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文章にイメージを付ける

文章にイメージを付ける

 5120項目に文章にイメージを付けるのは難しいですね。

 今は何しろ、言葉のロマンに賭けましょう。最終的に重複したら、その項目は省きましょう。

 「地域から考える」を「地域を考える」と変えます。イメージが違います。

中間の存在

 社会編で一番気になるのは「中間の存在」です。この言葉。コミュニティしかないのか。あまりにも多く出てきています。その割には実態がないです。エコットもそのつもりで作れば良かった。

 エコットでは「さあ!」という言葉を実現したかった。「さあ!ここから始めましょう」これは覚醒です。これは国という概念に取って代わるモノです。もっと丁寧に作り上げないと。

日本における国と地域の関係

 日本の場合は国はあったけど、地方まで及ぶ力はなかった。江戸時代の参勤交代で初めて、どうにか国という意識ができた。ほとんどは地域です。ちょっと前の中国と一緒です。

 今の段階で、国からコミュニティに変わる、これは藩でも県でもない。これを単位をどのように作り上げていくのか。上からではムリです。下から作るモノです。枠から作るのではなく、枠は後からできる。

地中海が開けた時の風景

 地中海が開く前は、海面の低下により、ヨーロッパとアフリカはつながっていた。それが最終氷期で氷が溶けて、大西洋の海面が上がってきて、地中海に流れ込んだ。その風景を空から見たい。
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OCR化した6冊

『万博の歴史』

 公共土木との抱きあわせからはじまった愛知万博

 市民を参画させ再起動

 新井真一の不在

 既視感に満ちた会場風景

 目標値を下げて及第点を演出

 失敗することに失敗した万博

『イラクのキリスト教』

 十六世紀から二十世紀まで--オスマン支配のもとで

 オスマン帝国

 オスマン帝国支配下のイラク

『糖尿病はこころでよくなる』

 糖尿病と生きる、これからのこと それでも続く人生、「自分」を愛する術を探る

 「いま我慢したら将来報われる」と励まされるけど、そんな「将来」あてにならない。

 我慢だけでは長続きしません。続けるコツがなにかあるでしょうか。

 「糖尿病」を憎からず思える日が、いつか来るのでしょうか?

 「糖尿病」をもって人生を楽しむためにはどうすればいいでしょうか?

『アメリか異形の制度空間』

 〈自由〉の繁茂と氾濫

 〈所有〉と{自由〉とオーナーシップ

 経済的自由と政治的自由

 「ホモ・エコノミクス」の民主主義

 統治の「私物化」

 「私人」としての企業

 自動車産業と「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」

 人間の「科学的管理」

 効率のヴァーチャル世界

 「アメリカ化」する世界

 自由の[原罪]

 脱領土的拡張とその破綻

 全能幻想の倒錯

『深まるアジアのパワーバランス 連携する日米豪印』

 南アジア

 インド

  活発な首脳外交と停滞する国内改革

  主要国との関係

  日印関係

  大地震後のネパールをめぐる中印の動き

  軍事

  通常軍備

 パキスタン

  内政

  対外関係

  軍事

 アフガニスタン

  アフガン国会襲撃

  ムッラー・オマルの死

  タリバン、クンドゥズ制圧

  クンドウズ病院の誤爆と米軍の駐留延長

  バグラム基地、攻撃される

  タリバン支配の拡大と和平交渉、拒否

  タリバン、カブール国防省襲撃

『経済と社会の見方』

 平等

  所得格差の拡大

  労働価値説という幻想

  「負の所得税」とベーシック・インカム

  人的資本の近未来

 自由

  古典的自由が文明をつくる

  台頭する二〇世紀社会権

  オーストリア学派の自由主義とリバタリアニズム

  国家と個人のアイデンティティ

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自由 国家と個人のアイデンティティ

『経済と社会の見方』より

資本主義は搾取的だと考える人は数多くいますが、そうした人びとの間で「搾取的ではない企業をつくって、それによって良い世界を拡げよう」と考える人はいないようです。あるいはまた、「現代の社会は不平等だから、平等なコミュニティをつくって皆に参加を促して世界を良くしよう」という意見もあまり聞きません。自由主義、資本主義社会では、そうした試みは禁止されておらず、どういった試みであれ、人びとが自発的に参加するのであれば、そうした活動は支配的になるでした。

