『起死回生の読書!』より 暴風雨の中の無風地帯 勝つための読書 ありうべき教養とは何か 「世界=本」を守ること
勝つための読書
なぜ本を読まなければならないのか? あなたの運命に横やりを入れようとする悪魔は、こう囁くだろう。周りを見てみろ、誰も本なんか読んじゃいないだろう。だから、チャンスなんだよ。
よく見ろ、こいつらはネット以外に情報収集ができない腰抜けばかりだ。やつらは機械にあやしてもらっている赤ん坊にすぎない。だから機械から供給される情報のほかに情報があるのをとんと知らないと来ている。
彼ら現代の赤ちゃんたちがニュースサイトを1ページ読むあいだにスーパー・コンピュータは一〇〇億ページも読んだ上にそのまま正確に記憶してしまうんだ。だというのに、情報源が機械と同じじゃ勝てるわけがないだろう。
彼ら、つまり横並びの赤ちゃんたちを出し抜くのは実に簡単なことだ。彼らがアクセスしようとしないメディアがあり、それがスマホの外にあるメディアのすべてだ。もちろん紙媒体も含まれる。誰もが漠然と必要性を察知していながら、誰も読まなくなってしまった現在だからこそ、本を読む習慣を身につけるだけで、ひとのしないことをする機会を手に入れたことになる。
もちろん、本であればなんでもいいというわけじゃない。そのことには後で言及するとして、とりあえずは欲得ずくで読みはじめてもいいとしよう。
私たち研究者は、欲得ずくの読者のことを普通は考えない。金儲けの指南書を書いて金儲けしようと企む研究者だって少しはいるかもしれない。しかし、そういう先生は本当をいうと、金儲けがあまり得意ではない。だから、金儲けの本を書いて儲けようと考える。
だから、その手の本を手に取ったとしても、それで儲かるとは思わない方がよい。欲得ずくの動機がほんの少し満たされる程度で終わるだろう。とはいえ、そのような動機であっても、そこから別の志向性が生まれる可能性があるかぎりにおいて、ないよりはあった方が絶対にましなのである。
「世界=本」を守ること
古代の戦争において、図書館を焼くことは、敵国の文化を根こそぎ破壊する行為だった。代表的なのはアレキサンドリア図書館になるだろうが、たび重なる破壊のため、古代人の叡知の大半が世界史から完全に姿を消した。中国の秦の始皇帝が大規模な焚書をおこなったことも有名な逸話だ。彼は秦を除く他国の歴史書すべてを焼き払えと命じたそうである。ナチス・ドイツがマルクスやハイネなどユダヤ系の著者の作品群を焚書の対象に選定し、大規模に燃やした例も有名だ。彼らは学術書や文学のみならず、美術品も「頚廃芸術」に指定して、多くの美術家を迫害し、いわゆる前衛芸術を世界から放逐しようとした。
昨今では過激組織タリバンがいわゆる偶像崇拝の禁止を楯にして、バーミヤン渓谷の巨大な仏像を破壊した。岩石に彫られた仏像がダイナマイトで無残にも破壊される映像を覚えている読者も多いだろう。石像や寺院などのモニュメントを破壊する行為も文化(特に他者の文化)に対する攻撃であり、侮辱にほかならない。いわゆるイスラム国が破壊した世界遺産は数知れない。シリアのパルミラ遺跡はめちゃくちゃにされたし、イラクに広がる古代アッシリアの遺跡群も重機によって破壊し尽くされた。彼らの破壊はとどまるところを知らず、ある地域を侵略するとすぐにその都市の象徴的な像や遺跡、モスクなどを破壊し、図書館に火を放ち、蔵書を盗み出しては闇マーケットに投げ捨ててゆく。図書館やモニュメントの破壊、焚書などは、他者の文化を蹂躙するだけでなく、人類が築いてきた遺産を世界から葬り去り、無に帰す破壊なのだ。
