つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

台湾旅行 5

2016-10-08 | 海外旅行

 最終日は念願の故宮博物院。20年前には南の分館がなかったので有名な玉の白菜は展示してあったのに、今回は南に行っているらしく、見られなかったです。長男も運悪くダメでした。フラッシュは禁止ながらも、撮影は自由でした。

 あの白菜は、虫が王様に喜ばれて有名になったそうです。虫は繁殖力があることから王族の繁栄を連想するので、王が格別に喜ばれたそうです。前回はそんな説明はなかったです。今回のガイドの郭さんは大変な物知りでいろいろ教わりました。有名な象牙のボールは、今回もまた見られました。これは複数あるそうで、前回とは違うもののはずと言われました。これは親子孫へと3代かかって彫るのだそうです。ボールの中に何個ものボールが彫り込まれています。それが全部回転するのです。気の遠くなるような作業です。

 中国人の観光客がやたらに多かったのは、もと自分たちの国にあった宝物が確かに保存されているか確認に来ているのだそうです。でもここの宝物は中国からのものだけでは、ありません、玉の入った豪華な屏風は日本の皇室から返還されたもの。そういうものが数多くあるのです。

 楊貴妃は、後姿のふくよかさが当時は喜ばれたそうです。多産が期待されるというので・・・見学時間は3時間。他のツアーより多めにとってあったようですが、とても足りません。急いで書画、銅鏡、鼻煙壺なども見て、帰国の途につきました。翌日巨大台風が襲来。旅がもう少し早くても遅くても、予定通り飛行機が飛んだかは分かりません。無事帰国出来たことを感謝しました。

 

故宮博物院

 

象牙のボール

日本から返還された屏風

楊貴妃

玉の彫り物

銅鏡も数知れず展示

拓本

夕焼けの中を帰国 

 

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台湾旅行 4

2016-10-07 | 海外旅行

 三日目は、著名な観光地の日月タン。タンは、日本語にない文字のため変換できないです。譚という文字のつくりと、さんずい偏です。月の光があれば美しい景色が撮れるらしいですが、昼間は何の変哲もない湖です。もともと台湾は日本と同様地震国。これを見下ろす巨大な寺院も近年の大地震で倒壊したのですが、寄進により再建。まだピカピカです。

 台湾はもともとは高砂族の国でしたが、後に清とオランダが治めていました。人口比率は、高砂族より中国系が多いです。100年前日本が統治して、八田ダムが出来たとき、「清国もオランダも作ってくれなかったダムを日本人が作ってくれた」といつまでも恩に思っているのです。それと、嘉義農林高校が甲子園大会に出て、優勝こそしなかったのですが、かなりよい成績を残しました。この高校だけ強かったのは、日本人監督が指導したからです。それまでは野球などはそれほど熱心でもなかったのです。甲子園に行けたら大型客船に乗れるという楽しみもありました。

 この時代は、台北に生まれたら、一生そこで暮らし、台南も知らず亡くなる人も多かったのです。船で日本に行けるとは夢また夢のことでした。どんなに必死で野球をしたのかよく分かります。中京商業には負けたのですが、最後まであきらめず、よい試合をしました。

 嘉義農林高校のある嘉義は、北回帰線が通過していて、その記念碑があり、それも日本統治下時代、日本人が建設。そのころは嘉義駅もありました。

 大抵は仏教徒らしいですが、蒋介石がクリスチャンだったので、それなりにキリスト教信者もあるようです。時たま耶蘇教教会とか、天主教教会という建物もありました。お墓の外観は沖縄に似ていて、丁寧にタイル張りになっています。

 

日月タン

衛兵交代式 忠烈詞

ポストは赤と緑が並びます 国外と国内らしく

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台湾旅行 3

2016-10-06 | 海外旅行

 二日目の夕方、次男一家に会いました。最初は八田ダムに連れていって貰うつもりでしたが、移動が多いため自由行動は許されないので、ホテルで会い、別のところでお茶を飲むことにしました。場所は宮原眼科。かっての眼科医院を改装し、レストランと菓子店になっています。古い資材を生かし、柱はエンタシスのまま。3階吹き抜けで階段も装飾的。とても医院と思えない素敵な建物です。日本統治時代はよほど大きな眼科であったと思われます。大病院の風格でした。

