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文房具が本を駆逐する

 久しぶりの名古屋

  やはり、右胸が痛いですね。バス停まで15分、歩きました。思い切って、名古屋に行くことにしました。何も持たずに来ました。録画した、NHK番組「戦争と平和」だけ持って、来ました。高速バスの中で見るつもりです。テレビとバッテリーです。

  10時過ぎについて、地下街の吉野家で並卵のあとに、スタバに行き、恐る恐る覗き込んだ。居なかった。休憩かもしれないとと思い、ミッドランドスクエアの映画館に行って、適当な映画があるかどうか確認した。時間帯が悪かった。それで、戻って、見ていたが居なかった。

  知り合いのスタッフが声を掛けてくれたので、居るかどうか聞いたら、「居ない」とのこと。機能も居なかったみたい。年末の月末では、勤務時間が限られますね。やはり、縁はないですね。Iさんが居ないと入る気にもならないので、そのまま、東急ハンズに向かった。

 文房具が本を駆逐する

  10階の文房具に着いたが、様子がおかしい。尋ねたら、11階とのこと。11階はほんやだったはずだったけど。本屋が1/3になり、残りをハンズの文房具が占めていた。名古屋の駅前の本屋といえども、規模縮小なんですね。東京の大規模本屋がつぶれるのと一緒ですね。

  一昨年と同様に、モレスキンのダイアリー(3020円)を購入。色はオレンジにしました。どこにも寄る気がしなくて、バスで豊田市に直行。

 スタバのザッハトルテが薄くなっていた

  駅前スタバにザッハトルテがあった。クリスマスが終わり、次のシリーズですね。早速、セブンイレブンのザッハトルテと比べるために購入。420円は高すぎる。ファミマが250円、スタバが300円ですね。なんとなく、背が低くなっているねとカウンターのみのりさんと話していた。チョコレート味があまりしなかった。

 モレスキンには世界の祝日が書かれている

  モレスキンのダイアリーに世界の祝日が書かれていた。元旦が食実でないのは、イスラエルだけです。四月の祝日は世界を見ると、3日ぐらいあるけど、日本は1日しかない。これは宗教の関係なんでしょう。

 他者の世界に一人

  私には文句を言える相手が居ない。周りには他者しか居ないんだから。

 外出する人の割合

  ネットニュースで、外出する人の割合が低くなっていると報じている。この外出の定義の中で、近くのコンビニまで行くことは含まないでしょう。そうだと、私の場合は0.6ぐらいですね。かなり、低いですね。

 ブロックチェーン以前に市民の覚醒

  ブロックチェーンで従来のハイアラキーのカタチから配置のカタチに変わっていく。元々のものが変わってくれば、こういうものが出てきて、それがサポートしていくことを述べている。主客が変わります。

  まず、ハイアラキーの方から変わっていかないといけない。そうでないと、手段は使えません。ブロックチェーンの問題をリーダーシップとかガバナンスで解決できるというのは、まだまだ不十分です。これこそはイアラキーに依存している。これを超えていくためには底辺から変えていくしかない。

 小さな視点での映画

  大きな視点に対して、小さな視点を描けるのが映画です。大きな視点の映画はできません。戦争と平和と言っても、概念だけ述べても。映画にはなりません。

  アンドレが出てきて、ナターシャが出てきて、ピエールが出てくる。それぞれが何を考えて、土オウ動くのか。ナターシャは何を望んだのか。

 OCR化した本の感想

  『世界史のながれをつかむ技術』

   怠惰と欲望が世界を変えるとある。歴史を変えるためには、市民の覚醒で、人類を新たな境地へ持って行かないといけない。その実験は6世紀に為されている。ムハンマドでアラブ社会が覚醒した。その伝播力は大きなモノだった。

   オスマントルコというよりもトルコ人の迷走によって、中途半端なものになってしまった。新しいカタチでの覚醒で、怠惰と欲望を超えることでシェア社会を他者の世界に作って欲しい。

