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中間の存在は部品表から生まれた

8時から行動する

 まずは、8時から行動することから始めましょう。6時には、起きるが、あの暗闇の中の寒い空間に出て行く勇気はない。仕事の時は6時に家を出ていたのが不思議です。

 ローディアにマジックで日常を突破できるか。例によって、道具を買い出しです。POSCA200円の青と赤を購入。これは圧倒的な色を持っている。

中間の存在は部品表から生まれた

 中間の存在に、もう少し、部品表での考え方を入れ込みましょう。仕事で得たことには、大いなる意思からのメッセージがあるはずです。コラボなどはその他の項目で述べているから、中間の存在が何故、必要なのかを言及します。

 これを発見したのは、部品表そのモノです。なぜ、これほどの巨大なデータベースが成り立つのか。構成と仕様がつながることは、言葉とデータがつながることを意味する。それは中間が明確だから。その中間がバリアが生み出していく。

 決して、型式からのハイアラキーではなく、その中間が全体をコントロールしている。それを車という、膨大なデータの塊の整理に使った。このソフト自体はGMとIBMから起こったモノです。

一巡して戻ってくる

 仕事の所は、一巡して戻ってくるという感じです。

 パートナーも寄り添うところ、仏教を含めた、そういう人とかカタチにしていく。仕事の分野を汎用化します。第5章の仕事との関係は一気には変えられないけど、新しい大きな立場から見ていきます。一巡した世界。

ハンナ・アーレントは好きです

 ハンナ・アーレントの思考の中に、活動と思考、つまり、actとthink、未唯空間と同じモノが出てきた。サファイア循環に自信が持てた。

自撮り用小型ドローン

 スマホケースで持ち運べる 自撮り用小型ドローンが登場。すごい。だけど、スマホがない。撮すものがない。

 過去の出来事を撮りたい。過去に三回あったと言われている、地中海になだれ込む大西洋の海水。ジブラルタルの夕陽。温暖化で北極の氷が溶けて、大西洋の水位が上がらなければ、地中海は干上がったままだった。

 地球の火山活動でCO2が排出されなければ、地球はアイスボールのままだった。よく、生き返ったものだ! これらは地球原理で考えるよりも多重宇宙で考えたいものです。

OCR化した本の感想

 『地図で見るアラブ世界ハンドブック』

  借りた理由は、アラブのキリスト教徒の状況を知りたかったから。玲子さんからは、レバノンの半数はキリスト教徒と聞いいる。ソホクリスはレベノンでワイン作りを行なっている。イスラム教なのに、何故、ワイン作りと聞いたところ、半数はキリスト教徒だと言うことでした。

  内容に関して興味深かったのは、「変革と革命」です。アラブには次のモデルがない。トルコモデル、イラクモデルともに成功例ではない。アラブの春でカタチができると思ったが、ISISと政府軍の戦いになり、多くの移民を出しただけです。

  それは民主主義をモデルにしたことの悲劇です。西洋を越えるモデルが出てくると思っています。

 『知の進化論』

  未唯宇宙を作っている。5120項目が考える過程で出てきた。これをハンドリングできる知能が欲しい。私だけのCPUでは足りない。

  車全体の型式と品番との関係を示しているのが部品表です。その中間に部位という腰の部分があります。それらのコードをハンドリングすることで車とか部品、技術者の思いが見えてくる。そのために最高級のメインフレームを駆使した。私の仕事の始まりです。

  文章とか重いとか夢をハンドリングできるマシンが欲しい。

 『世界の貧困と格差ってなに?』

  税金で格差はなくなるとは思っていない。むしろ、格差が拡がる。民主主義が税金を生んだ。民主主義を超えたところで、どのような制度があればいいのか。

  所有権とシェアの論理を進めていく。
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格差の減らし方--税金という接着剤について

『世界の貧困と格差ってなに?』より 格差の減らし方--税金という接着剤について ⇒ 北欧型ならば、税金もあり、と思えるけどね。

税金はない方がいいのか?

