Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

知情意の教育

2022年01月20日 | Weblog

「本来人格は知情意の渾然たる統一である。人間の価値は知情意の円満な発達になければならぬ。然るに変則な文明は一般に人格を一方面に編局させて了った。」(『日本精神の研究』)

「知」に偏った教育が、人格を育てなくしてしまったと感じます。しかも、本来の「知」とは、知ること、頭を使って考える事、判断することなどが含まれているのに、「知識の習得」に偏っています。

また、「情」について言えば、潤いある情操、人と相和し、和やかに過ごす人間の情や、自然を愛でる豊かな情緒は失われ、大人も子どもも索漠とした心を抱えたままで、人生の時間を埋めているかのようです。

「意」は意志の力ですが、自分の人生をどのように生きていきたいかという志もないから、人生を切り開いて進んでいこうという意志も意欲も薄弱な若者たちが多くなっています。受験に合格するというだけの意志では、社会を支えていく大きな力になり得ないのは当然のことです。それは利己的意志でしかないからです。

知情意を発達させる教育が失われている以上、私はそれを回復させるための教育を実践していくだけです。

それは組織だった分業体制の教育ではできないことです。自分の人生の全てをかけた全人教育を成し遂げていくしかないのです。自己変革を土台とした教育改革でなければできないことなのです。

 

 

 

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よき親でありたいと願う人々のために

2022年01月19日 | Weblog

下村湖人の言葉は、親として、何度も読み返すべき言葉だなぁと改めて感じています。例えば、次のような言葉です。

「よき親でありたいと願う人々のために、私の用意している助言がただ一つある。それは、子供をその善悪に拘わらず常にいたわってやるということである。むろんそれは単なる技術であってはならない。
それは、人間共通の弱点について十分な知識を持ち、自分自身そうした弱点の持ち主であることを深く自覚するところから、自然に発散される感情の香気でなければならない。愛撫や、賞賛や、叱責や、教訓や、その他親としての一切の努めは、そうした感情の香気に包まれてのみ真に生かされるであろう。
この助言は、だから、つぎのようにいいかえることもできる。人間性に無知な親は親ではない。人間として傲慢な親は親ではない。自己をいつわる親は親ではない。親もまた子供と共に人生不断の修行者でなければならないのだと。」(『心窓去来』)

そして、次の言葉も心に響きます。

「子供は大人のまねをする。このことを大人が忘れさえしなければ、子供の教育はさほど困難なことではない。しかるに、世の大人たちは、ご苦労にも、子供たちに自分のまねをさせまいとして、いつも苦労し、それを教育だと思いちがいしているかのようである。」(『心窓去来 補遺』)

「子どもというものは、親に本当に信用されているという自信があると、めったにうそを言ったり、かくれて悪事を働いたりはしないものである。また、自分が興味をもっていることに、親も興味をもっているということがわかると、行動が活き活きとして来るし、年齢相当に能力が認められ、それにふさわしい責任が与えられると、大抵の困難に打ち克ってそれを果たすことができるものなのである。このことは、世の親たちに次のことを教える。それは、子どもをいかに教育するかを考える前に、子どもをいかに遇するかを考えなければならないということである。」(『心窓去来』)


色々なところでこれらの言葉を紹介していたつもりでしたが、どうやらこのブログでは、他の言葉を紹介していたようです。

下村湖人は、改めて学び直したい人物の一人です。

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久しぶりに

2022年01月19日 | Weblog

久しぶりに、出会って良かった!という本と出会いました。『日本精神の研究』という安岡正篤先生のご著書です。

文体から伝わる精神の高さを感じます。こんな感じ方にはなかなかならないものです。今まで、私が学んで来たことは、ここにたどり着くためのものだったようにも感じます。

一読して、ただならぬものを感じる文章であり、また、何度も繰り返し読まなければ、深く理解できない文章でもあります。

そして、何より現代の世相を鋭く見定めている文章でもあります。

私ももっともっと学ぼうと思います。

 

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親の人生哲学と死生観

2022年01月18日 | Weblog

子どもは子どもらしく伸びやかに育って欲しいと思います。

勉強は、志が立てば、何歳からだって始めることができます。

しかし、元気・活力・朗らかさ、勤勉、素直、誠実、思いやり、美に感動する心などは、子どもの頃に大部分は決まってしまいます。

受験勉強漬けの日々や、上辺だけの道徳教育で、そうした心が育っていないことを悲しく思いますし、これは、いずれ大きな社会問題になっていくように感じています。

親はもっと本質的なことを考えた方が良いと思います。

例えば、今日、自分が死ぬとしたら、子どもに遺言として、何を語るかということです。

人生最後の子どもへの一言は、「絶対に、偏差値を上げなさいよ。」ですか?「必ず良い大学に入りなさいよ!」ですか?

私なら、

「立派な人間になって欲しい」と言い残したい思いますし、「世の中のために力を尽くす人になって欲しい」や、「優しく思いやりのある人になって欲しい」と言いたいと思います。

親の人生哲学の薄さ、死生観の無さは、子どもの教育にも影響するものなのかもしれません。

 

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男の子を育てる難しさ

2022年01月18日 | Weblog

子育て全般の難しさが、親の悩みとなっていますが、特に、「男の子」を育てる悩みは大きいものがあります。

私が勉強になると思う本は、『男の子がわからないママのための31のアドバイス』(松永暢史著/扶桑社)です。

とても読みやすい、楽しい本です。

是非、ご一読下さい。

 