   西アジアの時代区分は実験の歴史を示している。古代オリエント世界⇒一神教の誕生⇒アラブ帝国とイスラム帝国⇒オスマン帝国。これが西洋中心の歴史のそばで流れていた。今後は大きな一つの流れで動き出す。

  『独身40男の歩き方』

   これって、一般的な悩みを書いているだけで、そこから先を分析していない本ですね。そして、その悩みは独身40男に限ったことではない。自分を持っていない人間に共通するものです。他者の世界は面倒くさい。勝手に人との関係で悩んでいる。

  『起死回生の読書!』

   何故、本を読むのかは難しい。まずは1万冊の本に触れてみないと理解できない、と言うのが私の感想です。1万冊達成時点で分かったのは、全てを知るために本はあるんだと言うこと。

   1万冊を読める環境は図書館抜きには考えられない。1万冊買ったら、軽く1千万円を超えるだけでなく、置き場所がない。借りて、本からDNAを抜き出して、ネットに補完することで可能になった。

   電子書籍の時代になれば、コンテンツの文化・統合によって、個人の環境はたやすくできる。更に進めば、知のカプセル化も可能になる。全てを知るために、本を読まなくても済むようになる。本を読むことが重要ではなく、私は私の世界を創り出すことが目的です。
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「世界=本」を守ること

『起死回生の読書!』より 暴風雨の中の無風地帯 勝つための読書 ありうべき教養とは何か 「世界=本」を守ること

勝つための読書

 なぜ本を読まなければならないのか? あなたの運命に横やりを入れようとする悪魔は、こう囁くだろう。周りを見てみろ、誰も本なんか読んじゃいないだろう。だから、チャンスなんだよ。

 よく見ろ、こいつらはネット以外に情報収集ができない腰抜けばかりだ。やつらは機械にあやしてもらっている赤ん坊にすぎない。だから機械から供給される情報のほかに情報があるのをとんと知らないと来ている。

 彼ら現代の赤ちゃんたちがニュースサイトを1ページ読むあいだにスーパー・コンピュータは一〇〇億ページも読んだ上にそのまま正確に記憶してしまうんだ。だというのに、情報源が機械と同じじゃ勝てるわけがないだろう。

 彼ら、つまり横並びの赤ちゃんたちを出し抜くのは実に簡単なことだ。彼らがアクセスしようとしないメディアがあり、それがスマホの外にあるメディアのすべてだ。もちろん紙媒体も含まれる。誰もが漠然と必要性を察知していながら、誰も読まなくなってしまった現在だからこそ、本を読む習慣を身につけるだけで、ひとのしないことをする機会を手に入れたことになる。

 もちろん、本であればなんでもいいというわけじゃない。そのことには後で言及するとして、とりあえずは欲得ずくで読みはじめてもいいとしよう。

 私たち研究者は、欲得ずくの読者のことを普通は考えない。金儲けの指南書を書いて金儲けしようと企む研究者だって少しはいるかもしれない。しかし、そういう先生は本当をいうと、金儲けがあまり得意ではない。だから、金儲けの本を書いて儲けようと考える。

 だから、その手の本を手に取ったとしても、それで儲かるとは思わない方がよい。欲得ずくの動機がほんの少し満たされる程度で終わるだろう。とはいえ、そのような動機であっても、そこから別の志向性が生まれる可能性があるかぎりにおいて、ないよりはあった方が絶対にましなのである。

「世界=本」を守ること

 古代の戦争において、図書館を焼くことは、敵国の文化を根こそぎ破壊する行為だった。代表的なのはアレキサンドリア図書館になるだろうが、たび重なる破壊のため、古代人の叡知の大半が世界史から完全に姿を消した。中国の秦の始皇帝が大規模な焚書をおこなったことも有名な逸話だ。彼は秦を除く他国の歴史書すべてを焼き払えと命じたそうである。ナチス・ドイツがマルクスやハイネなどユダヤ系の著者の作品群を焚書の対象に選定し、大規模に燃やした例も有名だ。彼らは学術書や文学のみならず、美術品も「頚廃芸術」に指定して、多くの美術家を迫害し、いわゆる前衛芸術を世界から放逐しようとした。

