大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年02月18日 | 写詩・写歌・写俳

<1511> 情報ということについて

        情報は人の思ひに絡まれて導くほどの力とはなる

 以前にも触れたかも知れないが、情報ということについて考えてみたいと思う。昨今が情報化時代にあることはインターネットと連動したスマホを利用している現代人にはよくわかるはずである。これは従来のマスコミュニケーションでは果せなかった双方向性のコミュニケーションが実現出来、これによって十八世紀半ばから十九世紀において起きた産業革命にも匹敵する革新に及び、世界に多大な影響をもたらしている次第である。

 つまり、インターネットというのは情報通信の革命的な方法で、まさに、現在の華々しい情報化社会の立役者であり、牽引者であるが、このことをして思うに、私たちにとって情報というものが如何に大切で、社会生活に欠かせない重要なものであるかということが言える。そこで、この情報ということについて考えてみたいと思った次第である。

 私たちは自分の意思(おもい)によって行動するが、その意思(おもい)は耳目に及ぶ情報によって影響される。例をあげればわかる。例えば、天気予報がある。明日が大荒れの空模様になる予報があれば、出かけるのを中止したり、大荒れに備えて怠ることなく準備することが出来る。だが、予報の情報がなければ、出かけるという行動に何の判断もなせず、当日を迎えることになる。この情報の有無における影響は、天気予報だけに止まらず、私たちのあらゆる面に当てはまることが言える。

 この情報というのは、個人のみならず、社会の人間関係に大きく関わり、絡み合っているが、これは今も昔も変わらずある。だが、インターネットの普及によって膨大で広範な情報がそこいら中に溢れ、私たち個々人にも及ぶようになった現代においては、より影響力が増し、私たちに認識させるところとなっているのである。

     

 自由と平等を掲げる民主主義は多数決を原理とするが、加えて情報の共有が不可欠であることが言える。言わば、情報の共有がなければ、民主主義は歪められたものになってしまうと言ってよい。それほど私たちにとって情報というのは大切なわけで、知る権利が言われるのも諾なるかなであるが、これを逆説的に捉えて為政者の立場を律して述べたのが孔子で、『論語』の「泰伯」の中で言っている。「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」と。

  つまり、政治の実践においては人民を由らしめることが大切で、為政者は自分が有している情報を人民に知らせるのは得策でないと言っているわけである。思うにこれは情報の共有をもって成り立つ成熟した民主主義にあっては受け入れ難い主張であるが、実利主義の持ち主である孔子には当時の為政者の立場を汲んで述べたと言え、民をまとめて行くにおいて、これは一つの真理を言っていると知れる。

  この孔子の言葉は、情報において重要な意味を持っていることを私たちは知らねばならない。共有の対語は独占であるが、情報の独占がここには示唆されている。民主主義の世の中では情報の独占と恣意的操作は最もよくないこととされるが、為政者はこの独占と恣意的操作を企てがちなのは、孔子の言葉に沿うところであろるのが思われて来る。

 為政者は民主主義を掲げながらも情報をなるべく統御して都合の悪いものにおいては秘匿し、都合のよいものは率先して知らせるということが操作される。これを許さないというのが新聞などのジャーナリズムであるが、この点をして言えば、個々人の双方向性の情報が扱われるインターネットという情報化のシステムは民主主義の理想的方向性で、ときには、秘密裏にされた為政者の情報もインターネット上に漏れ広がって大多数に共有されることになったりする。だが、インターネットには情報の発信が個々において自由に出来るので、ときには誹謗中傷やいい加減な情報が拡散するといった弊害も生じて来るといった次第で、この情報の吟味も重要になって来ることが思われるのである。

 ところで、現代人の中には、この溢れ返る種々の情報が飛び交う中で、なるべく、こうした情報とは無縁でいたいという御仁も少なからずいる。これは、「知らぬが仏」で、情報に左右されて心を乱されたくないという気分によるのだろうと思われる。これは、もちろん、昔からあることで、次の藤原定家の日記の話などはその例と言ってよかろうと思う。

  中世の歌人である定家は、日記『明月記』のはじめ、十九歳のとき、「世上乱逆追討耳に満つと雖も之を注せず、紅旗征戎は吾が事に非ず」と書き記し、騒然としてあった源平による武士の台頭する世にあって、世上の話題に耳を貸さず、ひたすら歌道に打ち込むことを決意したのであった。現代においても、このように世間の情報を避けて暮す御仁もいることをつけ加えてこの項の終わりにしたいと思う。

  まだ、情報の質というような点も考察しなければならないが、これはまたの機会にと思う。 写真はテレビの情報番組。最近、情報番組は花盛りである。左から4チャンネルの「ひるおび」、6チャンネルの「ワイド スクランブル」、10チャンネルの「情報ライブミヤネ屋」。


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