大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年10月03日 | 写詩・写歌・写俳

<2465> 余聞、余話 「日本相撲協会を去った貴乃花親方の一件に思う」

        五七五七七短歌の七七の結句の大事人生もまた

     俺の目をみろ 何にも言うな

   男同士の 腹のうち

   ひとりぐらいは こういう馬鹿が

   いなきゃ世間の 目はさめぬ

 これは昭和四十年(1907年)世に出た「兄弟仁義」(詞星野哲郎、曲北原じゅん)の三番の歌詞である。任侠、仁義ものの代表的歌で、北島三郎が唄い、映画にもなってヒットした。言わば、昭和の時代臭を感じさせる内容の歌詞であるが、またもぶり返されて巻き起こっている日本相撲協会と貴乃花親方のトラブルを聞くにつけ思い出されて来る。

  時代錯誤的この歌詞の背景、即ち、日本の事大主義的体質が見え隠れし、旧態然として今も変わらずある大相撲の世界がこの騒動には透けて見えるからである。事大主義とは強者が弱者を従わせて秩序を維持するところの考えである。不当でも、非常識でもその体制を保ち維持させてゆくためには、この理不尽を押し通して行く。これが事大主義の典型であり、この理不尽に立ち向かうのが、いわゆる「兄弟仁義」の義侠の兄弟ということになる。

  親方はこの義侠の道を自分の意志によって選び、貫いたのである。この日本相撲協会と貴乃花親方との騒動は以上のような見方も出来る気がする。加えて、モンゴル人横綱である白鵬の存在が加わり、考えさせられるところがうかがえる。それは日本の精神性に関わるところで、この問題の背景に位置付けられると言ってよかろう。

 親方は平成の大横綱であった。その横綱が、平成時代の終わろうとしている今、日本の行く末を暗示するがごとく起きたモンゴル人力士同士による傷害事件に巻き込まれ、この騒動の主役になってしまい、終には協会を去るに至った。その経緯は事件を内輪で穏便に片付けようとした協会と弟子が傷つけられた親の気持ちに基づく親方との対立に発展し、親方は傷害を受けた弟子を守る正当性を曲げず、協会に協力することなく、その意志を押し通した。このため協会は協会の内規に背いた行動を取ったとして、親方を降格させ、親方はその処分を受け入れた。

                                   

  この問題はこのとき決着したと思われていた。だが、親方は傷害事件の調査で協会が立ち上げた第三者委員会の調査内容に不服があるとして、法人を司る内閣府に告発状を提出し、その後、別の弟子の暴力事件があって、その責任を負う形で已むなく告発状の取り下げを行ない、協会の処分を受け入れ、その処分に従った。

  ところが、ここに来て、協会から告発状の内容が事実無根であることを認めなければ親方を続けることは出来ない旨の話が出され、これを飲むことを強要されたことに納得出来ないとして、記者会見を開き、引退を表明した。結果、部屋をたたみ、弟子たちを別の部屋に移籍させ、日本相撲協会を退職し、去るに至ったという次第である。

  任侠映画では、こうした切羽詰まった状況に及ぶと、冒頭の歌詞の歌とともに主人公が現れ、理不尽先へ殴り込みをかけるのがそのラストシーンとしてある。親方は主人公の命を張った殴り込みに対し、自らの名誉(魂)をかけて、理不尽を強いる協会に立ち向かい、記者会見を開いて、曲げられない一分をもって世間に訴えかけたのである。

  ここに至って思うのであるが、何故、そこまで貴乃花親方を追い詰めなくてはならなかったのか。ここには少なからず、白鵬の存在があると感じる。それはこの件の発端にモンゴル人力士会の内輪による暴行傷害事件があったからである。この傷害事件は喧嘩でなく、昨今言われるところのパワハラのいじめによる典型的な事件だった。にもかかわらず、協会は白鵬を筆頭とするモンゴル人横綱三人がこの事件現場にあってパワハラに関わっていたことの顛末において白鵬に寛大だった。これが許せなかった親方は、穏便に片づけたいという意向の協会に協力せず、当然のごとく対立した。

  そして、今に至るわけであるが、事件後に白鵬が取った種々の言動をして言えば、モンゴル人であるという意識を前面に強く押し出し、モンゴルをアピールした。モンゴルではあの程度のこと(傷害の内容)で騒ぎ立てるようなことはないという意思を示したかにも見えた。この白鵬の強気のバックには常勝人気による支配的存在とモンゴルと日本の友好の懸け橋の一端を自らが担っているという意識が働いてあった。そして、それを内外に示す狙いがあったと推察出来る。これは本人の奢りの何ものでもなく、その振る舞いは実に姑息に見えた。

  だが、そのような白鵬の態度に対し、協会は何も言えず、暴行を働いた日馬富士に厳しい沙汰を下し、引退させるようにもって行った。言わば、この騒動はモンゴル人力士にかき回され、結局、貴乃花親方を協会から追い出すという顛末に至った。この結果を大相撲フアンはよしとして喜んでいるのだろうか。私には、日本相撲協会という団体がまことに淋しい団体に思えてならない。

  そして、なお思うに、これは少子高齢化によって必然的に外国人を迎え入れなくてはならない日本のこれからの対処に悪しき例を残したということまで考えさせられる。この先、この淋しい団体は大相撲の精神をどのように掲げ維持して行くのだろうか。

  貴乃花親方がいなくなって、一番喜んでいるのは白鵬あたりじゃあないかという御仁もいるが、白鵬には国籍の問題があり、一長一短にはいかない。仮に白鵬が理事長の座に就くようなことになれば、どのようになるかは想像に難くない気がする。その意味においても貴乃花親方が去った日本相撲協会の将来は暗澹として見え、何か日本国を象徴する騒動だったと思えて来る。

  冒頭の短歌は、この騒動の渦中の理非曲直にあって日本相撲協会を去った貴乃花親方に捧げる意味において作った歌である。結句七七が不十分な短歌は短歌たり得ない。これは人生にあてはめても言える。人生半ばの親方には結句七七に思いを馳せ、十分と言える生き方を心がけ、今後に臨んでほしいと思う次第である。 写真はカットで、大相撲の土俵。

 


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