 昨今では過激組織タリバンがいわゆる偶像崇拝の禁止を楯にして、バーミヤン渓谷の巨大な仏像を破壊した。岩石に彫られた仏像がダイナマイトで無残にも破壊される映像を覚えている読者も多いだろう。石像や寺院などのモニュメントを破壊する行為も文化(特に他者の文化)に対する攻撃であり、侮辱にほかならない。いわゆるイスラム国が破壊した世界遺産は数知れない。シリアのパルミラ遺跡はめちゃくちゃにされたし、イラクに広がる古代アッシリアの遺跡群も重機によって破壊し尽くされた。彼らの破壊はとどまるところを知らず、ある地域を侵略するとすぐにその都市の象徴的な像や遺跡、モスクなどを破壊し、図書館に火を放ち、蔵書を盗み出しては闇マーケットに投げ捨ててゆく。図書館やモニュメントの破壊、焚書などは、他者の文化を蹂躙するだけでなく、人類が築いてきた遺産を世界から葬り去り、無に帰す破壊なのだ。

 文化遺産の破壊は、人類の記憶に対する冒涜であり、露骨なまでの侮辱にほかならない。そうであるがゆえに破壊行為の映像や写真は全世界に一大スキャンダルとして報道される。しかし証拠が映像として全世界に流されれば、それがテロ組織にとっては恰好の広報活動になる。彼らが金を払わなくとも、通信会社や報道機関が勝手に宣伝してくれるのだ。つまり、テロ組織が不埓な行動におよび、乱暴狼籍を働けば働くほど、その活動はキャンペーン活動に似てくるのである。彼らは破壊というかたちで世界的なPR活動を行なっているのである。偶像崇拝の禁止が建前でしかないのは、目的の在り処がちがっているからである。

 ほかにも目に余る愚行は存在する。絶滅に瀕した動植物の惨状を目にし、保護に乗り出した人の輪の外から、絶滅寸前の動物をハンターたちが狙っている。ハンターたちの動機は精力増強の漢方薬の材料だったり、美食家の垂涎の的だったりする。金持ちの縁起かつぎとして貴重なサンゴ類が根こそぎ採られることも珍しくない。こういった情報を聞くにおよぶと、人間など滅びた方が地球のためによいのかもしれないと思ったりもする。

 しかし、そうやって人間を否定し、人間の死を願うとき、世界が最悪の状態に陥るのは間違いない。先に言及したように、死を願い、殺戮に走る道は、そのまま滅びの道に通じている。未来の世界を守ろうとするなら、過去の人間の歩みを肯定し、守ってゆく必要がある。人間の「知」の歴史を誇り、大事に抱くことによってこそ、最悪の道を避けることができ、また打開策を人智に求め、また未来の歴史を紡ぐ動機にもなってゆくからである。

 「知」をあきらめたら、間もなく未来も消えてなくなるだろう。そのような危うい綱渡りを現代人はしていると白覚しなければならない--と呟く声はほとんどの人には届かないだろうが……それゆえ、もっとも残酷な知にこそ、もっとも大きな悦びが宿ると信じることにしよう。
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『独身40男の歩き方』というけれど……

『独身40男の歩き方』より ⇒ これって、40歳に限ったこと? 独身に限ったこと?

