未唯への手紙

未唯への手紙

中間という存在

2015年09月06日 | 3.社会
ブタペスト東駅で感じること

 ブタペスト東駅に映像が流れています。「北」から、日本に来る難民はこのレベルではない。もっと、混沌としたものになるでしょう。

 難民の荷物が少ないのはなぜか。ヨーロッパを信頼しているのか。ユダヤの時には、バッグが中心であった。中国の場合は、段ボールなんでしょう。

早く動き出さないと

 今日、動き出したのは12時過ぎてからです。やはり、7時から動かないといけない。現役時代には、6時には家を出ていた。別に外へ行かなくても、机に向かうことが出来ればいいけど、その時には、すぐにベッドに倒れ込んでしまう。かと言って、パソコンを持って、動くのはワザとらしい。

スタバのアピール・アンケート

 スタバのアンケートがまるで当たりません。これの意味を考えてみた。アンケートを取る必要が亡くなったのか。確率が減ったのか、偶々なのか。

 アンケートはアピールにつながります。ハメリンナでそれを教わって、販売店システムのポータルの中に、概念と合わせて、入れ込みました。

 横浜の販売店の連中からアンケートだけにしないかと言われたけど、「俺が居る間はしない」と言い切った。

旅の感覚で生きていく

 旅の感覚を取り戻さないといけない。これが金曜日の映画「1600キロ」が示すことです。旅は結局、独りです。戻ってくるところも、目的もないです。

 1600キロにしても、結局一人です。あの映画では、男性は複数でしたね。旅には向いていないのか。東富士の100キロウォーキングでは、女性での達成率は高かった。男性の場合は途中で、なんでこんなことをやっているのか、理屈に合わないという理屈でリタイアするが、女性の場合は、ここまで来たからもったいないということで、貫徹してしまいます。

 朝、スケジュール表で確認するのは、今日、どこまで行くのかです。旅人としての心構えですね。

今後の戦争の実体

 戦争は、原発を襲うとか、東京湾でプルトニウムを爆発させるとか、そんな簡単なものではない。そんなきれいなものではない。米軍に助けてもらうといっても「ともだち」作戦のような形が主になる。武器は意味をなさない可能性が高い。

 大量の荷物を抱えた難民が日本海(黄海)を漂う。それを「北」の潜水艦は狙うでしょう。その時に日本の駆逐艦は、ボートをカバーできるのか。当然、日本の中にいる「南」も動き出す。それらをいかに、どういうカタチで収拾付けるのか。

 その方がはるかに現実的で、かつ、日本に多大な影響を与える。一番弱いところです。何しろ、単一民族と思っている。民族=国民国家の幻想が続くとは限らない。

 さらに、中国の分割が始まれば、影響は拡がります。それぞれの地方自治が、地方民族がどういう戦略を取るかで複合していく。

高度サービス化の輸出

 ドイツに日本のスタバの高度サービス業を輸出するに当たっては、働くことが主でないという意味を実験するのには、ギリシャを経由させることです。

 そのためには、ギリシャのプライドを変えて、自分たちが自ら動くというように、体質を変えていく。そうでないと、侵略を進めている中国に負けてしまうことを痛感させることです。

「ここいま」は存在の力そのもの

 カレーショップのココ一番の「ここいち」という言葉を「ここいま」に変えた方がいいです。ここで、今、自分たちは何をするのかの意識です。これはトイレにぶら下がっていた、8月の仏教からのメッセージ「今を生きる。ここで生きる」です。今を生きる、ここで生きる。それと自分の存在です。存在の力です。

第8章「中間という存在」

 第8章そのもののテーマは「販売店」であったけど、これを「中間という存在」に変えます。非常に曖昧な概念です。国でもいいし、コミュンティでも家でもいい。そして、販売店でもいい。概念を抽象的にしました。

 内なるものと外なるものともつなぐもの、中間のあり方の分析です。そのために、販売店という、中間するものを仕事で20年間、行ってきた。メーカーは日本に有数しかないものでした。そういう存在です。それが何を望むのかは国とも関係します。

 中間という存在は、人をまとめるもの、真ん中が地域です。それが何を望むのか。そのために、8.4「ツール」、8.5「システム」を取り上げる。

 中間したものを挙げたのは、分化されたものをいかに統合するのか、統合からいかに分化につなげるかです。そびエーテルみたいなものが8.6「情報共有」です。

8.6「情報共有」

 8.6「情報共有」の4つの機能。とりあえず、インフラとそれに提供するものとしてのクラウド、そして、内から見ていくためのポータル。そして、中でのコラボ。

数学をやっている

 今、「数学」をやっています。具体的なものから抽象的な概念に持って行って、抽象から具体的に足りないものを見ていく。これは数学そのものです。

 元々、5年までにやった時は、仕事の延長として、販売店からパートナーの仕事を見つけるために行っていた。それが分化と統合の中間のものとして位置付けることで変わってきた。そこで抽象化されてきました。

 気をつけないといけないのは、数学において、抽象化することで次元の欠落が起こることです。全てを表現できるわけはないし、キーワードをつなげていけばいいというものではない。思いを込めないといけない。それを伝えるのが難しい。相手は思いがないんだから。

楽しい人生?

