Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

世襲

2020年09月18日 | Weblog
政治家の世襲が問題だと言われることがよくあります。しかし、私は、本人の能力次第であって、そんなことは全く問題ではないと思っています。

確かに、父祖の築いてきたものにあぐらをかいて傲慢になり、財産や信頼を失っていく駄目な二世、三世もいるでしよう。

しかし、父祖の代からの人脈や信用を自分の財産と為し得たら、それは自分一代では決して成し遂げられない、大きな仕事をなし得ることになります。

「お前のおじいさんにはお世話になったから、ご恩返しのつもりで一肌脱ごう。」
「お前のお父さんにはお世話になったから、ご恩返しのつもりで一肌脱ごう。」
そう考えて、汗をかいてくださる人もいると思います。また、そうした義理人情を大切にすることは、悪いことではないと思います。

それも含めて自分の力となし得る人物であれば、周りの人を大切にし、国家のためにも力を発揮してくれると思います。

二世、三世だから駄目という根拠のない批判は、根拠のない差別と同じだと思います。






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派閥

2020年09月15日 | Weblog
「一に曰く、和を以て貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ。人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父に順はず、また隣里に違ふ。しかれども、上和ぎ下睦びて、事を論ふに諧ふときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらむ。」

(現代語訳)「和を最も大切なものとし、争わないようにしなければなりません。人は仲間を集め群れをつくりたがります。そして、人格者は少ないものです。このため、君主や父親にしたがわなかったり、また、近隣の人ともうまくいかないことがあるのです。しかしながら、上の者が和やかで下の者も仲睦まじく素直ならば、議論で対立することがあっても、おのずから道理にかないすべてのものごとは調和していきます。そんな世の中になると何事もうまくいくものです。」

聖徳太子の17条の憲法の第1には、以上のように書かれています。

この中に書かれているように、「人みな党(たむら)あり」。つまり、人間というものは、派閥を作りたがる生き物だと言うことです。

そして、「また達(さと)れる者少なし」。立派な人間などそうそういないのです。聖徳太子の時代からそうなのです。

総理が決まると「派閥が云々」とマスコミは言います。しかし、民主主義とは、多数派の意見でものごとを決めていくことにならざるを得ないものですから、多数派を形成する努力は当然必要です。(勿論、少数者に目を向けることも大切です。)

自分の選挙区では散々多数票を集めるために奔走しておきながら、自分と異なる考えが多数を占めていると、「多数派の横暴だ」とか「派閥政治が」とか騒ぎ始めるのが、どうも私には理解できません。自分がマイノリティであることを自覚し、マジョリティの意図をくみ取る努力が大切だと思います。

人には、これまでに共有してきた時間や体験や価値観があり(これを歴史と言ってもよいと思います)、いわゆる「話が通じ、話が早い」人たちとチームになろうとするのは、自然なことです。それは、つまり、人間の本性と言っても良いものです。だから、聖徳太子は、「たむら」(党や派閥など)を否定はされなかったのです。

大切なことは、派閥のための利害で動くのではなく、それぞれの派閥が力を合わせて1つの大義に向かうということだと思います。

令和になっても、未だに私たちは、聖徳太子の思いを形にすることが出来ないのです。



 
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利己主義の病

2020年09月14日 | Weblog
少子化の問題は、結局のところは、利己主義とどう折り合いをつけるかでしかないと思います。

家を代々受け継いでいくことも、お墓を代々守っていくことも、利己主義の立場から見ていけば、面倒なだけです。

子育てをすることも、年老いた親の面倒を見ることも、夫や妻と暮らし続けることも、面倒なことであり、それは、個人の自由と楽しみの邪魔でしかありません。お金と時間が勿体ないのです。自分が旅行に行くことや、美味しいものを食べることや、楽しむことが大切なのであって、それが失われるのは、利己主義者にとっては耐えがたい苦痛です。

そんな価値観であれば、結婚もしたくないし、子育てもしたくないという結論になるのは当然のことです。

自分以外の者のために、お金と時間を割くなんて馬鹿馬鹿しいことです。もっと自分のために人生を謳歌しなくては勿体ない。

しかし、その当然の帰結として、家が滅び、国家が滅びていくことになりますが、そこに何の痛痒を感じることもないのが利己主義なのであろうと思います。

利己主義者と個人主義者とでは、意味するところは違いますし、なかなか定義が難しいところです。しかし、日本の場合、利己主義を個人主義と言い換えたい心理が、問題を曖昧にし、解決への道を見えにくくしているのだろうと思います。

ここ数日だけでも、年寄りが若い女性を殺したり、若者に年寄りが殺されたり、あるいは、若者が自殺したり、残念なニュースが後を絶ちません。

それは、利己主義という病が蔓延し、人間の「分別」というものを狂わせているからのように思います。

この社会の空気感を作っているのは誰か。そして、それにどう対抗していくのか。実に難しい問題です。なぜなら、それは、自分自身の心の持ち方の問題だからです。

そうした大切なことが、他人事にしか思えないというのも、また、利己主義の病なのかもしれません。



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執筆

2020年09月14日 | Weblog
新しい本を書いています。既に初稿が出ていて、校正に入っています。11月の末日には出版の予定です。
今回は、バッカーズ寺子屋・塾長としての教育実践記録として、また、そこにある教育理念、教育への考え方を自分なりに整理してみました。
この寺子屋の教育が受け継がれていくことを願っていますし、私自身もこの本の出版を契機に、新しい教育の展開を生みだしていきたいと考えています。

更に、その次の本の構想もできています。それは、教育から少し離れて書きたいと思っている本です。こちらは相当な難事業になりそうですが、スピード感をもって成し遂げられたらと思っています。


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徳は本なり。財は末なり。

2020年09月08日 | Weblog
大切なことは、正しいことを行うことです。
勿論、正しさにも色々な見方はあります。

しかし、自分の損得を捨てて、大義を常に考えていることが大切だと思います。

自分の小さな利益だけ考えていれば、大きな利益は必ず逃げていきます。

しかし、大きく損をしているようでも、その選択が正しければ、いつかまた、その損は大きな利となって返ってくるのだと思います。

利ではなく、大きな得となり、徳となって返ってくるといった方が正しいのかもしれません。

『大学』にも「徳は本なり。財は末なり」とあります。やはり徳があり、利他の心で生きることが大切なのだと思います。


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社会変革の道筋

2020年09月08日 | Weblog
若い時分には、世間を知らず、物事の見方や判断を誤ることが多いものです。自分自身をふり返ってそう思います。

グローバル化が進み、IT化が進み、膨大な情報が錯綜している中で、自分の価値観を確立し、ものの見方を正しいものにして行くには、大きな労力と時間が必要だと思います。

だから、若くして、人前に立つことが多くなれば、当然、過ちを犯すリスクも高まります。

悪いことに、過ちに対して今の日本社会は、非常に非寛容です。

しかし、とにかく、自分の見識を高めていくしか道はありません。そして、寛容になることが大切だと思います。

そして、もう一つは、人格を磨くことです。それがなければ、信頼を得ることもありませんし、諍いの中に巻き込まれてしまうようになります。

見識を高め、人格を磨いていくことが、社会をより良いものに変えていく道筋なのだろうと思います。


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祈り

2020年09月07日 | Weblog
生きるのが下手な人たちが世の中には沢山いるのだと思います。

NOと言うべきポイント、YESと言うべきポイントが、ズレてしまうが故に、人間関係や仕事が上手く進まなくなってしまうのです。

そして、悩んだり、辛くなったりしてしまう。

それを理屈で説明しても改善は難しいと思います。第一、私自身も、上手くいっているかどうかは怪しいものです。良い悪いの問題でもないように思います。

人間は完璧な存在ではありません。だから、悩んでいる人、苦しんでいる人と共に、泣いて笑って生きていこうと思います。

そのためには、明るく強くならなければなりません。

私の役割には、強いリーダーを育てることも含まれていますから、なおさらのことです。

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台風情報

2020年09月07日 | Weblog
「予想される最大風速(最大瞬間風速)は、九州南部45メートル(65メートル)、九州北部地方25メートル(35メートル)です。

7日0時までの24時間に予想される雨量は、多い所で、九州北部地方300ミリ、四国地方、東海地方250ミリです。」

とか、いわれるけど、この数字を見て、いつもより大変だとか、どれくらい危険だとか、体感的に瞬時に分かる人ってどれくらいいるのでしょうか。

私はこうした数値は頭に入っていない人なので、過去との比較も出来なければ、体感的に理解することもあまりできません。きっと私が阿呆なのでしょう。

当たり前のように、ニュースで流されているからには、きっと多くの人にはわかっているのでしょう。

勉強しなきゃ。

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誰よりも

2020年09月05日 | Weblog
リーダーは組織の中の誰よりも、圧倒的に苦労しなければならないと思います。
会社であれば社長が、幼稚園・保育園であれば園長が、学校であれば校長がということになります。

トップの苦労は誤魔化しようがなく、従業員に伝わるものです。しかし、それは、「圧倒的」でなければ、伝わりにくいのが現実だと思います。

社員に文句を言うよりも先に、やるべきことが沢山あるのです。

今まで、伝わっていなかったのは、「圧倒的」でなかったからだと今は思います。

しかし、それでも分からない人はいるものです。それは共に天を戴くことのない人ですから、諦めるしかありません。しかし、それは最後の手段であると肝に銘じています。
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2020年09月04日 | Weblog
日経新聞の以下の記事を見て驚きました。

「新型コロナウイルスを巡る山形県看護協会の調査で、看護師や助産師ら看護職とその家族に対する差別的な言動や扱いが、県内全67病院のうち2割近くの12病院で確認されたことが2日までに分かった。ばい菌扱いされたり保育園から子どもの登園自粛を求められたりした例もあった。
協会は「医療従事者全体ではさらに多いのではないか。節度ある言動をお願いしたい」としている。」

なぜ驚いたかというと、私の中では、そんな感覚は皆無だったからです。看護師さんにせよ、それ以外の仕事の人にせよ、自分のできないことをやってくださっている人に対して、尊敬する気持ちはあっても、差別しようという発想は出てこないからです。また、その道のプロですから、当然、色々な対策と気遣いはなされているはずだと思いますし、信じています。

こうしたことを始め、今、世の中で起きている様々なトラブルは、「敬」の心が、深刻なレベルまで失われているからなのではないかと思いました。

「敬」の心がないから、年上の人に対しても、年下の人に対しても、同じぐらいの年齢の人に対しても、ぞんざいで無礼な態度を取ることが出来るのだろうと思います。

だから、メディアは、一国の総理であれ、誰であれ、色々な人を平気で叩くことが出来るし、コンビニのレジでは諍いが起こるし、路上ではあおり運転が起きてしまうのかもしれません。

「敬」などというと、古くさいとか、復古主義だとか、敬うことを強要するのか、といった、様々なイメージがつきまといます。

しかし、紀元前から大切にされてきたこの価値観には、もっと深い人類の叡智が宿っていると思います。

少なくとも私の中では大切にしたい価値観です。




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