文化遺産の破壊は、人類の記憶に対する冒涜であり、露骨なまでの侮辱にほかならない。そうであるがゆえに破壊行為の映像や写真は全世界に一大スキャンダルとして報道される。しかし証拠が映像として全世界に流されれば、それがテロ組織にとっては恰好の広報活動になる。彼らが金を払わなくとも、通信会社や報道機関が勝手に宣伝してくれるのだ。つまり、テロ組織が不埓な行動におよび、乱暴狼籍を働けば働くほど、その活動はキャンペーン活動に似てくるのである。彼らは破壊というかたちで世界的なPR活動を行なっているのである。偶像崇拝の禁止が建前でしかないのは、目的の在り処がちがっているからである。
ほかにも目に余る愚行は存在する。絶滅に瀕した動植物の惨状を目にし、保護に乗り出した人の輪の外から、絶滅寸前の動物をハンターたちが狙っている。ハンターたちの動機は精力増強の漢方薬の材料だったり、美食家の垂涎の的だったりする。金持ちの縁起かつぎとして貴重なサンゴ類が根こそぎ採られることも珍しくない。こういった情報を聞くにおよぶと、人間など滅びた方が地球のためによいのかもしれないと思ったりもする。
しかし、そうやって人間を否定し、人間の死を願うとき、世界が最悪の状態に陥るのは間違いない。先に言及したように、死を願い、殺戮に走る道は、そのまま滅びの道に通じている。未来の世界を守ろうとするなら、過去の人間の歩みを肯定し、守ってゆく必要がある。人間の「知」の歴史を誇り、大事に抱くことによってこそ、最悪の道を避けることができ、また打開策を人智に求め、また未来の歴史を紡ぐ動機にもなってゆくからである。
「知」をあきらめたら、間もなく未来も消えてなくなるだろう。そのような危うい綱渡りを現代人はしていると白覚しなければならない--と呟く声はほとんどの人には届かないだろうが……それゆえ、もっとも残酷な知にこそ、もっとも大きな悦びが宿ると信じることにしよう。
勝つための読書
なぜ本を読まなければならないのか? あなたの運命に横やりを入れようとする悪魔は、こう囁くだろう。周りを見てみろ、誰も本なんか読んじゃいないだろう。だから、チャンスなんだよ。
よく見ろ、こいつらはネット以外に情報収集ができない腰抜けばかりだ。やつらは機械にあやしてもらっている赤ん坊にすぎない。だから機械から供給される情報のほかに情報があるのをとんと知らないと来ている。
彼ら現代の赤ちゃんたちがニュースサイトを1ページ読むあいだにスーパー・コンピュータは一〇〇億ページも読んだ上にそのまま正確に記憶してしまうんだ。だというのに、情報源が機械と同じじゃ勝てるわけがないだろう。
彼ら、つまり横並びの赤ちゃんたちを出し抜くのは実に簡単なことだ。彼らがアクセスしようとしないメディアがあり、それがスマホの外にあるメディアのすべてだ。もちろん紙媒体も含まれる。誰もが漠然と必要性を察知していながら、誰も読まなくなってしまった現在だからこそ、本を読む習慣を身につけるだけで、ひとのしないことをする機会を手に入れたことになる。
もちろん、本であればなんでもいいというわけじゃない。そのことには後で言及するとして、とりあえずは欲得ずくで読みはじめてもいいとしよう。
私たち研究者は、欲得ずくの読者のことを普通は考えない。金儲けの指南書を書いて金儲けしようと企む研究者だって少しはいるかもしれない。しかし、そういう先生は本当をいうと、金儲けがあまり得意ではない。だから、金儲けの本を書いて儲けようと考える。
だから、その手の本を手に取ったとしても、それで儲かるとは思わない方がよい。欲得ずくの動機がほんの少し満たされる程度で終わるだろう。とはいえ、そのような動機であっても、そこから別の志向性が生まれる可能性があるかぎりにおいて、ないよりはあった方が絶対にましなのである。