メンタル 何か不安で、何に期待できるか

 通勤中、食事中、布団の中……頭の片隅から「そろそろヤバイ」の不安が離れない

 仕事はそつない反面、プライベートはからきし。ギャップにワケもなく落ち込む

 汚部屋に引きこもる休日。家族や友人を失ったとき、圧倒的な孤独が訪れる

 単調な毎日への嫌悪感にイライラ。パワハラ、デートDV、泥酔で逮捕も

 楽しいときにちっとも笑えない。ほおの筋肉がこわばり無表情に。笑い声が出なくなった

 アイドルのライブで泣けるのに、身内が亡くなっても涙が出ない。バーチャル依存で、涙のメカニズムが崩壊

 自分を守る言い逃れがうまくなり、「面倒くさいジジイ」として煙たがられる

 不意に、夢や子どもを完全にあきらめる瞬間が訪れる。「自分には何もない」虚しさが直撃 

 事実、全国の独身40男たちから、「どうしたらいいか分からない」との叫び声が殺到している

恋愛と結婚 女性なしの人生は考えられない

 「3人に1人は結婚できない」生涯未婚率の現実。1人で生きていく覚悟はあるか?

 「女の40代はキツイけど、男の40代はまだ大丈夫」の大ウソ。余っている上に早死にするのは男

 「若い子とつき合いたい」の無謀な夢。相手にしてくれる年下女性は、お金と在留資格狙いの外国人のみ

 婚活サイト、婚活パーティーでの悲しすぎる現実。「一度会うのすら嫌」の扱い

 「ブス」「デブ」「年上」「性格に難アリ」「家事下手」〝普通の子〟は結婚できない? 

