未唯への手紙

未唯への手紙

未唯宇宙項目の見直し 10.次の世界 1.5~1.6

2015年09月29日 | 3.社会
変節点

 意思の力

  宗教が人を捉えた
   ムハンマドの戒律
   キリストの来世
   法然の南無阿弥陀仏
   秦の始皇帝の中華思想

  カリスマの横暴
   ヒトラーの全体主義
   スターリンの大祖国戦争
   毛沢東の農民主体
   アレキサンダーの大遠征

  革命家の意識
   チェの南米革命
   ルソーのフランス革命
   ソクラテスのアテネ政治
   デカルトの科学技術

  意思の力が働いていた
   宗教は人の心に訴求
   カリスマの思いに従属
   革命家は矛盾を拡大
   コペルニクス的変換

 進化する時

  民主主義は限界
   熱狂の国民国家成立
   軍隊支配の共和制
   間接選挙で政局不安定
   国民国家は足枷

  空間認識の進化
   ユークリッド空間
   デカルト平面
   近傍系からトポロジー
   次元を超えた空間

  先人の思いの結実
   世界を変えるアイデア
   近傍系から全体を構築
   情報共有ツールの展開
   グローバルが地域を支援

  進化の武器は揃った
   ヒッタイトの鉄
   種子島の鉄砲
   クラウゼビッツの戦略
   ジョブスのITツール

 存在の力を得た

  生きている意味を問う
   存在と時間
   存在の力への遷移
   現状から崩壊のシナリオ
   バックキャスティング

  共有の意識
   活発な活動と知恵の活用
   存在から発信
   外なる世界へアプローチ
   市民参画できる条件

  日本的循環を作り出す
   教育-仕事-家庭の循環
   持続可能性な教育
   就職の意味を変える
   サファイアの生活の意味

  歴史は加速する
   100年が1年の歴史コード
   クライシスで更に進む
   多様化と淘汰の同時進行
   拡散から凝集に移る

 変節点

  宇宙の歴史として
   137億年の区切り
   多重宇宙が用意された
   時間の原典としての今
   私が存在する理由

  人類は試される
   大いなる意思が仕掛ける
   環境社会に適応できるか
   存在の力が方向を示す
   私は預言する

  変節点を向かえる
   超コンパクト世界
   個人と超国家の双方向性
   超国家からの指令
   個人の多様性を活かす

  変節点のあとに
   見えない物質が見える
   爆発する瞬間
   収縮する世界
   繰り返す多重宇宙

個人=超国家

 存在と無

  在るということ
   今・ここに生きる
   世界は私の世界
   放り込まれた存在
   自由でいられる

  無は全てを包含
   無が全ての始まり
   存在と無で世界は戻る
   存在する意識
   いつでも無に帰する

  宇宙の配置
   宇宙から見ると無
   内なる世界で完結
   宇宙の果てに並ぶ存在
   無限大は点に収束

  多重宇宙と無限次元
   地球原理から多重宇宙
   多重宇宙の存在
   内なる世界は無限次元
   無限次元空間で説明可能

 集合が点

  LLの要望とGGの企画
   三段ループで接続
   LLはメーカー企画
   GGはお客様要望
   LL=GGの具体的事例

  集合が点になる
   周縁と核の関係
   コンパクト空間
   点が集合で、集合が点
   トポロジーの次の数学

  個人と全体が一緒
   周縁と核がつながる
   トーラスの形態
   個人が全体、全体が個人
   トーラスの穴の存在

  超国家がやってくる
   超国家で中間を除去
   経済圏で国家統合
   ギリシャは最後尾で先頭
   進化を予測

 個人と組織

  超国家で組織を分化
   国民国家での自由保障
   国民国家≠民族
   グローバルと民族の対立
   超国家と個人の中間

  個人-中間-超国家
   コミュニティの存在
   個人とコミュニティ
   ステップ理論で対応
   中間に知識と意識

  コミュニティと超国家
   欧州2020の戦略
   EU内での循環の整備
   先人の思いで武装化
   ルールは自分で決める

  個人とコミュニティ
   生きている理由
   コミュニティでの行動
   個人と国をつなぐ
   国とコミュニティの方向

 社会の様相

  変節点までの様相
   分化状態を把握
   テーマからチーム創生
   チームでエンパワメント
   矛盾の高まりで循環

  ポータルでつなぐ
   図書館コミュニティ
   生涯学習ポータル
   アピール・アンケート
   アゴラとツールを用意

  地域インフラ
   地域で優先順位
   六次産業化の推進
   企業から外部費用を徴取
   地域連携

  個人から超国家への伝播
   環境哲学の理念
   内なる世界から押し出し
   次の次はLL=GGの世界
   宗教の伝播力を習得

意識の変革と社会の位相化

2015年09月29日 | 3.社会
10.5「変節点」

 10.5「変節点」。今は変わる時期にある。私が生きているから、変わる。時論的なことよりも、自分の存在から考えていく。それを後追いで、理論化する。

10.5.1「意思の力」

 10.5.1「意思の力」。これは従来、変えて来た人の力の分析です。根底にあるのは、変えていくという意思を持った力。ただし、その時代の力に乗っかったものもあります。

二泊三日のシミュレーション

 歩いて、モスバーガーに行きました。こういう時を積み重ねないといけない。それが二泊三日のシミュレーションです。

 胸が痛かったけど、途中のセブン-イレブンで休んでいる間に収まりました。急坂もどうにか、乗り越えました。

フェースブックのコンテンツ

 フェースブックに載せている写真はどうでもいいことです。だから、私の日常を載せようか。だけど、どう見ても、どうでもいいことはどうでもいいことです。

モスは空いている

 なぜ、モスはこんなに空いているのか。場所だけではないでしょう。1時間ぐらいの間に、店舗の方は一人、ドラウブスルーは2台です。マクドナルドの比でもない。来た客はアイスティーを頼んでいた。スタバなら、並んで買うのに。マクドナルドよりもやばいかも。