これに対して、搾取的な企業は公正な企業よりも高い利益をあげるため、強欲な資本は搾取的な企業に集まり、結果として不正は維持され続けるという主張があります。あるいは強者に有利で、弱者に不利な法制度によって、世界の不平等が維持されているとの批判もあります。

しかし、本当に人びとが平等な取り扱いを求めており、それによって生産性が向上するなら、現在のようなトップダウン型の企業に代わって、労働者による持ち株制度と労働組合管理型の企業が支配的になってもおかしくはありません。そうした企業は法律事務所や会計事務所など、人的資本だけが重要だという特殊な組織には相当程度に存在します。

自由主義社会は、どういった企業形態に対しても開かれたオープンな制度です。完全に所得リスクや人生リスクをヘッジするような共同体=コニュニティに参加したいなら、そうした制度を構築して参加を呼びかけることも可能です。これまでも実際に宗教コミュニティ、特に特殊なカルトでは、そうした共同生活が行われています。こうした企業やコニュニティに参加することで、集合的な美徳を実現することもできるでしょう。

つまり国家という枠組みのレベルでは自由主義を採用しながら、自分の属するもっと小さな単位の集団で自分の価値観を共有することにすれば、無益な論争も避けることができます。二〇世紀アメリカの哲学者ロバート・ノージックは最小国家こそがメタ・ユートピアであり、そこではいかなるコミュニティを設立して自分たちの楽園を築くこともできると言います。彼の言葉を引用しまし 人々のどんなグループも、あるパタンを工夫し、そのパタンをもつコミュニティー「建設」の冒険に参加するよう他の人々に説得する試みをすることが許される。夢想家や変人、偏執狂や聖人、修道僧や道楽者、それに、ファランクス(フーリエ)、労働の宮殿(フローラ・トリスタン)、統一と共同の村(オーエン)、相互主義的共同体(プルードン)、時間ストアー(ジョシア・ウォレン)、ブルーダー・ホーフ、キブツ運動、クンダリニー・ョガ修行所、等々の支持者たちは、すべて彼らの夢の建設を試み、人々を惹き付ける実例を設けることが許されるのである。

しかし、人は自由な国家を維持しつつ、任意参加型の団体の結成に期待することはありません。人びとが常に国家という単位で、自分が望む制度を他人に強制しようとするのは、なぜなのでしょうか?

これに対して、法的な制度のほとんどは国家を単位にせざるを得ないからだという意見があるでしょう。年金制度などの福祉制度、税制度や徴兵制をいわば集合的でない形で実践することはできません。公共投資や金融政策にしても、国家的な単位でしか実行できません。そのため人びとは、国家という単位でしか政策論争をせず、より小さな集団での制度への参加に興味を示さないことになります。しかし私の意見では、人はそうしたテクニカルな理由に基づいて、もっぱら国家的な制度を議論しているのではありません。ほとんどの人がそれを一顧だにしないのは、我々がプラトンのいうポリス的動物だからでしょう。長い進化の歴史の中で、国と呼べる集団が私たちのアイデンティティとなっているのです。

アリストテレスがポリスを通して「良き生の実現」を重視したのと同じように、現代のほとんどの日本人は国家に対して強い帰属意識を持っています。それは明治時代以降の共通の義務教育制度によるところもあるでしょうし、はるか以前からの言語的・文化的な一体性もあるでしょう。

例えば私は富山県に生まれ育っているため、富山県、あるいは魏志倭人伝の古代であれば、「越のクニ」人であることをアイデンティティとすることもできるはずです。しかし私自身の現実的な感覚では、そうした県民性の違いはテレビの娯楽番組にはなっても、スコットランドやカタロニアの独立運動のように盛り上がりそうにありません。

自分の属する政治集団をアイデンティティとする個人の心理は、強い形で発現すれば全体主義として非難されますが、弱い形ではオリンピックやワールドカップでの自国代表の応援のように、ごく自然で望ましいと考えられます。しかしそうした心理は、個人の経済的な自由を重視せず、国家的な産業保護などを潜在的に肯定するメンタリティにつながっていそうです。

過剰な集団主義は、イノベーションを促進する自由主義にとっては鬼門です。ここでは、「進化的な理由から、人間は周囲の社会にアイデンティティを求め、自分の理想を制度として押し付けようとする傾向を持つ可能性がある」という指摘にとどめます。その科学的な実在性や人間の自由意志に対する拘束、あるいは倫理的な是非などについてはオープン・クエスチョンとして、行動科学的な知識の発展と読者の判断に委ねましょう。それが本書の自由主義の主題にもっとも合致した、開かれた知識のあり方だからです。
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平等 「負の所得税」とベーシック・インカム

