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未唯への手紙

未唯への手紙

博士論文を書く どう書くか

2018年11月18日 | 5.その他
『博士号のとり方』より 博士論文を書く 何を書くか いつ書くか どう書くか

 本腰を入れる

  EMPは、科学専攻の学生の多くは論文を執筆する作業より、研究ノートに現在までの進捗状況を記入することを含む実験作業の方を好むことを明らかにした。論文の執筆は夜、週末、休日があてがわれるという。そのような学生は次のようなことを言う。

   時間がかかったとしても、実験を繰り返すような無心になってできるものであれば、作業としては好きだ。でも、その作業がイントロダクションや結論を書くように難しいものであれば、好きではない。

   決められた時間を実験室でブラブラと過ごす方がいい。その方が精神的に楽だ。

  書くことは「本当の仕事」ではなく、常に二番目にしか考えられないため、なかなか求められる時期に開始されない。ある学生は言う。「わずかな時間の隙間があるときに少しずつ書くんだ。でもいつもうまくいかずに書いたものを破棄してしまう」。

  「後回し」と「一貫性のなさ」は忙しい現代においてよくあることで、指導教員が学生の執筆を見張るようになるまで、他の援助は期待できない。実際、多くの学生が最終年まで論文の執筆作業に入らない傾向があるが、これは本当に避けた方がよい。

  では、あなたの場合はどうだろう。執筆活動を始めることに問題を感じているだろうか。インスピレーションがわくのを待っていたりしていないだろうか。どちらかといえばデータの見直しなど、ほかのことをしたいと感じていないだろうか。もちろんメールやツイッターの確認もしたいと思うだろう。チュートリアルの準備もあったかな。買い物もしなきや。はたまた部屋でも片付けるか。このように考える傾向はすべての新米著者に共通している。しかし、トロロープのように、書く者は書く時間を決めて確固として譲らない。その時間がくれば深呼吸をし、歯を食いしばり、書くのだ。あなたにもできることだ。

  このような訓練をしてみるとよい。つまり、アントニー・トロロープは一五分ごとに二五〇語書くようペースを調整した。彼は線引きされた紙を使い、その紙の場合一枚当たり手書きで二五〇語書けることを計算した。パソコンを使う現代の私たちは、文字数などはすぐに分かる。初心者の場合、無理をせず、二〇分で二百語相当〔日本語で五百文字弱くらい〕を目標とし、その文章の冒頭を「この研究の目的は、」とすること。今すぐに書くのではなく、書く時間を今決めること。早朝でなくてもよい。自分の状況と勉学のパターンなど赤ら最適な時間を選ぶこと。ただし、一度決めたその時間は守り、邪魔が入らないようにすること。

  さて、結果はどうだっただろうか。時間を決めて、その時間に他の邪魔が入らないようにし、執筆に専念することができたであろうか。もしできたならば、それはトロロープの歩んだ道へと一歩足を踏み入れたことを意味する。多くの人が発見するように、あなたもインスピレーションというものは「書き始めてから」くるものだということを学んだだろうか。書き終わったら、その草稿を数人の同輩に見せ、反応を得るとよい。分かりやすい文章になっていたか。言いたいことをどの程度理解してもらえたであろうか。必要に応じて改善をし、次に指導教員に見せる。

  人によっては社会的プレッシャーがある方が、一人マイペースで書くプロセスよりもうまくいくと感じるだろう。例えば、ケント大学の学生は「黙って書け」グループなるものを形成している。会合があるたびにそれぞれが手短かに何を書くかを説明する。これにより公的なコミットメントとなり、実際にそれを書く可能性が高くなるのだ。そして残りの時間をすべて黙って個別に書くことに費やすのである。そのセッションが終わる前にまた数分かけて自分が何を達成できたかをグループで分かちあう。もちろんこれは自分の部屋や図書館でもできる。しかし、決まった時間に決まった場所にいるために、他の人と同じ活動をすることが社会的プレッシャーになり、集中して書くためのモチベーションになる。

 リライトの過程としてのライティング

  博士論文は審査されるので、論文執筆は何年もかけた研究の結果を単に報告する以上のものでなければならない。書くという作業は書き手に考えさせるので、研究結果を文章化する段になると別の方法が浮かんできて、学生は非常に苦しい思いをする。書くことが発見につながり、そしてよくいわれるように、発見とは単に書きとればよいというものではない。そう考えれば、書くことが論文作成で最も難しい作業であるのは簡単に分かる。

  ある学生は言った。「書く段になるまで何を言うかなんて、もちろん完全に分かるわけではない。実際に書いてみるまで、自分の解釈が完全に誤りであったことに気づかなかった。ポイントになるべきことが表現できていない。だから該当する全部の部分を書き直そうと思ったんだ」。

  もし、自分が書いたものをあたかも他人が書いたもののように読むことができれば、自身の不正確で雑な文章を簡単に批判できる。自身と自分の書いたものの間に「距離」を置く方法は、書いたものを二、三日机の脇に置いた後、初めて手に取るような気持ちで読んでみることだ。そうした時間がない場合は、他のやり方をとらなければならない。つまり、友達に電話したり会いに行ったりして、「間」を置いた後に読んでみる。こうした心理的な「スイッチ」の切り替えは「距離」を置くのに役立つ。もう一つのやり方としては、書いたものを声に出して読んでみることだ。書いたものを耳で聞くと「言いたかったこと」と「(実際に)言ったこと」の違いに気づくだろう。コンピュータ科学を学んでいた学生のライナは自分の書いた論文を猫に読み聞かせた。役に立つような学術的なフィードバックを猫がしてくれたかどうかは定かではないが、少なくとも誰もいない部屋で声を出して読む気恥ずかしさからは守ってくれた。同様に、「読み」を録音して、後で間いてみるのも効果的だ。

  ラグとピーターは一四かそれ以上の活動項目を含む、博士論文執筆の概観を提示した。書き直しは執筆作業のなかで重要な要素であり、初期の草稿と、意味の定義を精査して書き改めた原稿とを見比べることは良い勉強になる。コンピュータはこの書き直しの作業を何度であれ実に容易にしてくれる。書き直しの最終版は博士論文、あるいはその一部を形成する学術誌の文献となる。この執筆活動のプロセスについてはムレイに詳しく書いてあり、良い参考となる。

 執筆者のタイプの違い

  誰しもが同じやり方で執筆をするわけではない。論文の書き方を学ぶ方法が少なかとも二種類あるように、執筆者のタイプも同様に二種類に分けられる。学校では最初に構想を練ってから書き始めるよう教えられるが、世の中、計画的な人間ばかりではない。「とにかくやってしまえ」タイプの人も少なからずいる。まず、言いたいことを最も適切な方法で言うことは、そもそも簡単なことではない。よって、段階的なアプローチをとることが賢明である。

  連載をもつライター、つまり「シリアリスト」は、ライティングを逐次処理的なものとして捉え、言葉を書きながら訂正を加えていく。そのようなライターは実際に書き始める前に何を書くか綿密な計画を立てる。「シリアリスト」の執筆アプローチを例に挙げる。

   今、難しく感じているのは内容をどういう文体、表現で書き、そしてその流れをどうするかということだ。文章を書いているとき、自分の文体は良いと感じるし、書き手としても悪くないと感じる。でも筆の進みがとても遅いんだ。

