大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年07月09日 | 写詩・写歌・写俳

<1654> 過去、現在、未来

         現在は過去と未来の接点に開かれてゐる思ひの窓辺

 私の郷里は岡山市内から車で小一時間ほどの距離に位置する瀬戸内に面した湾処の奥にある僻地的片田舎である。二百メートル前後の低い山に囲まれた盆地状の地形にわずかばかりの集落が点在する。私が子供のころ(昭和二十年代)には、湾処の海沿いに耐火煉瓦の工場や二硫化炭素のケミカル工場などが連なり、活気のある営みが見られた。

 所謂、跼った地形にあって、外界と遮断されたようなところで暮していた。それでも住みよく活気に満ち、自給自足出来ていたのは前述した通りである。これには静かな湾処が大きく関わっていたことが言える。耐火煉瓦にしても二硫化炭素にしても、陸路便は悪かったが、原料の粘土や硫黄を船で運び来たり、製品もまた船で出荷することが出来た。つまり、この湾処の岸辺が工場の立地条件に適ったわけである。

 工場群のあった海辺は社宅以外地元の民家が少なかった関係にもより、公害の問題は起きなかった。この点工場と地元の折り合いはよかったが、耐火煉瓦の工場も二硫化炭素の工場もそこに勤める人たちには呼吸器系の職業疾患が現われた。耐火煉瓦の工場で現場責任者として長年働いた父は会社を定年退職した後、塵肺の一種である珪肺を発症し、職業病と認定され、労災の適用を受けた一人で、この疾病に苦しめられながら老後を暮らし、七十九歳で亡くなった。

                                 

  この珪肺がなかったら、節制の心がけが出来ていた人だったから、後十年は長らえ得たろうことが今でも思われる。珪肺の職業病は当時もその原因が何によるものかわかっていたが、患う人には最近のような科学的な知識や問題意識が希薄だったため、患者による集団訴訟のようなことには至らなかった。中には疾病の苦しみに耐え切れず自ら命を断つ人も出たが、今日のように社会的問題として大きく取り上げられることは父の時代にはなかった。

 耐火煉瓦は当時の日本における基幹産業であった鉄鋼の生産になくてはならない溶鉱炉の建設素材だったので不況知らずなところがあり、賃金収入も潤沢だったと思われる。当時、私の郷里はこのような状況下にあったので、七人の大家族であったが、不自由なく生活出来た。

 しかしながら、時代が進み、石炭から石油に燃料が変わり、溶鉱炉に変革がもたらされ、耐火煉瓦の需要が少なくなるにつれて工場の閉鎖が相次ぎ、徐々に衰退に向った。その上、車社会の到来とともに外に通じる広い道路がつくられ、この道の開通を待つかのように、都市部への人口集中を企てた国の政策にもより、働き手の若者がどんどんと外部に出て行く現象が見られ、過疎化の様相に見舞われる事態に陥り、小、中学校も縮小されるといった具合になって今に至っている。

 私の年代はちょうど人口の都市部への集中が行なわれ、所得倍増の経済的右肩上がりの時代に青年だった関係もあって、多くが都市部を目指した。その一人だった私にはその社会の変遷をつぶさに見て来たことが言える。都市近郊に団地と称する集合住宅があちこちに出現したのも私たちの目の前で展開されたことで、将来への展望があったが、その内実は、大家族から核家族への転換、移行の姿にあり、この核家族の方針が現在に及んでいろんな問題点を噴出させているわけである。

 経済的な右肩上がりに、私たちは将来に夢を抱いたのであるが、その将来の今、どうであろうか、いろいろと問題を孕んで現実が私たちに覆い被さるように晴れやかならざる事象を投げかけている。私たちはこういう時代を如何に切り拓いて行くべきなのか。これは実に難題であるが、夏目漱石の『草枕』の言葉でも言われているようにこの状況から逃げることは出来ないのである。

  もう若くない私たちは、国の政治や社会の動向をじっと見つめて思いを致し、高齢は高齢なりにその動向に対処するしかないことを悟るというしかない。雲の彼方に見えるものがないのは不安であるが、じたばたしても始まらない。雲の向うを想像することは出来る。出来れば、その想像は楽しくあらねばとは望むところである。

  私の過去、現在、未来は斯くのごとくであって、長いようでもあり、短いようでもあり、それはそれなりにやって来たと言えようか。諦観や達観もさることながら、あるは辛さを託つことも生の力づけになろうというふうにも思いが巡る。諸兄諸氏には如何なる処方が練られているのだろうか。自愛にもいろいろな方法があることは先人の生き方をうかがい知るほどに人生の展開はそれぞれで、さまざま、涙ぐましいような眺めもうかがい知ることが出来る。 写真はイメージで、雲に被われ尾根が隠れて見えない山並。