未唯への手紙
未唯への手紙
25冊の本を今日中に片付けます
未唯へ
昨日借りた、25冊の本の処理を行っている。ほんでのつぶやきが中心です。本を片付けるのが早くなった。朝の4時から7時までに1/3を片付けました。
未唯空間とデジタルライブラリという、バックヤードがあるから、フィルタリングを掛ければ、この本が読むに値するかすぐ分かる。また、目次から著者がポイントとしているところがすぐ分かります。
「歴史の黒い主役たち」
色々な武器で社会は変わってきた。機関銃は南北戦争の死者を膨大にした。そのトラウマがアメリカ人を残酷なものにした。本来は、武器ではなく、意識で変わってきた。国民国家も兵隊もそうです。意識で変わってきた。
労働者と意識も、独立していたものが、従属に変わっていった。今は、インターネットという武器で、世界が変わろうとしている。これを道具として見るだけでなく、全世界的に意識を変えるモノです。
「日本の原発危険地帯」
鎌田慧の本は過去に書いた本を完全に焼き直ししているです。自分の足で見るのが、彼のルポなのに、この時期にこんなモノを出すのか。
それに主張がない。その時に書いた、原発の実態が変わらずに、事故で変わったことへのコメントが欲しい。そうでないと、結局は言うだけになってします。
「福島原発人災記」
福井原発の分析は、完全にドキュメントに徹しています。その割には、誰がをやっています。いかに、素人の塊です。利権に乗っかっているか、名前だけで金になっているかは分かるけど。
福島第一は1971年にできたんですね。30年の寿命をはるかに超えています。当時のGEは撤退しています。
最新型でもなんでもない。40以上の原発です。だれも直すことはできない。東電も原子力委員会も作ったわけではない。単に維持していただけです。もっと、スマートに制御できるモノを日本で売り出そうとしたけど、全然、カタチになっていません。
核反応はスマートではなく
元々、核反応自体がスマートではない。電源オフにしても、核反応は止まらずに、暴走します。これが自然です。勝手に作ったモノです。暴走するのが核反応です。
「プロボノ」から見たNPO
図書館を舞台にした、プロボノは2003年ぐらいに考えました。市民の専門知識を使うものです。それを仕事なんぞに使って置くのはもったいない。もっと大きく使わないと。
どこかの部長が来て、NPOで部長職を求めるのはまるで違っています。専門職ではない。なぜ、プロボノをやるかは分かり切っています。社会を変えるためです。歴史を変えるためです。
日本のNPOはあまりにもこまい、小さい、役立たず。NPOの志を上げるにはどうしたらいいのか。まだまだ変わらないといけない。まだ、全然変わっていない。
「企業論」
「企業論」で組織をやっているけど、あまり大したことは書いていない。一番、重要なのは個人の能力と会社の能力の関係です。この類は、今のことしか書かない。当り前か。
「リーディング3.0」
「リーディング3.0」では、バーシャルな世界で読むことをシェアする、と書かれているが、よくわからない。本を読むのにシェアして、どうするのか。むしろ、社会ライブラリまで格上げして、コミュニティの情報共有まで語らないと、ビジネスマンの朝食会みたいになってしまう。
私は、本に関して多くを発信しているが、誰にもうけていません。ソーシャル・リーディングと社会ライブライをどの単位でやるかです。読書という、個人的な行為から、人とシェアするためには、個人の能力をそれまでに上げておく必要がある。本の感想をツイッターでつぶやいても、社会は変わりません。
「知的文章とプレゼンテーション」
「三行にまとめた大事なこと八点」というまとめがされています。これは未唯空間のまとめ方と似たところがあります。著者は理系です。
ブラックエプロン
名古屋のブラックエプロンは豊田駅前の店長だったそうです。ブラックのエプロンするか、緑にするかは、その時に替えるそうです。ところで、あついね~。歩きにならない。久しぶりのイタリアンローストのアイス・ドリップです。この苦みがいい。
未唯空間の進め方
未唯空間は自分の考えをまとめることが中心で、エッセイを書くことを忘れています。仕事編もあまりリアルにしてはいけない。やることだけではなく、大きな視点で、次につなげていかないと。