  そのような「シリアリスト」の書き方の一つに、多くの箇条書きと形成中の考えをまとめた書類を作るという方法がある。それらを徐々に肉付けし、文章を書き出していく方法をとるのだ。もしあなたもこのような書き方をするタイプなら、様々なフォントや色を使い分け、原稿のどの部分が完成したか、どこが未完成なのかを強調することが役立つかもしれない。それと比べ、「全体主義者」は書く際に一定の長さの完結した文章を書くことしか考えられない。

   私は手書きで完全な最初の草稿を書いた。書きながら少しずつ書き足していき、書き終えたときにはそれがかなりの分量になって、まるで紙の上の「第三次世界大戦」の様相を呈していた。興味がわけば朝は八時半、九時半くらいから夜遅くまで書き続ける。思い立ってから書き終えるまでの時間は短い方がよい物が書ける。

  「シリアリスト」は文章を書くことにおいて、「全体主義者」と全く異なる点を強調していることがうかがえる。

 執筆の際の実用面について

  学生によってはパソコンに直接打ち込みながら書くことを好む者もいる。また他の者は手書きでメモをとったり、かなり綿密な草稿を書いたりする者もいる。最善の方法というものはない。自分にあったやり方は実験的に試していくしかない。

  ほとんどの分野ではマイクロソフト社のワードなど市販されているソフトを使って論文が書き上げられる。しかし、理系の特定分野においては LaTeX(ラテックス)システムが標準となっている。それは数学的な表記の多い複雑な文書を作成することが可能だからである。もしこれがあなたの分野における標準である場合、ほとんどの大学において使い方を教えてくれる短いコースがあるため、そのようなコースに登録し、使い方を学ぶよう勧める。きっと役に立つだろう。

  私たちはみなパソコンのスペルチェッカーに慣れているはずであるが、文法の校閲機能もある。ただし、文法の校閲機能の性能はまちまちである。グラマーチェッカー(文法校閲機能)は一部の学術的文献をなかなかうまく扱えていないのが実態である。例えば、ある文章を受動態で書き直すようにいってくる場合がある。ただし、科学系の論文の文体としてそれは良くないアドバイスであることが多々ある。そうだとしても、特に英語が母国語でない学生や執筆に慣れていない学生にとっては何らかの基本的なフィードバックとして役に立つことは間違いない。

  また、多くの参考書(もしくはそのオンライン版)も有用である。辞書も言葉がもつ微妙な意味の違いを調べることに役立つほか、文脈のなかでそれがどのように使われているのかを見つけることにも役立つ。多くの大学では例えば Oxford English Dictionary のような主要な辞書のオンライン版へのアクセス権を有している。また、他の本(例えば Gowers' Plain Words や Fowler's Modern English Usage )は言葉の細かいニュアンスなどについてガイダンスを与えてくれる。また Roget のシソーラスは言葉の同義語や類義語を集めその状況に妾った適切な言葉を見つける上で役立つ。その他にも質の高いオンライン辞書などもある。

  書誌管理ツールでは RefWorks や BibTeX が有用であり、自分の集めた論文や本などのデータベースを構築でき、必要なときに自動的に必要な書式にあわせて参考文献をリスト化できるだけでなく、論文の本文から参考文献の書誌情報に連携できるということもあり、大変実用的である。博士論文など長編の文献を作成する際は、このようなシステムを使うことでかなりの時間と労力の節約になる。

 ライティング工程サイクル

  「ライティング工程サイクル」とは書く作業に体系的にアプローチする方法である。その工程にはいくつかのステップがある。

   ・要点を書き出すこと(もし「全体主義者」であるなら順番を問わず書き記すこと。「シリアリスト」の場合は順番を付けて書くこと。あるいはマインドマップのように要点をページ全体に分散するように書いた上で関連した要点などを線でつなげるのもょい)。書き出すときに思い立ったことをすべて書き込み、大まかな計画を立てること。もちろんその計画に常に従う必要はない

   ・おおまかな構成をし、それができて初めて先に書いた要点を文法と文章のバランスを考慮した段落としてまとめること

   ・執筆の量とそれを達成する日付に関する目標を立てること

   ・一週間に二時間から五時間を執筆に費やす計画を立てること。毎週初めにその時間をいつにするのかを決めて、トロロープのようにその時間を守り、邪魔が入らないようにすること

   ・執筆のための静かな落ち着ける場所を探し、できれば執筆には同じ場所を使うこと

   ・書いたものを読み直し、校閲すること

   ・初期の草稿は指導教員に見せる前に同輩や友達にコメントしてもらうこと

   ・同輩からのフィードバックをもとに「改訂を加える」こと

   ・「さらなるフィードパック」を指導教員から得ること

   ・「フィードバックを受け入れ」改訂をするか考え直すこと

  フィードバックは執筆する過程において重要な要素である。同期生などの同僚にこのようにフィードバックを求めると、必然的に彼らからも同じことが求められ、フィードバックを返してあげる必要が生じる。よって、どのようにすれば効果的にフィードバックを返せるかを意識するのも重要である。フィードバックを返すときの基本などについては、指導教員向けに書かれている第12章に記載しているが、あなたにも非常に関わる内容でもあるため、役立つだろう。

社会学におけるコミュニティ

2018年11月18日 | 3.社会
『都市社会学』より コミュニティ論再考 新しいコミュニティのかたち

 コミュニティヘの相反するまなざし

  コミュニティはまぎれもなく社会学の主要なテーマの一つである。それにもかかわらず、これがコミュニティだと誰もが認めるようなものはない。社会学が社会学者の数だけあるように、コミュニティもまたそれを論じる人の数だけあるといわれる。とはいえ、コミュニティを論じたものとしてしばしば取り上げられる議論はある。たとえば、以下にみるベルとニュービーの論議がそれにあたる。ベルらによると、コミュニティは概ね三つの系、すなわち「地政学的な意味でのコミュニティ」、「ローカルな社会システムとしてのコミュニティ」、そして「感情の交わりとしてのコミュニティ」で捉えることができる。いずれも「近接し共存していること」、「社会集団やローカルな制度組織による、局所的で相対的に境界づけられたシステミックな相互作用」、「メンバー間にみられる人格にもとづく強い紐帯、帰属意識、あたたかさを特徴とする人間同士の結びつき」を基本的属性としている。この論議は、従来のコミュニティの社会学がコミュニティを「地域性」と「連帯性」を二大要件とし、「特定の地域で利益や価値観を共有する人間の集まり」としてとらえてきたとする、アメリカ文化史学者の能登路雅子の論議とほぼ一致している。

  さてこうした論議では、あえて指摘するまでもないが、定住が自明のものとされており(→定住主義)、その上で「安定的な共属感情/アイデンティティ」と「内的な一体化」が強調されている。しかし考えてみれば、こうした論調は、これまでも散見されたものである。たとえば戦時体制期にナショナリティを草の根レベルから唱道した主張の裡に、そして現代に目を移すと、「安全・安心」がコミュニティ・イッシューを構成するなかであらわれている、防災隣組の設置をよびかけるような動きの裡にみてとることができる。ちなみに、後者についていうと、二〇二〇年の東京オリンピック開催を見据え、安全・安心なまちづくりが防災と防犯とがセットになった状態で展開されている。同時にそこでは、衰退するコミュニティの再編を町内会にたいするテコ入れを介しておこなおうとする意図が見え隠れしている。そうした点てまた、一見、復古的にみえる「隣組」といったネーミングが権力の意志を明確に伝えている。だからこそ、社会学ではコミュニティにたいして深い危惧を抱く論調が常に存在したし、いまも存在するのである。だが、そうした論議/論調は、社会学もしくはその周辺では、どちらかというと近代の町内会体制に向けられ、社会統合のメディアとしてあった同質性/同質化のメカニズムに照準を合わせてきた。