10.5.1「意思の力」

 10.5.1「意思の力」。意思の力で変えてきた、宗教家、カリスマと革命家。そうしている間に、民主主義も、空間認識も、そのための先人の思いも、変えるための武器が揃いました。

19.5.3「存在の力」

 最後に、存在の力を得た、個人に生きている意味を問うことによって、共有の意識を高めていく。今の制度世のモノも、日本型循環を変えていく。ネタはいくらでもあります。これらをそれぞれの所でやれば、変わります。変わると同時に、歴史は2050年に向けて、ヵ則します。

10.5.4「変節点」

 2050年に変節点を向かえるけど、これは人類のレベルというよりも、宇宙のレベルでの変節点になる可能性が高い。それを人類は乗り越えられるか。凝縮された宇宙、そしてビッグバンが続きます。これらは私という存在をここまで作り上げた、137億年の歴史の一つの体系です。

 2050年レベルのカタチを表すのが、本来の第10章の意味です。次の次です。「次」というのは、社会にとっては、数学のトポロジー世界が次になります。そのとぽろじーの「次」を出すから、「次の次」です。

10.6「個人=超国家」

 10.6「個人=超国家」。この題名だけ見ると、突拍子に見える。それを順番に追っていくことで、素直なロジックに変えていく。「存在と無」から始めます。自分の中で「存在」と「無」が同居している。その感想です。そこが出発点です。それは在るものとないものが一緒の世界です。

10.6.2「集合が点」

 これは10.6.2「集合が点」と同値なんです。変節点のあとに、これがあるとおかしいけど、ある意味では「個人=超国家」はそれで済みます。そこまでの「個人と組織」等は、そこに至るまでの経過を表します。これは戻ってみるとこうなる。そこに、いかにソフトランディングするのかのシナリオです。ロジックはちょっと難しい。

10.3「意識の変革」

 個人の分化

  個人が分化するには、哲学を真剣に議論するか、自分の中の存在の力で自分の中に出来上がった問いを本で解いていくことです。そこから出て来た専門性を活かして、皆とソーシャルとつながるような生涯学習も必要になる。

  個人の存在の力から多様なつながりを求めることになる。その際に、都市の弱いつながりとか、農村の強いつながりを使うことで、中間を用いて、多様に結び付き、自分の居場所を見出すことで、持続可能性が可能になる。

  主体的な市民から、自主的に動き出すことで、機動力を増します。会社などの組織意外に、中間の存在で、儲かる仕組みを作り上げ、シェアの概念を用いることで、ムダなお金を使うことなく、循環が果たせます。

  エネルギーがふんだんにあっても幸せになれない。車を所有することで、駐車場が必要になり、ガーデニングできる庭を潰している。皆が幸せが自分の幸せにするためには、エネルギーも含めて、スマートな形態にしていく。

 個人が拡大

  個人の意識改革から、共同体感覚をもとに、周りに近傍系を作り出す。それを環境社会の鉄にしていく。

  市民が支え合うネットから、中間の存在としてコミュニティを創生する。従来の業種を致したもの、企業の店舗を活かしたものもそこには含まれる。それらをアダや買うにつなげていく。

  コミュニティが拡大のためには、自己開示で関心ごとのテーマを横につなげて、共感による伝播を行う。その結果は社会ライブラリとして保管する。

  サファイアで希望が持てる社会を作るために、国・行政に対しては、企業インフラを活用して、市民主体の民主主義のインフラを作り出す。

 地域の意識

  地域そのものの分化を行い、市民はコンパクトな生活を行い、新しい行政のもとで、創発的な活動を行う。

 循環が始まる

  従来のハイアラキーから循環をベースにする。まずは、サファイア循環から延滞の配置を決める。その際に、地域は独立にて、内部に循環を保有する。当然、地域インフラは自分たちで優先順位に従い、決定して、再構成していく。地域でのシェアでビジネスも生み出す。

10.4「社会の位相化」

 内から外を見る

  共有意識のカーシェアで柔軟な環境社会に貢献する。シェアするための要件は市民の使用状況を把握するインフラとなる。

  21世紀型マーケティングでは、コラボ消費が原則となる。社会の位相化では、作ることよりも、お互いの高度サービスが重要になる。そこでは他者との信頼関係ができることが必要になる。

  企業での働く形態はクラウドでオープン化することで多様化する。デジタル化社会を活用して、共感で人間性を回帰する。

  生活者は常に、企業にフィードバックをかける。そのための対話プラットフォームを用いた、マーケティング革新がおこる。

  スタバのような、マニュアルなき世界で高度サービスのアイデアで売り方そのものの革新を起こす。

 内を地域に拡大

  サファイア革命で地域共同体を作り出す。地域の知識と意識を蓄積して、民主主義での自由を再認識すると同時に、集合和での平等意識を目指す。

  グーグルなどの企業はインフラにタダ乗りして儲けていることを認識している。車も地域のインフラである道路を勝手に使っている。タダのインフラはない。地域で道路と車を使いこなすカタチを目指す。

  会社の存続条件は「いい町・いい社会」を地域と共に作れるかどうかにある。グーグルの20%ルールのように、自分の町を設計していく。いい町から国に「いい国」を作るように圧力をかけていく。

  2:6:2の先行する意味で、先行するところから変えていく。都市で大掛かりな実験を行う。フライブルグのような、都市というメディアを使って、多様な社会を市民と共に創り出す

