大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年07月07日 | 植物

<1652> 百 日 草

              我が生まれ出で来し意味とその由来 百日草が炎天に咲く

 百日草(ひゃくにちそう)。キク科ジニア属の一年草で、コスモスと同じくメキシコの高原地帯が原産地の帰化植物である。春に種を蒔き、夏の炎天下に花を咲かせる。花は単弁も重弁も色彩に富み、名に百日とあるように花が長く持続して咲くので、仏さまに供える盆花として重宝され、よく民家の近くの畑に植えられていた。

 園芸の花が少なかった一昔前にはよく見られ、私には昭和の趣が感じられる郷愁的な花として私の中にはある。それは真夏の強烈な日照りに草生きれが見え、ほかの草花たちが日焼けして萎れるようになる中で、勢いよくその多彩な花を咲き通す。

                                                    

 私が七月を苦手な月としていることは、八月七日の誕生日に由来すると、誕生日に触れて述べたことがあるが、今も概ねその気分に変わりない。その七月の暑さの中で旺盛に咲くのが百日草の花である。ちょうど稲田の田草を取る時期で、農家には厳しい労働に重なる。私は子供のころからこの時期の暑さに辟易した。そして、いつの間にか、この時期を苦手に思うようになった。

 その理由は、私をお腹に抱えた臨月の母の四苦八苦が胎児の私に以心伝心したのではないかということは以前に述べた通りである。この時期に咲く夾竹桃はあまり好きになれないが、印象は深い。これと同じで、百日草にも言える。一つの郷愁の花である。蛇足かも知れないが、少し遅れて暑さの盛りに咲き始める百日紅(さるすべり)の花については、私の誕生後の花の印象により、真夏の花の中では気分のよいイメージがある。

   めん鶏ら砂あび居たれひっそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり                                                                    斎藤茂吉

 この歌は大正二年の作で、歌集『赤光』に見える歌であるが、戦後間もない昭和の二十年代にはまだこうした風景は田舎には残っていた。廃品回収業者の「ぼろ買い」の男を「児盗り」と言って、言うことを聞かない幼児の私たちに、親は「児盗り」に「連れて行ってもらうぞ」と脅したものであるが、剃刀研人(かみそりとぎ)も同じような不気味さを感じさせる登場人物であるのがわかる。そして、めん鶏の砂あびはまさに真夏の光景としてあり、私には百日草の花に重なる。

 思うに、百日草の花は、今や一昔前の花で、時代はいつの間にか移り変わり、その変遷はやはり昭和から平成に移り来たったように思われる。私は昭和人であるが、百日草も昭和の花で、同郷の感じがあり、その花を炎天下に目撃したりすると、昔の夏が思われて来るといった次第である。 写真は炎天下に咲く百日草。