  もっとも社会学的論議から少し目を逸らすと、コミュニティを先の三つの系でとらえるものばかりではないし、(コミュニティを)いわゆる「閉じられたもの」としてネガティヴにみるものばかりでもないことがわかる。たとえば、デランティは、「地域性」=近接性と単一のアイデンティティを絶対視するコミュニティのとらえ方はもはやリアリティがないと言う。それに代わって、デランティがコミュニティの中心に据えるのは、複数のアイデンティティに根ざす対話的な「共同性」である。前掲の能登路の場合、コミュニティそのものよりはその変動の方向に関心を示し、地理的境界とコミュニティ意識の境界が二致しなくなる過程、すなわち「地域性」が徐々に後にしりぞき、「連帯性」が前に出てくる過程に注目している。そしてベンダーの立場に依拠しながら、コミュニティを「相互依存と情緒的絆を特徴とする社会関係のネットワーク」と見なす。こうして、「連帯性」がコミュニティの基本的な要件となる。デランティの主張と能登路の主張は細部において必ずしも一致しているわけではないが、コミュニティを「閉じられたもの」に回収してしまう議論に一線を画するという点では共振している。

 「開かれたもの」と「閉じられたもの」の両義性

  デランティや能登路とは別に、日本のコミュニティの原型を町内/近隣にみて、それを必ずしも「閉じられたもの」に一元化しない論議も存在する。たとえば、ベルクは、日本の近隣の基底には人と人とが相互に喚び合う位相的関係が伏在しており、日本の近隣が内に閉じられていて、「同じであること」を強いられるという通説は必ずしもあてはまらないという。むしろ階級、職業が混在していて、信条も雑多であること、そしてそのことか「生活の共同」の場面において障害にならないのが日本の近隣の特徴だというのである。ベルクによると、その要因は、その場その場の状況にしたがうという「場の規範」、目に見える人間関係による黙契のようなものが機能していることにもとめられる。こうした「場の規範」=黙契への着目には、あきらかに近隣に内在する「開かれたもの」へのまなざしが活きづいている。同時に、その「開かれたもの」には、容易に「閉じられたもの」へと転成/反転する契機を宿している。この点について、筆者は別のところで次のように述べた。

   (「場の状況」=黙契は)生活上の接触に根ざす共感によって媒介されているとはいえ、いやむしろそうであればこそ、人間関係の可視的な広がり、つまり人の姿をとらえることのできる範囲/規模(=領域性)にとどまらざるを得ない。そして結果的に、明確な境界に囲い込まれた人間関係を下地とする秩序形成が行動面での高度な同質性をもたらすことになる。

  一つの例を示そう。先の戦時体制期に、身分とか階層、あるいは職業などの違いを相対化する上述の近隣のもつ可能性は、戦争遂行のための上からの均質化/平準化の動きに取り込まれ、町内会構成員が「領域的なもの」へと統合された。そしてその結果、「異なる他者」を排除し、同調性を強いる集団主義が社会のすみずみまでゆきわたることになった。このようにして「草の根」の戦争への動員がおこなわれることになった。この例からも窺いしることができるように、近隣は歴史のおりおりにおいて両義性をみせている。つまり「閉じられたもの」と「開かれたもの」はつねに「コインの両面」としてあり、互換性を有していたのである。

  ここで想起されるのは、かつて社会学において一大争点となった町内会論争である。そこでは、近代における町内会体制が垂直的な権カシステム(ガバメント)にからめとられていたことへの着目からはじまってそれを近隣一般に適用しようとする論議と、近隣にベルク流の「場の状況」、すなわち「間」の論理をみてそれが近代の町内会体制を貫いていたとする論議が鋭く対立した。筆者は最初の論議を「近代化論」、後の論議を「文化型論」と整理したが、明らかに前者は「閉じられたもの」に、後者は「開かれたもの」に力点を置いている。だが結局のところ、両者は「遠くて近い」関係にあったのである。なぜなら、いずれも先に触れた近隣の両義性に目を閉ざしていたからである。両者に違いがあるとすれば、町内会を歴史的な位相でみるかそれとも超歴史的な位相でみるか(ソシュール流にいうと、通時的にとらえるか共時的にとらえるか)である。

  さて話を少し前に戻そう。要するに、社会学的論議から問われているのは、コミュニティにひそんでいる「開かれたもの」の可能性を、それがつねに「閉じられたもの」への転成の契機を宿していることを見据えながら、しかも「文化型論」にみられるような本質主義的規定に陥らずに、コミュニティを構成する諸主体のつながりや流動的な相互連関がより大きなもの、あるいは異なったものへとつながっていく脈絡において示すことである。そこで次に、こうした課題を少しでも明晰にするために、ジェイコブズの近隣にたいする多様性/異質性認識をみることにしよう。

ヘッドの変更 1.1.1~1.2.4

2018年11月18日 | 1.私
1.1.1 存在と無
 存在は希望
 無は無
 数学で考えたい
 生きるシナリオ
1.1.2 孤立と孤独
 放り込まれた
 絶対的孤独
 他者はいない
 他者の承認
1.1.3 真理探求
 存在は不思議
 存在の証し
 数学の真理
 哲学の真理
1.1.4 数学に行こう
 風呂場で決断
 数学は空間
 部分は全体
 全体を創造
1.2.1 考えるとは
 考え抜く
 生きること
 啓示を得る
 答えがない質問
1.2.2 夢を求めた
 女性がいる
 夢を描く
 夢を聞く
 夢を語る
1.2.3 もう一人の私
 無敵のμ
 行動できる
 夢を描ける
 内なる他者
1.2.4 偶然は味方
 大いなる意思
 偶然は必然
 意図された未来
 偶然を活かす

