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定年退職者のイベントを企画・実施

未唯空間の2.7と2.8

 今日は、未唯空間の2.7と2.8を確実に行います。よく訳の分からない形です。

定年退職者のイベントを企画・実施

 高校生がイベントを企画・実施する「Youth Connection @STARBUCKS」。富山での参加高校生を募集します。高校者にとって必要ならば、それは定年退職者に必要です。

 「なぜ、高校生対象なのか? 定年退職者(65歳以上)はないのか」

 弁論大会とか、スタバでの地域活性化とか。夢と希望を乗せて。何しろ、時間は死ぬまであるわけだから。

仙台の田代さんにメール

 田代さんは大変でしょう。彼の生活からすると、今の生活はストレスの塊でしょう。本を読めないだろうし、色々なところに引っ張られるし、組織は言うことは効かないだろう。

 だけど、富山品川さんではないけど、仙台の中で頭角を現すことは可能です。それで皆がついてくる。その立ち位置にある。

2.8.1「存在の力の空間」

 2.8.1「存在の力の空間」は、元々、私の始まりと一緒です。存在と無が同居している。つまり、宇宙と個人、全体と要素をつなげることです。そういう社会が放り込まれたときからあるんですから。数学もこちらの方に持って行くし、それが自然です。

 自分のことを書いたけど、見る限りは幸せなんでしょうね。

パートナーからの電話

 8時半から電話してくるそうです。「今日も落ち込み」とメールには書かれている。昨日の8時半のメールとは別件なんでしょうかね。出先でのトラブルとか、会議で言いたいことが言えないからなんでしょう。丁度、1時間の相談でした。測っているのか。
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未唯宇宙項目の見直し 2.数学 2.7~2.8