昨日借りた、25冊の本の処理を行っている。ほんでのつぶやきが中心です。本を片付けるのが早くなった。朝の4時から7時までに1/3を片付けました。
未唯空間とデジタルライブラリという、バックヤードがあるから、フィルタリングを掛ければ、この本が読むに値するかすぐ分かる。また、目次から著者がポイントとしているところがすぐ分かります。
「歴史の黒い主役たち」
色々な武器で社会は変わってきた。機関銃は南北戦争の死者を膨大にした。そのトラウマがアメリカ人を残酷なものにした。本来は、武器ではなく、意識で変わってきた。国民国家も兵隊もそうです。意識で変わってきた。
労働者と意識も、独立していたものが、従属に変わっていった。今は、インターネットという武器で、世界が変わろうとしている。これを道具として見るだけでなく、全世界的に意識を変えるモノです。
「日本の原発危険地帯」
鎌田慧の本は過去に書いた本を完全に焼き直ししているです。自分の足で見るのが、彼のルポなのに、この時期にこんなモノを出すのか。
それに主張がない。その時に書いた、原発の実態が変わらずに、事故で変わったことへのコメントが欲しい。そうでないと、結局は言うだけになってします。
「福島原発人災記」
福井原発の分析は、完全にドキュメントに徹しています。その割には、誰がをやっています。いかに、素人の塊です。利権に乗っかっているか、名前だけで金になっているかは分かるけど。
福島第一は1971年にできたんですね。30年の寿命をはるかに超えています。当時のGEは撤退しています。
最新型でもなんでもない。40以上の原発です。だれも直すことはできない。東電も原子力委員会も作ったわけではない。単に維持していただけです。もっと、スマートに制御できるモノを日本で売り出そうとしたけど、全然、カタチになっていません。
核反応はスマートではなく
元々、核反応自体がスマートではない。電源オフにしても、核反応は止まらずに、暴走します。これが自然です。勝手に作ったモノです。暴走するのが核反応です。
「プロボノ」から見たNPO
図書館を舞台にした、プロボノは2003年ぐらいに考えました。市民の専門知識を使うものです。それを仕事なんぞに使って置くのはもったいない。もっと大きく使わないと。
どこかの部長が来て、NPOで部長職を求めるのはまるで違っています。専門職ではない。なぜ、プロボノをやるかは分かり切っています。社会を変えるためです。歴史を変えるためです。
日本のNPOはあまりにもこまい、小さい、役立たず。NPOの志を上げるにはどうしたらいいのか。まだまだ変わらないといけない。まだ、全然変わっていない。
「企業論」
「企業論」で組織をやっているけど、あまり大したことは書いていない。一番、重要なのは個人の能力と会社の能力の関係です。この類は、今のことしか書かない。当り前か。
「リーディング3.0」
「リーディング3.0」では、バーシャルな世界で読むことをシェアする、と書かれているが、よくわからない。本を読むのにシェアして、どうするのか。むしろ、社会ライブラリまで格上げして、コミュニティの情報共有まで語らないと、ビジネスマンの朝食会みたいになってしまう。
私は、本に関して多くを発信しているが、誰にもうけていません。ソーシャル・リーディングと社会ライブライをどの単位でやるかです。読書という、個人的な行為から、人とシェアするためには、個人の能力をそれまでに上げておく必要がある。本の感想をツイッターでつぶやいても、社会は変わりません。
「知的文章とプレゼンテーション」
「三行にまとめた大事なこと八点」というまとめがされています。これは未唯空間のまとめ方と似たところがあります。著者は理系です。
ブラックエプロン
名古屋のブラックエプロンは豊田駅前の店長だったそうです。ブラックのエプロンするか、緑にするかは、その時に替えるそうです。ところで、あついね~。歩きにならない。久しぶりのイタリアンローストのアイス・ドリップです。この苦みがいい。
未唯空間の進め方
未唯空間は自分の考えをまとめることが中心で、エッセイを書くことを忘れています。仕事編もあまりリアルにしてはいけない。やることだけではなく、大きな視点で、次につなげていかないと。
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