 次男の運転する車で目的地に行きましたが、左ハンドルはどうやら慣れているらしく、ラッシュも切り抜けました。前任国も左ハンドルだったので・・・

 長男一家もこの春台湾に旅し、その時は次男に八田ダムに連れて行ってもらったようです。今はツアーにあまり含まれていないようで残念です。八田技師のことは、台湾では小学校の教科書に出ているので誰でも知っているそうです。郷里の金沢でも慰霊祭があるらしいです。

 日本では戦前まで使われていた旧字体があちこちで見られます。店の看板で仕事がおおよそ見当がつきます。歯科医は、牙医です。でも医は旧字体。美容院は、造型美髪。消火器は滅火器で、入国は、入境で微妙に違います。全く分からなかったのが檳榔。聞くと、ヤシの一種で実を噛むとリラックスできるとか・・・安価な実です。山裾のあちこちに栽培されています。檳榔ヤシは、聞いたことはあるのですが、麻薬に近い役割とは知らなかったです。男性の軍隊入隊は、韓国のように義務づけられています。

 放送大学で中国語を学んでいた時期もあり、少し役に立ちました。でも、その後使うことがなくて大方忘れました。思い出した言葉はありましたけれど・・・ 

 公園に赤ドラセナがよく見られました。日本なら鉢植えで、冬は室内ですが、ここは 熱帯のため大丈夫。街路樹にはガジュマルがたまにあり、巨木も見られました。

テレビはNHKも見られたのですが、CNNも覗くと、Race for the white house. つまり米大統領選のニュースで、もちきりでした。

 

ホテルで孫と再会

宮原眼科のエンタシス

宮原眼科階段

宮原眼科のアイスクリーム

 

宮原眼科で売っていたお土産 (頂き物)

ガジュマルの巨木

 

 便君子かもしれない赤い花

 

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台湾紀行 2

2016-10-05 | 海外旅行

 旅行二日目は、台湾新幹線に乗り、南部の高雄へ。この地名は京都の高雄から命名。統治時代のことです。台湾新幹線は他のどの国よりも早く、日本のJRから導入。700T型で、色こそ変えてありますが、外装も内装も殆ど同じ。快適でした。20年前はこれがなくてバス。随分時間を要しましたが・・・

 新幹線アナウンスは4通りの言語。台湾語、客家語、(はっかご) 、北京語、英語です。ガイドの郭さんに広東語はなぜないの?と聞くと、ここでは殆ど話す人がないからとか・・・郭さんは漢民族で客家語。もともと台湾は高砂族。清王朝時代日本に併合。多くの中国人が渡来。オランダ人が統治した時代もありましたが、あまりよいことをしていないらしく、オランダ人が台湾人に頭を垂れて謝っている銅像があります。それ以前はオランダ人が土下座していたものでしたが、問題がありしばらく前に造り替えられました。きっとよくないことをしていたのです。

 それに比べ台湾で崇拝されている一人の日本人があります。灌漑に貢献した八田與一技師です。しかし、このことは日本人にあまり知られていません。彼は全人生を台湾に捧げ、ダムを作り、戦死。それをはかなみ、奥さまは八田ダムに投身自殺。八田技師の乗った飛行機が撃墜された命日の5/8には、毎年ダムのほとりで慰霊祭があります。ダムができるまで乾燥地での農作業は、重労働の水運びに始まりました。八田技師は、工事に100余人もの犠牲者を出しながら通水のためのトンネルを掘り、日本政府からの反対もあったのに何とか工事を持続。広大なダムを完成。これで農民はつらい水運びから解放されました。100年前のダムの恩があるので、東日本大震災でも即座に大金が集まりました。国が不景気でも、国民は恩を忘れず個人で寄付をしたのです。八田技師のことだけでなく、当時の日本人の善行を祖父母から聞いているので、日本人が大好きなのだそうです。空港で少し迷っていたら見知らぬ人が「日本人の方はこちらです」と、手をさしのべ丁重に案内してくれました。