 交際相手から突然捨てられて一人に。同僚や友人からもダメ出しされ、恋愛に苦手意識が芽生える

 安易な同棲が、心離れや破局に直結。残された道は不本意な結婚か、捨てられた末の孤独か

 中途半端な交際が、猛攻撃を招く。浮気と二股、誹誇中傷、ストーカー、損害賠償の大ピンチー

仕事 上を目指すか、下を見るか。どう向き合ったらいいのか

 出世の見込みがなくなり、やりがいが消失……後輩の部下になり、リストラ待ったなし

 上司も部下も距離感が遠く、会社に話し相手がいない。ワーカホリックな日々に拍車がかかる

 自分のやり方が通用しなくなった。指示待ち20代、マイペースな30代、2層の部下に振り回されて、軽うつに

 スキルアップも副業もことごとく挫折。「時間があるからついやってしまう」が、すべて道半ばで放棄

 消えない独立願望の果てに、J取後の賭け以、脱サラ。現実の厳しさに早くも再就職活動

人間関係 プライベー卜の人脈は独身者の生命線

 学生時代の友人は、話が合わなくなる。会う機会はますます減り、もはや友人と言いづらい関係に

 同僚と飲みに行かなくなり、〝ひとりランチ〟にも慣れた。仕事のグチすらこぼせる人がいない

 「いいね!」がつかずコメントも一方通行。「実質、友人ゼロ」で、誰とも言葉を交わさずに休日が終わる

 年下の友人から、プチ仲間外れに。なぜか、自分だけ飲み会や合コンに呼ばれない

 家族からも一歩引かれ、腫れ物扱い。心配されず、されるのはお金のおねだりだけ

趣味とお金 ひとり遊びが不幸へと続く道

 唯一の趣味に依存。こだわり、金のかけ方、心ない言葉……仲間との温度差が広がり、孤立する

 衰えやマンネリで、年下や女性との勝負にも完敗。虚しさで、大好きな趣味が嫌いに

 運営コミュニティを荒らされる、アイドルの熱愛発覚、ペットロス……突然、生きがいを失ってしまう

 「趣味なし」の人が最も危険! 引きこもり、暴飲暴食、重病発症、孤独死のフルコース予備軍に

 「既婚者が家族にお金をかける分、僕は趣味に投資しよう」趣味依存症が老後資金を使い果たす

 お金への不安が生活レベルを下げる。食を乱し、安部屋に引っ越し、幸せを感じられぬまま、小銭を失う

ファッション 世間は40男の見た目をこう思っている

 予想以上のスピードで進む薄毛。髪型を変えなければ、60代のジイサンだと思われる

 ギトギト顔とカサカサ顔が同居。「脂ぎった中年」と「枯れた老人」の落差にショック

 ただのデブでは済まない不自然なぽっこり腹。「キモイ」「早死にしそう」の陰口

 スーツが似合わなくなった。サイズ、シャツ、ネクタイ、革靴、すべてがダサくなる

 自覚なき若作りファッションの罠。笑われ、ドン引きされ、痛いジジイ扱いを受ける 226

健康 笑顔で生きていくための処方箋

 40代男性の死因はがんと自殺のツートップ。突然襲われる心疾患、脳疾患も多い

 「俺は大丈夫!」の自己暗示が、救急搬送→手術→入院の一大事に。ぽっくり死ねず生き残る恐怖

 飲酒、喫煙、孤独と嫉妬、遅寝早起き。生活の乱れとストレスが転じて若年性認知症に

 日々のダメージが積み重なり、男性でも更年期障害に。まさかのEDに大ショック!

 ケータイすら持てない恐怖の四十肩。5m走っただけで肉離れ、じん帯損傷、アキレス腱断裂
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西アジアの時代区分 アラブの覚醒のためのイスラム教

『世界史のながれをつかむ技術』より 「歴史とはなにか」--自分と世界をつなぐもの 西アジアの時代区分 一神教の誕生 前6世紀~7世紀 アラブ帝国とイスラム帝国 7世紀~13世紀

多神教のローマで迫害されたキリスト教

 旧約聖書を題材にした映画『十戒』でもおなじみの、紅海を割るモーゼの「出エジプト」の話は、前13世紀後半ごろのできごとではないかと考えられています。この段階でユダヤ教が成立していたと考えてしまうのですが、ユダヤ教は、古代ユダヤ人の大きな試練である、前6世紀の、新バビロニアによる「バビロン捕囚」の悲惨な経験を反省しながら成立することになります。

 そのユダヤ教では、ヤハウエ(神)への絶対的ともいえる服従、ヤはウェの救済の対象をユダヤ人のみとする排他的な「選民思想」、そして「救世主(メシア)」などを特色にし、洪水伝説など古代メソポタミアで語り伝えられていた神話や伝説も取り込み、壮大な世界像を作り上げています。

 アケメネス朝ペルシア帝国によってバビロン捕囚から解放されたユダヤ人ですが、その後も試練は続きました。しかし、セレウコス朝シリアの支配下でハスモン家を中心にユダヤ人国家を建設しましたが、それはローマによって滅ぼされ、ローマの支配下に入りました。ユダヤ人がイエス・キリストをメシアとして期待したのは、紀元前後、ローマで帝政が始まったころなのですが、そのイエス・キリストはユダヤ人が期待する動きには同調せず、ユダヤ人の救済より広く人類の救済を説き、ユダヤ人を失望させました。

 イエス・キリストはローマの手によって処刑されるのですが、すぐに「復活」したという信仰が生まれ、彼を救世主とする信者たちによって「キリスト教」が形成されていきます。しかし多神教世界のローマにあって、ひたすら神に救済を祈るという一神教信仰はなかなか受け入れられず、ネロによるものなど、しばしば迫害されました。

 迫害にもかかわらず信者を拡大していったキリスト教は、4世紀になると公認され、国教化されるに至ります。すると今度はキリスト教が、異教や異端を排除する立場に回るのです。

 国教化されたところで、イエス・キリストその人が大問題になってきました。彼は具体的な姿をこの世のなかに示した存在です。キリスト教徒にとっては信仰の原点になる存在なのですが、彼を神と考えたら神が2人もいることになってしまいます。彼を「神」としていいものかどうか、困った問題が出てきます。さまざまな論争がおこなわれたのちに、「神・キリスト・精霊」は一体にして「神」である(三位一体説)という考えを正統教義として解決を図りました。