『経済と社会の見方』より

「負の所得税」とベーシック・インカム

 近年の格差の拡大にともなって、すべての個人に最低限の生活費を保障するベーシック・インカムの議論がますます盛んになっています。スイス、フィンランド、オランダ、カナダなど多くの豊かな国で、現実的な政策としての論議が進んでいるのです。

 日本でも数多くの著作が書店を賑わせていますが、経済学者である原田泰もまた、二〇一五年の『ベーシック・インカム--国家は貧困問題を解決できるか』において、日本でも採用すべき理由を説得的に論じています。

 ベーシック・インカムの議論にも多様なバリエーションがありますが、ここではフリードマンが提案した「負の所得税」の議論を紹介しましょう。フリードマンは一九六二年の『資本主義と自由』、一九八〇年の『選択の自由』において、誰にも分かりやすい単純で効率的な税・生活保護制度を提案しました。「負の所得税」という制度は、所得税と生活保護、あるいはベーシック・インカムとを一体化した政策です。

 普通、所得税はある一定の所得を越えると課税され、所得が高くなると累進的に税率が上がります。現在の日本では、一人暮らしなら二六〇万円、夫婦と子供二人であれば三八〇万円ほどが最低課税額で、それ以上の所得に一〇パーセントの税が課されます。反対に生活保護制度は、稼得能力がないと認められた場合に政府から給付金が与えられます。現在は一人あたり年間一八〇万円、三人家族であれば二五〇万円ほどです。

 話を単純にするために、ここでは二〇〇万円を境にした負の所得税を考えましょう。つまり二〇〇万円から課税が始まり、一〇〇万円がベーシック・インカムになるように設計するとします。この場合、例えば二〇〇万円以上の所得からは二〇パーセントの税を取りますが、反対に二〇〇万円以下の年収であれば二〇〇万円までの差額の五〇パーセントを補助金=生活保護費として支払います。こうすると、誰もが少なくとも一〇〇万円の所得をベーシック・インカムとして得ることができます。またどんなに少額であっても、働いた分についての半額は所得が増えるため、働こうとするインセンティブも残ります。

 現行の生活保護制度の受給要件では、地方自治体の職員が、本人が働けないことを確認する必要があります。そのため受給申請者に対して、「あなたは、本当は働けるんじやないですか?」というような、嫌がらせの質問を繰り返しているのが現状です。それだけでなく、いったん生活保護を貰えば、働いて給与を得ればその分だけ受給額が減るため、働くインセンティブは完全に失われてしまいます。いつか再び働けなくなって、受給を再申請する場合のことを考えれば、いったん生活保護費が支給されれば、働かないほうが賢明でしょう。

 負の所得税は、こうした人権侵害的な嫌がらせをなくして、誰でも働ける分だけ働くことを可能な限り保障しようとする制度です。高齢者に対する年金支払いも税金投入によって賄われる部分が増えています。国民年金が生活保護と同じように納税者負担によって維持されるなら、年金制度もまた生活保護の一形態として、経済弱者にのみ給付するほうが合理的です。

 現在の日本では、生活保護の支給額は月額て一万円ですが、高齢者の国民年金は五万円です。どちらも国民の最終的なセーフティネットであるにもかかわらず、制度はパラパラで相互に矛盾しています。こうしたムダで分かりづらい多様な制度に代えて、もっと行政効率が高く、透明な制度の構築を急がなければならないのです。

 ところで二〇一六年、スイスでは、すべての人にベーシック・インカムを保障するかどうかの国民投票が行われました。またフィンランドでは二〇〇〇人に六万円ほどのベーシック・インカムを与えて、個人行動への影響を確かめるという社会実験が行われることになりました。こうして北欧諸国などの豊かな小国からベーシック・インカム制度が普及することは、社会権保障の流れからすると自然なことなのでしょう。

人的資本の近未来

 最後に、フリードマンの時代よりも進んだ行動科学的な知見の一分野に、「人的資本」についての理論があります。人びとが教育を受けて、より生産的になる環境などを研究するという応用経済学、あるいは経済的な視点から見た発達心理学です。