1.1.1~1.2.4

2018年11月18日 | 1.私
1.1.1存在と無
 存在は希望
  ①孤立と孤独の世界
  ②内なる世界に存在
  ③存在と無が同居
  ④無為をめざす
 無は無
  ①死すべき者として
  ②いろいろな見方
  ③行動はしない
  ④どこでも行ける
 数学で考えたい
  ①数学にあこがれ
  ②数学者にはなれない
  ③今の数学は無意味
  ④新しい数学で解く
 生きるシナリオ
  ①20代・30代は数学
  ②40代・50代は社会学
  ③60代・70代は歴史学
  ④未来学者を目指す
1.1.2孤立と孤独
 放り込まれた
  ①生まれてきた
  ②存在感がない
  ③生きていくしかない
  ④生きる空間はどこ
 絶対的孤独
  ①存在しなくなる
  ②あまりにも狭い世界
  ③死しか見えていない
  ④宇宙空間に浮遊
 他者はいない
  ①存在を認めない
  ②誰もいないのに
  ③私は見えていない
  ④他者の世界とする
 他者の承認
  ①承認はいらない
  ②自分を律する
  ③孤立をつらぬく
  ④孤立死は当たり前
1.1.3真理探求
 存在は不思議
  ①存在する
  ②全ては私のためにある
  ③全てを無視しよう
  ④存在から始める
 存在の証し
  ①生まれてきた理由
  ②他者の世界に求めない
  ③内に真理を求める
  ④多くの真理がある
 数学の真理
  ①無を表現できる
  ②全てを対象にする
  ③不変なものは何か
  ④論理で展開
 哲学の真理
  ①存在と時間
  ②他者が不用
  ③論理の飛躍
  ④言葉の限界を認識
1.1.4数学に行こう
 風呂場で決断
  ①泣き叫ぶ日々
  ②数学科へ行こう!
  ③大学がない環境
  ④哲学は選べなかった
 数学は空間
  ①ロマンの世界
  ②真理は単純
  ③真理は数学にある
  ④本質を見ていく
 部分は全体
  ①トポロジーを選ぶ
  ②変化から未来を見る
  ③連続性を確保
  ④<今>が未来
 全体を創造
  ①全体を把握する
  ②先を考える
  ③全体は多様体
  ④空間を創り出す
1.2.1考えるとは
 考え抜く
  ①いい加減さが必要
  ②トポロジスト
  ③行動はしない
  ④本質はシンプル
 生きること
  ①生きるは考えること
  ②考えるは生きること
  ③論理的な思考
  ④池田晶子の世界
 啓示を得る
  ①デルフォイの瞑想
  ②行動せずに考えよ!
  ③赤ピラミッドの階段
  ④歴史が変わる!
  答えがない質問
  ①数学に期待した
  ②微分方程式の世界
  ③数学は自分でつくる
  ④未来につながる
1.2.2夢を求めた
 女性がいる
  ①愛する対象
  ②心が救われる
  ③無条件に肯定
  ④世界は存在する
 夢を描く
  ①ひたすら応援する
  ②考え続ける
  ③喜びが見える
  ④未来につなげる
 夢を聞く
  ①聞くから始まる
  ②皆の夢を自分の夢に
  ③自分の夢を皆の夢に
  ④夢をカタチに
 夢を語る
  ①自分自身を語る
  ②聞いてくれる
  ③自然に伝わる
  ④大きな世界につなぐ
1.2.3もう一人の私
 無敵のμ
  ①私の行動的な部分
  ②未唯への手紙
  ③もう一人の私と認識
  ④他者に干渉する
 行動できる
  ①前向きに行動
  ②行為を決定
  ③恐怖心はなくなった
  ④最終兵器となる
 夢を描ける
  ①夢を理解する
  ②全てを知る
  ③他者の夢を知る
  ④人類に夢を与える
 内なる他者
  ①心の中に入り込む
  ②自然な理解
  ③女性精神分析
  ④心は傷つけない
1.2.4偶然は味方
 大いなる意思
  ①意思を感じる
  ②意図を持っている
  ③私のために用意
  ④流れが分かれば無敵
 偶然は必然
  ①偶然は必然です
  ②生まれた偶然
  ③人間原理に基づく
  ④歴史に戻す力がある
 意図された未来
  ①私は私のすべて
  ②与えられた全て
  ③偶然から未来を描く
  ④未来は作られる
 偶然を活かす
  ①仕掛けを先回り
  ②偶然を読み解く
  ③原因をたどる
  ④啓示を受ける

ヘッドの変更 10.3.1~10.4.4、10.7.1~10.7.4

2018年11月17日 | 1.私
10.3.1 存在は無
 <今>・ここを祥明
 そこに宇宙がある
 無限次元空間
 数学は無を扱える
10.3.2 集合は点
 集合は点、点は集合
 個と全体は同じ
 中間がある
 中間のみが実体
10.3.3 超国家は個人
 国家は中間
 EUは超国家
 数学は先行する
 全体と個の関係
10.3.4 個の意識
 個は全てを含む
 歴史の中の個
 個が自立する
 平等な社会
10.4.1 意思の力
 宗教者
 指導者
 哲学者
 ルサンチマン
10.4.2 歴史の解釈
 自由を獲得
 空間認識の経緯
 ツールの進化
 個人を武装化
10.4.3 歴史の<今>
 生きている
 歴史の重み
 時間は加速する
 <今>しかない
10.4.4 宇宙の歴史
 137億年
 多重宇宙
 試される人類
 歴史の変節点
10.7.1 私の世界
 出発点
 私は私の世界
 私の世界を表現
 作成の生活規範
10.7.2 宇宙に展開
 社会を再配置
 シェアする世界
 位相構造
 宇宙に飛び出す
10.7.3 全てを知りたい
 全てって何?
 ここにいる理由
 何を知りたい?
 存在するとは
10.7.4 知ってどうする
 私がいない世界
 問われれば応える
 山を下りる
 次の頂きへ

