大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年08月11日 | 創作

<344> 掌編 「花にまつわる十二の手紙」  (1) 百日紅 (さるすべり)

       築地塀 曲がれば見ゆる 百日紅 朝の日差しを 受けて咲くべく

 拝啓、暑中に当たりお見舞い申し上げます。さて、私こと、還暦で定年退職を迎え、その後、五年ほど別の会社に勤め、今年の三月にその会社も辞め、この度、下記の住所に転居し、年金が頼りの生活に入りました。田舎暮らしのための引っ越しで一つの区切りと思っていますが、この年齢になりますと、いろいろ思うところが出て来ます。行く道が変わって来るのは定年という制度によるからでしょうが、思えば、高校を卒業する時に似ているような気もします。しかし、一方が人生これからという思いにあるのに対し、この度は人生残りに向かうと言いますか、気持ちに随分と違いのあるのがわかります。

 いつになっても不安はついてまわりますが、どちらかと言えば、若いときより今の方が気楽かも知れません。それは、子育ても終わり、家族を養い至り、人生のノルマを一応こなして来たという自負のようなものが自分の中にあるからかも知れません。また、終わりに向かってあくせくしても仕方がないという気分にもよるからでしょう。しかし、余燼ではあるでしょうが、この年齢はまだ達観の域には遠く、衰えに向かう中で、なお何かしたいという生きがい探しは強く、それがままならなければ、悶々とせざるを得ない年齢にあるとも言えます。衰えに向かう中では、いつか駄目になるときが来るという意識と覚悟が多少自分の気持ちの中に芽生えているのは当然と言え、この年齢ではこのことについてもいろいろと思い巡らせることになります。

 定年を迎えると、これまでの生活を維持してゆくことはまず難しく。会社人間であったものが、会社を辞めるのですから当然と言えば当然で、その生活は家庭を差し引いても百八十度は転換せざるを得ない状況に至ると言えます。小生の場合、子供二人は結婚し、自立して、片付いてはいますので、特別なことがない限り、扶養者としての負担の問題はなく、夫婦の両親もすでに他界しているので、この点においても問題になるところはなく、夫婦のことだけを考えればよいので気が楽というか、介護の問題にしても自分たちのことだけを考えていればよいわけで、今後の方針も立てやすいと言えます。

 それでも生活設計については自分ひとりの考えを通すわけにはいかず、妻を考慮に入れずにことを運ぶわけには参りません。夫婦の意見が一致すれば、ことはスムーズに運び、よいのですが、それもなかなかうまくいかず、難行することもしばしばで、そんなときの対処方は妥協ということになります。完璧な自由人でいられない現実からすれば、これは当然で、今までもそうして来たような気がします。しかし、自分の人生観を変えてまで妥協し得るかどうかということになりますと、これは譲れないということにもなります。

 というような思いが絡みつつ、妻に切り出したのが田舎暮らしをするために転居するということでした。人生を仮に五期に分けてみますと、凡そ第一期は親の庇護下にある二十歳までの二十年間。第二期、第三期は懸命に働いて社会に貢献し、子育てをする六十歳までの会社人間たる前半と後半の四十年間。第四期は定年を迎え、仕事も子育ても一応第一線を終えて、ある程度の自由人になれる六十歳からの十五年間。そして、自分の身さえも思いに任せられなくなる年齢。つまり、人生最後の達観域に入る七十五歳以上を第五期と考えることが出来ると思います。

 これで考えますと、自分が今通過しつつある六十五歳は、第四期ということで、これまでは会社のレールに乗り、見方によっては他力とも言える日々を送って来た感のあるのに対し、この年齢域は何事も自由にことを運ぶことが出来る代わりに、自助と自責がはっきりと突きつけられる感覚にあることがわかります。その自助と自責の中で財力(経済力)と体力(精神力)がものをいうことになり、自分の生き方においてもこの点をどのように折り合わせるかということが大きな課題になることに気づきます。同じ年齢にある周囲の人々を見ていますと、いろんなタイプが見られますが、大半は悠々自適とはいかず、四苦八苦し、悶々とした心境にあるのが垣間見られ、これらの例を見るにつけ、社会的評価もどことなく軽ろんぜられているような具合で、満足にはほど遠いのが感じられます。

 もちろん、この五期の年齢については個人差があり、一概には言えませんが、健康でさえあれば平均寿命以上に生きることが出来ます。しかし、定年後の六十歳からの年齢にあるものは、概ね国の制度に組み入れられ、その中で生活せざるを得ない構図がはっきりしており、国の存在が個々人には大きく、精神的影響としてあることが思われます。この制度が国民に対してやさしさをもってあるか、厳しさをもってあるかが思われるところで、新聞やテレビの情報でもそこに意識がいきます。この点において日本という国が安心な状況にあるかどうか。政治家や国の役人に対する目も鋭くなると言えます。

              

 で、会社のレールを外れ、どの道を選ぶかが小生の通過点としての今のポイントになっているわけで、ほかの人たちの事例も気になるところと言えます。人によっては、週に三、四日短い時間働いて小遣い銭を稼ぎ、残りを自分の好きな趣味などに当てるといったやり方。それに対して、仕事は完全に辞め、ボランテイアなど自分の生きがいを見つけてそれに打ち込むという類の人も一方にはいます。まだ、いろいろなバリエーションはあるでしょうが、それらを見ていて、どの道を選ぶか、私なりにこの年齢的な区切りに当たって考えざるを得なかったわけです。 ~次回に続く~

 


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