 外を統合する

  国民国家では、国から地方への分配で行ってきた、分配から統合機能に変わっていく。といっても、統合は見ているだけです。グローバル企業を地域支援できるように変質さあせ、地域主体の政策で独立を邪魔しない。統合範囲は北欧のように500万人以下が理想になる。

  エネルギーに関しても、国の原発は30%以下になり、主に企業支援が主で、国の管轄とする。エネルギーの主体は柔軟な地域インフラに任せる。国債暴落から起こるハイパーインフレを回避させるために、地域主体のイノベーションのトリガーを果たす。

  中国・韓国とアジア支援、中国崩壊シナリオでの移民政策、アメリカの軍事力排除、ロシアとシベリア経済圏で国家間の連携

  国の外交については、アジア環境社会の盟主、ロシアとシベリア経済圏、東シナ海周辺国と連盟、アフリカ諸国と共同体制、そして、トルコと国際システムで平和をもたらす。

 配置と位相(未消化の為に再録)

  周縁が中核になる

  周縁が循環を取り込む

  周縁の判断基準は的確

  中核は特異点の集まり

  原因と結果が結び付く

  開かれた宇宙

  宇宙レベルから再配置

  宇宙を感じる

  ソーシャルなつながり

  プル型のオープン社会

  内なる世界から行動

  内なる世界に入れ込む

  レイアをつなぎ合わす

  各自の思いをカタチに

  生きる意味から未来

  個人と世界をつなぐ

  チームとして中間が存在

  情報共有が許される

  コミュニケーション

  新しい価値観

未唯宇宙項目の見直し 10.次の世界 1.3~1.4

2015年09月29日 | 3.社会
意識の変革

 個人の分化

  存在の力にめざめる
   個人が分化するには
   哲学を真剣に議論
   専門性で人材育成
   ソーシャルでつながる

  多様につながる
   都市は弱いつながり
   農村は強いつながり
   持続可能性を保証
   多様に結びつく

  シェアする
   自主的に動き出せる
   機動力を増す
   儲かる仕組み
   ムダなお金は必要ない

  皆が幸せになる
   エネルギーではなれない
   駐車場よりガーデニング
   全体の幸せが自分の幸せ
   スマートな形態

 個人が拡大

  周りの意識
   個人の意識改革
   共同体感覚
   近傍系を作り出す
   環境社会のための哲学

  中間の存在の役割
   市民が支え合うネット
   業種コミュニティ
   企業エネルギー
   緩やかな結合

  拡大のためのツール
   共感による伝播
   自己開示で組合せ
   テーマで横につながる
   社会ライブラリを生成

  希望が持てる社会
   サファイアで希望を持つ
   国・行政・企業インフラ
   市民主体の民主主義
   周辺諸国に拡大

 地域の意識

  地域の分化
   マーケティングを使う
   コンパクトにまとまる
   シェア主体の循環社会
   コミュニティを活かす

  コンパクトな生活
   ローエネルギー生活
   企業の外部化費用対応
   範囲での自律性をもつ
   将来の姿へのシナリオ

  新しい行政
   市民の状況を把握
   問題意識・要望を把握
   自らの活動をアピール
   地域社会の多様な広がり

  創発的な活動
   コミュニティという単位
   市民が力を発揮できる
   市民をエンパワーメント
   世界に影響を与える

 循環が始まる

  全体の配置
   中間はいいとこ取り
   国は大きなことを考える
   行政は効率を狙う
   サファイアでバランス

  地域は独立する
   自治体の三つの階層
   自治体の権限は食傷
   地域コミュニティが主体
   地域に税と社会保障

  地域インフラの再構成
   クライシスは起こる
   地域は論理的につながる
   地域の判断で再設計
   地域間連携が国を変える

  地域でシェア
   仕様を前提とした商品
   企業との循環サイクル
   クルマ活用拠点
   シェアイノベーション

社会の位相化

 内から外を見る

  何でもシェア
   共有意識のカーシェア
   柔軟な環境社会に貢献
   シェアするための要件
   使用状況把握インフラ

  皆がコラボ
   21世紀型マーケティング
   コラボ消費の四大原則
   位相化での高度サービス
   他者との信頼関係

  企業はオープン
   働く形態の多様化
   共感で人間性を回帰
   デジタル化社会
   クラウドでオープン化

  マーケティング革新
   生活者がフィードバック
   対話プラットフォーム
   マニュアルなき世界
   売り方そのものの革新

 内を地域に拡大

  平等な共同体
   サファイア革命
   地域共同体
   知識と意識での自由
   集合和での平等意識

  企業のインフラ活用
   インフラにタダ乗り
   道路は誰のモノ
   タダのインフラはない
   グーグルの儲かる仕組み

  いい町を作ろう
   会社の存続条件
   いい町から国に圧力
   グーグルの20%ルール
   自分の町をデッサン

  都市の多様性
   2:6:2の先行する意味
   都市の大掛かりな実験
   都市というメディア
   環境首都のフライブルグ

 外を統合する

  分配から統合
   統合機能を担うのは
   グローバル企業の変質
   地域主体の政策で独立
   統合範囲は500万人以下

  変革のトリガー
   国の原発は30%
   柔軟な地域インフラ
   ハイパーインフレ
   イノベーション

  国家間の連携
   中国・韓国とアジア支援
   中国崩壊シナリオ
   アメリカの軍事力排除
   ロシアとシベリア経済圏

  平和をもたらす
   アジア環境社会の盟主
   東シナ海周辺国と連盟
   アフリカ諸国と共同体制
   トルコと国際システム

 配置と位相

  周縁が中核になる
   周縁が循環を取り込む
   周縁の判断基準は的確
   中核は特異点の集まり
   原因と結果が結び付く

  開かれた宇宙
   宇宙レベルから再配置
   宇宙を感じる
   ソーシャルなつながり
   プル型のオープン社会

  内なる世界から行動
   内なる世界に入れ込む
   レイアをつなぎ合わす
   各自の思いをカタチに
   生きる意味から未来

  個人と世界をつなぐ
   チームとして中間が存在
   情報共有が許される
