Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

一人歩く

2015年06月04日 | Weblog
私は多くの方々に支えられて教育をしています。

それでも一人歩くことを思うのは、
いつも一つの言葉が、
心の中にこだましているからでもあります。

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日本の教育を進めるには、
必ずしも大臣になり、
あるいは文部の役人となる必要はない。
また県の教育課長、視学官になる必要もない。
真に教育を理想とするなら、
学校の教師になる必要もないくらいである。(中略)

むかしの立派なる教育家貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山等は
みな塾を開いたことはあるが、
今日のごとく何百人の生徒を集めて演説講義したものでない。

藤樹のごときは村を散歩することが教育であった。
人そのものが教育である。

人が真に教育家なら笑っていても教育になる。
寝ているのも教育になる。
一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない。

われわれの目的および理想が教育であるなら、
全身その理想に充ち満ち、
することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。


        新渡戸稲造「自警録」

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そして、

萩往還を歩く研修も、
20年の時を経て、
ようやく多くの方に
その意味を理解して頂けるようになりましたが、

私の心の中には、
夏の暑い日に、
炎天下を一人歩き続けた自分の姿があります。

一人で歩いてみて、
この道を歩こうと思ったのです。

今、幸せなことに、
大勢の仲間と共に歩いています。

私の仕事も人生も同様に、
大勢の人たちに支えられて成り立っています。

しかし、一人である覚悟を
決して忘れてはならないように私は感じています。

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