新しい数学

 点から空間

  空間を創出
   次元を超える
   非連続な空間を定義
   特異点を除去
   社会をノーマルにする

  意味ある空間
   存在を意味する
   分化を促す
   言葉を対象
   意味ある社会

  組合せ空間
   多様な接続
   次元の異なる一様空間
   空間の変革をもたらす
   市民主体社会を表現

  多層な空間
   特異点は別空間で定義
   空間同士の刷り合わせ
   多層に組み入れる
   層同士を縦につなぐ

 集合が点

  無限次元を想定
   インバリアント設定
   どんな空間も創造
   自分を解放させる
   価値判断を表現

  集合と点の互換性
   多様な価値観を包含
   次元の拡張・縮小が自由
   完結性を保証
   コミュニティ機能

  オープンでクローズ
   基本空間と双対の空間
   コンパクト性
   集合で自己組織化
   サファイア循環で拡大

  内なる世界を投影
   既存組織を取り込む
   内にコミュニティを保有
   組織の分化に移行
   近傍から革命を実現

 哲学を取り込む

  独我論を対象
   同一価値観を集める
   孤立と孤独の空間
   独我論で近傍系を定義
   空間として規定

  言葉の限界を超える
   分化を価値観で表現
   全体は制約を求める
   言葉の正規化
   要素の行動を規定

  <今>を表現
   言葉の空間の接続
   最小限の次元を決め付け
   次元の組み合わせ
   言葉の可能性を拡大

  分化の位相
   孤立と孤独から発想
   基本系の位相との対応
   存在の力を規定
   配置の空間として表す

 内から外を作る

  新しい空間構造
   内からの循環
   内が全体を規定
   内より全体を変える
   内の積の全体構造

  内から外へ押し出し
   全体の配置の歪み
   インバリアントが変わる
   ステップ理論
   内から外へ変化

  外の仕組みを表現
   外の組織と関数
   関数を動かすモノ
   要素と関数をつなげる
   アナロジーで組織分析

  時空間を表現
   領域の拡大
   領域の境界の変化
   内と外の接点
   新しい形態

先の先

 存在の力の空間

  個人の分化
   心に孤立を持つ
   生きている理由を求める
   内なる空間
   関心はオープン

  分化から行動
   トポロジーの効果
   どうでもいいことはいい
   組織の限界を露呈
   行動から接続

  個人が主の空間
   グローバルに依存
   多様性を活かす
   ローカルに切り替え
   グローバルに直結

  全体を再構成
   部分が全体をつくる
   全体を再構成
   価値観を優先
   コミュニティから創る

 存在と無

  役割を果たす
   生まれてきた理由
   孤立と孤独の生活
   自律した生活
   存在の力の役割

  トポロジーを超える
   数学で社会に対応
   トポロジーに見方
   不変な部分を核にする
   全体と部分を同時に把握

  位相でつなぐ
   国を超える発想
   国家の位相化
   責任を持った統治機能
   市民と超国家をつなぐ

  社会に反映
   地域をオープン化
   分配から循環
   マーケティング変革
   組織と一体化

 未唯宇宙で表現

  情報共有を位相に
   未唯宇宙に全てを保有
   得たものを伝える
   数学の真理を求める
   宇宙の旅人として生きる

  考えて、発信する
   考えることが生活の基本
   自分のために時間を使う
   家の環境整備
   新しい数学を発信する

  全てが共有する世界
   先人の思いの叶える
   社会の位相構造化
   ライブラリを共有
   新しい公共につなげる

  全体と個の中間
   ステップ理論
   組織の分化
   コミュニティ連携
   サファイア社会を提案

 トポロジーの先

  LL=GGのシナリオ
   グローバルのグローバル
   ローカルのローカル
   LL=GGが成り立つ
   二極化が安定する理論

  歴史での超国家と個人
   トルコは地中海に覇権
   都市で同一価値観
   国の存在は曖昧
   超国家に委託シナリオ

  歴史での自由と平等
   内なる数学で自由を確保
   数学的自由を拡大
   歴史を変える存在の容認
   存在の力で平等を確保

  数学的世界観
   トポロジーの概念を超越
   LL=GGを社会に提示
   点が集合で、集合が点
   数学思考で全体の安定化
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公共図書館のはじまり

『印刷という革命』より 図書館をつくる

十六世紀には、図書館は一般市民の興味の中心でもなくなっていった。十四世紀のヴェネツィア共和国では、ベトラルカの蔵書を確実に保管するために大金を投入する用意が市政府にはあった。ところがその一世紀後には、ペッサリオン枢機卿の名高い写本コレクションを寄贈された同市は、すっかり当惑するはめになった。一般に公開することが遺贈の際の条件であったにもかかわらず、百年が経過してもいまだにコレクションの閲覧を可能とする場所が定まらずにいたのである。これは珍しいケースではなかった。一五七六年にブロツワフ市は、同市出身のトーマス・レーディガーからの大規模な遺贈品として六〇〇〇冊もの本を受け取ったのだが、その際の条件が書物を一般公開することであった。レーディガーはあちこちを渡り歩く生活を送った人物で、亡くなった時には彼の蔵書はケルンの地にあった。そこからブロツワフに書物を里帰りさせるのに五年を要し、遺贈の条件にあった一般公開が実現するには、さらに多くの年数がかかることになった。そしてヱ(六一年についに蔵書が一般に公開されたときには、遺贈者の死から実に八十五年の歳月が流れていたのである。

ベッサリオン枢機卿の蔵書のありさまを見て、ヴェネツィアを代表するもうひとりの大蒐集家ドメニコ・グリマーニは、ヴェネツィアの公共図書館構想に彼の蔵書を統合させてほしいとの嘆願を、にべもなく断った。アルド・マヌーツィオもエラスムスもともに、このような「本の埋葬者」を手厳しく非難している。写本を貸し出そうとせず、私的コレクションの中に埋没させてしまうからだ。とはいえこの両名の主張がまったくの公平無私の心から出たものかといえば、そんなことは決してなかった。なぜなら文献に基づく学問や学術出版の世界というのは、貴重な手稿を気前よく貸し借りできることが大前提となっていたからだ。けれどもついにグリマーニが一五二三年に、自身の蔵書の未来を案じて公開に応じた時でさえも、ペッサリオン枢機卿の書物はいまだに書箱の中ではこりをかぶっていたのである。そういうわけで、グリマーニが蔵書をサンタントニオ修道院に寄贈する際、本を収蔵する建物をつくるための潤沢な資金を添えたのは、このうえなく周到なやり方に思われた。だが悲しいかな、これだけ深謀遠慮をめぐらせたにもかかわらず、図書館は十七世紀に火災にあい、グリマーニの蔵書をすべて道連れに焼け落ちてしまったのだった。そのなかには、彼が一四九八年に蔵書の核とすべく購入した、ピコーデッラ・ミランドラの手稿も含まれていた。