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子育ての難しさ

2022年01月18日 | Weblog

子どもの教育に悩む親御さんは多いものです。それは、ごく自然なことでもあります。良くあって欲しいと願えば願うほど、悩みは深くなります。

しかし、かつては無学文盲な親の元でも、立派に子どもは育っていたものです。また、一時的に、道を踏み外したとしても、復元力があったと思います。

子どもを愛すれば良い。ただそれだけなのですが、愛すると言うこと一つ、それはどういうことかを考えると、実に奥深いものでもあります。

やれ、学歴だ、年収だ、世間体だ、見栄だ、なんだかんだで、すっかり子どもの心が歪んでしまうように育てている親が多くなっていることを感じます。悲しむべき事です。

人格形成においては、「つの付く歳まで」が大切ですから、なかなか取り返しが付かなくなることも多々あります。(本気で子どもに向き合えば、いずれは取り返せると私は考えていますが。)

もっとおおらかな気持ちで向き合うことが大切なのですが、自分という人間の未熟さに気づかない親にとっては、なかなか上手くいかないものです。なぜなら、自分の言動に問題があることに気がつかなければ改善は覚束ないからです。そうした方は、他人のアドバイスに素直に耳を傾けることもできませんから、事態の改善は困難です。

社会人として立派にやっていることと、親として立派にやっていることとは違います。だから、社会的地位のある人であればあるほど、自分と同じように育てたいと思い、子育てを間違う人も多いものです。

また、子どもの問題は、親の問題であり、夫婦関係の問題であったり、家族関係の問題であったりもします。自分の未熟さを自覚し、自分自身を変えることが、子どもを成長させることだと本気で思わない限り、そう簡単に改善できるものではありません。

私と縁あって出会った方で、お困りのことがあれば、いつでもお気軽にご相談下さい。

私に解決できるかどうかはわかりませんが、いつでも共に苦しみを背負う気持ちはあります。何か改善の糸口が見つかるように力を尽くします。

とにかく子どもたちのためには力を尽くします。

 

 

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17期目のスタート

2022年01月17日 | Weblog

今日は弊社Vision&Education,Ltd.の創立記念日です。

今日から17期目がスタートします。本当に多くの方々に支えていただき今日を迎えることができました。心からの感謝を申し上げます。

また、今年、バッカーズ九州寺子屋は15年目を迎えます。新型コロナのために1年間休止したので、今年は14期生の募集となりますが・・・。

今年は寅年。私もついに還暦を迎えます。

1日で千里行って千里かえってくる虎のように、フルパワーで教育に取り組みます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

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抗う(あらがう)

2022年01月16日 | Weblog

色々な言葉との出会いが、私の心を鍛えてくれました。学校の先生を辞めてなお、一人の市井の教育者として生きている私の、大きな支えとなっている言葉があります。

それは新渡戸稲造の次の言葉です。

「日本の教育を進めるには、必ずしも大臣になり、あるいは文部の役人となる必要はない。また県の教育課長、視学官になる必要もない。真に教育を理想とするなら、学校の教師になる必要もないくらいである。(中略)。むかしの立派なる教育家貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山等は、みな塾を開いたことはあるが、今日のごとく何百人の生徒を集めて演説講義したものでない。藤樹のごときは村を散歩することが教育であった。人そのものが教育である。人が真に教育家なら笑っていても教育になる。寝ているのも教育になる。一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない。われわれの目的および理想が教育であるなら、全身その理想に充ち満ち、することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。」 新渡戸稲造『自警録』より

その域には一生かかっても達することはできないだろうなぁとは思いつつも、そうした所まで迫りたいという真剣な思いを持って、今日まで一歩一歩、歩み続けてきました。

子どもたちとの教育の場においても、企業研修の場においても、親御さんとの学びの場においても、とにかく自分をさらけ出し、フルパワーでぶつかっていくだけです。

日々、痛感しているのは、自分の学んだ深さでしか、他人様には伝えることができないという、自明過ぎることだけです。

「人そのものが教育である」という、シンプルな新渡戸稲造の言葉は、実に深く重い言葉です。

学校の受験でしか通用しない知識を教えることが「教育」の名で呼ばれ、薄っぺらな道徳とやらが「教育」の名で呼ばれる時代には、この新渡戸稲造の言葉など、一顧だにされようはずがありません。

だからこそ、私は、時代に抗う愚かな私であり続けます。

 

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火山列島日本、島国日本

2022年01月16日 | Weblog

トンガの火山島の噴火で、15日(土)の20時から21時過ぎにかけて、日本全国で一時的な気圧変化が見られたというニュースが流れていました。

そして、今、津波警報が日本各地で出されています。

警報発出地域の皆様のご無事をお祈り致します。

それにしても、世界は繋がっていることを、また、改めて確認させられました。

火山列島日本、島国日本、という事実に、改めて向き合うことが大切だと感じています。

 

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嬉しかったこと

2022年01月15日 | Weblog

1日企業研修の締めくくりの受講生スピーチで、こんな言葉を聞くことができて嬉しかったです。

「学ぶことはこんなに楽しいんだと初めて思いました。そして、学ぶのに、早いとか遅いとかいうことはないのだと思いました。」

思いが届けられて良かったです。1日研修で、ものすごくハードなのですが、感想が「楽しかった!」というのは、私の理想でもあります。

しかし、同時に、まだまだ、そうした思いが生まれるように、上手く伝えられていないことが多々あるのだろうと、自分の力不足を思います。

最近の別の企業様では、「受講した夜、興奮して眠れなかった。」という声も聴きました。これも嬉しいことです。しかし、以前、私の研修を受けて下さった方には、その時には、そのレベルでは、語れていなかったことが多々あるのだろうと、反省することばかりです。

しかし、前を向いて、もっと自分を磨いていくしか道はありません。

教育を良くするということは、自分を良くすること以外にないのです。

パワーの続く限り、全力を尽くします。

 

 

 

 

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