 ところで、ローマ帝国は4世紀末に東西に分裂、西ローマ帝国は5世紀に滅亡します。ローマに拠点を置くキリスト教会はゲルマン社会に新しい信者を求めるようになりました。

世俗主義を受け入れなかったイスラム教

 一方の東ローマ(ビザンツ)帝国は西アジアになお大きな影響力をもっていましたが、東方のササン朝ペルシア帝国との慢性的な対立が続いていました。そんななか、両者の対立していた南方、アラビア半島で新しい動きが出てきます。この地域の住民はペルシアやシリアなどとの交易を盛んにおこなうようになっていたのですが、それに従事していたムハンマドがユダヤ教やキリスト教の影響を受け、7世紀の初め、イスラム教を始めました。

 イスラム教は聖職者を認めません。多神教信仰がおこなわれていたアラビア半島で一神教のイスラム教は迫害されましたが、ムハンマドの巧みな指導もあり、多神教の中心であった都市メッカに勝利したことで、一挙にアラビア半島の住民の支持を勝ち取りました。『コーラン』が最高の権威をもち、信者の義務も「六信五行」と至ってシンプルです。ムハンマドはアラブ(アラビア半島の住民)の覚醒のためイスラム教を始めたのですが、その教義から普遍的な世界宗教になっていくことになります。

 最後にもう一言、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も基本的には政教一致の世界の建設を目指します。しかし、民族宗教としての性格の強いユダヤ教でも世俗主義が出てきます。キリスト教も信仰の純粋性を追求した宗教改革がありますが、最終的に政教分離を受け入れます。しかしイスラム教には政教分離という感覚はありません。「六信五行」によって日常生活そのものが信仰=宗教生活になっています。もちろん世俗主義も出てきており、20世紀にはカリフ制度を廃止しますが、世俗主義は少数派というのが現状です。

 多神教世界と一神教世界を単純に比較することはできないでしょうが、一般論として、多神教世界では多くの立場が認められ、寛容の精神が生まれやすいのではないかと思えます。それに対して一神教世界は、異教や異端を排し、非寛容な傾向が出てきがちです。しかし、ひとつにまとまるということは政治的に考えれば有効なこともあります。

 キリスト教が国教化されたのはローマ帝国の衰退期です。イスラム教も、アラブ世界の混乱が背景にあります。ユダヤ教も、バビロン捕囚以降、各地に散ったユダヤ人をまとめていくために強い神が求められたとも考えられます。多くの人々をひとつにまとめていくという観点から一神教の成立と必要性を考えてみたらどうでしょう。

普遍的な存在になるとともに、「アラブ」から「イスラム」へ

 ムハンマド亡き後のアラブ世界は混乱したのですが、ムハンマドの後継者となる「カリフ」を中心にイスラム共同体(ウンマ、イスラム教信者からなる社会)の維持を図ります。そのため対外戦争が続けられ、ビザンツ帝国と戦い、ササン朝ペルシア帝国を滅ぼします。ムハンマド亡き後4人のカリフは「選挙」で選出されたので、その時代を「正統カリフ時代」といい、5代目カリフのムアーウィヤからはカリフの位が世襲化され、ウマイヤ朝となります。このウマイヤ朝時代に、アラブの支配する領土は、東は中央アジア、西はイベリア半島にまで及びます。

 なお、ムアーウィヤと対立した正統カリフの第4代目のアリーはムハンマドの従弟でかつ娘婿になり、多くの支持者がおりました。彼のムアーウィヤヘの対応に反対する一派によって彼は暗殺されるのですが、その息子はウマイヤ家のカリフ世襲化に反対し反乱を起こし失敗に終わります。