文化施設としての図書館は、印刷時代の新たな環境に適応しようと必死にもがいていた。十六世紀の末の段階では、公共図書館の設立への道のりは、まだまだ先が長かった。フランスですら同様で、十七世紀ないしは十八世紀になってようやく、公的なコレクションを通じて書物にアクセスできる環境が徐々に発展してゆくからであび゜十六世紀には、公共の書物コレクションを設立しようとすれば、地域のコミュニティのために己の財産を提供しようという個人の寄贈者に、大幅に頼らざるを得なかった。この種の私的なイニシアティヴの典型が、イングランドに二例見られる。すなわちベリー・セント・エドマンズおよびグランサムでの教区図書館の設立をめぐる経緯である。

ペリー・セント・エドマンズは信心深い町で、近隣のケンブリッジと密接な関係をもっていた。一五九五年、セント・ジェイムズ教会の説教師マイルズ・モスに熱く説かれ、市民たちは新たな教区図書館に本を寄贈しようと考えるようになった。この企図は敬虔な市民たちの熱烈な支持を得た。一五九五年と一五九六年の二年で、四一名の寄贈者が本を寄付した。それから四年間に、二〇〇冊の蔵書が形成されたのである。これらの書物は当時のままに、現在でもベリー・セント・エドマンズ大聖堂(教区教会であったセント・ジェイムズ教会は一九一四年に大聖堂に昇格した)付属図書館の管理下に保存されている。

コレクションの中核となっているのは、ヨーロッパの大陸側で出版された一連のラテン語による神学書で、この図書館のためにわざわざ購入された。寄贈者たちは、資金を直接提供するか、あるいはどの本を購入すべきかの指示を受けるかしたのであろう。寄贈書により特色があるのは、同図書館の神学以外の多様なタイトルである。たとえば各種の歴史書やジャン・ボダンの『国家論』、あるいはセバスティアン・ミュンスターの貴重な『宇宙誌』。またさほど教養のない利用者のためには、英語で書かれた宗教の本もいくばくか収蔵されていた。ジュエルの『英国国教会の弁護』やカルヴァンの説教何篇か、ハインリヒ・ブリンガーの『ディケイズ』などがそうだ。蔵書の中核となる書物は、地元の聖職者が利用することを想定していた。そろえられたタイトルの目配りのよさと一貫性は感心してしまうほどである。図書館が所有していた書物としては、複数のラテン語聖書のほか、アントウェルペンの多言語対訳聖書が一部、教父の著作群の完全なセットなどがあり、さらにはカルヴァン、メランヒトン、ブリンガー、ピーター・マーター・ヴェルミーリらのラテン語著作群も幅広く網羅していた。これらのタイトルからわかるのは、この一地方図書館の蔵書が輸入本で圧倒的に占められ、その大部分が書籍生産の二大拠点たるバーゼルとジュネーブのものだったことである。教父の著作群は、バーゼルで出版された豪華シリーズがその中核をなしている。ただしアタナシウスはパリの版であり、ヒエロニムスはアントウェルベンで発行された三巻本が収蔵されていた。興味深いことに、カルヴァンの『キリスト教綱要』はロンドンで出版された版ではなく、ジュネーヴからの輸入品だった。図書の購入を任されていた者たちは、きっとこの種のタイトルが常備されていたケンブリッジとロンドンの書店を活用したことであろう。クリストフ・ブランタンは、ロンドンにいる顧客たちに対して自社の出版物を発送するだけでなく、バーゼルやジュネーヴ、リヨン、チューリヒで印刷された各種書籍を取り混ぜて送っていた。おそらくこれらの在庫品は、プランタンがフランクフルト見本市での商取引の際に交換して手に入れたものだろう。