10.3.1~10.4.4、10.7.1~10.7.4

2018年11月17日 | 1.私
10.3.1 存在は無
 <今>・ここを祥明
  ①今・ここを証明
  ②私は私の世界
  ③放り込まれた存在
  ④自由でいられる
 そこに宇宙がある
  ①宇宙では無
  ②内なる世界のみ存在
  ③内に宇宙がある
  ④無限大は無に収束
 無限次元空間
  ①地球原理の仮説
  ②多重宇宙で説明
  ③数学の世界に住む
  ④多重宇宙のロジック
 数学は無を扱える
  ①全てを求める
  ②存在と無が共存
  ③存在する意識
  ④全てが無に帰する
10.3.2 集合は点
 集合は点、点は集合
  ①新しい集合論
  ②コンパクト空間
  ③次元の圧縮・拡張
  ④点と集合の配置
 個と全体は同じ
  ①端と中核がつながる
  ②トーラス形状
  ③個と全体が共存
  ④無限が表現できる
 中間がある
  ①三段階論理の適用
  ②下位の要望集約
  ③上位の意思を企画
  ④ヘッドロジック
 中間のみが実体
  ①家族・国家は中間
  ②個人は基本的単位
  ③コミュニティと同等
  ④配置のみ有効
10.3.3 超国家は個人
 国家は中間
  ①国家は境界を作る
  ②宗教と民族の括り
  ③国民国家の弊害
  ④企業に境界はない
 EUは超国家
  ①欧州2020戦略
  ②EU内で循環させる
  ③多様な価値観の国
  ④EUから規約と指令
 数学は先行する
  ①多様な中間の存在
  ②個をまとめる単位
  ③超国家との連携
  ④三段階論理で具体化
 全体と個の関係
  ①個は生きている
  ②分化する場を求める
  ③思いを発信
  ④全体での配置と循環
10.3.4 個の意識
 個は全てを含む
  ①個人が分化する
  ②ユニット活動
  ③エンパワメント
  ④集合をなす
 歴史の中の個
  ①歴史哲学は後付け
  ②内なる世界を表現
  ③時空間を形成
  ④伝播力を活用
 個が自立する
  ①基本的な単位と認識
  ②持続可能な教育
  ③個人を生かす仕事
  ④期間限定の家族
 平等な社会
  ①配置された時点で平等
  ②所有ではなく、利用
  ③多様な政治形態
  ④ソーシャルな環境
10.4.1 意思の力
 宗教者
  ①クルアーンは戒律
  ②キリスト教は救いの道
  ③南無阿弥陀仏と唱える
  ④一神教という災い
 指導者
  ①ヒトラー:全体主義
  ②スターリン:祖国戦争
  ③毛沢東:文化大革命
  ④アレキサンダー:帝国
 哲学者
  ①フッサール:現象学
  ②ルソー:宗教改革
  ③ソクラテス:対話
  ④デカルト:二元主義
 ルサンチマン
  ①宗教は奴隷を救う
  ②指導者は暴走する
  ③革命家は殺される
  ④哲学者は歴史の主役
10.4.2 歴史の解釈
 自由を獲得
  ①国民国家による自由
  ②総力戦を招いた
  ③不平等な社会
  ④新しい民主義
 空間認識の経緯
  ①ユークリッド空間
  ②デカルト座標系
  ③点からなる位相
  ④自由で平等な空間
 ツールの進化
  ①戦争と科学技術
  ②インターネット
  ③イノベーション
  ④AI技術
 個人を武装化
  ①ヒッタイトの鉄
  ②種子島の鉄砲
  ③総力戦で意識の変化
  ④情報共有ツール
10.4.3 歴史の<今>
 生きている
  ①存在と時間
  ②<今>という時間
  ③存在の脆弱さ
  ④未来から<今>を問う
 歴史の重み
  ①好き嫌いで判断
  ②個人の多様性
  ③存在とクライシス
  ④歴史の現場意識
 時間は加速する
  ①100年が1年に圧縮
  ②クライシスで加速
  ③多様化が拡大
  ④拡散から凝集
 <今>しかない
  ①個人の自立
  ②持続可能な社会
  ③役割を果たす
  ④サファイア社会
10.4.4 宇宙の歴史
 137億年
  ①137億年の経緯
  ②地球という偶然
  ③<今>という時間
  ④未来は存在しない
 多重宇宙
  ①変化が常態
  ②拡張の収縮
  ③宇宙原理の範囲
  ④繰り返す宇宙
 試される人類
  ①大いなる意思
  ②環境社会は課題
  ③存在の力で覚醒
  ④私は預言者
 歴史の変節点
  ①2050年に折り返し
  ②さあ!始まよう
  ③個人の複数性
  ④存在の意味を探る
10.7.1 私の世界
 出発点
  ①数学をベースとする
  ②存在と無が始点
  ③ブログに痕跡を残す
  ④現象の確認
 私は私の世界
  ①私のすべてを表現
  ②配置の多重化
  ③私の世界を完結させる
  ④女性が外との接点
 私の世界を表現
  ①分化プロセス
  ②物理層と論理層
  ③言葉の限界
  ④カテゴリー定義
 作成の生活規範
  ①本のDNA抽出
  ②自分のために仕事
  ③パートナーを接点
  ④家庭生活に投影しない
10.7.2 宇宙に展開
 社会を再配置
  ①非正規の言葉空間
  ②サファイア理論
  ③次の世界を示唆
  ④配置で社会を見直す
 シェアする世界
  ①存在で個の覚醒
  ②他者の世界に写像
  ③公共意識を体現
  ④新しい民主主義
 位相構造
  ①進化の先にある世界
  ②社会を位相表現
  ③近傍で伝播
  ④環境社会と定義
 宇宙に飛び出す
  ①多重宇宙の偶然性
  ②時空間のコード化
  ③未唯宇宙の近傍系
  ④全てを知る意味
10.7.3 全てを知りたい
 全てって何?
  ①大いなる意思が示す
  ②偶然の重なり
  ③2050年の変節点
  ④ソクラテスECHO
 ここにいる理由
  ①放り込まれた
  ②知らずに去れない
  ③時間が続いている
  ④立ち位置を知る
 何を知りたい?
  ①私に求められるもの
  ②新しい数学の姿
  ③自由と平等の関係
  ④歴史の先行き
 存在するとは
  ①存在の理由
  ②先を知りたい
  ③存在の力に至る
  ④自分を知る
10.7.4 知ってどうする
 私がいない世界
  ①いない世界が存在?
  ②来る前の世界?
  ③自分と他者の差異
  ④求めるもの
 問われれば応える
  ①私からは言わない
  ②独我論は語らない
  ③思考のきっかけ
  ④ECHOでトレース
 山を下りる
  ①変革は始まるはず
  ②超人の生き方
  ③哲学している
  ④ソクラテスの対話
 次の頂きへ
  ①次があるのか
  ②冗談じゃない
  ③平静を装っている
  ④宇宙を旅する

『カラマーゾフの兄弟』の試訳

2018年11月17日 | 6.本
『いま、息をしている言葉で。』より 翻訳の多様性

 創刊時から予想外の売れ行きを示し、のちに外国文学の古典では例外的なベストセラーとなった『カラマーゾフの兄弟』を依頼した時のことです。今野哲男さんのコーディネイトでロシア文学者の亀山郁夫さんと会うことになりました。場所はご自宅近くの喫茶店でした。

 私たちは亀山さんの著作は当然ですが、いくつも読んでいました。『破滅のマヤコフスキー』(筑摩書房)、『磔のロシア--スターリンと芸術家たち』(岩波書店)、『熱狂とユーフォリア-スターリン学のための序章』(平凡社)など評判になったものにはすべて目を通していました。この企画では何をお願いしようかと考えてはいましたが、亀山さんの提案にも興味がありました。ドストエフスキーならたぶん『悪霊』になるのではないかとも漠然と考えていました。やがて亀山さんが少し疲れたような表情をして現れました。精神的な集中を長時間続けた後なのだろうと思いました。

 企画の提案には静かな語り口で答えてくれました。一番印象に残っているのは、翻訳がいかに大変な仕事であるかを淡々と語ったことです。翻訳をお願いするばかりの私たちには勉強になる話でした。亀山さんは新訳は引き受けるが、どの作品にするかは一週間考えたいと言いました。

 一週間後再び同じ喫茶店に現れた亀山さんは、前回とは少し違う印象がありました。快活な調子で思い切ったようにこう切り出したのです。

  「ドストエフスキーをやるなら、『カラマーゾフの兄弟』からやってみたい」。それを聞いて、「いきなりカラマーゾフか。大変だなあ」と思ったのを覚えています。しかし実に魅力的な提案でした。世界文学史上最大の小説です。もちろん最初から取り組むには、編集部にとって荷が重い作品であるのは確かです。創刊前ですからシリーズのタイトルさえ決まっていませんでしたし、文庫という形式も決めていませんでした。古典新訳文庫はまだ影も形もなかったのです。しかし私と今野さんは逡巡することなく言いました。

  「分かりました。それでは試訳をお願いします。それを検討してから決めさせてください」

 「試訳」という言葉は翻訳の世界ではよく使われます。全体ではなく一部分を試みに翻訳してもらうことをいいます。文体のスタイル、人称の問題、注の入れ方などを事前に検討するためです。正式に翻訳を発注する前の、いわば翻訳者と編集部のお見合いのようなものだといえばお分かりいただけるでしょうか。全体を訳してからでは、もし訂正をお願いすると膨大な作業になってしまいます。ですから必ず最初に依頼している作業です。編集部の目指す方向と訳文が違うと思われる時は、双方話し合って相違点を確認した後、もう一度試訳をしてもらいます。それでも合意に達しないときは、三回目の試訳をするか、そこで終了するか話し合って決める。もちろん場合によっては試訳が四回になることも珍しいことではありません。

 このやりとりを終了してから、正式に依頼することになるのです。もちろん一部を読んだだけですから、全体を読んで再び部分的な訂正をお願いすることもあります。この試訳は大変に重要な作業です。その試訳を亀山さんにお願いしたのです。

