バッカーズ寺子屋の学びは、自分の力でつかみ取っていくものであり、時間がかかるものでもあります。まだ、今回は第5講座ぐらいですが、変化は少しずつ生まれてくるものです。最近は、How toの「こうしたら、こうなる式の、教育と称するもの」が流行っています。しかし、人間というものは、そんなに単純な存在ではないと私は思います。私は、教育を単純なものと考えて、人間を機械の部品か何かのように扱うのは好みません。また、すぐにわかることを良しとする気もありません。簡単にわかることは、簡単に役に立たなくなるような代物でしかないからです。ただ、難解でも本質的なことを、わかりやすく伝えようとは思います。
レポートを書くのも大変だと思います。「聴いていないから書けない」ということを、まずは体感する必要がありますが、そのためには、書けないことを痛感するしかありません。そして、自分の力で這い上がってくるしかありません。
ここで親が手伝えば、子どもの成長の機会は失われていきます。しかし、それは仕方の無いことです。自らが選択されたことですから、私の知るところではありません。
成長のためには、何度かの失敗を経験し、辛い思いをするしかないのです。また、そんなことをくぐり抜けずに、要領よくやることに、それほど大きな教育的価値があるとも思いません。
バッカーズ寺子屋での学びの結果は、一年後には、少しだけはわかっていただけるだろうと思います。そして、更には、5年後、10年後、20年後に、もしかしたら、その価値をもっとわかっていただけるかもしれません。その途中においては、理解されないことの方が多いとも思っていますが、それは仕方の無いことです。
一人一人の成長は、子どもたち自身の努力の賜であるし、ご両親様の薫陶の賜なのであって、私の知ったこっちゃありません。私はいつもそう思っています。皆さんの成長を喜びつつ・・・。(木村貴志)
バッカーズ九州寺子屋 塾長ブログ より転載