<1512> 曙 (あけぼの)
「もし」といふ 言葉と過去へ こころ旅 たとへば清少納言に会へば
今日は早春の気分。穏やかな暖かい天気の日中だったが、曙の空が印象的で、清少納言が『枕草子』の冒頭に述べた「春は曙。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」という言葉を思い出した。これは四季の印象を自分の好みによって記したもので、夏、秋、冬と続いて述べている名高い一章である。
春の下りは曙の空をスケッチしてその印象を述べ、平明でわかりやすいように思えるが、言葉の意味が案外わかり難く、解釈に見解の相違が見られるところがある。詳細に言えば、「曙」は暁に等しく、夜がほのぼのと明けるころのことで、日の出前の時間帯を指す。「しろく」は白いという色と著しくという意の二説がある。
また、「あかりて」は明るくなってという意で、「紫だちたる雲の」は東雲色(しののめいろ)、即ち、この紫は現在認識されている紫色とはニュアンスを異にし、紅色が勝った曙色に近い雲のことである。これらのことからして言えば、「しろく」は「白く」ではなく。著しい意の「著く」と解釈する方がよいように思われて来る。
この曙の空は柿本人麻呂が詠んだ「かぎろひ」に等しいものか。とにかく、その色合いは美しく、印象に残る。明け方は快晴で冷え込んだことにもより、曙色は一段と冴えて見えた。それで、咄嗟にカメラを持ち出して曙の空と日の出を写真に収めたたという次第である。
なお、曙を名に用いている草木がある。例えば、アケボノソウ、アケボノスミレ、アケボノシュスラン、アケボノツツジ。みなその名は花のイメージによっている。アケボノソウはリンドウ科の二年草で、花冠の裂片に黒紫色の斑点があり、これを曙の空に見立てたと言われる。ほかの三種は花の色が曙の空の色である淡紅色による。 写真は左から今日二十日に撮影した曙の空とアケボノソウ、アケボノスミレ、アケボノツツジの花。
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