 それ以降、アリーこそが真実のカリフであるという集団が生まれ、彼らのことをシーア派(シーアットアリー、「アリーの一派」の意味)と呼ぶようになります。少数派なのですがイランを中心に根強い信者かおり、現在イスラム世界の混乱の一因を作っています。シーア派に対する正統派がスンナ派になります。

 イスラム教は異教・異民族には寛大でジズヤ(人頭税)を払えばそれぞれの信仰が認められていました。しかしこのジズヤはイスラム世界において他の宗教の信仰が保障される「非信仰税」のようなものであり、改宗した民族からの不満が大きくなってきます。やがてイラン人を中心にイスラムに改宗した人々がジズヤの不払いを要求し、さらにウマイヤ朝の同族支配に反対する人々などがアッバース家を中心に反ウマイヤ勢力を結集し、750年、ウマイヤ家を追放し、アッバース朝を建てたのです。

 イスラム教は名実ともに普遍的な世界宗教になり、正統カリフ時代からウマイヤ朝時代を「アラブ帝国」というのに対し、アッバース朝は「イスラム帝国」と評価します。
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西アジアの時代区分 古代オリエント世界

『世界史のながれをつかむ技術』より 「歴史とはなにか」--自分と世界をつなぐもの 西アジアの時代区分 古代オリエント世界 前3000頃~前4世紀

世界の東西・南北を結ぶ懸け橋

 今日、「中近東」といわれる地域は、5000年にもなる長い「歴史」をもっています。まさに人類文明の発祥ともいえる地であり、今日に至るまでこの地域は世界史で中心的役割を果たしています。地図を見ても、この地域の重要性は認識できます。「文明の十字路」といういい方がされるように、自らも高度な文明を生み出しただけでなく、世界の東西・南北を結ぶ懸け橋になり、さまざまな文物が交流したのです。

 そしてその地域の支配を狙って、周辺からさまざまな民族・勢力がやってきます。その結果、この地域の支配者は交替し続けています。学ぶ側からいくと、これほど面倒なことはありません。

 さらにもうひとつ付け加えますならば、この地域で、現在の世界を動かしているキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3つの「一神教」がすべて誕生しているのです。

 ここでは、この5000年に及ぶ中近東地域の歴史を「古代オリエント文明2700年(前3000年ころ~前4世紀)」「一神教の成立(前6世紀から後7世紀ころ)」「アラブ帝国とイスラム帝国(7世紀~13世紀)」「オスマン帝国(14世紀~20世紀)」と区分してそれぞれの時代の特色を紹介します。

エジプトとメソポタミアを結ぶ「歴史的なシリア」の重要性

 まず、古代オリエント世界を見ていきます。古代オリエントの長い歴史のなかで、数え切れないほどの民族・国家が興亡しました。そのような長い時間に多くの国家が凝縮されているこの地域を理解しようとするのは簡単なことではありませんが、いくつかの視点を据えて見ていくと概略だけは浮かび上がってきます。

 とくにエジプトとメソポタミア、ともに大河に育まれた文明ですが、両地方をつなぐ「歴史的なシリア」(シリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン)と呼ばれる地域の役割にも注目してください。この地域は地中海の東海岸に面し、交通・貿易の重要な場所として、争奪の的になったのです。

 また、エジプトとメソポタミアの地形を比較すると、エジプトは砂漠と海に囲まれた「天然の要害」になっています。このため、異民族の侵入が少なく、エジプト人の王朝が長く維持されました。その繁栄を代表するのが、前27世紀ごろから始まり、雄大なピラミッドで知られる古王国時代、そして前16世紀ごろから始まり、ラムセス2世の対外積極策、ツタンカーメン王の豪華な墳墓などを残す新王国時代になります。さすがに新王国時代を過ぎると、周辺民族の侵入に苦しめられますが、ヒエログリフ(文字)を頂点にエジプト文明が残したものは今日になお大きな影響を与えています。