 例えば、シカゴ大学のジェームズーヘックマンを中心とするグループは、アメリカでこの三〇年間に行われてきたリスク家庭の子どもへの早期介入教育の結果を分析しています。その結果、教育的な介入が早期であるほど効果は大きく、犯罪率、有職率、持ち家比率、婚姻率などについての経済的なリターンは一〇パーセント以上におよぶことを見出しています。

 経済的なリターンの大きさについては今後の検証を待つ必要がありそうですが、介入を受ける年齢が低いほどに大きな効果があることは疑いないようです。そして幼児期の環境改善効果が大人への職業教育よりも効果的であるなら、若年の母親への生活保護や無料託児施設などは、現行の新築住宅補助などよりはるかに優先されるべきです。

 負の所得税はすべての人をカバーすべきでしょうが、それでも優先順位をつけるなら、私の意見では若い人間が優先されるべきです。現実のシルバー民主主義では高齢者年金を軸にバラマキが行われますが、倫理的に考えれば、彼らには若い時代に蓄える時間もチャンスもあったはずです。また功利主義的に考えても、子どもとその母親を助けるほうが明るい未来につながります。

 民主主義政府は他の政治体制よりはマシなものですが、弱者保護を隠れ蓑にした特殊利権の拡大が践雇するなどの問題は顕著です。格差の拡大に対処するためには、弱者の保護にかこつけた場当たり的な法制ではなく、負の所得税のような明確な準則をもつ公正な政策を目指すべきです。
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アジアのパワーバランス インド

『深まるアジアのパワーバランス 連携する日米豪印』より 南アジア

 活発な首脳外交と停滞する国内改革

  2014年5月に発足したナレンドラ・モディ政権は、2年足らずの間に、首相自らがほぼすべての主要国やインド周辺国を訪問するなど、外交面では活発な動きを見せている。他方で、インド経済再浮揚に向けた国内改革の動きに関しては、野党の激しい抵抗を前に停滞を余儀なくされている。典型的なのが、企業による用地取得を容易にするための「。|こ地収用法改正案」、ならびに州によっても異なる複雑な税制を合理化するための「物品・サービス税(GST)法案」である。

  内外の産業界から要請の強いこの2法案を、政権は当初から経済改革の柱として成立を働きかけてきたが、2年を経過しても依然として実現していない。政府・与党が野党に対し格好の攻撃材料を与え、国会での審議が進まないことが主因である。

  2015年7-8月のモンスーン川会では、汚職捜査中のクリケット・プロリーグの元会長にスシマ・スワラージ外相らが便宜供与を図った疑惑で紛糾し、実質的審議がまったくできなかった。その後、インド国内ではモディ首相率いるインド人民党政権のもとで、異なる宗教や意見に対する「不寛容」の雰囲気が広がっているとして、知識人を中心にこれへの抗議活動が強まった。加えて与野党関係者の汚職疑惑が新たに浮上し、11-12月の冬季国会でも成立に至らなかった。さらに2016年に入ってからも、被差別カーストの学生の自殺や、学生運動指導者の逮捕事件をめぐり、与野党の対立は測深まり、2月からの予算国会も紛糾した。

  最大与党インド人民党は連邦ド院において単独過半数を確保しているものの、上院では連立与党、国民民圭連合(NDA)全体でも過半数に遠く及ばない。そのため、法案の成立には野党の一部の理解と協力を取り付けなければならず、苦慮しているのである。また政椛発足当初は比較的順調であった州議会選挙戦でも、2015年2月のデリー準州での敗北に続き、同年11月にはビハール州でも野党連合を前に惨敗を喫した。このため、州議会の構成が反映される連邦上院での過半数確保への道筋は不透明なものになりつつある。麻薬規制、⑧人道問題、⑨人的交流、⑩宗教上の訪問という10項目が議題となるとされた。そしてその具体的な日程や方式については、翌年1月の外務次官協議で決定することも明らかにされた。

  さらにモディ首相が驚きの外交パフォーマンスをみせた。 12月末のロシア訪問の帰途、アフガニスタンに加え、パキスタンを「電撃訪問」したのである。モディ首相はカブールを発つ直前、シャリフ首相の誕生日を祝いたいとツイッターで発表し、約12年ぶりとなるインド首相のパキスタン訪問が実現した。シャリフ首相のラホールの私邸で懇談した両首脳は対話継続で一致したという。

  しかし、モディ首相の努力は、またしても妨害された。年が明けた1月初め、パンジャーブ州パタンコート空軍基地、アフガニスタンのマザリシャリフにあるインド領事館が相次いで武装勢力に襲撃され、外務次官協議は繰り延べとなった。このように、パキスタンとの関係改善は、モディ首相のリーダーシップをもってしても、困難に直面している。

 主要国との関係

  主要国との間では、欧米諸国、中露のいずれとも、モディ首相が先頭に立って、一層緊密な関係を同時に構築している。焦点は、経済関係と安全保障協力の強化である。まず米国には、2015年9月、国連関連の会合や米経済界との会合等のため、2016年3月にも第4回核セキュリティサミットのため、モディ首相が訪問した。2015年9月の初の印米戦略通商対話(外相級)では、対テロの共同宣言が発表され、パキスタンに基盤を持つ過激派やISなどの勢力に対する脅威を共有し、連携を深めていくことが確認された。後述するように、日本を加えた3カ国の戦略的関係強化の動きも進んでいる。

  2015年度のモディ首相は、前年度に足を運ばなかった欧州との関係強化にも積極的に乗り出した。4月にはフランス、ドイツを、11月には英国を訪問したほか、2016年3月には連続テロ事件直後のベルギー・ブリュッセルで第13回印・EU首脳会議に臨んだ。これらのうち、特筆すべきは、フランスとの戦略的関係の緊密化である。 2015年4月の自らの訪仏時には、シン前政権下で交渉が開始されながら、行き詰まっていた二つの案件について大きな進展があった。第一は中型多目的戦闘機、ラファールの導入計画である。モディ首相はオランド大統領との首脳会談で、全導入計画126機のうち、とりあえず36機をインド側が完成品として輸入する意向を示した。そこから政府間交渉が始まり、2016年1月にインド共和国記念日の主賓としてオランド大統領が訪印した際には、価格以外の点で基本合意に達したことが発表された。第二は、アレバ社の原発建設計画である。費用をめぐって交渉が頓挫するなか、両首脳は着工に向けた準備を進めていくことで合意した。

  ウクライナ問題、シリア政策などで欧米と溝の深まるロシアとの伝統的関係も維持・強化されている。モディ首相は2015年7月にBRICS首脳会議とSCO首脳会議出席のためにロシアのウファ、ならびに中央アジア5カ国を歴訪した。SCOについては、インドがパキスタンとともに、従来のオブザーバーという地位を超え、2016年に正式加盟することが決定された。モディ首相は、インドの参画を長年働きかけてきたプーチン大統領に感謝の意を示した。モディ首相は12月に、今度は年次首脳会談のため訪露し、ロシアの高性能軍用ヘリ、カモフ226T、200機をインド国内の合弁会社で共同生産すると発表した。インド国内では、兵器における「メイク・イン・インディア」だと高く評価されている。エネルギー面でも技術移転を一層進めるかたちで新たに原発推進を進めることで合意があった。

  近年、国境問題が先鋭化する機会が増え、インド周辺国にも影響力を拡大させつつある中国に対しては、日米豪などとの戦略的関係強化による警戒策と同時に、経済や対テロ分野での連挑強化を通じた関与策も深化させている。2015年5月、モディ首相は二国間首脳会談のため訪中した。中国の習近平国家主席は、自らの故郷、西安でモディ首相を歓待し、仏教と古代文明による両国の深い繋がりを演出した。その後、北京での李克強吋相との会談後に発表された共同声明によれば、首脳の定期的な相互訪問、成都・チェンナイ各領事館の開設、陸軍総司令部間のホットライン設置に双方が介意したという。経済面では、貿易不均衡の是正のため、医薬品やITなどインドの得意分野での貿易拡大や、中国がインドの鉄道インフラ構築に協力することを含め、対印投資を拡大することなどが盛り込まれた。さらにモディ首相は、電子査証を中国人に対しても発給し、観光やビジネスでの人的往来を活性化させる意向を示した。他方で、中国が推進する「一帯一路」構想に関しては、共同声明においても一切言及がなく、モディ政権が、中国側の意図に警戒感を抱いており、これに距離を置こうとしていることが浮き彫りとなった。

  モディ政権発足当初には、たびたびみられた実効支配線(LAC)での中国側の攻勢も目立たないものになりつつあり、中印の国境は比較的安定した状況にある。 2015年9月には昆明で5回目となる陸軍合同訓練が実施された。ここでは従来の対テロに加え、大災害の際の救援訓練も新たに行われるなど、安全保障協力と信頼醸成も進展している。
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