 やがて今野さんの手元に『カラマーゾフの兄弟』の試訳が届きました。大変な努力をしていただいたことはすぐに分かりました。しかし私たちが馴染んできた今までのロシア文学の正統的な翻訳をまだ幾分か踏襲しているように思えたのです。編集部もうまく意を伝えられていない憾みがありました。結果として、もう一度試訳をお願いすることになりました。亀山さんはこちらの熱意に応えてくれました。大変な作業だったと思いますが微塵もそんな気配は見せませんでした。

 もちろん今野さんも私もロシア語は一語もわかりません。翻訳というものを最終的に決めるのは日本語であるという信念あるのみです。『カラマーゾフの兄弟』を新訳で出すということには編集者としても想像以上のプレッシャーがありました。高校時代から埴谷雄高などをすぐに持ち出す友人に囲まれていたので、「大審問官」という劇中劇とでもいうべき伝説的な箇所を含めて読んではいました。しかしこの小説を理解していると思える人間は極めて少数しかいないことはよく承知していましたし、自分自身を含めて満足のいく読書になっていない方が多数派だということも十分認識していました。

 いきなり大舞台に上った感じもありました。古典を擁する文庫で、『カラマーゾフの兄弟』が入っていないものはありません。文字通り最大の商品です。勢い慎重にならざるをえません。

 ふたたび届いた原稿を前に、私と今野さんは話し合いました。今野さんがその時強調したのは、彼が再び読み直した岩波文庫の米川正夫訳のリズミカルな文体の力でした。確かに八十年以上前の翻訳ですので出だしの「著者より」に使われている一人称は「余」という古風なものであり、使われている日本語も古いことは否めませんでしたが、文体は意外に読みやすいリズムを持っていることに気づいたのです。

 原卓也訳、米川正夫訳、その他の訳を含めて今野さんと二人で何度も吟味しました。結論は米川訳のリズムの良さは残しつつ、現代的な表現ですらりと読ませるという、言うのは簡単ですが、その実なかなか難しい注文でした。

 亀山さんともう一度お会いして話そうと思った私たちは再度の打ち合わせを申し入れました。

 その日のことはよく記憶しています。午後遅い時間に御茶ノ水駅で待ち合わせた後、さっそくいつものように喫茶店に行くことを提案しました。

 ところが亀山さんは少し沈黙したあと、唐突に「酒が飲めるところがいい」と言うのです。まだ陽は高い。それでもせっかくのリクエストです。何とか開いている居酒屋はないかと探しました。一軒すでに営業を始めているように見える店があったので、二階へ続く階段を上るとドアを開けて、もう飲めますかと聞きました。店長らしき人物が笑顔で現れて、「もうすぐ朝礼が始まりますので、うるさいかもしれません。それでもよろしければどうぞ」と言ってくれました。亀山さんにそう告げると「全く問題ない。そこに行こう」との答え。私たちは開店前の鎧えた匂いのする居酒屋に入って早速ビールを注文しました。

 つまみをとり、話は重い雰囲気の中で始まりました。今野さんは編集者になる前は、芝居をやっていた演劇人です。ですから昔取った杵柄で携えてきた岩波文庫の米川訳を朗々たる声で読み始めました。役者を辞めてから十数年ぶりに人前でセリフを喋ったことになったそうです。このリズム、そして今という時代を反映した新しい文体。ロシア文学の翻訳に特有の重い文体ではなく、ドストエフスキーの晦渋さを十分反映しつつも流れるように読めるもの……。

 亀山さんの表情が我々の身勝手な発言のたびに曇る。とその時でした。

 「お客様には丁寧に!」「今日も一日笑顔でいこう!」典型的な居酒屋の朝礼が始まり、店長の声が店内に響き渡りました。そのあとを従業員たちが復唱する。これにはこちらの張りつめていた神経も大いに緩んでしまいました。吹き出しそうになるのを堪えながらさらに続けました。

  「ドストエフスキーが今の日本に生きていて、日本語で書いたらどんな文体になったでしょうか」

 じっと聞いていた亀山さんでしたが、最後に一言「分かった」と言ったのです。やり直しをお願いしても一向に怒り出さない亀山さんの包容力に感謝しつつ、それから少し飲んで別れました。この話は亀山さん自身が講演で壇上から私を指さしながら「そこに座っている光文社の駒井さんに試訳の原稿を返されて、最後は居酒屋に行って打ち合わせをしたんです」としばしば披露されているから、もしかしたらお聞きになった方もいるかもしれません。

 それから間を置かずして、亀山さんから新しい原稿が送られてきました。それこそが、あの新訳『カラマーゾフの兄弟』の素晴らしい翻訳だったのです。私たちの意図が十全に反映された訳文でした。それから刊行まで亀山さんには大変な作業をお願いすることになり、結局五回も校正を重ねて第一巻は完成しました。創刊を飾る一冊でしたが、最初から売れ行きが非常に良かった。読者は読める『カラマーゾフの兄弟』を熱望していたのです。

曰独伊三国同盟

2018年11月17日 | 4.歴史
『近代日本を形作った22の言葉』より

 1940(昭和15)年9月27日、ベルリンで調印されました。第一次世界大戦後、国際連盟とパリ不戦条約によって目指された平和を希求する国際秩序は既にほとんど崩壊していました。直接の大きなきっかけは1929(昭和4)年にアメリカの株式市場の大暴落から始まった世界大恐慌です。この時代の国際協調主義を支えていたのは平和への期待だけではありません。経済発展です。第一次世界大戦で発揮されたアメリカの底しれない物量主義はこの国の巨大な経済力を世界に実感させました。アメリカと協調すれば世界は分け前にあずかれる。この信念を打ち砕いたのがアメリカ発の大恐慌だったのです。

 国際協調を続けては悪影響を被る。列強は、国際協調よりも、自国中心の政治的・経済的・軍事的広域圏を建設し、棲み分けて生き残りをはかろうとしました。イギリスは本国と広大な植民地との連携を強化し、アメリカは中南米の囲い込みに努めます。日本とドイツとイタリアもまた同様の道を歩み、国家体制のファシズム的な点も似通っていたせいもあり次第に接近し、ついに同盟に至りました。

 現代語訳

  大日本帝国政府、ドイツ国政府、イタリア国政府は、すべての国がそれぞれの所を得ることをもって、恒久平和の先決要件であると認められることを理由に、アジアおよびヨーロッパの地域において、それぞれの地域で民族の共存共栄の実現に必要な新秩序を建設し、かつ、これを維持することを根本の意義とし、先の地域においてこの趣旨による努力を行い、相互に提携し、かつ協力することを決意した。

  さらに、三国の政府は、世界のいたる所で同様の努力をやリ遂げようとする諸国に刻し、協力を川しまない。それにより、世界平和に対する三国の約束を実現することを望む。よって日本国政府、ドイツ国政府、およびイタリア国政府は、次の通り、協定をする。

   第1条 日本国は、ドイツおよびイタリアの、ヨーロッパにおける新秩序の建設について、指導的地位を認め、かつ、これを尊重する。

   第2条 ドイツおよびイタリアは、日本国のアジアにおける新秩序建設について、指導的地位を認め、かつ、これを尊重する。

   第3条 日本国、ドイツおよびイタリアは、前記の方針に基づいて努力をし、相互に協力すべきことを約束し、さらに、三締約国のうち、いずれかの一国が現に欧州戦争、または日中紛争に参入し、他の一国によって攻撃された時は、三国はあらゆる政治的、経済的、軍事的方法によって、相互に援助することを約束する。