 一方のメソポタミアでは、豊かな農耕地帯を狙って周辺の民族が次々と侵入し、多くの国家・民族の興亡が見られます。この地域で最初の「国家」を建設したのはシュメール人です。とはいうものの、彼らの国家はいわゆる都市国家であり、広い版図を有する領域国家ではありません。しかし、彼らは視形文字や太陰太陽暦など高度な文明を生み出しました。それらは、以後の諸民族によって継承されていきます。

 このシュメール人の都市国家をまとめ、最初の領域国家を作ったのが、前24世紀ごろのアッカド人です。さらに前19世紀ごろにはバビロン第1王朝(古バビロニア王国)が成立しますが、この王朝の(ンムラビ王が作成した「法典」はこの時代のメソポタミア社会を知る超一級の歴史史料になっています。

 このバビロン第1王朝を滅ぼすのが、小アジアから侵入してきたヒッタイトになります。鉄器を最初に実用化したとされる彼らは新王国時代のエジプトとも戦いました。その戦場になったカデシュがシリア地方にありますが、このシリアがヒッタイト・エジプト・ミタンニ(カッシートとともにバビロン第1王朝に代わった国家)の角逐の場になるのは、その後のシリア地域の重要性を暗示しています。

国家の発展のモデルケース

 前12世紀ごろ、地中海東海岸一帯は「海の民」といわれる民族が略奪を繰り返しました。その混乱が一段落した後、シリアの海岸地域にいたのが地中海交易で活躍するフェニキア人、内陸部にいたのが内陸アジア方面との交易に従事したアラム人、さらにパレスチナの地に住みついたユダヤ(ヘブライ)人になります。ユダヤ人は前10世紀ごろ古代ヘブライ王国を作りますが、イスラエルとユダに分裂、のちにユダ王国が受ける試練がバビロン捕囚になります。

 前8世紀ごろ、シリア・メソポタミア北部から拡大したアッシリアがシリア・メソポタミアはもちろんさらにエジプトまでの広大な地域を初めて統一しました。最初の「世界帝国」の成立になります。しかしアッシリアの支配は厳しい武断政治のため、被支配民族の抵抗により崩壊し、リディア(小アジア)・新バビロニア(メソポタミア)・メディア(ペルシア)・エジプトの4国対立状態が生まれます。前6世紀の中ごろ、メディアの一地方から強大化したアケメネス家がアッシリアの版図を再統一し、2番目の世界帝国を建設しました。アケメネス朝ペルシア帝国はアッシリアとは異なり被支配民族の寛大な統治をしたことで知られます。新バビロニアのおこなったバビロン捕囚からユダヤ人を解放したのはその一例です。

 前4世紀、バルカン半島に出たマケドニアのアレクサンドロス大王はシリアーエジプトのみならず、ベルシアから北西インド、中央アジアまで広大な地域を制圧しました。彼はそこで民族融和の新しい世界を建設しようとしましたが、部下には聞き入れられず失敗、プトレマイオス朝のエジプトやセレウコス朝シリアなどが分立します。この間、ギリシア文化が中近東世界に拡大し、ローマの支配下ながらエジプトのアレクサンドリアがヘレニズム文化の中心になりました。

 今日に連続してくるさまざまな文明を生み出した古代の西アジア地域は、歴史とはこのように展開するのかということを教えてくれるかのごとく、都市国家から領域国家へと典型的な発展をしていきます。領土の拡大は、やがて諸勢力の対立を生みますが、その場所がシリア・パレスチナ地域になり、エジプト・小アジア・メソポタミアの諸国家がせめぎ合います。

 さらに、これらの全地域をまとめるアッシリアやペルシアの「世界帝国」が建設されることになりますが、西方ギリシアから出てきたマケドニアがその支配を継承、さらには文化的な融合も図りました。そのような民族・文化が混在するなかで、次に見ていくように一神教が創始されていくのは興味深いことです。
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