大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月01日 | 写詩・写歌・写俳

<1245> 日本人二人が殺害されたイスラム国の人質事件に思う (1)

      憎しみと怒りの連鎖は 対決の意志ある限り 収まり難し

 イスラム国による日本人二人の人質事件は二人とも殺害されるという最悪の展開を見ることになった。これでことが落着するのであれば、最悪の結末なれども、一つの区切りになるのであろうが、イスラム国の殺害時のメッセージによれば、そうはならないと言っており、イスラム国はこの事件を皮切りに日本への対決姿勢を鮮明にし、今後も日本人をターゲットにすると宣言しているから、日本にとってこの最悪の結末は終わりでなく、始まりであるということになり、不気味な事態がなお続くと見なければならないことになったと言わざるを得ない。

 ことの発端は、インターネットの動画サイトに、オレンジ色の囚人服を着せられ、後ろ手に縛られた二人の日本人が、中央に立つ全身黒ずくめの短剣を持った男の左右に膝まづかされ、日本に身代金を要求するという動画が出され、世界の知るところとなったことによる。一人が殺害されてからもこの動画は連日テレビに取り上げられ、私たちの目に焼き付けられた。

 このインターネットの動画は誰もが投稿出来、見られるという極めて自由平等な利点のある現代的なメカニズムであるが、これはコンピューターの操作によって生み出される短い言葉と映像によるバーチャルな仮想的現実を生み出し、ほとんどがそれ以上には発展することのない属性による浅薄さを孕み、オレオレ詐欺のような深刻な欠陥を持つことにもなる上に、実際に起きている現実の様相をゲーム感覚に陥らせ、劇化させることによって送り手側の思い通りにことを運ぶということに利用されることが起きる。

               

  この度の動画に映し出された光景は、実にむごたらしく、見る側に刺激を与えるものには違いなかったが、動画は発信された時点で既にバーチャルな劇化の状況に置かれ、受け手は酷いと思いながらも、それ以上の切羽詰まったような心持ちになることはなく、テレビやパソコンの画面に目をやる観客的な受け手になり、深くは考えず、言わば、他人ごとのように、その動画の画面を見るということになった。

  例えば、ゲーム感覚のバーチャルな画像というのはこれだけではない。イスラム国に対する米英などの有志連合による空爆にもこのバーチャルな状況は等しく見られるところがある。コンピューターによるボタン一つによって地上の目標物を爆撃する。その空爆された地上でどのような悲惨な状況が展開しているかということなどは、空爆のボタンを押すパイロットには知るよしもなく、当然のことながら、ゲーム感覚によって任務を果たす。

  これをときにテレビ映像などで見るが、見る私たちも単なる事実として何も感じることなく見る。一発の空爆で何人かは死んで行ったのに違いないが、その空爆映像からはそういうところにまで思いは行かない。だが、意識すれば、地上では地獄絵が展開し、ときにはその爆撃が一般市民にも及んでいることが想像出来る。殺害されたフリ―ジャーナリストはそういう状況下の悲惨に巻き込まれた人々の姿や声を伝えるために戦場に等しい敵対する極めて危険なシリアに入ったのだろう。

  しかし、切羽詰まっているイスラム国側はそういうジャーナリストをも血祭りに上げ、戦いに利用したのである。言わば、どちらもバーチャルなゲーム感覚を持って戦いを展開し、私たちはほとんどそれを他人ごとのように見たり聞いたりしているのである。この事件における動画が現代の先端を行くメカニズムではあるが、そこに内包される深刻さがあると言ったのはこういう理由による。

  イスラム国側に殺害された日本人のフリ―ジャーナリストは戦闘状態にあるシリアに入るとき、すべては自分の責任であるとビデオメッセージに残して死地に向かったが、言ってみれば、このフリ―ジャーナリストは彼が掲げる信念を貫くために劇場的な現代の闇の現場に向かい、犠牲になったと、私には思われて来るのである。  写真はイメージで、シリアの戦場風景(テレビ映像による)。  ~ 続く ~

 


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