   第4条 本条約実施の為、各日本国政府、ドイツ政府、およびイタリア政府によって任命された委員から成る混合専門委員会は、遅れることなく開催されるべきものとする。

   第5条 日本国、ドイツおよびイタリアは、前記の諸条項が、三締約国それぞれとソヴィエト連邦との間に現存する政治的状態に、なんら影響を及ぼさないことを確認する。

   第6条 本条約は、署名と同時に実施され、実施の日より10年間有効とする。この期間が満了する前に、適当な時期において、締約国中の一国が要求した場合、締約国はこの条約の更新について協議しなくてはならない。

  この証拠として次の者は、各本国政府より正当の委任を受け、この条約に署名調印した。

 解説

  アジアの覇権、アメリカヘの抑止として--荻上

  楽観論をもとにした間違った選択--片山

  荻上:第二次世界大戦が行われていくなかで、日本がどういう国と連携し、世界の秩序を荒らそうとしていると他国が見ていたのか。この三国同盟の結ばれ方と内容から、読み取ることができます。日本、ドイツ、イタリアの三国が、当時の戦時下のなかで独特の全体主義国家をっくり、新秩序を建設しました。これは明らかに、それまでの国連体制や米英仏などを中心とする他の国家の動きに、対抗しようという狙いがあります。

   フランスに報いたいドイツと、満州や他のアジアに進出したい日本。地理的にもアジアとヨーロッパで、もろもろの利害が一致した結果、関係が結ばれたわけです。

   日独伊の三国は植民地主義に乗り遅れていた。これから植民地を拡大させたい国同士が形成した同盟です。それぞれの理念と正義を拡大したいという思惑があったのでしょう。それぞれの具体的な権限などはさておき、ひとまず戦争協力で一致しておきましょう、といった内容です。

  片山:日独伊三国同盟を結んだことで、日本は連合国側に「ファシズム国家」「全体主義国家」「ナチスの仲間」といったイメージを持たれる決定的な要因になりました。[日ソ中立条約]とも絡めると、「日独伊」と「ソ」は国際連盟の中で大きな役割を担いながら、連盟から外れた大国です。

   国際連盟の体制とは何であったか。経済については、今日で言うところのグローバリズムを志向していたと思います。アメリカのウィルソン大統領は第一次世界大戦中の1918年1月、アメリカ連邦議会で演説し、「14ヵ条の原則」を発表して、国際連盟の構想を打ち出しましたが、その中には次のような内容が含まれていました。

   「平時戦時にかかわらず領海外つまり公海における海上交通を絶対に自由にすること」「平和を維持するために国際連盟に参加した諸国間からは一切の経済的障碍をでき得る限り取り除くこと」「公平な通商条約が結ばれなければならないこと」

   アメリカ主導の世界自由貿易体制が国際連盟とセットで意図されていたことは明白でしょう。戦争の反対語は平和でなく貿易という古典的な考え方がありますが、ウィルソンの態度はそれを地で行くものでした。しかし、相互経済依存が平和の恒常化につながるというのは、お互いの繁栄が前提となってのことです。世界大恐慌となると、企業の連鎖倒産のような状態が多国間で現出します。不況や恐慌までが輸出されてしまう。壁を作り、閉鎖された経済ブロックを設定して生き残るという方策が、時代の選択肢として説得力を持つようになりました。

 崩れたシナリオ、決定的失敗

  片山:日本とドイツとイタリアが国際連盟を脱退した理由は、結局グローバリズムを否定したからでしょう。日本は1931(昭和6)年に満州事変を起こし、翌年に満州国が建設されました。しかし、国際連盟はこの国を認めず、日本は1933(昭和8)年に連盟を脱退。同年、ドイツでは「ヴェルサイユ体制」の打倒を政治目標に掲げる国民社会主義ドイツ労働者党けチス)が政権をとり、口約通り国際連盟を脱退。ムッソリーニ率いるイタリアも遅れて1937(昭和12)年に第二次エチオピア戦争を契機として国際連盟を脱退しました。

   日本とドイツとイタリアは国際連盟の4つないし5つしか席のない常任理事国を務めた国々でした。この三国は国際協調主義を放棄する過程において接近してゆきました。まず日本とドイツは1936(昭和11)年11月25日、日独防共協定を結び、翌年11月6日、イタリアがこれに加わりました。国際協調主義が破れて同盟外交に復する。第一次世界大戦のときまで時計の針が戻ったのです。

   日独伊防共協定の出来上がる4ヵ月前の1937年7月7日、北京で盧溝橋事件が起き、日本と中国国民党政府との企而戦争へと拡大しーてゆきました。1939(昭和14)年9月にはドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が欧州で始まります。日本もドイツも、最も気にしたのはアメリカの動向です。

   アメリカはアジアにおいては蒋介石率いる中国国民党政府を支持し、欧州ではイギリスに近しい立場をとり続けていました。ドイツと日本はアメリカを牽制するためには、やはりイタリアを巻き込んで防共協定を軍事同盟に発展させて、「力の均衡」を強めることが効果的であると考えました。それから第二次世界大戦がドイツの勝利に終わるだろうと予想して、そのあとの「世界分割」の構想も組み込まれました。こうして日独伊三国同盟が締結されたのです。

   ここに独ソ不可侵条約と日ソ中立条約が絡みます。ソ連も日独伊と同じく国際連盟で大きな役割を担いながら、除名になった大国です。

  荻上:この4カ国が絡み合う形で、国際連盟秩序に対抗する別の秩序をつくるという流れですね。

  片山:現実的には日本としては、日独伊三国同盟を結ぶときの大前提的な予測がありました。ドイツがソ連と戦争をしないこと。ドイツがイギリスとの戦争に勝つこと。この予測が当たると思って、ヒトラー率いるドイツと同盟を結んだわけです。シナリオが外れるとわざわざ同盟する意味がない。しかしどちらも外れました。決定的な失敗です。

運転免許証と所有権

2018年11月16日 | 5.その他
いくちゃんは偉大
 無になれるいくちゃんは偉大だ。自分しかいない世界。やはり、哲学に向かってほしい。
やはり、居た
 やはり、居た。よかった。Iさんメールのことを話したかったが、遠かった。
第9章は大筋変える必要はない
ロシア戦線と中国志願兵の攻撃
 変革と言っても、ウィトゲンシュタインに比べれば大したことはない。対ロシア戦線で「論考」に向かい合っていた。向かい合うために志願したのか。
 朝鮮戦争時の中国軍のように死ぬために向かってくるロシア兵。毛沢東は旧国民党兵を片付けたかった。ロマノフ王朝と同様に。
運転免許証と所有権
 なぜ、国家が交付する。大きなウソが存在する。免許証は技術を保証するものではなく、警察が切符を切るためのもの。
 所有する必要がなくなれば放棄する。図書館でいつでも借りられる。今は物理的な制約があるが、デジタルになれば、フリーになる。本からコンテンツに移る。教育そのものに向かう
 運転しないといけないという中途半端なものを提供したのがあやまり
「存在」というタイトルの写真集
 なぜ、写真集のタイトル名が「存在」なのか? 乃木坂に居たことの証明?
25000冊突破!
 2000年3月18日より、25000冊突破! 金額換算 4593万円 まだ、無にはなれていない。 