 折角、生きているのだから、楽しめばいいのに、なぜ、こんなことをしないといけないのか。楽しいことがないのか、それとも、圧倒的な存在の中で発揮できないのか。結局、人との関係では、何の愉しみもないだろう。

米国との戦い方

2015年09月06日 | 5.その他
テレビ番組へのコメント

 テレビに対するコメントでも承認を求めない。だから、自由に言うことができる。ピント外れの悪口を書いている人は何をしたいんか分からない、

 環境社会実現のために、コラボレーションを現実にしようとする時に、ああいうたちの悪い人間を相手にしないといけないと思うと、この国の未来は信じられない。

 「花咲舞が黙ってない」へのコメント

 「机の上が片づいていた出だしは散らかっていた机の書類が最後に片づいていた。一枚の紙がいかに大切かを感じたんでしょうね。一枚の紙とかケータイを紛失することが信用をなくすことを言いたいのでしょう。犯人探しのドラマで無いところが好きです。」

 たった、紙一枚のためだけに、人生が変わってしまうことの虚しさ、そして、それを探し出すことの難しさを感じた。この間、ケータイを出張先で無くなって、苦労したパートナーのことが頭に在った。それも含めて出しました。

 全てのことは、言葉で表現できるわけではない。作者の思いがあれば、画面のどこかに現れる。それを感じるのが、見る人の礼儀でしょう。

岡崎市図書館の10冊

 岡崎は簡単にした。目につく本だけを借りた。

米国との戦い方

 中国に対しては持久戦できたけど、米国に対しては持久戦が成り立たない。時間とともに、ドンドン、大きくなる。

 B29一機で54億円です。それを4000機も作ったりします。シアトルを空爆できる力がない。それに比べると、1億5千万のゼロ戦は10000機では、足りない。その上、ゼロ戦を作っていた三菱と中島は空爆された。巨大潜水艦に3機搭載して、アメリカ本土攻撃の目標は、ロス、サンフランシスコなどの都会か、スエズ運河か、シアトルのボーイングの工場なのか、知りたいですね。やはり、講和のための攻撃としたら、都会でしょう。

 戦艦大和はバカだけど、B-29はもっとバカです。マンハッタン計画ほどではないけど。あれだけの工数を掛けて、爆弾を降らせるためにだけに、作ったものです。さすがに内戦で殺し合った国だけのことはあります。

戦ってどうするつもりだったのか

 アメリカと戦って、どうするつもりだったのか。アメリカを占領するわけにはいかない。その前の中国についても同じだった。中国を占領することがどういうことになるかは歴史が証明しています。モンゴル族にしても、女真族でも同じだけど、政権を取るだけです。主は相変わらず、漢民族です。

 最後は、モンゴルも女真族も漢民族の中に吸収されてしまう。日本も単に一つの州として。

 それに対して、アメリカの戦略はハッキリしています。ルメイ将軍が言っていたように、日本を原始時代に戻す! 徹底的にやっつける。これはインディアン戦争の発想そのものです。いいインディアンは死んだインディアン。第二次世界大戦ではいいドイツ人は死んだドイツ人。そして、ベトナム戦争では、いいベトナム人は死んだベトナム人。

 同じ感覚で、南北戦争を行ったから、果てしなき戦いになった。

 ヨーロッパに対しては、単に、助けに行っただけ。あとは一人勝ちになって、面倒くさいから占領しただけ。決して、関わりたくないというのが基本スタンス。

次の日本の戦争

 では、次の日本の戦争はどうなるの。どことやるか分からないけど。その際にどういう決着をつけたいのか。

 一番、分からないのがアメリカとの戦いです。太平洋戦争では、アメリカから資源を輸入していたのに、その国と戦争してどうするつもりだったのか。勝ったからと言っても、アメリカは資源を渡さないのはハッキリしていた。

 インドシナの石油の埋蔵量も搬送ルートも明確でなかった。アメリカ人が潜水艦で闘うとは思っていなかったのでしょう。飛行機乗り→戦艦→潜水艦という自分たちの序列を信じていた。シーレーンに対しては潜水艦というのは、大西洋では、Uボートに見られるように当たり前だったのに、戦艦ばかり作って、戦争を始めた。この思考停止状態。