 --税金って、一般的に、払わないに越したことはないと考える企業や人が多いよね。

  「確かに、企業や大金持ちのなかにも、専門家に頼んで税をなんとかして払わないようにしようと、並々ならぬエネルギーを割いている場合があるね。普通の人びとだって、税金が増えることは喜ばないさ。」

 --確かに増税を喜ぶ人ってあまリ聞いたことがない。コンビニの値段ラベルを見て、お買い得と思っても、払うとき「消費税」といって多く払う。憲法でも納税の義務(第三〇条)が書いてあるけど、そもそもなぜ払わなければいけないかよくわからない。

  「「なぜか」、大事な疑問だ。たとえば誰もが利用する普通の道路とか、火事のときの消防署などは税金によって維持されている。儲けることを目的とする民間企業に任せたら、お金が払える人にしかそのサービスを提供しない。困るのはお金のない人びとだ。そういうことが起きないように、人びとからいったん国がお金を集めて、そのお金で人びとに無料サービスをする。

  昔は「火の用心」と言って住民が近所を回ったりした。

  また火事のときはみんなで消火したりしてきた。その維持費のために会費もあった。」

 --要するに、税金とはみんなの生活の安全のための参加費と考えればいいのね。

  「そうだ。日本の田舎ではまだ火の見やぐらが残っているのに気づいたことがある? 消防署がなかったころは、火事が起こると近所の家々も被害を受けるから、地域の住民が交代でこのタワーに登って、火事をチェックしたり、協力し合って火事を減らそうとしてきたんだ。

  ここで、現代世界でなぜ税を払うのかの根拠について改めて考えておこう。昔は王様や、人びとが選んだわけではない権力者が、支配下に置いた人びとから、勝手に、力ずくでお金や農産物などを集めた。年一回納める場合は年貢とも呼ばれた。人びとはこの税の根拠を王様たちに聞くこともできず、使い道もチェックできなかった。しかし、いまの世界では王様ではなく、人びとこそが国のモノゴトを決める主権者だから、自分たちが負担した税の使い道を尋ねだり、議会を通じて提案もできる。格差という社会問題についても税の出番であると訴えることができる。主権者であるわたしたちの間に社会での大きな格差や貧困が生まれると、社会や国の一員であるという一体感が崩れてしまう。税には、それを防ぐ働きがあるんだ。」

 --社会の一体感が崩れるとはどんなこと?

  「日本国内を見てみよう。一方で、たとえば株やビシネスで大儲けした人やその家族がいる。他方で、たとえば会社がつぶれて失業したりして苦しい生活を日々送っている人やその家族がいる。すると一つの社会に経済的に異なる二つの社会層が生まれてしまい、「僕たちの社会」という一体感がなくなるんだ。繰り返しになるけど、市場は競争を通じて勝ち組と負け組を生むが、国が集める税金は、余裕のあるところから多めにもらい、余裕がなくなって困っている人びとも、同じ人間として生活できるように使われる。社会の中で、人びとを互いに引き離すのではなく、逆にくっつける接着剤のようなものだ。」

市場と社会の違いを見つけよう

 --市場と社会の違いね。その二つをくっつけて考えるキーワードが税金なのね。

  「その通り。市場のルールではお金がチカラをもっけど、格差や貧困のような社会問題については、政治参加という誰もがもつ権利と結びつくと、格差社会を変えるチカラをもつ。」

 --税金は政治が決めるのね?

  「その通り。繰り返すように、社会の一体感を保つための税金は議会で決めることになっている。その時々の政府と議会のやり取りから、政治的に決定されるからね。政府と議会は僕たちが国政選挙で選ぶ。だから税に関しても、どんな目的でどのくらい税を集めるか、正しく使われたかは最終的には国民一人ひとりの問題だ。」

 --いま日本では子どもの六人に一人が貧困状態にあることを新聞インタビューで読んだことがある。この子どもとは一八歳以下の子どもたちのこと。そういえば、そこで、児童養護施設に預けられ、大人になって政治家になった人が、当事者の子どもは選挙権がないだけでなく、その親も余裕がなくて、結局子どもたちの声は政治的に反映されない、と訴えていた。それに、シングルマザーの世帯となると、食費さえこと欠く貧困に苦しむ世帯がその半分ぐらいに達している、ということもネットで知ってる。

  「よく気づいたね。」

グローバル経済にグローバルな税金を

 --「南」にも大金持ちがいるのを見たけど、南の国の中の格差を減らすために税金をもっと取れないの?

