大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年03月22日 | 創作

<931> 短歌の歴史的考察  (9)      ~ <930>よりの続き ~

        満月に添ふべくうたふ歌あれば 半月に添ふ歌もまたあり

  では、今度は、相聞の歌で比較してみることにする。ホトトギスと同じく、万葉、古今、新古今から恋歌一首ずつをあげてみる。恋は男女の仲。恋にあってはいつの時代も同じような心情に置かれるように思われるが、その表現は時代によって微妙に異なるところがうかがえる。以下の恋歌は三首とも、成就出来ないでいる恋の歌という共通点を持つが、恋とは成就出来ないゆえに言われることかも知れないとも思える。とにかく、以下の恋歌を比較してみることにする。

     秋の田の穂の上(へ)に霧(き)らふ朝霞何処辺(いづへ)の方にわが恋ひ止まむ    『万葉集』巻 二 ( 8 8 )  磐 姫 皇 后

   月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我身ひとつはもとの身にして    『古今和歌集』  巻十五  (恋歌五・747)   在原業平

   年も経ぬ 祈る契りは初瀬山 尾の上(へ)の鐘のよその夕暮       『新古今和歌集』 巻十二(恋歌二・1142) 藤原定家

  磐姫は仁徳天皇の皇后で、皇后は天皇が八田皇女(やたのひめみこ)に心を惹かれ、留守の間に逢い引きしていたことに怒り、山城の国に去って、行幸があっても天皇には会わなかったと伝えられる嫉妬心の強い女性として見られ、『万葉集』巻二に天皇を思う歌が四首見える。この歌はその中の一首で、「秋の田の穂の上に棚引く朝霞のようにあなたを恋しく思う私の気持ちはどこに行き着くのかわかりません」という意で、慕わしい心のうちを朝霞に比して詠んだもので、天皇への恋しくも辛い気持ちを直截に吐露しているところがうかがえる。

  ほかの三首も天皇への思いを詠んだ歌で、四首のニュアンスの違いから代詠であるとする説もあるが、どちらにしても、情を直截に表現するという万葉歌の特徴が示めされていると言える。なお、磐姫皇后の一連の歌は『万葉集』中、年代的に最も古い歌で、五世紀前半のころとされる。万葉時代の歌ではないから伝承歌ということになるのだろう。

                                                

  次に『古今和歌集』の業平の歌であるが、業平は平城天皇の第一皇子阿保親王と伊都内親王の皇子で、在原姓を賜って臣籍に下った。『伊勢物語』の作者とも見られている貴公子で、六歌仙の一人として知られる王朝前期を代表する歌人である。短歌に秀でた才能を発揮したが、中でもこの恋の歌はよく知られている。

  詞書によれば、この歌は心を寄せていた二条の后高子が皇太子の御息所に去ってしまった淋しさにあって詠んだと言われる。その意は「あなたがいないので、昔と同じようにこうして春の月を見ているのに、今の私には月がそのころの月ではなく、春も昔の春ではない心持ちになっています」というほどで、歌は流麗な和風の文体にして王朝の趣を有し、詞書によってそれは直截的な歌であると受け取るべきかも知れないが、詞書なしに読めば理知を利かした観念歌の趣が見られ、ギヨーム・アポリネールの「ミラボー橋」を想起させるところがある。

  最後に『新古今和歌集』の定家の歌であるが、定家は中世に活躍した歌人で、『新古今和歌集』の選者の一人として知られ、『小倉百人一首』を生んだことでも有名である。この歌は、六百番歌合の自作百首の一首で、定家三十二歳のときの「祈恋」の題で詠まれた歌である。その意は「年も経てしまった。初瀬の観音に恋の成就を祈ったけれど、その祈りもかなわず、私の恋は果てた。この身になおも響く鐘は誰が鳴らすのか、逢瀬の夕暮だが、それは私のためではなく、他所の誰かの祈りに鳴らされる鐘なのだ」というほどに解釈出来る。

  あきらめ切れない、しかし、あきらめるほかない恋ゆえの辛い祈り。無惨なその私は男か女か。観音さまの居ます長谷寺の初瀬であるからは女性と思わねばならないが、この鐘は詞書が示すように心の奥に鳴らされる祈願を象徴する鐘である。この祈る思いは、まさに、衰退して行く貴族の精神性に通う。新古今の定家、寂蓮、西行の三夕の歌などとともに哀れみに重きが置かれた歌と取れる。思うにこの恋歌にしても式子内親王のホトトギスの歌にしても時代を負って歌はあるということが言える。

  これら六首の歌は恣意的に選んで比較したもであるけれども、万葉、古今、新古今の歌においては概ねこの比較に見えるそれぞれの特徴がそれぞれの時代を反映していると見て差し支えなかろうと思われる。殊にそれぞれの時代背景などを考えると、時の推移と短歌の推移が微妙に合わさっていることが言える。短歌が個別、個人的なおのがじしの抒情歌としての特質の中で、『新古今和歌集』の定家の歌はその特質にそぐわず逸脱しているように見えるかも知れないが、それはそうではなく、短歌が有するその特質を生かして歌を象徴主義的域にまで昇華させているものと見るべきと私は思う。

  短歌が単なる雅な遊びでないところに行き着いた点は、やはり、時代の事情がそうさせたとも言えるだろう。時代はなおそこから進み、次の時代へと移って行く。流竄の断崖に立って成し遂げた後鳥羽院の魂が込められた詞華集である『新古今和歌集』がそこにはあるようにも思われる。  写真はイメージで、満月と半月。