   コミュニケーション
   新しい価値観

未唯宇宙項目の見直し 10.次の世界 1.1~1.2

2015年09月29日 | 3.社会
多くの人が生きられる

 多くの人がいる

  人が増えすぎた
   環境社会にしていく
   人が減れば良くなる
   多様化・共有化する
   個人の範囲を拡大する

  一人ひとりの世界
   皆の思いを自分の思いに
   自分の思いを皆の思いに
   思いをカタチにする
   内なる世界を構築

  多面化できないか
   市民が主役になる
   興味の範囲を拡大
   色々な専門家になる
   主体的な個人になる

  社会の仕組みを変える
   トポロジーから考える
   信頼関係から共有関係
   互いにカバリング
   お客様ひとりへの対応

 生きている意味

  情報共有の世界
   SNSで共有係数が増加
   ポータルで知識蓄積
   コラボで提案活動
   知識、ワザ、意欲が交差

  役割を果たす
   個人が情報を一元化
   多方面から情報収集
   組織のメッセージ処理
   ナレッジ化して受け渡す

  個人と組織の中間
   コミュニティを設定
   地域の目的を明確化
   存在の力を具現化
   分化するリスクに対応

  知恵を集める
   コミュニティで議論
   集合知から集合和
   社会の流れにアプローチ
   共有意識を体現化

 存在する意味

  従属しないために
   売るから使うへ
   社会貢献をアピール
   ナレッジワーカーに変化
   高度サービス

  ハイアラキーのあり方
   組織は意思の力で動く
   画一的なハイアラキー
   存在の力で超越
   個人が組織に勝つ時代

  配置してつながる
   循環を意識する
   オルタナティブを支援
   市民参加から市民実行
   国と市民を仲介する行政

  国が存在するために
   Think Globally, Act Locally
   EU指令は国を超える
   国は500万人規模が適正
   ムハンマドは直接関与

 生きられる

  市民が目覚める
   サファイア循環の社会
   個人の発信から動き出す
   組織に直接に提案する
   組織の分化を促す

  コミュニティに集う
   企業拠点が見本を示す
   市民コミュニティの構築
   情報共有を社会に拡げる
   企業と社会の接点

  互いの状況を把握
   要望の明確化と吸い上げ
   情報と意思を伝える
   状況把握ルートの確立
   互いを支援する

  意思融合
   コミュニティで分化
   市民間の意思融合
   行政は支援に徹する
   個人と国がつながる

歴史哲学

 存在の哲学

  ソクラテス、デカルト
   哲学にアプローチ
   ソクラテス
   デカルト
   ルソー

  ベンサム、ロック
   神は死んだ
   ベンサム
   アダム・スミス
   ロック

  カント、ヘーゲル、ニーチェ
   ドイツ観念論
   カント
   ヘーゲル
   ニーチェ

  フッサール、ハイデガー
   現象学を解釈
   フッサール
   ウィトゲンシュタイン
   ハイデガー

 生きていく力

  自らの言葉を発する
   意思の力を発揮させる
   自分の内なる意見
   傾聴する世界つくり
   自由を求める歴史

  先人が用意したツール
   アラン・ケイの教育
   グーグルの知の入口
   情報通信・科学技術
   ジョブスの市民武装化

  市民が主役のスタイル
   公共での多様な生活
   地域インフラの変革
   自己意識の生活スタイル
   市民自身のサービス

  高度サービスを発揮
   市民が自らまとまる
   コンパクトシティ
   身近なインフラ活用
   高度サービス業に変革

 哲学が変わる

  組織の限界
   自らの手で平和を得る
   意思の力から脱却
   思考停止状態はムリ
   歴史哲学から変革

  地球規模課題の解決
   人口構成変化への対応
   エネルギー・環境問題
   グローバル化の進展
   クライシスで進化の歴史

  ソーシャルで再構成
   アラブの春とその後
   市民社会の変革実験
   シェア係数の拡大
   環境社会に先駆け

  社会が変わる啓示
   赤ピラミッドの啓示
   歴史哲学から変わる
   カリスマはいらない
   社会の位相化

 自由と平等

  国民国家は自由を得た
   資本主義の枠組みの限界
   自由と平等のトレード
   様々な格差拡大
   持続可能性の脆弱さ

  モノ作りは消費が前提
   モノつくりの吸引力低下
   皆が消費することが前提
   ハイアラキーの限界
   皆で作り出す世界へ移行

  平等を生み出す企業
   環境社会への移行
   環境哲学での社会貢献
   ソーシャル企業が優位
   地球規模課題への対応

  多様な世界観
   未来へ先行する役割
   多様なつながりを表現
   共同体の自由と平等
   超・資本主義の民主主義

OCR化した14冊

2015年09月29日 | 6.本
『クリと日本文明』

 クリ菓子産業に特化した二地域

 小布施町と中津川市

 クリ菓子メーカーの分布

 創業年・規模・主要商品

 クリ菓子の種類

『戦略思考の物流管理入門』

 時事問題に関心を持つ

 時事問題への関心

  物流への影響

 少子高齢化

  国内市場の縮小

  ドライバーの不足

 オムニチャネル

  ネット販売の増加

  オムニチャネルという概念

  オムニチャネルと物流

 外国との関係

  人手不足と外国人

  TPP

 環境問題

  地球温暖化と資源保護対策

『「ビジネスプロヂュース」戦略』

 いかにして「構想」するか

 妄想を始める起点は「社会的課題」

 「技術のバラ売り」から「大きな絵を描く」ヘ

 企業が重視していた社会的テーマとは

 妄想を構想に変えるのは詳細なファクト

 人物を見極めて外部の人と議論する

 外部との継続議論

 核となるビジネスプロデューサーは一人

 「フック」と「回収エンジン」を設計する

 連携企業のメリットもリアルに考える

 最初に連携する企業でその後が決まる

 KPIを設定してトップと握っておく

『原子力支援』

 ソ連の対リビア原子力支援(一九七五~一九八六年)

 ソ連の対ユーゴスラヴィア原子力支援(一九五六~一九六七年)

 結論 平和的原子力支援は何を教えてくれるのか?