当時の書籍市場の動きを知るうえで、さらなる手がかりとなるのが、グランサムにあるセント・ウルフラム教会の鎖つき図書館〔中世・十七世紀に見られた、本を持ち出せないように鎖で書架にっないだ図書館。ここがイングランド最古といわれる〕である。一五九五年に地元市民のフランシス・トリッグは、故郷の町のだめに図書館をつくろうと決意し、「一〇〇ポンドあまりの価値の書籍」を提供しようと申し出た。手に入れられたのは三〇〇冊ほどの本であった。おそらくケンブリッジにお金を送って、入手可能なタイトルを物色したのだろう。だから、そのタイトルを見れば、当時の活気ある書籍市場がどんな商品を提供できたのか、その一場面が見られるのである。同蔵書はベリー・セント・エドマンズと比べると注目を浴びる度合いが低いが、その内訳はジュネーヴ、バーゼル、アントウェルベンと、やはり大陸側の主要な印刷拠点都市で刊行された書籍が多数を占めている。


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本の町 ヴィッテンべルク

『印刷という革命』より

十六世紀も三〇年代を迎えるころには、ヨーロッパの書籍業界のおおよその輪郭が定まってきた。十五世紀には、十二の都市で、本の全生産量の三分の二を印刷していた。そのうちイタリアが四都市、ドイツが六都市、フランスはリヨンとパリの二都市であった。この序列はゆるぎなかった。上記十二都市のうちの九つまでが、十六世紀を通じても依然として本の中心的な生産拠点であり続けたのだ。新たにランクインしたのは、いずれもヨーロッパ北部の都市であった。ネーデルラントの台頭めざましい巨大都市アントウェルペン、イングランドの出版界を一手に握ったロンドン、そしてドイツのヴィッテンベルクである。

ヴィッテンベルクは、他の印刷主要都市に見られるような特徴を何ひとつもたなかった。とりたてて人口の多い町というわけでもなく、十六世紀初頭の人口はせいぜい二〇〇〇人といったところだろう。ライン川およびドナウ川流域に展開する北部ヨーロッパの経済中心地帯からも、遠く離れていた。地域内ですら、定期市と書籍産業で知られたライプツィヒの陰に隠れた存在だった。ライプツィヒは、リューべックがバルト海への玄関口であったように、東方への貿易拠点ともなっていた。

だがヴィッテンベルクは、このようなまったく不利なスタートから、書籍業界の固定したヒエラルキーを完全にひっくり返すことに成功したのである。この成功は、宗教パンフレットというまったく新しい形態の本と、独創的なビジネス・モデルによるものだった。しかもこの改革の効果は長続きした。ルターが一五四六年に亡くなったのちも、ヴィッテンベルクは十六世紀の後半にかけて、神聖ローマ帝国内最大の書籍生産地の地位を保ち続けたのである。そして十六世紀全体をとおして見るなら、ヴィッテンベルクはドイツの他のどの有力都市よりも多い本を印刷したのだった。十七世紀に入ってからも、ドイツの三大出版都市といえばヴィッテンベルク、ライプツィヒ、イエーナであり、三都市とも、かつては時代遅れだった北東の片田舎にかたまっているのである。すべては一五三〇年代にヴィッテンベルクに端を発した、宗教界の怒濤の変化がもたらした結果だった。「宗教改革」である。

