大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年03月24日 | 創作

<933> 短歌の歴史的考察  (10)      ~ <931>よりの続き ~

       歌は悲の器か 成就せぬ恋を詠むほどにある 昔も今も

 それでは、次に鎌倉時代以降の短歌の展開を見てみよう。その前に、この時代までに登場した歌人の顔ぶれをあげておきたい。まず、『万葉集』に登場する奈良時代以前の歌人たちは、例えば、額田王、大伯皇女、柿本人麻呂、高市黒人、志貴皇子、山部赤人、山上憶良、大伴坂上郎女、高橋虫麻呂、大伴旅人、大伴家持等々。

  次に平安時代の歌人たちは、例えば、在原業平、小野小町、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑、伊勢、和泉式部、紫式部、相模、周防内侍等々。また、新古今の平安時代末から鎌倉時代ころの歌人たちは、例えば、藤原実定、西行、後鳥羽院、藤原定家、藤原家隆、式子内親王、宮内卿、藤原俊成女、藤原良経、源実朝といった面々。

  これらの歌人を見通してみると、まことに壮観であるが、その作歌姿整や歌の内容にはそれぞれがそれぞれの時代の特質を負っていることが言える。前にも触れたが、その歌を比較してみると、直情にして直截的に詠んでいる歌の傾向が見られる万葉時代が最初にあって、次に雪月花を美の対象とし、雅に至って詠んでいる観念歌の傾向が著しくなる古今時代が来て、ものの哀れに気持ちを寄せて作歌に当たった新古今時代に至ったのがわかる。そして、歌人たちがそのそれぞれの時代に沿ってあったことが言える。これは歌が「世につれ」で、次なる時代が来るわけである。で、次はその新古今以後から戦国時代に入る前までの考察となる。

             

 後鳥羽院の隠岐配流以後、都に残った定家を中心に次の第十代の『新勅撰和歌集』が編まれ、短歌は定家の家筋を中心にした歌道の狭い領域に封じ込められ、様式化してゆくことになり、哀れを詠んだ新古今の時代は終わりを告げた。だが、勅撰集はこれ以後も室町時代の永享十一年(一四三九年)に出される後花園天皇の第二十一代集の『新続古今和歌集』まで続けられたのである。これはどうしてか。新機軸になるものの登場がなかったけれども続けられた。これは短歌が貴族の権威に寄り添っていたことを物語るもので、古今時代から見ても五百年に及ぶ歴史の上にあったからであろう。よいか悪いか、この短歌の歴史を打ち破るほどの政権が室町時代までは現れなかったということが言える。

 では、その政権を見てみよう。貴族による律令体制が崩壊した鎌倉時代以降、頼朝の時代はあっという間に終わり、北条氏の時代が百年余り続く。だが、その勢力にも翳りが見え始めると、天皇を中心とした政治の復活が後醍醐天皇等によって画策され、朝廷が南北に分れて存在するという南北朝時代へと移って、これが五十年余の間続き、足利尊氏の台頭があって、室町時代へと時代は進んで行くことになる。そして、この室町時代をもって勅撰和歌集は二十一代にして終わりを告げることになるのである。

 この新古今の鎌倉時代から新続古今の室町時代前期の間は、概ね武士が国政を仕切ったが、天皇を中心とする公家、貴族はなお隠然たる影響をもって存在し、武家政治は安定しない様相にあった。これは律令体制下の政治がなお尾を引いていたことを意味するもので、武力のみでは政治が行なえないことを示すものとして武士の間では認識されていたと思われる。で、最後の勅撰集が出された室町時代までは権力の武家と権威の貴族の駆け引きが拮抗していたと見るべきで、勅撰集がこの時代まで続けられたことはその証と言ってよいように思われる。

 つまり、政権を奪った武士は、奪ったものの権威的な政治の世界には疎く、貴族のやり方を見習わざるを得ず、ために、平家の時代と同じように、以後も武士の貴族化がなされるということが続いた、と考える。ゆえに、武力では武士が優位に立ったけれども、政治の世界では貴族が幅を利かせるという状況がなお尾を引いてあった。そのよい例といってよいのが、鎌倉の三代将軍源実朝の動向である。誠実で温厚な気弱な性格の持ち主で知られる実朝は定家に歌を習うとともに後鳥羽天皇に忠誠を誓う。で、「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」というような歌を作るなどした。このことは、当時の貴族と武士の関係性をよく物語る例と言える。

 そして、室町時代へと時代は進むが、貴族化して行った足利氏の支配力が衰え、いよいよ群雄割拠が起こり、下剋上の戦国時代へと入って行くことになるわけである。ここに登場して来たのが織田信長という個性であった。この世を夢まぼろしと断じた信長の怖いもの知らずの行動は叡山焼き討ちを敢行するなど旧套、旧弊を徹底的に打ち壊し、貴族の権威をも打破し、武家の真の時代を切り拓いて行ったのである。当時においてこの信長の登場は実に大きかったと言ってよい。結果、貴族の権威の象徴のような存在であった和歌(短歌)の勅撰集は二十一代にして終わりを告げるに至った。言わば、この勅撰集の終焉は信長によってなされたと言ってもよいように思われる。そして、短歌は、武士による封建制度下へと世の中が移り行く中で、長い冬の時代に入ることになるのである。写真はイメージで、雨。