<3791> 野鳥百態(51) 夏雲雀
生きる身は
何を欲して
已まざるか
まづは安心
なるが挙げらる
夏の季語に「練雲雀」がある。「繁殖期のあと、夏の換羽期のひばり。云々」と手持ちの歳時記に見える。「夏雲雀」ともある。麦秋のころのヒバリを指すのであろう。春の空高く揚がって天下に向かって囀るヒバリとは趣を異にする。この「練雲雀」を撮影したいと思い、トラックターが入って田植え準備の田起こしがそこここで行なわれる大和平野の広々とした田園に出向いた。
奈良盆地の底に当たる一帯。ほとんどの田圃が冬場休耕している広々とした田園風景。ヒバリは簡単に撮影出来ると思い、カメラに望遠レンズをセットして眺望のよい田圃の畦に立った。遠くからオオヨシキリの囀る声が聞こえ、田圃を見渡すと、嘴が黄色のケリの姿が目に入った。だが、鳥の姿はこのケリのみで、目標のヒバリの姿はなかった。
ということで、ケリを撮影し、場所を変えようと思い、田圃の畦を辿ってケリに近づいて行ったとき、行く先の田圃から一羽の鳥が飛び立った。ヒバリである。茶褐色の斑な体の色模様がそっくりな田圃に紛れていたのである。これは一種の保護色で、全く気づかなかった。
ヒバリは広い見通しのよい田園地帯を生活圏にし、餌なども田圃や草叢などの地上でものにする。この日常における安心は目立たずにいることがか弱い小鳥のヒバリには得策で、保護色の擬態の方法によっている。スズメやホオジロもエサを地上に求めることが多い小鳥で、やはりヒバリに似て、同じことが言えるように思える。
保護色と言えば、ライチョウが有名で、冬と夏の姿にはっきりとした違いが現われるのはよく知られる。その違いは季節によって異なる風景にあって、その風景に紛れ、気づかれないようにするためにある。身近ではアマガエルやバッタがよく知られる。緑の葉の上では緑色になり、褐色の枝ではその枝に似た色に体の色を変える。アマガエルやバッタには色の変化が感知出来るのだろう。
こうして見てみると、か弱い小動物ほどこの保護色による擬態が機能しているように思える。色だけでなく、形を似せて紛らわすというものも昆虫類に多い。枝に化けるナナフシやカマキリはその典型であろう。周りに気づかれない効用によって生を展開している。
これは人間さまにも言えることで、なるべく相手に気づかれないようにする工夫に迷彩や擬態によるカムフラージュの方法を用いる。戦いにおける兵士の迷彩服がよい例である。標的にされないように紛らわす。野鳥の撮影に当たるカメラマンは野鳥に警戒心を抱かせないように自分の服装やカメラに迷彩を施すことが結構励行されている。
話を戻せば、広々とした見通しのよい田畑で日々の暮らしを立てているか弱い小鳥のヒバリにとって目立つ姿は好ましくない。殊に子育て中の巣は知られたくない。で、その一心のため、直接巣に降りることを避け、離れた場所に一旦降りて、紛らわし、歩いて巣に向かうということをする。所謂、安心のためである。
突然、足元から飛び立ち、向かいの畦道近くの田面に降りたヒバリは距離にして三十メートルほどのところ。目を離さず、四百ミリレンズによって撮ることが出来たのであったが、ヒバリは田圃に紛れ、見づらかった。この体の色模様でヒバリは一つの安心を得て暮らしているということが思われたのであった。 上段の写真は田圃のヒバリ(左)とケリ(右)。下段の写真は畑のスズメ(中)。
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