子どもたちに資料を作る際、何かをコピーするのにも、私はかなり細かく神経を使っています。美しく仕上がっているかは、たかがコピー一枚と言え、私にとっては大切なことなのです。
なぜなら、一枚のコピーも、それを読む人の無意識に必ず何かを働きかけているからです。そう思うと与太はできなくなります。黒い箇所がないか、黒い線が残っていないか、丁寧に、スピーディーに確認しながら、原紙を作る作業を進めていきます。
絵の余白に汚れがあれば、作品としての価値を損なわれるのと同じように、コピーした資料の汚れもまた心理的なマイナスの影響を生み出します。
レストランに行けば、グラスの汚れも、カトラリーの曇りも気になるものです。プロ意識の高い店であれば、それらは当然、ピカピカに磨いてあります。
教員にとっての資料のコピーもそれと同じです。汚いコピーは、教育者としてのプロ意識が欠けている証明だと私は思っています。
レストランではグラスが曇っているぐらいは、まぁ仕方ないかと心の底に飲み込んでしまうことも多いものですが、食事中、いつも心のノイズとして影響を与え続けていると私は思います。
それはサービスを提供する者のプロ意識の低さだと思います。
レストランで、プロが美しいグラスを提供するように、私は教育のプロとして、教育の場において使う資料を、美しく提供したいのです。
また、私がいつも自問自答しているのは、「このコピーを、尊敬する経営者の○○さんに、私は手渡すだろうか。」ということです。その答えがNOなら、それは子どもに対しても、してはいけないことなのです。
「子どもだから、これぐらい良いだろう」という、子どもに敬意を払わない、馬鹿にしたような姿勢では、ろくな教育ができるはずがありません。
そもそも相手によって態度を変えるような人間であることが、教育者として美しくありませんし、本来のお客様は私にとっては子どもたちなのです。世間的な肩書きで態度を変えるようなら、それは本末転倒としか言い様がありません。
コピーのことは、今まで誰にも言わずに黙々と一人でやってきたことですが、後継者育成を考えれば、こうしたことこそ伝えていくべきことなのかもしれません。
それは、多くの教育者たちはやらないと思いますし、時間の無駄だとしか思われないと思います。また、嘲笑されるようなことでしかないとも思います。
しかし、私は私のやり方を貫きます。
松下幸之助さんの秘書を長く務められた江口克彦さんは、次のようなことをお書きになっています。私のような大したことのない人間が、共感しましたというのもおこがましいのですが、紹介させていただきます。
松下幸之助は座布団の置き方にもこだわった | 松下幸之助はなぜ成功したのか | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
座布団の並べ方にもこだわる
きれいに並べてあると思った。私にとっては最初にお迎えすることになるお客さまであったから、緊張もし、精いっぱい気をつかってもいた。これで準備が整ったと思い、ホッとした途端に松下が、
「きみ、座布団の並べ方がゆがんどる」と言う。
えっ、と思いながら改めて見直してみたが、私が見るかぎり整然と並べられている。どこが曲がっているのかわからないままに松下を見ると、ちょうど私たちが小学生のころ教室で机を並べたとき、いちばん前の机に合わせて何番目が出ているとか言いあいながら並べたように、真剣に座布団を見つめていた。たかが座布団、そこまでしなくともいいのではないかと思いつつ、言われるままに並べ直していると、
「その座布団は裏返しになっている。それに前と後ろが反対や」
私は座布団の表裏とか、前後ろという知識は持ち合わせていなかった。どちらが表で、どちらが前なのか。一瞬ひるんでいる私に、松下は足もとの座布団を一枚取り上げ、
「ええか、きみ。ここは縫い目がないやろ。これが前や。それから後ろ側の縫い目を見ると、一方が上にかぶさっている。こちらが表というわけや」
そのときに、座布団の前に置かれた灰皿を畳の目数にあわせてまっすぐ並べるようにという指示も受けた。このような「小さな注意」を、私はそれから幾たびも経験することになった。