絵本『いないいないばあ』が50周年を迎えた理由

2018年11月16日 | 7.生活
『メルト=ポンティと<子どもと絵本>の現象学』より 絵本『いないいないばあ』から始まって

 ある絵本が50年も売れ続けるには、それなりの理由があるだろう。この『いないいないばあ』の場合には、出版当時には、あかちゃんに絵本なんて、という声の方が強かった。1960年代は、敗戦からの焼け跡時代をなんとか生き抜き、高度経済成長伸び盛りの時期であった。庶民に購買力もでき、家庭では子どもたちへの投資の余裕も生まれ、絵本の購入も可能になった。絵本は喜びや楽しみのためというよりは、子どもへの期待も込めて賢くする手立てのように考える親も多かった。絵本を知育教育のための手段と利用する親もいたために、絵本の存在を危惧する人たちもいた。それは、絵本そのものの問題ではなく、絵本の利用の仕方の問題ではあったのだが。また熱心な親の早期教育を心配する声も高く、また子どもたちの理解力から考えて、絵本は3歳以上の子どものものだという考え方もあった。そうした中で、岩波書店が1953年から、福音館書店が1956年から質の高い絵本の出版を開始し、そうした絵本が日本の家庭や保育所・幼稚園へと浸透するなかで、絵本への信頼は高まって行ったものの、あかちゃん絵本への理解は高まってはいかなかった。早期教育への危惧と絵本は3歳からという絵本観が支配していた。

 そうした時期、1967年に『いないいないばあ』は出版された。それ以降も出版され続けている。絵本界の古典の仲間入りをしていると言ってもいいだろう。古典的な絵本とはどういう質を持った作品をいうのだろうか。ここにそのヒントになる文章がある。

  古典的な絵本の人気は、子どもにとって深い情緒的な意味をもつ問題をあつかう能力に優れているからではないか、と見当をつけてみた。古典として読みつがれる絵本は、いつの時代にもある重要な心理的テーマをとりあげ、それらのテーマを職人芸をきかせて精妙に伝えるのだと、推測できよう。音楽性、音韻性、視覚的な芸術性、ューモア、意表をつく並列、洗練、簡明さ、そしてサスペンスが混ぜあわされ、世代をこえた長時間の読みに耐えうる重層的な意味を築きあげるのだと。

 スピッツの『絵本のなかへ』からの引用である。古典的絵本とは何かについて、きちんとまとめられた文章ではなく、考えながら書いている気配を感じる。私がこの文章中で気になり、気に入った言葉がある。「職人芸」という言葉で、原書をみるとcraftsmanshipとあった。まさに「職人の腕前」である。絵本とは何かと言う文章中には、普通は登場する言葉ではなかったし、今までも、良い絵本などの質を語るときにも、出てくる言葉ではなかった。しかし、ビクトリア時代の絵本をイギリスで6年間見続けた者にとっては、「職人の技」は絵本の中になくてはならないものであった。

 さて、絵本『いないいないばあ』が、どうして50年間生き残ってきたのか、この後も生きて行くだろうとみなされるのかを、スピッツが述べている古典的な絵本の質も考慮にいれながら、考えてみたい。スピッツの提案はあくまでもヒントであることを断っておきたい。わかりやすく、箇条書きにしてみた。

 1)いつの時代にもある重要な心理的テーマを取り上げている。

  伝統的な遊び「いないいないばあ」を素材にしているが、「いないいないばあ」という遊びは、「非存在と存在」という存在のあり方の、或いは関係性の根源的テーマを扱っている。


 2)そのテーマを職人芸を生かして仕上げている。

  この作品を作り上げたのは、文章を書いた松谷みよ子(1926-2015)、絵を担当した瀬川康男(1932-2010)、ブックデザイナーの辻村益郎(1934- )、そして童心社の編集者の稲庭桂子(1916-1975)である。4人とも、その道の職人的な手腕を持った人たちであった。

 3)視覚的芸術性(絵とデザイン)の高さ

  『いないいないばあ』のそもそもの発端は、松谷と稲庭の女性二人によるが、画家瀬川は自ら「オレに描かせろ」とかって出る。その芸術性の高さは、稀に見るものである。松谷は瀬川の絵の渋さがあかちゃんたちに受け入れてもらえるかと心配したが、そのような心配は無用であった。“もっかい”と催促する松谷の子どもの話を先に紹介した。また瀬川の高校時代からの友人であり、ブックデザイナーとして細やかで質の高い仕事をしてきた辻村の丁寧な仕事が絵本を仕上げている。

 4)音楽性、ユーモア、配列、洗練、簡明、サスペンス

  これらの質は、文章についても絵についても言える。深いテーマが、繰り返しのリズムで、永遠に繰り返す波のように、配列されている。ユーモアやサスペンスもある。

 5)世代を超えた長時間の読みに耐えうる重層的な意味

  上記した非存在と存在をもう少し膨らませれば、出会いと別れ、喪失と希望、闇と光、悲しみと喜び、死と再生といったテーマになる。これらは、人から人へと世代を超えて考えられてきた生きていることの意味である。

 6)行きて帰りし物語であること

  「いいないいない、ばあ」というのは、行動する側からすると、「行った、帰った」という物語になり、待つ側からすると、「行ってしまった、帰ってきてくれた」という物語になる。「いないいないばあ」は、「再会」で閉じる。絵としても、「ばあ」となった時の動物たちの表情がとてもいい。

 7)おとなに読んでもらっているという「安心の膝」の存在

  これは、絵本そのものの質ではないが、そういう安心の膝に乗せてもらって読んでもらえる絵本である。

 「職人の腕前」に少し話しを戻したい。 というのは、最近の絵本の絵は、技術的に非常に高いものが多いのだが、いわゆる、からだに「触れて」来ないのだ。瀬。川康男は技術的に非常に高い人だが、原画を見ると、技術のむこうに透けて見える職人風のこだわりに「触れる」を通り越して、「胸を突かれる」ほどである。こういうのを「職人の腕前」というのだろう。腕前と言う言葉は、長年その道に携わってきたことにより「からだ」が覚えていることから生まれるのだろう。ということは、職人の技を生かせる人とは、ある年月生きてきて、「人間」をそれなりに真面目に(時には、愚直なほど)生きてきた人に「身につく」技なのではないか。

 現代の不幸は、人間の職人を生み出さないことにあるのではないか。目先のこと、新奇なこと、早く世にでること、早く有名になることが重視され、「人間」を生きることが大事にされない。絵本の表現が、一層軽く(軽薄になり)、一層薄っぺらになる傾向がある。文を書く人にしても、絵を描く人にしても、表現が薄い。職人的人間が少なくなってきているのだろう。

 どうやったら、職人的人間になれるか。学校教育は、本来は人間の職人をつくるところであり、鋳型にはめるのではなく、ひとりひとりの子どもを丁寧に仕上げてほしいものだ。「出来あい」ではなく、人間であることの職人を育ててもらいたい。

 こじつけのように聞こえるかもしれないが、フッサールやメルロ=ポンテイの丁寧なものの見方や記述に接すると、現象学者というのは、職人のような仕事をする人たちではないかと思うのである。