『シビックプライド2』

 ライトレールのデリバリー作戦 富山県富山市

 富山ライトレールのトータルデザイン

  困難からのスタート

  トータルデザインという方法

  車両と電停のデザイン

  ラッピング車両によるデリバリー作戦

  これからのデザイン戦略の可能性

『<小さな交通>が都市を変える』

 女性にも乗りやすい電動バイク/ミレント

  自動車は大げさすぎないか

  都市内をちょっと走るための乗り物

  アフターケアは徹底的に

 自動車企業の巨人が提示する未来カー/ファン・ヴィーとアイ・ロード

  日本の車社会の変化

  車そのものを変える

  車だけではない、交通全体の変化

 コンビニの御用聞きビジネス/セブン-イレブン

  新しい形の「便利」を支えるスモールモビリティ

  古くて新しい「御用聞き」

 クラウドコンピューティングを活用したオンデマンド交通/コンビニクル

  縮小社会と公共交通サービスの低下

  クラウドコンピューティングを使ったオンデマンド交通システム

  埼玉県鳩山町での利用例

 移動の権利

  移動の自由が侵されている

  移動の不自由を解決する6つの方策

  歩行者専用道路

  コンパクトシティ

  公共交通の充実

  自動車を共有する(カーシェアリング)

  物やサービスを配達する

  小さい交通

 機能分化した自転車道路(コペンハーゲン)

  サイクル・レーン

  サイクル・トラック

  サイクル・スーパーハイウェイ

 国土を越えて広がる自転車道路のネットワーク(アムステルダム)

 乗り物に自転車を積載する

  鉄道

  路面電車に自転車を積載する

  バス・タクシーに自転車を積載する

  水上バス、フェリーに自転車を積載する

 親和的な自転車と建築

  自転車で上れる集合住宅

  自転車乗りに優しい飲食店

  自転車で遊ぶことのできる公園

  自転車で登ることのできる公開空き地

  自転車利用者のためのホテル

 サイクリング・シティの先へ

『ANAが大切にしている習慣』

 ANAでは「雑談」もコミュニケーションのひとつである

 良好なコミュニケーションをとるには「権威勾配」がカギ

 なぜANAでは「誰に対しても自由にものが言える」のか

 雑談は「暗黙知」の宝庫

 雑談の「場」がないのならつくり出す

 情報空間で「場」をつくる

 意思の疎通を常に確認する

 言葉は文化

 雑談からこそ素晴らしいアイデアが生まれる

『キャリア官僚 採用・人事のからくり』

 女性活用はどこまで進むか

 「女性が輝く日本」へ

 日本の男女格差はG7中最低

 女性キャリアが明かす女性活用の実態

 24時間働く男、8時間しか働けない女

 男女差別を理由に提訴した厚労省女性

 女性官僚有志の提言

 男社会・財務省の改革

 予算ヒアリングにも変化の兆し

 グローバル化とダイバーシティ

『女性活躍後進国ニッポン』

 女性が活躍できない国の暗い未来

 性別役割分業型家族の限界

 親同居未婚者の今後

 女性の収入が家族生活には不可欠に

 増えないフルタイム共働き、減り続ける小遣い

 性別役割分業家族の限界

『農林水産の経済学』

 マグロの国際政治学

  日本の議論で欠落しているマグロ問題の視角

  マグロの国際管理

  制度間相互連関

  環境NGO

  おわりに

『自分という奇蹟』

 「生きている」ことの価値--生命の実感を取り戻すこと

  人間を支える力は、見過ごすほどに小さい

  マナーを心得ている人は難局に強い

  日常の何でもないことが生命を支える力

  生命の実感が薄らいでいる現代

  いかに生きるかより、まず生きる

  存在するがゆえに、われ思う

 運命と宿命--人生を生ききる上で、大切なこと

  長命な人が多い宗教学者や宗教家

  東洋における「運命と宿命」の違い

  運命とは、戦い、切り開く対象なのか

  全宇宙でたった一人、自分という宿命

  運命や宿命を自覚しあい、絆を取り戻す

  限界を知り、認めることで謙虚な生き方を

  生まれついた性格や素質を悔やまない

  自分をやさしく認めることが第一歩

『「中国共産党」論』

 揺れる中国--変わる社会と変わりにくい体制

 中国は本当に民主化の道を辿るか

 三つの大規模性と四つの断層性

 王朝時代と酷似する共産党体制

 「カスケード型権威主義体制」

 多様な地方権力の実態

 国家VS.動き出す市民・住民

 福佳大化PX問題と烏炊村事件

 群体性事件が体制崩壊につながらない理由

 ソーシャルメディアの台頭と「維権運動」

 過激化する「言論の自由」への締めつけ

 多元社会と一党体制のせめぎ合い

『浄土真宗は仏教なのか?』

 大乗仏教という問題

 「大乗経典」という問題

 内容が問題

 嘘だから問題

 「大乗経典」は嘘だと認めてから内容を検討しよう

 偽物は本物に似せるもの

 盗用は嘘よりまし?

 蛇足は危険以上

 膨大な大乗経典の中に仏説の玉を探す

 奈良時代まで

 平安時代から室町時代まで

 江戸幕府の策略

 中国の仏教徒は自分で小乗より大乗を選んだ

 インドの大乗が問題だらけ

 はじめから書物として出現したのも問題

 「大乗非仏説」論を乗り越えて

『観念論の教室』

 魅力

 ずれと忘却

 マスター・アーギュメント再考

 ロックの観念論

 デカルトの観念論

 心の内と外

 観念の現象学

 明るい観念論と暗い観念論

 独我論と「ともにあること」

明るい観念論と暗い観念論、そして独我論

2015年09月29日 | 1.私
『観念論の教室』より 魅力 観念の現象学 ⇒ 私は暗い観念論。暗くて、悪かったね。そうとしか思えないからね。

明るい観念論と暗い観念論

 このように、ヒベルニア観念論には、ロック的二重存在肯定論からの「ずれ」と「忘却」によって成立したという問題があるものの、別の視点から見るなら、「観念の現象学」の試みという、肯定的・積極的役割を担う知的魅力を持つ営みと見ることが可能です。ですが、観念論の魅力は、これに尽きるものではありません。観念論の「魅力」と言えるものには、もう一つ別のものがあると、私は考えています。そのことを見るために、ヒベルニア観念論と先ほど言及したデカルトタイプの観念論とを比較し、両者の間に大きな差異があることを、見ておきたいと思います。

 ヒベルニア観念論は、私の見るところ、「明るい」観念論です。物質の存在は断固否定するものの、他人も神も、みなその存在が認められています。心以外はすべて観念でしかないとしても、心としての私は決して一人ではありません。しかも、すべて観念として扱うという条件つきではありますが、粒子仮説に言うような物の微細構造もみな、(観念として)扱うことができるのです。私もあなたもみんないて、マイクロレべルの科学的営みもOK。実に明るい観念論ではありませんか。そして、そこには、(先に挙げたような問題があるにもせよ、)非常に興味深い、知的魅力があります。

 これに対して、デカルトの第一哲学のある段階に現れる観念論は、「暗い」観念論です。大地も星も、他の人々も、すべてその存在は認められない。このような状態で、存在するのは心としての私と、その私の中に現れる観念だけ。この状況が、明るいはずがありません。そこでの私は、差し当たっては、たった一人の私です。何も信じられない、しかしさまざまなものが心の中を去来する、孤独な私です。

 私は、「明るい」観念論には、いつも「暗い」観念論が影を落とす可能性があると考えています。「明るい」ヒペルニア観念論は、世界を記号的観点から見ています。バークリが何度も注意するように、記号的関係は、「必然的結合」の関係ではありません。これまでの経験からすれば、ある事象には別の事象がたいてい伴われていたという関係がその基本です。とすると、記号的観点から知られる他人の存在というのも、「絶対そうだ」とは言えないという可能性が常にあります。大事なことについては「絶対そうだ」でなければ困る、そうでなければどうしようという不安を「デカルト的不安」と言いますが、このような不安を持つ人からすれば、他人の存在のそうした不確かさは、そこに安住できない不確かさです。確かなのは、今不安を抱えている私と、私の心に去来する観念だけ。ですから、絶対的確実性を求める人々は、はじめヒベルニア観念論を受け入れたとしても、その絶対主義のため、ヒべルニア観念論のある部分を切り捨てて、デカルトの「暗い」観念論的「独我論」、存在するのは独り私だけという独我論に移行する可能性を、常に持っているのです。

 こうした独我論的暗さに魅力を感じるとすれば、それは先ほどの明るい観念論に感じられる知的魅力とは、ずいぷんと性格の異なる魅力です。それはある種の実存的魅力と言っていいようなものです。こうした、「デカルト的不安」に裏打ちされた独我論的性格を色濃く持つデカルトの観念論こそ、先ほど言及した「明るい」観念論の知的魅力を超えてさらに人を惹きつける観念論の、原型的存在なのではないかと私は考えています。

独我論と「ともにあること」

 人はなぜ「暗い」観念論に魅力を感じるのでしょうか。私はそれを、何を大切に思うかの問題だと考えています。

 この世界があって、私の死後もそれはなんらかの形で存在し続ける。人々もまたしかり。私がいなくても、この世界は存在し続ける。--普通私たちはこんなふうに思って生きていますよね。それでいいと思えば、どうってことはありません。でも、私がいなくなるときには、この世界のことも、一緒に生きてきた人々のことも、私自身にとってはもう何の関係もなくなる。死とは、そうした、みんなや世界との関係の断絶だというふうにも考えられます。もちろん、これら二つの考えは両立可能なもので、どちらをもそう思って生きているというのが、多くの現代人のものの見方かもしれません。けれども、私がいなくなれば、そのときにはあらゆるものが私とともに終わるという思いと、私がいなくなってもこの世は続くという思いとを比べてみますと、「私」というものの「重さ」に、どこか違いが感じられるのではないかと思います。

 この違いの感じは、人によって異なります。私がいなくなったあともまだ世界が続くことも、私がいなくなるとともにある意味で世界が終わるということも、どちらも同じように受け入れられる人は多いと思います。しかし、前者の思いの中では、私は世界の一要素であると感じられるのに対し、後者の思いの中では、ある意味で私がまさしくすべてであるかのように感じられるのではないでしょうか。「暗い」観念論の魅力は、この後者の思いのこの特徴にあるように、私には思われるのです。デカルト的観念論では、存在するのは私の心とその心の中に現れる観念だけ。つまり、私がすべてであり、私にすべてがかかっています。このことが、「暗い」観念論が持つ、人を惹きつける力の源泉ではないかと私は思います。