 多分、中国を相手にやろうとしているのでしょう。気に食わないから戦争してどうするの。中国は分裂するのに決まっているのだから、他っておけばいい。むしろ、分裂した時の混乱に巻き込まれないようにするかです。その方がはるかに難しい。

 軍事力で食い止めることはできない。これはシリア難民のヨーロッパ進出から学ぶことです。現在の地点で、何ができるかを思考することで、新しい形の「戦争」の準備ができる。法案なしにできる。その時の最大の武器は、日本が平和であることだけど。

ベイルートのスタバーっクスマグ

 レバノンのベイルートにスタバックスがあるそうです。そこでソホクリスが買って来てくれるそうです。それを妹がギリシャから持ち帰ってくることになりました楽しみです。ネットで見たら、アラビア語はなく、レバノンの文字とレバノン杉ですね。。

 私がスタバのマグを集めているのを、ソホクリスが覚えていて、そういうことになりました。アテネに行った時に、ソホクリスの車でスタバへ行って、マグを買ってもらったことを思い出しました。その時に、アメリカ大統領がギリシャを素通りして、トルコへ行った時に、アテネっ子がスタバを襲ったことを聞きました。

 あとは、ヘルシンキのマグが欲しいですね。ヘルシンキ空港内にComing Soonと書かれていた。

向き合うのではなく、同じ方向を見る

2015年09月06日 | 5.その他
『壁を打ち破る34の生き方』より

ようこそ、ニッポンヘ。外国人観光客向けの、この聞きなれたフレーズを体現している一人の女性がいる。阿部佳さん、職業・コンシェルジュ。

訪日外国人の数は、二〇一三年にはじめて一〇〇〇万人の大台を突破、二〇一四年は過去最多の一三四一万人を記録。そうした外国人の日本滞在の窓口となるのが、ホテルのコンシェルジュだ。それは、客のあらゆる要望に応じる、よろず相談係。一九世紀後半にヨーロッパで誕生し、フランス語で「門番」を意味するコンシェルジュは、「ホテルの質を決める」とまで言われている存在だ。そのコンシェルジュを日本に築き上げたパイオニアが、阿部さんだ。一流のコンシェルジュのみが入会を許される世界組織「レ・クレドール」において、日本でただ一人現役の名誉会員を務めている。

東京・六本木の一等地に建つ、グランドハイアット東京。毎年ミシュランガイドで最高評価を獲得し続けるホテルが、阿部さんの仕事場だ。ホテルの宿泊客の七割は外国人。ビジネスから観光までさまざまな国籍の人たちがコンシェルジュを利用する。依頼は、一日に三〇〇件以上。その大半は、交通手段の手配やレストランの案内、そしてビジネス文書の作成など「想定内」のもの。だが、三日に一度は「想定外」の依頼が寄せられる。たとえば、東京湾の花火大会の当日「花火を一望できる、おいしい寿司屋に行きたい」という依頼。さらには「ホテルまで気球で乗りっけたい」「明日の娘の誕生日までに、ピンク色のオープンカーを買いたい」「日本全国の花屋の数をすぐに調べてほしい」など、奇想天外な依頼も寄せられる。

「NO」と一蹴すれば済むものを、阿部さんはけっして「NO」とは言わない。「法的、道徳的に問題がなければ、どんな依頼でもお手伝いするのがコンシェルジュだ」と言い切る。むしろ、難しい依頼を心待ちに、楽しんでいるようにも見えた。

その日、コンシェルジュデスクにやって来たのは、カタールの女性だった。その女性は、控えめに、だが強い視線で訴えた。

 「私、サムライに会える場所に行きたいの」

もちろんサムライは今、日本にいない。だが、確かに海外では日本を代表するイメージになっている。その女性は日本を楽しむためにやって来たのだ。

阿部さんが接客する際、常に意識している言葉がある。

向き合うのではなく、同じ方向を見る

 「客といつまでも向き合っていても、ゴールは見つからない。客と並んで同じ方向を見ることで、はじめてゴールが見つかる」

サムライに会いたい、という女性のゴールはどこにあるのか。阿部さんは、やんわりと「今、日本にはサムライはいませんが、伝統的な雰囲気を楽しめる場所はたくさんあります」と言いながら、代案を提示した。荘厳な森に囲まれた明治神宮、そしてお堀に囲まれた皇居、さらにサムライの名残を感じられる刀剣博物館。だが、その女性は納得のいく顔を見せない。しばらくして、女性が手元のパンフレットを指さして、こう言った。「こういう伝統的な衣装を来ている人たちを見たいの」。それは、浅草三社祭で神輿を担ぐ男たちの写真。だが、残念ながら女性が滞在中に開催される祭はない。

