Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

2020年09月04日 | Weblog
日経新聞の以下の記事を見て驚きました。

「新型コロナウイルスを巡る山形県看護協会の調査で、看護師や助産師ら看護職とその家族に対する差別的な言動や扱いが、県内全67病院のうち2割近くの12病院で確認されたことが2日までに分かった。ばい菌扱いされたり保育園から子どもの登園自粛を求められたりした例もあった。
協会は「医療従事者全体ではさらに多いのではないか。節度ある言動をお願いしたい」としている。」

なぜ驚いたかというと、私の中では、そんな感覚は皆無だったからです。看護師さんにせよ、それ以外の仕事の人にせよ、自分のできないことをやってくださっている人に対して、尊敬する気持ちはあっても、差別しようという発想は出てこないからです。また、その道のプロですから、当然、色々な対策と気遣いはなされているはずだと思いますし、信じています。

こうしたことを始め、今、世の中で起きている様々なトラブルは、「敬」の心が、深刻なレベルまで失われているからなのではないかと思いました。

「敬」の心がないから、年上の人に対しても、年下の人に対しても、同じぐらいの年齢の人に対しても、ぞんざいで無礼な態度を取ることが出来るのだろうと思います。

だから、メディアは、一国の総理であれ、誰であれ、色々な人を平気で叩くことが出来るし、コンビニのレジでは諍いが起こるし、路上ではあおり運転が起きてしまうのかもしれません。

「敬」などというと、古くさいとか、復古主義だとか、敬うことを強要するのか、といった、様々なイメージがつきまといます。

しかし、紀元前から大切にされてきたこの価値観には、もっと深い人類の叡智が宿っていると思います。

少なくとも私の中では大切にしたい価値観です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする