菅内閣が縦割り行政の悪弊を廃し、行政のデジタル化をもっと進め、スピーディーに業務効率アップを進めようとしているのは、とても良いことだと思います。
しかし、この問題も、根源をたどれば、「省益」「既得権益」という問題に行き着くのだろうと思います。また、上から言われない限り、余計な仕事を増やさないという、利己的な発想が根本にあるのだと思います。
さらに言えば、「国家のために」ということが、大それたこと、右翼的なこと、戦争に繋がることといった、実に馬鹿馬鹿しい考え方に支配されてきたことが問題の根っこにあるのだと思います。
政治家たちの派閥の利益や、官僚の省益ということより、もっと大きな大義に生きると言うことは、当然、国益を考えると言うことにならざるを得ないはずです。それがないから、目先の利に走るのだと思います。
しかし、国益と言った瞬間に、マスコミの批判を喰らうから、みんなは、個人の利益を追求することを良しとしてきたのです。一人ひとりの幸福を大切にと言ってきたのです。
しかし、修身・斉家・治国・平天下という『大学』の教えは正しく、個々人が自分の欲に駆られて行動しているようでは、個人の集合体である家はきちんと治まらないし、家が治まらなければ、家の集合体たる国も治まりはしないし、個々の国がきちんと治まっていなければ、世界が平和になると言うこともあり得ないのです。
要するに、国家なきところに個人はなく、個人なきところに国家もないのです。個人は善で、国家は悪だというような考え方は、少なくとも民主主義の国においては、成り立たないものだと思います。
行政、政治の問題にも、教育の問題にも、戦後思想の問題が常に横たわっています。これももう清算すべき時だと私は思います。
しかし、この問題も、根源をたどれば、「省益」「既得権益」という問題に行き着くのだろうと思います。また、上から言われない限り、余計な仕事を増やさないという、利己的な発想が根本にあるのだと思います。
さらに言えば、「国家のために」ということが、大それたこと、右翼的なこと、戦争に繋がることといった、実に馬鹿馬鹿しい考え方に支配されてきたことが問題の根っこにあるのだと思います。
政治家たちの派閥の利益や、官僚の省益ということより、もっと大きな大義に生きると言うことは、当然、国益を考えると言うことにならざるを得ないはずです。それがないから、目先の利に走るのだと思います。
しかし、国益と言った瞬間に、マスコミの批判を喰らうから、みんなは、個人の利益を追求することを良しとしてきたのです。一人ひとりの幸福を大切にと言ってきたのです。
しかし、修身・斉家・治国・平天下という『大学』の教えは正しく、個々人が自分の欲に駆られて行動しているようでは、個人の集合体である家はきちんと治まらないし、家が治まらなければ、家の集合体たる国も治まりはしないし、個々の国がきちんと治まっていなければ、世界が平和になると言うこともあり得ないのです。
要するに、国家なきところに個人はなく、個人なきところに国家もないのです。個人は善で、国家は悪だというような考え方は、少なくとも民主主義の国においては、成り立たないものだと思います。
行政、政治の問題にも、教育の問題にも、戦後思想の問題が常に横たわっています。これももう清算すべき時だと私は思います。