  「もちろん、「南」の国も人びとから税金を取ってるさ。ただ政府には経済的にまだ余裕がない。前にも言った通り、国内の個人や会社の稼ぐ収入額や持っている資産額も、統計が未発達で正確に把握できないし、政府にわいろを払って税を負けてもらうこともよくある。だから自国の税だけで国内の格差や貧困を減らすには不十分だ。そこで考えられたのが、グローバル経済で活躍する国際企業からのグローバル税という考えだ。」

 --確かに、個人の場合、世界中のお金持ちは自分の国にそれなりの税金を払うことを嫌い、しばしば税金がほとんどない外国を見つけて、その国の銀行にお金を預けたり、マンションを買ったりするって、海外ニュースで報じられていたことがあった。

  「グローバル企業にもそういう企業がある。地球規模の南北格差を考えるとき、グローバル化時代にお金が国境を越えたら払わなくて済むというのは、地球を一つの社会にたとえたらそのメンバーとして余裕のあるお金持ちが他の余裕がない人びとを助ける必要はない、ということになってしまう。」

 --グローバル・ビジネスにも税を課すということね。具体例は?

  「すでに実験というか、具体例として、規模はまだ小さいけどある。たとえば先進国や中進国約一〇カ国は、自国から海外に出発する乗客の航空券に税金をかけ、南の国の感染病の予防や治療のお金をねん出している。一回一〇〇円ぐらいだそうだ。またクリックひとつで大儲けできる株や為替の取引に税をかけようと、日本を含めた北の政府に呼びかける動きもある。その収入を南の保健医療や貧困対策に使う構想を国際市民団体などが各国政府や国際社会に対してキャンペーンしている。国境を越えた経済活動に対して課税して、貧しい国への支援に充てる国際連帯税という構想もある。」

 --ところで聞き忘れたけど、誰が税を取って、どのように使い道のチェックをするの? いまだ世界政府も世界議会もないんでしょ?

  「確かにいまの世界の仕組みないし国際関係では世界政府がないから難しい。脱税も減らすことはできるかもしれないが、すぐにはゼロにはできないだろう。いまのところ、このアイデアを共有するいくつかの北の政府が自主的に単独か数カ国でまとまって実施している。でも、できない理由を一〇〇準備するよりも、できる国ができるところから一つでも、二つでも踏み出し、小規模でも実績を積み重ねることだ。地球社会がつくられようとしているいま。その社会の抱える格差や貧困にたいして、税金という再分配の面でイニシアチブをとるのは地球市民としてごく当然の成り行きだろう。」

税金だけでは格差をつくる仕組みは治せない

 --国内格差や南北問の格差を減らす手段として、税というお金を政府が集めて、困っている人びとのために使う原理は少しわかってきた。でも格差って、税というお金の移転だけで減らすことができるの? というのは、格差は放っておくと大きくなるとしたら、そもそも格差を大きくしないような社会の仕組みというのがあるのかどうか、わたしは知リたい。

  「とても重要な点だ。実際、国を通して、余裕のあるところからお金を集めて、余裕のないところへ回すだけでは、格差を根本的に減らせないだろう。もともとグローバル・タックスのアイディアは、前回話し合ったような、金融ビジネスのアクセルを踏みっぱなしにして暴走するといった事態を引き起こさないために生まれたものだ。この税に、暴走を抑制するブレーキ役が期待されたんだ。実際、富を偏在させてしまう仕組みから、逆に格差の生まれにくい、言い換えれば、誰もがそれなりに誇りと個性を持って生活できる仕組みにどう変えていくかは、グローバル化時代にますます重要なテーマとなる。Fと話し合っている「僕たちがどんな世界に住みたいか」というテーマだって、どんな世界の仕組みが貧困と格差を生みにくくするのか、というFの問いに行きつくね。」
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レコメンデーションとパーソナルアシスタント

『知の進化論』より 人工知能の進歩で知識への需要はどう変わるか? ⇒ ネット放送しか見ていない。コンテンツをバラバラにすると同時に、各自の意味を持たせる手法が進化している。乃木坂での実験は興味深い!

これまでの章で、インターネットがわれわれの情報環境を大きく変えたことを見てきました。いま、情報環境にもう1つの大きな変化が生じようとしています。それは、人工知能の進歩です。人工知能は、これまで人間が行なってきた知的作業の多くを代替するでしょう。それだけでなく、「知識を持つことの意味」そのものにも、本質的な影響を与えようとしています。

レコメンデーションとパーソナルアシスタント

 「レコメンデーション」と呼ばれるサービスがあります。これは、ユーザーが望んでいると考えられる情報を提供してくれるサービスです。コンピュータが、「あなたが知りたいことは、これでしょう」とか、「あなたが欲しいものは、これでしょう」というように、情報を提供してくれるわけです。

 ロングテール的なデジタルコンテンツ配信では、求めるものを探すための仕組みが必要になります。最もよく知られているのは、書籍などを販売するサイトであるアマゾンのレコメンデーションです。本を選ぶと、それに関連する書籍を紹介してくれるのです。アマゾンのレコメンデーションは、多くの新規需要を開拓していると思われます。