ヴィッテンベルクの町に最初の印刷機が設置されたのは一五〇二年、同市に新たな大学が創設されたわずかばかり後のことであった。この二つの出来事には深い関係がある。当地の支配者たる選帝侯フリードリヒ三世(賢公)は、このちっぽけな首都に、帝国内での自身の高い地位に見合った威厳をあたえようとかねてより望んでおり、印刷所と大学の設置は、そのための戦略の一環であったのだ。ザクセンが二つに分割された結果、地域で唯一の大学は圏内最大の都市ライプツィヒに残され、そこはフリードリヒ三世の支配地域ではなかったから、白国にひとつ創ろうというわけである。とはいえ、大学関連の需要のみで経済的に成り立つ印刷業を設立しようという試みは、これまでほとんどうまくいったためしがなく、ヴィッテンベルクのケースもご多分に漏れなかった。学生や教授たちは、ちっぽけな地方印刷所ではとてもさばききれない量の書物を必要としていたのだ。ヴィッテンベルクの最初の印刷業者はこれに加えて、ライプツィヒがたった六〇キロしか離れておらず、常にその陰に隠れて活動しなくてはならないという、不利な状況下におかれていた。ライプツィヒといえば、学術出版で知られた印刷拠点都市である。ヴィッテンベルクの学者が必要とするあらゆる書籍は、すでにライプツィヒの書店や同市の著名な見本市で手に入れることができたのである。

一五〇二年から一五一六年にかけて、五つの印刷業者がヴィッテンベルクで営業したが、いずれも短命におわったことが、この事業が儲からなかったことを示している。一五〇七年までに最初の印刷業者は他の地へ移転しており、もし大学が出版なしでやっていくつもりがないなら、何かもっと具体的な刺激策が必要だとわかっていた。一五〇八年、経験豊かな印刷業者ヨハン・ラウーグルネンベルクが、工房を立ち上げるための家を提供するという約束で、エアフルトから誘致された。当面あてがわれたのは聖アウグスチノ修道会の建物で、ルターもそこに住んでいた。ラウーグルネンベルクは大学関係の学者の著書をほとんど独占して請け負うことで、ついにビジネスを軌道に乗せ、そこそこの利益をあげられるようになった。アンドレアス・ボーデンシュタイン・フォン・カールシュタットの初期のある著作には、ヘブライ語の活字を使用し、一五一三年に出版されたホメロス作とされる『蛙鼠合戦』は、ヴィッテンベルクで印刷された最初のギリシア人著者の書物となった。大学専属の出版局にふさわしく、ラウーグルネンベルクの手がけたものにドイツ語の書籍はごくわずかしかなかった。それが一五一六年に、地元の説教者マルティン・ルターのために、神秘思想家ヨハネス・タウラーの説教集を出版するよう頼み込まれたのである。このタウラーの説教集は、ルターがエアフルトに滞在しているときに発見したもので、それがこのたび、ルター自身の短い序文をつけてラウーグルネンベルク出版より上梓されることとなったのだった。これが一見ごく普通の、ルターの著述家業のはじまりであった。

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OCR化した9冊

『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』

 一九三〇年代日本を支配した空気

  満州事変と政党政治
  国際連盟脱退の思惑
  確立できなかった挙国一致体制
  防共路線
  意思決定と民主主義

 陸軍暴走の連鎖

  政治参加の拡大と議会政治の行き詰まり
  少壮将校たちが求めたもの
  軍人のトラウマ
  石原莞爾という「個性」
  永田鉄山の誤算
  荒木貞夫への期待と失望
  責任をとらない組織
  武藤章の変貌
  軍令と軍政
  リーダー不在が誘発した負のサイクル
  日本陸軍から学ぶべきこと

 開戦・リーダーたちの迷走

  「非決定」の決断システム
  漂流する日本首脳部
  醜い押しつけ合い
  責任を投げ出したリーダー
  戦争回避のラストチャンス

 日米開戦史を再考する

  外交史の視点から
  社会史の視点から
  政治史の視点から

『日本の原子力』

 二〇一一年 ムラの実態と「専門家」の醜態

 二〇一二年 報道の自由--低下か実態暴露か?