「世界=本」を守ること
古代の戦争において、図書館を焼くことは、敵国の文化を根こそぎ破壊する行為だった。代表的なのはアレキサンドリア図書館になるだろうが、たび重なる破壊のため、古代人の叡知の大半が世界史から完全に姿を消した。中国の秦の始皇帝が大規模な焚書をおこなったことも有名な逸話だ。彼は秦を除く他国の歴史書すべてを焼き払えと命じたそうである。ナチス・ドイツがマルクスやハイネなどユダヤ系の著者の作品群を焚書の対象に選定し、大規模に燃やした例も有名だ。彼らは学術書や文学のみならず、美術品も「頚廃芸術」に指定して、多くの美術家を迫害し、いわゆる前衛芸術を世界から放逐しようとした。
昨今では過激組織タリバンがいわゆる偶像崇拝の禁止を楯にして、バーミヤン渓谷の巨大な仏像を破壊した。岩石に彫られた仏像がダイナマイトで無残にも破壊される映像を覚えている読者も多いだろう。石像や寺院などのモニュメントを破壊する行為も文化(特に他者の文化)に対する攻撃であり、侮辱にほかならない。いわゆるイスラム国が破壊した世界遺産は数知れない。シリアのパルミラ遺跡はめちゃくちゃにされたし、イラクに広がる古代アッシリアの遺跡群も重機によって破壊し尽くされた。彼らの破壊はとどまるところを知らず、ある地域を侵略するとすぐにその都市の象徴的な像や遺跡、モスクなどを破壊し、図書館に火を放ち、蔵書を盗み出しては闇マーケットに投げ捨ててゆく。図書館やモニュメントの破壊、焚書などは、他者の文化を蹂躙するだけでなく、人類が築いてきた遺産を世界から葬り去り、無に帰す破壊なのだ。
文化遺産の破壊は、人類の記憶に対する冒涜であり、露骨なまでの侮辱にほかならない。そうであるがゆえに破壊行為の映像や写真は全世界に一大スキャンダルとして報道される。しかし証拠が映像として全世界に流されれば、それがテロ組織にとっては恰好の広報活動になる。彼らが金を払わなくとも、通信会社や報道機関が勝手に宣伝してくれるのだ。つまり、テロ組織が不埓な行動におよび、乱暴狼籍を働けば働くほど、その活動はキャンペーン活動に似てくるのである。彼らは破壊というかたちで世界的なPR活動を行なっているのである。偶像崇拝の禁止が建前でしかないのは、目的の在り処がちがっているからである。
ほかにも目に余る愚行は存在する。絶滅に瀕した動植物の惨状を目にし、保護に乗り出した人の輪の外から、絶滅寸前の動物をハンターたちが狙っている。ハンターたちの動機は精力増強の漢方薬の材料だったり、美食家の垂涎の的だったりする。金持ちの縁起かつぎとして貴重なサンゴ類が根こそぎ採られることも珍しくない。こういった情報を聞くにおよぶと、人間など滅びた方が地球のためによいのかもしれないと思ったりもする。
しかし、そうやって人間を否定し、人間の死を願うとき、世界が最悪の状態に陥るのは間違いない。先に言及したように、死を願い、殺戮に走る道は、そのまま滅びの道に通じている。未来の世界を守ろうとするなら、過去の人間の歩みを肯定し、守ってゆく必要がある。人間の「知」の歴史を誇り、大事に抱くことによってこそ、最悪の道を避けることができ、また打開策を人智に求め、また未来の歴史を紡ぐ動機にもなってゆくからである。
「知」をあきらめたら、間もなく未来も消えてなくなるだろう。そのような危うい綱渡りを現代人はしていると白覚しなければならない--と呟く声はほとんどの人には届かないだろうが……それゆえ、もっとも残酷な知にこそ、もっとも大きな悦びが宿ると信じることにしよう。