 このサービスは、「協調フィルタリング」と呼ばれる技術を用いたものです。これは、購買履歴が似ているユーザーを探し出し、片方が購入している商品をもう一方のユーザーに勧める、という仕組みです。

 協調フィルタリングは人工知能とは言えないかもしれませんが、最近では、人工知能を用いたレコメンデーションが開発されつつあります。これはコンテンツに関する様々なデータと個人データを突き合わせることによって、人々が望んでいる商品やコンテンツを紹介するサービスです。これは、「パーソナライゼーション」と呼ばれます。このサービスを提供するのには、ニューラルネットワークが使われています。

 ニューラルネットワークとは、人間の脳の働きをコンピュータのシミュレーションによって再現しようとする数学モデルです。人間の脳には、100億とも140億とも言われる膨大な数のニューロン(神経細胞)があります。各ニューロンは、他のニューロンから信号を受け取り、他のニューロンに信号を送っています。脳は、こうした信号の流れによって、様々な情報処理を行なっています。そして、様々な経験から学習することによって、処理の仕方を変化させていきます。この仕組みをコンピュータ内に実現しようとするのがニューラルネットワークです。

 また、動画コンテンツに関しては、アメリカの動画提供会社「Netflix」(ネットフリックス)が、人工知能を用いたレコメンデーションを開発しています。

 また、映画について、シナリオから興行成績を予測することも可能になってきています。さらに進んで、「どんなシナリオにすればヒットするか」というアドバイスも行なうようになっています。

 「パーソナルアシスタント」と呼ばれるサービスもあります。すでに「Google Now」(グーグルナウ)というサービスが、スマートフォンで利用可能です。

 これは、検索する前に、その人が必要とするであろう情報を先回りして教えてくれるサービスです。例えば通勤経路の道が渋滞しているとすれば、いつもより早く家を出た方が良いことを警告してくれます。この他、スケジュールを忘れないように警告を発したりしてくれます。

 また、「人工知能bot」というものもあります。これは、人間と知的な会話をすることができるロボットです。「会話ポット」とか「人工無脳」と呼ばれることもあります。

 マイクロソフトやフェイスブックに続き、グーグルも人工知能bot「Google Assistant」を発表しました。これは、グーグルナウなどで収集した膨大なデータで学習したAIで、音声やテキストでの質問や命令にユーザーのコンテキストに沿った応対をします。

 ユーザーがグーグルアカウント経由でグーグルに与えるスケジュールや連絡先、位置情報、検索履歴などに基づいて、ユーザーからの質問や命令の意味内容を解析し、適切な対応を試みます。

 例えばユーザーが「ミュージカルを見に行きたい」と言うと、いま人気があるミュージカルを紹介し、「座席を2つ予約しましょうか?」などと聞いてきます。また、ネット上のレビューを表示します。

 パーソナルアシスタントや人工知能botでは、その人の個人的な事情に合わせた情報を提供してくれるので、わざわざ情報を検索する必要もなくなってきたといえます。これまで、情報のプルとプッシュの区別がなされてきました。しかしこの区別も次第に曖昧になってきています。その意味では便利になったということができるでしょう。

人間は人間らしくなりうるが、知の退化の危険も

 人工知能を軸とする新しい情報技術は、素晴らしい未来を約束してくれます。しかし、それと同時に、多くの問題がもたらされる可能生かあります。

 では、こうした変化をどのように捉え、それに対してどう対応したらよいのでしょうか?人工知能は人間の敵なのでしょうか?それとも味方なのでしょうか?人工知能をうまく利用しコントロールすることによって、われわれの生活をさらに豊かにしてゆくことは可能なのでしょうか?

 産業革命の時代に機械が発明され、それまで人間が行なってきた肉体労働の多くが、機械によって代替されました。これによって、人間は苦痛を伴う肉体労働から解放され、より人間らしい活動に集中することが可能になりました。

 これと同じように、知的活動においても、コンピュータにできることはコンピュータに任せ、人間は人間にしかできない作業に、より多くの時間を使うことができるようになるでしょう。

 これまで述べてきたような新しい技術を活用して、知のフロンティアを拡大していくことは、十分に可能です。

 行動を決定したり、選択をしたりするための情報を探す手間は必要なくなります。人々は、それらの情報を吟味することに、より多くの時間を使えるようになるでしょう。あるいは、その時間を有効に使って新しい知識を得たり、自分の趣味に時間を使うこともできるでしょう。

 しかし、人工知能は、問題をもたらす可能性もあります。それらは、近い将来に起こる差し迫った問題です。ここでは、次の3つの問題を指摘したいと思います。

 第1は、本章でこれまで述べてきた技術革新によって、知の退化が起こる危険です。

 人々は、レコメンデーションによって操作され、主体的判断能力を失う危険があります。セマンティック検索により、苦労しなくとも情報が手に入るようになり、グーグルナウのようなアシスタントで必要な情報が手に入るようになるので、積極的に情報をプルしようとしなくなるかもしれません。

 さらに、提供される情報の内容が問題です。レコメンデーションなどによって、知らず知らずの問に人間の行動がコントロールされてしまうということがありえます。

 こうなると、人間は「コンピュータの言うままに選んでいるだけ」ということになりかねません。またコンピュータにやり直しを指示された作業者は、愉快な気持ちにはなれないでしょう。

 「知らぬうちにコントロールされてしまう」という問題は、実は、しばらく前から指摘されてきたものです。検索における「フィルターバブル」については、すでに第5章で見たとおりです。

 もっとも、これに対処することは不可能ではありません。われわれはすでに、筆算や暗算の能力をかなり失いました。しかし、それで支障が生じているわけではありません。むしろ、より多くの時間を考えることに充てることが可能になっています。
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アラブ世界ハンドブック 変革と革命

『地図で見るアラブ世界ハンドブック』より 変革と革命 ⇒ トルコモデルはueからの改革であった。やはり、コミュニティからの改革を前面に出さないといけない。エジプトよりも下が優れていると感じた。エジプトの日本語ガイドのアムロさん、頑張って下さい。

隣接する「モデル」

 アラブ・ナショナリズムとイスラーム主義は、半世紀以上も前からアラブ諸国の政治の主流となっている。このふたつの潮流を体現しているのが、ナショナリズムのミシェル・アフラク、イスラーム主義のサイイド・クトゥブという思想家たちである。彼らの主張するイデオロギーは、一見すると大きく異なっているように思われるが、じつはそれほどかけ離れているわけではない。この闘争的なふたつのイデオロギーに共通する基盤の存在が、結局は同じアラブ思想の潮流に属していることを証明することになる。2011年以降、アラプ諸国のリーダーたちはふたつの大きな「モデル」を引きあいにだしている。つまりイランのモデルと、トルコのモデルである。

 イラン「モデル」

  イランのモデルは1979年にアーヤトッラー・ホメイニー(1902-1989年)が樹立した「イスラーム教の共和国」というモデルである。これはある程度の代表性を確保した近代国家であるが、権力のかじをとる宗教的指導者によって全面的に支配されている。このような「議会制神権政治」がイランで可能だったのは、イスラーム・シーア派(イランの多数派)には、霊的優位にたち、政治的リーダーとしても任ぜられる宗教指導者がいるからだ。しかし、スンナ派が多数をしめるその他のムスリム諸国では、このような宗教指導者は存在せず、世俗的な権力と精神的な権力を聖職者たちの手に集中させるつもりもない。それでもイランのモデルは、スンナ派イスラーム教徒の多くのリーダーたちの心をとらえてきた。イスラーム教政治がはじめて成し遂げた輝かしい成功だからだ。このモデルは今では疲弊して息もたえだえのように思われ、半世紀前からアラブ諸国で優勢だったかつての独裁政治と同じような問題と困難をていしている。

 トルコ「モデル」

  いっぽうトルコのモデルは、「ムスリムの民主主義」というモデルだ。現代トルコの国父であるケマル・アタチュルク(1881-1938年)の、かたくななまでに修正資本主義的で近代主義的な事業の成果が基盤となっている。アタチュルクは1920年代から30年代にかけて、トルコがヨーロッパの近代主義や進歩主義にくみしたと思われるような数々の改革をおこなった。このような徹底的な改革はアラブ諸国ではもうあり得ない。そのプロセスについても、明らかに望ましいものではない。なぜならこのモデルは、トルコ国内でも手放しの成功ではなかったからだ。社会的な力が選択したのではない方向へと強制的に導くものだったのである。革命はまず精神においてなされるべきだ。トルコのモデルは、時をおいてみると、軍によって管理された高圧的な改革論理にもとづく専制的なモデルであるように思われる。だからこのモデルはアラブ諸国にとって、完全な民主よ義の行使に向けたひとつのステップであり、過渡的段階にすぎないのかもしれない。