 『省察』でデカルトは一人称で語り続けます。ごく普通に考えれば、彼は読者に語りかけているのです。言葉がアリストテレスやクワインの言うように「社会的な業」だとすれば、言葉を使っているということがすでに、デカルトの観念論的立ち位置には立てないことを示しています。語りを聞く「あなた」が、常に想定されているはずだからです。にもかかわらず、デカルトは、第一哲学の途上で、デカルト的観念論に立ってしまいます。普通に考えれば、これ自体大きな矛盾です。

 にもかかわらず、デカルト的観念論には、(錯覚にもせよ)そうした世間的矛盾を超える力があります。それは、言葉の使用が使用者の社会性を前提としたものであり、言語を習得している以上、言語を教えた者、言語を使用する相手についてもまた、その存在を認めるべきだというこのことを、すべて疑いうるとして、きっぱりと拒否する力です。言い換えれば、絶対的確実性を持たないものの受け入れを拒否しようとする姿勢です。デカルト的不安と表裏をなすこの絶対確実でないものの拒否という態度は、言語の使用相手としての他者の存在をも否定する、そういう道を開くことが事実上可能な態度です。

 こうした「私がすべて」という道を採るか、それとも、「私もまたともに生きていくものたちのうちの一人である」という道を採るか。それぞれの道は、かなり違った魅力を私たちに感じさせます。実のところ、「言語的観念論」と言われる立場も、ヴィトゲンシュタインはともかくローティの場合には、もともと出発点が「私もまたともに生きていくものたちのうちの一人である」というものなので、その意味ではヒべルニア観念論同様「明るい」性格を持っています。ローティのように他者とともに生きることの魅力を優先させるか、それともデカルト的観念論が示唆する「私がすべて」という感覚を魅力に思うか。もし私の右の診断が当たっているとすれば、問題はもはや観念論か否かではなく、「私がすべて」か「ともに生きていくか」が問題なのだということに、お気づきいただいたのではないでしょうか。

 人生は、謎に包まれています。私はこうして存在している。私は家族や友人とともにいる。私たちは地球の上にいる。地球は宇宙のこの辺りにある……。一つ外の枠、一つ外にあるものたちの存在に疑問がなければ、日々はそれなりにしっかりとしています。けれど、どうしてこうなっているのだろう、そもそも、そんなものが本当にあるのだろうかと考え始めると、底のない闇が広がるばかりです。私たちはそこまで暗くはなりたくないので、ついつい、いつものようにみんないるし、これが当たり前というところに戻ります。けれども、立ち位置が一つ違えば、いつでも謎の闇は待っています。すべてが私の考え、すべてが私の観念。ロックが二度だけ口にし、バークリがマスター・アーギュメントで一つの形を示してみせたこの観念論は、いつも私たちが背負っているものです。そして、観念論は、その論理の妥当性はともかく、もしかしたら私の意識だけがあるのだろうかという、独我論的思考へと私たちをいざなう力をもっています。観念論が、奇妙だけれど魅力的だというのは、一つには、それがこの生きていることの不可解さという実存の謎にある仕方で直結しており、すべてを私が抱え込んでいるという幻想が実は幻想ではないという可能性を開いているかのように見えるからではないかと、私は思います。このタイプの観念論を打破できるのは、「私もまたともに生きていくものたちのうちの一人である」という思いです。この思いが持てるかどうかは、互いの生き方にかかっています。人は一人ではないと互いに思えるように、互いが努められるかどうかです。

「大乗非仏説」論を乗り越えて

2015年09月29日 | 4.歴史
『浄土真宗は仏教なのか?』より 大乗仏教という問題 ⇒ 仏陀は小乗仏教しか言っていないと。ずっと思っている。大乗仏教は生活のための創作物。

そのように注意していても、やはり世に出てきたからには人目にもつき、読む人も現れ、大乗経典はやがて人口に檜灸していくのです。

仏教の歴史の中では、大乗仏教は、インドですでに、じわじわと仏教徒の中に溶け込んでいきました。しかし日本では、明治になってはじめて、大乗経典はどれもお釈迦様にまで遡れない「創作」経典だと分かりました。そのショックはやはり大きかったようで、識者の間から「大乗は仏説にあらず(大乗非仏説)」と、日本伝統の大乗仏教各宗派を丸ごと批判する動きも出ました。

しかし明治時代は、新政府が江戸時代までの仏教中心の政治を改めて国家神道を国教にしようとしていた時代でしたので、日本仏教の各宗派が一致団結して、これに対処しなければならないときでした。そして、その仏教復興運動の中で、大乗非仏説の問題はなんとなくうやむやのまま、沙汰やみになりました。「大乗経典は『偽物』でも、大乗経典に説かれている内容はお釈迦様以来の仏教に基づくものであるから、これはこれで、仏教ということでよいではないか」という好意的な見方が大勢を占めたおかげでもありました。本当は、悟りを真っ向から説く「般若経」などの大乗経典は、「従来の阿羅漢果を目指す悟りは不充分で、ブッダになる成仏の教えこそが本当の大乗の悟りである」などと、ブッダ・お釈迦様も到達した最高の阿羅漢果とは別に第五の「仏果?」を立てようとするなどトンデモな内容なのですが、そういう細かい議論に至る前に、「大乗も小乗も仏教でよいではないか」という日本人特有の曖昧な態度が効を奏したというべきでしょう。

それよりむしろ、浄土教が大変でした。浄土教は一見すると神話めいていて、大乗どころか仏教にさえ見えない面もありますが、在家信者に対する悟りの道への導入となる「施論、戒論、生天論」という、お釈迦様の順次の説法にピッタリの内容なのです。

