で信長が倒れた直後、炎上してすべてが失われました。原因は不明で、織田信雄が誤って焼き払ったという説や敗走する明智光秀軍による放火、という説などがあるそうです。
このあと、観音寺城に移動する前に昼食の予定です。安土駅の資料館でうかがったところでは、近くの信長の館のそばにあるレストランしか利用できないようです。安土城から歩いてレストランまで移動しました。
安土城訪問の後、観音寺城への行き帰りもタクシー移動を予定しています。資料館の方に、情報をうかがいました。観音寺城の近くに位置する観音正寺が目標となります。レストランでタクシーを予約すると、ほどなくしてタクシーが到着しました。
以下次号。
13日(土)に大阪で用事を済ませ、13,14日の2日間、京都のホテルに宿泊しました。14日はJRで安土駅まで移動し、その日のうちに安土城と観音寺城を訪問しました。15日はJRで彦根駅まで移動、彦根城を訪問し、そのあと東京まで帰ってきました。
まずは、安土城訪問記を記します。
《安土城郭資料館》
JR琵琶湖線を安土駅で下車します。
駅の南側に、安土城郭資料館があります。今回の安土城と観音寺城の百名城スタンプは、両方ともそこでゲットすることができます。まずはスタンプをゲットしました。
この資料館で、下の写真を撮影すると共に、資料を入手しました。
安土城断面
安土城断面
織田信長の南蛮甲冑
《安土城》
資料館から安土城まで、タクシーで移動します。資料館の方が、電話でタクシーを呼んでくださいました。
われわれの目標は、天主跡の往復です。下の地図によると、ふもとから天主跡まで、延々と石段を登っていくことになります。
安土城地図
上の図は、受付付近の表示板を撮った写真です。その拡大図を下に示します。
安土城地図(拡大図)
上の拡大図に丸文字を追記しました。下の文章の丸文字と対応します。
① 安土城大手道
大手道の石段は、直線状に延々と続きます。直線の石段が終わると、さらにジグザグの石段です。
石段の石仏
石段を構成する石として、石仏を利用したもの(上の写真)が何カ所か存在します。
② 天主へ向かう石段です。
天主跡周辺地図
やっとのことで本丸までたどりつきました。本丸の先が天主です。
③ 本丸跡
本丸跡から天主台
④ 天主台
天主台には、礎石が残っています。
⑤ 天主台から遠望
こうして、天主まで到達し、来た道を戻りました。
安土城は、織田信長が築いた有名な城ですが、現在は、石段と石垣が残るのみです。今回、自分の足で天主まで登り切り、自分の身体で安土城を実感しました。
安土山は標高が199m、ふもとからの標高差は110m程度とのことです。今回、標高差110mを登って降ったわけですが、大変な重労働でした。
この安土城、天主閣が壮大でかつ斬新であることで有名です。そのような特徴を具備しているのですから、信長も、標高差110mの山の上になぞ構築しなくても良かったのではないでしょうか。信長と家臣団、お濃の方とお付きの者達が、毎日この山を上り下りしていたとしたら、大変ご苦労なことでした。
安土城は、本能寺の変で信長が倒れた直後、炎上してすべてが失われました。原因は不明で、織田信雄が誤って焼き払ったという説や敗走する明智光秀軍による放火、という説などがあるそうです。
このあと、観音寺城に移動する前に昼食の予定です。安土駅の資料館でうかがったところでは、近くの信長の館のそばにあるレストランしか利用できないようです。安土城から歩いてレストランまで移動しました。
安土城訪問の後、観音寺城への行き帰りもタクシー移動を予定しています。資料館の方に、情報をうかがいました。観音寺城の近くに位置する観音正寺が目標となります。レストランでタクシーを予約すると、ほどなくしてタクシーが到着しました。
以下次号。