 カリフ制の「復活」

  2014年6月、ISIL[過激派組織「イスラーム国」]は、1924年にケマル・アタチュルクが廃止したカリフ制の復活を宣言した。イスラーム諸国全体から異議を唱えられたとはいえ、それはアラブ世界にまだくすぶりつづけている統一願望の強さをしめしていた。実際のところ、ナセル主義者やバアス主義者が推奨するアラブ・ナショナリズムによって、長いあいだ統一計画が進められていたが、これまで実現されたことはなかった。汎アラブ主義の体現者たち(ナセル、サダム・フセイン、カダフィ)は挫折したが、政治や経済が大きく動く時代には団結が力になるという考えを心のなかにうえつけた。現在このような統一の夢をいだいているように思われるのは、汎イスラーム主義である。19世紀の終わりにあらわれたこのイデオロギーは、共産主義の瓦解とアラブ・ナショナリズムの失敗が残したイデオロギーのすきまを利用して力ずくで復活しようとしている。

アラブ諸国の軍隊と治安機関

 2011年までは、アラブの政体は程度や形態の差はあれ、いずれも専制的、さらには独裁的だった。専制レベルはつぎの5つの要素にもとづいて定められる。統治者の出自=氏族出身であることが多い。競争のレベルは、多くは低い。行政権の制限は存在しないことも多い。市民参加には、つねに厳しい規制がある。抗議行動や公共の場での意見表明は、統制され、大幅に制限される。このような夕イプの政体をささえているのはたいてい軍隊か治安機関である。

 アラブの軍隊

  多くのアラブ諸国で軍隊は政治や経済の主要な要素となっているが、軍隊の性格や構成は国によってさまざまである。「アラブの春」で、その相違があらわになった。リビアやシリアのように体制側についた軍隊もあれば、チュニジアやエジプトのように民衆の立場に立った軍隊もあったのである。このようにアラブの軍隊にはさまざまなタイプがある。まず人民軍は、徴兵によって集められるので民衆と強い絆があり、民衆蜂起のさいに大殺戮を回避できることもある。次にプロあるいはセミプロの軍隊は、大半が職業軍人で組織され、独自の社会階層や階級を構成し、能力を誇りとし特権に執着している。最後に、ある民族や部族出身者からなる氏族的軍隊は、出身地や血縁関係にもとづく帰属や忠誠の論理が浸透している。

 治安機関

  世間の認識では、軍隊(al-jaysh)と治安機関とのあいだには本質的な違いがある。いっぽうは一般的に母国を守るものとして高く評価されている。もういっぽうは市民を抑圧する機関として嫌われている。アラブ諸国ではこの言葉そのもの(ムハーバラート)が恐れられている。なぜなら治安機関の権力には際限がなく、国外にいる離散者たちにも国境を越えて行使されるからだ。

  「アラブの春」以前は、チュニジアやシリアのように、たえず市民を監視していたムハーバラートの残忍さで知られていた国もある。その他のヨルダンやサウジアラビアのような国は、イスラーム主義者の監視とテロリストの追跡をおこなう機関の有能さで知られていた。アラブの体制は、どの国でも、威圧、強奪、不法逮捕、見せしめの拷問をもちいる警察国家だったし、いまだにそうである国もある。

  こうした人権に反するやり方のせいで法治国家とは名ばかりであり、個人の自由はそれを保証する法律や憲法があるにもかかわらず、ふみにじられていた。実際のところムハーバラートは、市民の包括的な監視をおこなう一種の治外法権であり、少数で大多数の人々を支配することを可能にしていた。

 テロリズムとの戦いと人権

  この20年間のテロリズムとの戦いは、全アラブ諸国で人権や市民権の侵害となってあらわれている。アラブ国家は安全上のリスクを利用して社会統制を強化し、重大な自由の侵害に関して西側民主主義陣営からの支持や、さもなければ黙認をとりつけている。こうした国家はアメとムチを同時に使い、テロリズムの脅威をちらつかせたり抑えたりしながら、技術支援をえたり、ときには外交的優位にたったりするすべを知っていた。こうした国家の本性に欺かれるものはだれもいないが、譲歩や妥協はおこなわれた。とはいえこのようなプラグマティズムは「アラブの春」で限界を露呈した。そして専制政治に対しておこなわれた現実政策の失敗を明らかにした。こうして政権移行への道が開けたのだが、それはまだ混沌としたものだった。
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