大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年10月16日 | 創作

<1138> 続・自作五十句  (<1135> よりの続き )

                梅雨寒や怨念説の耳朶に絡む                         山桜点睛のごと咲きにけり

         恋ひ恋ふる心潜むや 吾亦紅                           西日射す軍人墓の女郎花

         月冴えて先の世へ飛ぶ三輪車                         花火あがり一つの記憶胸に顕つ

         破塀の奥の闇より沈丁花                              五月雨が甍を濡らす本能寺

         秋深し我がナルシスは独りなり                          朝桜近江へやりし心かな

         菜の花の一群(ひとむら)ありて遠野かな             恋しけれ伏見深草相深町

         開け放つ堂宇より見し黄落期                           病老死 病棟脇の白木槿

         花楝 祖父の天寿に咲きし花                           にはたづみ 姉と跳びたる少年期

         抒情詩と辛夷の花の信濃かな                           巡行のはてたる町の日照りかな

         夜の蝉 中也の祈り祈らねば                            千屈菜や祖父の腕に濡れし花

         楠若葉 祭礼の人 艶やかに                            蝉時雨堂宇の奥の坐像かな

         送り火や五山に思ひ馳せし記者                         大文字人の背越しに見しは去年(こぞ)

         生命を思へば厨に秋の蟻                              茜雲祖 母の背に見し幼年期

         北斗冴え 寒林まさに極まれり                           茶の花や父の寡黙と卓の冷え

         野は緑どこへの帰り献血車                              半夏生 堂宇に続く道静か

         転勤の挨拶状や藤の花                                機関車の情調走る冬野かな

         寒き夜の外面に母の下駄の音                           雲雀あがり大和三山霞みゐる

         ひばりひばり汝の大和平野かな                          アカシアの花咲きゐたるボート祭

         鯉の背にひらひら散りゆく桜かな                          みづすまし水の上なる世界観

         図書の山 限界説のありし夏                             青紫蘇の口中の香や壮年期

         ほととぎす言外の闇 引き絞る                           この世観 我が死の後も百合匂へ

         端正にピアノありけり 青葉光                            クライバーン聴く初夏や句のひかり

         紅葉のひとひらごとの水の冴え                           秋はよし 祭り日和を訪ね来よ

         グラジョラス花の音階姉の声                             鯉幟 そらみつ大和平野かな

         恩師逝き父逝きひとり晦日蕎麦                         三輪の春 紅を引きたる児らが行く   

                                                                             

 五七五の世界を確立した俳句は季語という一つの決まりごとを定め、無季俳句を目指す御仁もいるけれども、この季語に基づいて句を仕上げる習わしを採った。これは俳句が四季を念頭に置いたからであるが、四季というのは日本の自然を意味するもので、要は自然に寄って句作を行なうことを基本にしたことによる。言わば、個人の抒情質を抜きに、自然に重きを置いて、そこに句の世界を展開することを目指した。所謂、俳句の表現領域は自然の世界観を主にするもので、俳句はそこに軸足を置いて展開されて来た。

 このような観点から、俳句では自然の観察が大切であるという認識に沿って自然を忠実に写し取ることを標榜した正岡子規の写生論なども現れ、俳句を作るため旅をするということも試みられ、芭蕉の『奥の細道』のような優れた俳句をともなう紀行文も生み出され、吟行という活動も俳人などの間では行なわれて来た。そこでは自然と向き合うことが必然的に求められ、今もこの点においては大筋のところ変わっていない。

  戦後間もなく出された桑原武夫の『第二芸術』の論が、俳句に対し、「俳句の取材範囲は自然現象及び自然の変化に影響される生活である」という水原秋桜子の『現代俳句論』の見解を引用しながら「人生そのものが近代化しつつある以上、いまの現実的人生は俳句には入りえない」と主張した点を考えると、これは、自然への関心が薄れて来た現代の一面において、当を得ている論のように思える。だが、これは少し早合点に過ぎると言ってよいのではないか。というのは、自然と乖離したようなところで成り立っている傾向が見受けられる現代の環境下では、却って自然に立脚する立場の俳句の重要性が思われて来るからである。

  つまり、自然を蔑にして進み行くような現代においては、自然への認識の重要性が、科学技術の進歩による利便や物質的豊かさの中で、見直されなくてはならないからである。この見直しを重視する傾向が、現代の状況にはまたの一面として現れ来たっている。例えば、自然災害や科学技術の盲点、あるいは、西欧文明による生活の変化の中で日本人が矛盾や抵抗を感じていることがあげられ、自然への関心が高まっていることがある。このような自然に立脚した立ち位置による考え、即ち、俳句の立場でものごとを考える必要性が、現代の一方では希求され、認められるところにあり、俳句も活動の場を得るわけである。

  その活動がノスタルジーに働いて見られるものであっても、自然に立脚した俳句には光のようなものが見られる。もちろん、俳人たちのたゆまない努力が必要であるが、如何に時代が進もうとも、自然が歴然として存在する以上、自然に向かって立つ俳句の行末というものは決して暗くはない。人間は自然の中の一員であって、自然が人間の認識の中の一現象ではないことをして言えば、発句から始まった俳句の発見とその発見が意味する世界に人間の調和を模索する俳句の道はあって然るべきで、これからも必要であると思われる次第である。 写真はイメージ。藤の花と打ち上げ花火。 続く。

 


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