Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

コンサルタントとして

2014年12月19日 | Weblog
コンサルタントとして大きな喜びを感じるのは、

経営者の方の姿勢が明らかに変化したり、
職員の方の表情が大きく変化したり、
組織が善循環に入ってきたのを感じるときです。

教育業界であれば、
職員の笑顔の先には、
子供たちと保護者の皆様の笑顔が必ずあります。

これほど有意義な仕事はありません。

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志の教育

2014年12月18日 | Weblog
「志」というものの大切さが、
本当に身に染みてわかるのは、
自分自身に確固たる「志」が
確立された時だと思います。

だから、
「志の教育」というのは、
いつの日にか、
「志」が芽生えていくことを
揺るぎなく信じていなければ、
できない教育です。

遠い未来を見据えていなければ
できないものなのです。

しかし、
それでもやり続けるべき大切なことだと
私は信じています。

それがたとえ、
砂漠に水をまくような営みであったとしても、

自分自身に揺るぎない「志」がある限り、
喜々として実践し続けられるものだと
私は思っています。
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六然

2014年12月17日 | Weblog
六然(りくぜん)

 1.自処超然(じしょちょうぜん)

   自分自身に関しては、いっこうに物に囚われないようにする。

 2.処人靄然(しょじんあいぜん)

   人に接して相手を楽しませ心地よくさせる。

 3.有事斬然(ゆうじざんぜん)

   何か事があるときはぐずぐずしないで活発にやる。

 4.無事澄然(ぶじちょうぜん)

   事なきときは水のように澄んだ気である。

 5.得意憺然(とくいたんぜん)

   得意なときは淡々とあっさりしておる。

 6.失意泰然(しついたいぜん)

   失意のときに泰然自若としておる。

中国古代の学者・崔銑(さいせん)の残した言葉。
安岡 正篤氏の座右の銘 


実に、奥深い境地だと思います。
しかし、人として、目指すべき境地だと思います。

そういう者に私はなりたい。
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結局は

2014年12月15日 | Weblog
私は先達の教えに導かれて
教育をしているに過ぎません。

私が少しだけ成長したとすれば、

それは、

以前は目にすることもなかった
先達の言葉に触れることができるようになり、

その言葉に共鳴することができるようになった
ということだと思います。

学べば学ぶほど、
先達の大きさが身に染みて感じられます。

自分の目指すところまでの道程の遠さを感じます。

しかし、一歩一歩、歩み続けるだけです。


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大きな会社

2014年12月12日 | Weblog
大きな会社は、
多くの人たちへ、
商品やサービスを提供することができ、

多くの雇用を創出し、
従業員の家族の生活の糧をも与えてくれるので、
それだけで素晴らしい価値を持つと言えます。

私も今は、
小さな会社で、
自分の教育力を磨き抜くだけですが、

いつの日にか、
多くの人たちと「志の教育」が共有される日を夢見ています。

私は本物の揺るぎない教育を生み出したいのです。

拡大を急がなければという思いもありますが、
それよりもまずは本物でありたい。

だからこそ、
一回一回の研修や講演での
真剣勝負を続けていきたいと思います。


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いじめ問題に思う②

2014年12月11日 | Weblog


「おそるべきは少数者の暴力である。

しかし、一層おそるべきは多数者の無気力である。

われわれは、前者が常に後者の温床において育つ

ということを忘れてはならない。」

                 『心窓去来』下村湖人

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政見放送

2014年12月11日 | Weblog

ある政党の政見放送を聴いていて、
まぁ、やったこともないことを、
実に理路整然と滔々と述べられるものだと
感心させられることがあります。

他者の批判をするにしても、
根拠が全くないのに、
確信的に言葉巧みに、
まぁよく言えるものだと思います。

実際にやった経験がないのに語る言葉は、
実に軽々しいものです。

しかし、哀しいことに、
聴く側も、経験知が低いと
割に騙されてしまうもののようです。

言葉の重みを感じ取れる若者を、
私は育てていきたいと思います。

それは、知識を詰め込むことではなく、
汗を流すことで身につくものだと私は思います。

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たかが

2014年12月11日 | Weblog

たかが、しっかりと心を込めて拍手すること、

たかが、椅子をいれること。

たかが、履き物を揃えること。

たかが、大きな声であいさつすること。

この「たかが」が、
いかに難しいことかを知る人は、
実に少ないものです。

反対に、やれてもいないのに、
やっているつもりになっている人は、
実に多いものです。

この「たかが」を「たかが」と思わない人たちと、
私は共に汗を流したいものだと思います。



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愚直に

2014年12月09日 | Weblog

社員研修にしても、
カンフル注射のようなものは、
短期的に効果が出たとしても、
いずれ必ず反動が出てくると思います。

やはり、長く続いている企業は、
単純なことを、誠実に、愚直に、粘り強くやり抜いています。
同時に、機を見て、集中的にチャンスを掴もうともします。

それは、日々の誠実な積み重ねがあって、
初めてできることです。

そこにたどり着く、
安易な道などないのです。

私の理想は、
私に教育されているようには感じられず、
ただ、楽しく充実したひとときを過ごした
という思いを持っていただけるような
学びの時間と空間を作ることです。

そして、知らぬ間に、
みんなが成長していたということが起きていれば、
それが何よりのことです。

愚直を重ねていない賢明さは、
やはりどこか危ういもののように感じます。
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育児放棄

2014年12月08日 | Weblog

育児放棄して、幼子を餓死に至らしめるケースや、
暴力によって、幼子の命を奪うようなケースが後を絶たない。

早い時期から子育てについて、
様々な知識を教えていけば良いのではと
思わなくもなかったが、
やはり、それは違うように思う。

なぜなら、これらのケースは、
本能の欠如によってもたらされたものだからだ。

『大学』には、
「未だ子を養うことを学んで、
しかる後嫁する者非ざるなり」と書かれている。

子どもの育て方を学んでから、
結婚する者はいまだかつていない。
という意味である。

犬でも猫でも猿でも、
子どもを産み、育てる本能は備わっている。

だから、子育てについて学ばなくても、
本能的「愛」があれば子育てできるのである。

人間にも、本然の性としての愛情は備わっているはずだ。
だが、それが壊れている。

人間は、本能だけで生きていないから、
親として学んでいくことも勿論大切である。

だが、
本能が欠落したために起こっている事象を、
知識の教育でカバーすることは不可能だろう。

私は別の道をさがす。




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