その浄土教の神話的な表現が受け入れられなくて、「阿弥陀仏や浄土があるから私がそれを信じるのではなく、私がそれを信じるから阿弥陀仏や浄土が存在するのだ」などと、当時はやった観念的な哲学のように、あるいはまるっきり主観的に、いわば脳内浄土とか脳内阿弥陀みたいに、浄土教を空想・観念として受け入れようとする動きもありました。

しかし、その必要はありません。西洋哲学などを援用しなくても、初期仏教以来の仏教の尺度で、受け入れられるかどうかを測ればよいのです。浄土教も仏教なら、その検証に耐えられるはずです。

明治以後の百数十年は、波風は立ちましたが、大乗や浄土教が正当な仏教であるのかどうか、なんとなく真偽をはっきりさせない、情報を明確にしない、うやむや状態のまま過ぎてきました。しかし現代日本では、もはやそうはいきません。

世間一般の動向を見ても、この変化はよく分かります。明治維新から現代まで、戦争に突き進み、第二次世界大戦の困窮を経て、人々は、政府や企業が人々のためになるように活動しているのかどうか、真偽を見極める目を養うようになりました。公害物質や放射能の問題、政府の予算の使い方や議員の収支の問題など、そしてそのような情報を隠し立てせず公開しているかどうかなど、事実と、それを知る権利について、人々の意識は格段に高まりました。

同じような真偽を見極める目を、人々は宗教、仏教に対しても向けるようになりました。僧侶の言動が人々を導く者としてふさわしいかどうかをチェックすることは、当たり前のことです。布施や葬儀や供養がどういうものか、する意味があるのかどうかも、僧侶に聞かなくても、書物やインターネットのおかげで欲しい情報はいくらでも手軽に手に入れることができるようになりました。

明治以来くすぶり続けてきた「大乗非仏説」の問題も、個々の僧侶の資質の問題と相侯って、日本仏教の根幹に関わる大問題だと人々は考え始めています。「大乗仏教はお釈迦様の教えと違う偽物ではないのか。こんなものを信じて大丈夫なのか」という根本的な疑いが、仏教をある程度知る人々の心の中にあります。

仏教に関心を持てば持つほど、人は日本仏教に疑問を持ち、「阿弥陀如来とか浄土って、フィクションでしょ? そんなものを本気で信じてるんですか?」と根本的な疑問を突き付けるのです。その中で百年一日のごとく、「浄土真宗の教えは、阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ……」などと同じ言葉を繰り返すだけでは、誰も見向いてくれなくなるでしょう。

仏教で最も重い罪は、殺生でも盗みでも不倫でもなく、嘘です。嘘・ごまかし・編しが横行する世の中で、仏教の現場にだけは嘘・偽りがあってはなりません。日本の大乗仏教、その中でも、少なくとも私にも責任がある浄土真宗は、嘘・偽りのない堂々とした教えで生きたいものです。

私たちがこれまで確かなものだと思って帰属していた浄土真宗が、信頼できる本物の仏教なのか、仏教とは名ばかりの、わけの分からない新興宗教なのか、きちんと検証しなくてはいけない時代が来ました。「真実なんかどうでもいいから、これまでのように、ただ念仏だけ唱えてお浄土に往けると信じて死んでいければよかったのに」という時代は、とっくに過ぎ去ってしまいました。

検証の結果、浄土真宗が偽物で、ただの新興宗教だと分かったなら、未練もなくただ捨てればいいのです。私たちの正しい安楽な生き方のために仏教があるのであって、各宗派の利益のために私たちがいるのではないのです。

しかし、どうぞご安心ください。検証結果を先に申しますと、「浄土真宗は、初期仏教以来の在家信者が生きるべき道をしっかり踏まえた立派な仏教」だと言えます。大乗経典を拠りどころにしているのですが、仏教の本質をきちんと読み取っているのです。

念のため補足しますと、「初期仏教=小乗仏教=自分の悟りだけを目指す出家至上主義の厳しい修行の教え」、そして「大乗仏教=一切衆生の救済を目指す素晴らしい教え」という図式は、日本仏教の僧侶の中には今もそう考えている人がいますが、まったくのデタラメです。

仏教は、お釈迦様の最初期の時代からずっと、出家して今生での悟りを目指し、同時に在家の人々を教え導く比丘サンガと、比丘サンガをお布施で支えながら自分も仏法を学び、功徳を積む在家信者集団の二本立てです。大乗仏教は、その流れに五百年後から付け加えられたものです。出家とそれを支える在家の両方がそろわないと仏教が成り立たないのは、大乗仏教が出る前から当たり前のことなのです。

その初期仏教以来の在家仏教徒の生き方に、浄土真宗はぴったり合うのです。

浄土真宗にも後発の大乗経典特有の教義や浄土真宗独自の教説が説かれますが、それは時代とともに発展した仏教哲学の一部ですから、「お釈迦様はそんなことは言っていない」などと目くじらを立てることなく、ありのままに味わい、学べばよいでしょう。

そして、「では、大乗仏教の浄土真宗はそもそも仏教ですか?新興宗教ですか?」と問われる根幹のところは、「まぎれもなく、在家信者のための仏教です」と答えることができます。

浄土真宗が拠りどころとする『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の「浄土三部経典」は、他の大乗経典と同じく、お釈迦様にまで遡れない偽経です。それにもかかわらず、そこに説かれた仏教のエッセンスを抽出し、先達の論考を参照しながら見事に在家仏教の本質を解き明かしたのは、初期仏教経典も大乗経典も一切を学び尽くし、善き師友に出会って、その上で自分の生きる道を模索した親鸞聖人の求道の賜です。

浄土真宗の要となっている教えがいかに初期仏教以来の伝統に基づくものであるかを、これから一つずつお話ししていきましょう。