弁理士の日々

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芳野満彦さんご逝去

2012-02-07 23:18:44 | 趣味・読書
私のブログにキーワード「芳野満彦」でいらっしゃる方が増えたので調べてみたら、芳野満彦さんがお亡くなりになっていたのですね。
登山家の芳野満彦さん死去 小説「栄光の岩壁」モデル関連トピックス富士山
朝日新聞デジタルニュース 2012年2月6日19時15分
『日本人として初めて欧州アルプスのマッターホルン北壁を登攀(とうはん)した登山家の芳野満彦(よしの・みつひこ、本名服部満彦)さんが5日、心筋梗塞(こうそく)のため水戸市内の病院で死去した。80歳だった。通夜は12日午後5時、葬儀は13日午前11時から水戸市堀町2106の2の水戸市斎場で。喪主は妻真理子(まりこ)さん。
新田次郎の小説「栄光の岩壁」のモデルとして知られる。東京都出身。小学校5年の時、兄と2人で富士山に登ったのが初登山だった。1948年、友人と2人で冬の八ケ岳を縦走中、悪天につかまり遭難。友人は凍死し、自らも重い凍傷になって両足の甲から先を失った。だが、「義足をつけても、松葉杖をついても山に登りたい」と執念のリハビリで登山を再開した。
57年に北アルプス・前穂高岳4峰正面壁の積雪期初登攀に成功するなど多くの記録をつくり、戦後の日本登山界をリードした。65年、マッターホルン北壁を登攀し、日本人で初めて欧州アルプス3大北壁の登攀に成功した。』

私は、新田次郎の小説「栄光の岩壁」も読んでいるのですが、それよりも芳野さんの自叙伝である「山靴の音」に魅了されました。2008年に『芳野満彦「山靴の音」』に記事にしました。

芳野氏は、戦後まもなく、17歳の年の12月に、友人と2人で八ヶ岳に登って遭難し、友は死亡、自分も重い凍傷を負って両足の指全部を切断しました。しかし壮絶なリハビリの末に登山を再開し、穂高、剣岳などの岸壁で初登攀の記録を続出しました。「山靴の音」は、そんな芳野氏が書きつづった記録を、昭和35年までについてまとめたものです。芳野さん30歳直前でしょうか。

上高地から槍ヶ岳の方向に川をたどっていくと、徳沢園という宿泊施設があります。夏の間は営業し、冬になると従業員は山を下り、その地での人間活動は休止します。芳野氏は、遭難の2年後、冬の間この徳沢園を一人で守るという越冬の仕事に就きました。その後も、1年のうち半分以上を山の中で過ごし、数々の初登攀記録を打ち立てるわけですが、まあその変人ぶりといったら、極めつきですね。

小説「栄光の岩壁」文庫本は上下巻です。上巻が「山靴の音」出版の頃まで、そして下巻がそれ以降の芳野さんを描いたようでした。結婚、そしてヨーロッパアルプスのマッターホルン北壁登攀に成功するまでです。

「栄光の岸壁」の最後に「この小説のモデルは芳野満彦氏である。氏は水戸のモリ商会の店主服部洋子さんと結婚して現在二人のお嬢さんのパパである。」とありました。
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