<922> 短歌の歴史的考察 (2) ~ <918>よりの続き ~
恋歌も挽歌もありて短歌あり 短歌は心の綾に生まるる
その後、平安時代になると仮名文字が工夫され、短歌をはじめとし、仮名文字による我が国独自の文字表現がなされるようになり、文字文化である国文学の世界が花開き、『源氏物語』や『枕草子』といった作品の登場するところとなった。短歌の世界もその平仮名に沿う展開が見られ、万葉仮名によって書かれた記紀万葉等も仮名の訓みを添える「古点」といわれる作業がなされ、読みやすいようにすることが進められて行った。
『万葉集』については、平安時代前期に行なわれた歌人で漢学者の源順や清原元輔ら梨壷の五人によってこの訓を添える古点の訓読が進められ、その後も国学者や国文学者等による語意や語釈の研究が重ねられ、今日に至っている。漢字ばかりの表記による『万葉集』の歌は難読が強いられたと言われながらも、現在のような形で伝えられている。だが、その難解さは、未だに解釈の難しい歌があり、研究は尽きず、今も続けられているという次第である。
漢字を用いて仮名の役目に当てた万葉仮名の知恵と仮名の工夫による万葉仮名の仮名への変換は、その当時がいかなる時代にあったかを物語るものであるが、書き記して表現するということに当時の欲求、つまり、時代の要請が如何に強く、そして、その要請に応えるべく如何に情熱を傾けた人たちがいたかということを示すもので、ここに漢字を仮名に当てた万葉仮名とそこからなお進んで仮名を交えた我が国独自の文字表現が考案されたのであった。これは、当時において実に画期的なことであった。
言わば、この時代は、中国の文明を導入しつつも、我が国独自の文化を構築していったことにある。そして、そうした中で、短歌は「和歌」と称せられるように、確固たる存在として我が国独自の文字文化の中で大きい位置を占め、用いられ、延喜五年(九〇五年)に出された勅撰集の『古今和歌集』の登場を見ることになった。そして、短歌は主に貴族社会の中に展開され、平安時代前期から室町時代の永享十一年(一四三九年)に出された『新続古今和歌集』の間、順次登場する勅撰二十一代集へと引き継がれ、伝統詩形として確立し、定着してゆくことになるのである。 写真はイメージで、「流れ」。