 二〇一三年 原発ゼロしかないよ

 二〇一四年 国富とは何か

 二〇一五年 原発の墓標--原子力明るい未来のエネルギー」(双葉町)

『シリア・レバノンを知るための64章』

 多様な自然 地中海ビーチから沙漠まで

 スンナ派とシーア派 国が変れば立場も変わる

 ギリシア正教、ギリシア・力トリック アラブの東方教会の本家争い

 曖昧なシリア・レバノン国境 浸透性が国際的にも問題に

 「アラブ市民革命」とシリア・レバノン 負けに不思議の負けなし

 ワイン源流の地 レバノンワインを楽しもう

 世界に広がるレバノン・シリア 際立つ存在感と深刻な頭脳流出

『「文藝春秋」で読む戦後70年』

 私観・昭和史論--明治官僚制の崩壊と先端技術 松本清張

『市場は物理法則で動く』

 経済危機は予測できるか?

 歴史は繰り返さない

 不完全でも役に立つ予測

 不安定性を回避する

 データ革命と予測の未来

 目指すべき場所

『70年代と80年代』

 「七〇年代コンビニ」の郊外・その後 セブン-イレブン1号店開店 1974年5月15日

  七〇年代はコンビニ草創期
  八○年代への伏線1 『岸辺のアルバム』
  八○年代への伏線2 「ワンルームマンション」
  家族がいても〈単身者〉化した八○年代
  「第四空間」が閉塞化した九〇年代
  失われたホームベースが戻らない

 毛沢東、周恩来の死と小平の復活 第一次天安門事件 1976年4月5日

  中国を揺るがせた激動の一年であった一九七六年
  毛沢東の「三つの世界論」から見た七〇年代後半の国際情勢
  政治中心の「革命路線」から経済重視の「改革開放路線」へ

 ソ連崩壊の予兆 ソ連、アフガニスタンの首都制圧 1980年1月4日

  半世紀に及ぶ臨戦態勢
  経済建設の踏鉄
  その後の「失われた二十年」を警告した日本人

 日本経済のファウスト症候群の原点 プラザ合意発表 1985年9月22日

  全ては、あの時、犯された
  蛇口を閉められなかった日本
  バブル化必至へ後押しした政治
  今、グローバル化の中で

『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』

 果てしなき戦線拡大の悲劇

 南方の資源

 大本営政府連絡会議の招集

 対立する陸海軍の主張

 決断力を欠いた戦争方針の策定

 ボールは再び連絡会議へ

 絡み合う経済界の利権構造

 混乱する戦時体制

 ミッドウェー海戦の山本五十六の真意

 戦場に残された兵士たちの証言

『挑戦する図書館』

 情報技術・ネットワークの進化と図書館

  価値創発からユビキタスネット社会へ
  図書館はどこへ行くのか
  「世界最先端IT国家創造宣言」と図書館
  情報技術と図書館サービス
  図書館員の継続的な研修の実施

 人と本、知識・情報を結び付ける体系を考える

  本棚づくりの重要性
  著者と編集者の共同作業で本ができる
  住民の本の入手方法
  本を手にするまでの住民・利用者の行動
  図書館の相談窓口は入り口の近くに
  分類も工夫して
  本棚の表示・ラベルを色分けする
  特定テーマに関する文献などを網羅的に収集したい
  具体的な作業--調べる流れに沿って
  電子書籍と人を結び付ける
  本と人を結び付ける行事などの試み
  講座・イベントの種類
  図書館が地域に出ていって本を紹介する

 挑戦する図書館にこそ未来がある

  新しい時代の到来と図書館の挑戦
  優良施策事例などのなかの図書館
  挑戦する図書館
  挑戦的な取り組みの視点
  都道府県立図書館の挑戦

『印刷という革命』

 本の町ヴィッテンべルク

  ヴィッテンベルク
  ルター
  本の町ヴィッテンベルク
  ルターを理解する
  ドイツの書籍産業

 図書館をつくる

  影の図書館
  公共図書館のはじまり
  公人と私的蔵書
  目録からすり抜けた本たち
  海賊にご注意
  戦争の略奪品
  本の破壊
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