 八田技師の他にもう一人偉人がおられます。台湾バナナを改良し、今のフィリピンバナナと明らかに違う美味しい味にしたのも日本人です。浜田さんという方だったと思います。品種改良はそのころから日本は進んでいたのです。

 

桃園駅

車内

切符

大抵毎日中華でした

ホテルの照明

蓮池タン

 

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台湾紀行 1

2016-10-04 | 海外旅行

 9/29から10/2まで、3泊4日で台湾に行ってきました。3月に予約。次男が赴任していることから、その間にということです。2年ほどで任地が変わります。20年ぶりの変化も見たかったこともありました。バイクと車の洪水で建物も近代化され、故宮博物院も増築されていました。20年前、「とても一度で見られないから10回くらいは来てください」と言われていたのに、なかなか来れないものです。60万点も文物があるため展示しきれないのです。南の分院もできました。

 有り難かったのは台風が2日前に通過していて、さらに近づいていた次の強烈な台風18号のスピードが遅かったこと。前の台風の爪痕があちこちにあり、太い木が折れていたり、凄まじかったようです。次男一家の住まいである高僧ビルの22階も、かなり揺れたそうです。日本人観光客のバスも横転する事故もありましたし・・・

 最初は蒋介石の銅像のある中正記念館。ずっと中国に帰りたかったそうで、中国に向けて建ててあります。これは代表的なの観光地のため、前回も見たところ。夕方には宮崎駿監督で知られるようになった仇分。20年前は行っていません。あのような僻地を訪ね、それをアニメに取り入れられたとは驚きました。人が多すぎて前に進めないのです。観光客の多くは中国人。でもこれからは政権が変わったため、どうなるか分かりません。

 人口は2500万人で日本の1/5ですが、広さは九州程度で日本の1/10。人口密度は高いです。奇跡のような国で、狭い国土に3000mを超える山が260余もあります。最高の山は富士山より高い玉山。日本統治下の時は、新高山。富士より高い山という意味が含まれています。植物は28万種。温帯、亜熱帯、熱帯、高い山もあるので、さらに高山植物も分布しています。貨幣の単位は、お札の表記と違い、元。お札には圓と書いてあり、マネーチェンジはニュー台湾ドル。どれが正しいのか不明です。1元は約3円。

 

 昨日は日本人にとり嬉しい日でした。3年連続でノーペル賞獲得。今年は、医学・生理学賞が東工大栄誉教授の大隅良典博士に授与されました。オートファジー(自食作用)を、分子レベルで解明されました。

中部国際空港

台北空港

蒋介石銅像

十分のバルーン飛ばし 観光用

仇分

 

ホテルロビー

紙幣

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奈良だより 131

2016-10-03 | 国内旅行

 昨日台湾から帰りましたが、留守中に前田さまから奈良だよりが届いていたので先にアップします。メール受信は旅行二日目の9/30でした。すぐスマホでお礼と今日掲載の旨は伝えてありまた。前田さま、いつもありがとうございます。以下は、メール。 

 「奈良県明日香村にある、国の特別史跡キトラ古墳は、1983年に石室南壁の盗掘口からの、ファイバースコープ撮影で、北壁に極彩色壁画の玄武が発見されて以来、探索が重ねられて北壁に玄武、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎の四神と、天井に本格的な天文図が描かれていることが判明しました。
 古墳は平成12年に特別史跡に指定されましたが、発掘後に石室内にカビの発生を見るなど、壁画の劣化が進んだことから、平成22年までにすべての壁画が取り外され、仮設修理施設で保存修理が実施されてきました。今回、国営飛鳥歴史公園内にキトラ古墳と隣接して設けられた、キトラ古墳壁画保存管理施設(四神の館)が完成し、初公開の天井(天文図)・南壁(朱雀)・西壁(白虎)が一般公開されました。見学申し込みの抽選に当たり、昨日見学してきました。実物は撮影禁止ですが 、復元品など展示施設内は撮影OKでした。」

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