阿部さんは、その短いやりとりのなかで大きなヒントを得たようだった。女性は、日本の伝統的な衣装を着て、動いている人が見たいのではないか。日光江戸村などへ遠出する時間はない。そのとき、一つの代案が思い浮かんだ。「忍者の格好をしたスタッフがお料理を出すレストランはどうでしょうか」。パンフレットを見せると、明らかに女性の目の色が変わった。「こういうのを体験したかったの。早速、予約してもらえるかしら」

その女性は、丁寧に阿部さんにお礼を言い、満足気にコンシェルジュデスクを後にした。

「向き合うのではなく、同じ方向を見る」。取材を重ねながら、その言葉を理解しているつもりでいた。だが、文字面だけでは伝わらない、特別な意味があることに気づいたのは、さらに時間が経ってからのことだった。

東京都が主催の「おもてなし講座」が開かれた時のこと。それは二〇二〇年の東京オリンピック開催にともない、外国人をどうもてなすかというテーマについて小中学生が考える、というものだった。阿部さんはその講座に講師として招かれたのだ。現場に現れた阿部さんは、開口一番こう言った。「おもてなしって、とっても簡単なこと。いつでも、誰でも、今からでも実践できること」。そして、おもてなしで大切なことを、子どもたちにもわかりやすい、平易な言葉を選んで説明し始めた。

「相手と向き合うのではなく、同じ方向を見ることが大事。どういうことかわかる?」と言いながら、一つの例題を出した。

「たとえば、今ここに三歳ぐらいの子どもが走っていて、転んだとします。わんわん泣き始めました。みんななら、なんて声を掛ける?」

「大丈夫?」と真っ先に声があがった。続く子の答えも「大丈夫?」。その場に居合わせた子どもたちも主催者たちも何の異論もなかった。だが、阿部さんはこう続けた。

「ここにいる大半の人たち、とくに大人たちは、『大丈夫?』 って言う。それでも全然問題ないんだけれども、転んだ相手にとってはもっと素敵な言葉があると思う。『痛かったね』 って言ったらどうかしら」

ハッとした。「大丈夫?」は相手と向き合い、対面して放つ言葉。一方「痛かったね」は相手の立場に立って、同じ方向を見ながら放つ言葉。接客において、大事なのは相手の要望や考えにいかに「共感」できるか。共感し得なければ、相手を満足させるサービスなど到底提供できない。あまりにも基本、だが最も重要な原則を阿部さんは、コンシェルジュを二二年続ける今も、実践している。

客からの無理難題にいかに鮮やかに応対するか。その華々しさがことに強調される職業・コンシェルジュ。だが、阿部さんがほんとうに難しいと思っているのは、むしろ毎日のように繰り返される、当たり前の依頼だという。

月に一度、ホテル周辺のレストラン開拓の目的も兼ねて、コンシェルジュが集まるディナー会が開かれる。普段、文句の一つも言わない阿部さんが、珍しく勢いあまって口にした。「一日に二○件も浅草の案内があると、全員いっぺんに集めて、これから浅草の説明します、って言いたいときもあるわけ」

「でもね」と、阿部さんは続ける。二人ひとりの浅草ってものがある。それぞれにとっての浅草が。ある人にとっては雷門かもしれないし、ある人にとっては仲見世かもしれない。それを見極めて案内をして差し上げることって、ほんとうに難しいし、それがこの仕事のおもしろさ」

客と同じ「ゴール」に向かって、阿部さんは今日もコンシェルジュデスクに立っている。

人は自分を変えられる

2015年09月06日 | 1.私
『知の教室』より 困難な時こそ読む「聖書」の言葉10

言葉3:「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(『ローマの信徒への手紙』7章19節)

「キリスト教を始めたのは誰か」という設問に対し、「イエス・キリストである」という答えをすれば、高校入試や大学入試では正解とされるが、神学部の期末試験ではバツになる。イエス自身は自らを真のユダヤ教徒と考え、キリスト教という新しい宗教運動を始めたとは夢にも思っていなかった。キリスト教という宗教の開祖は、生前のイエスと一度も会ったことがなく、イエスを信じる人々を弾圧していたパウロなのである。パウロは、ダマスカスにイエスを信じる人々を弾圧にいく途中、謎の光に打たれた。そのときの様子について、キリスト教の起源を示す重要な個所なので、少し長くなるが、関連部分を正確に引用しておく。

〈さて、サウロ(引用者註*パウロの旧名)はなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」そこで、アナニアは出かけて行ってュダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した〉(『使徒言行録』9章1~19節)

近代小説としても通用するような感動的物語だ。人間には、自らを変化させる力があることを私はパウロの回心の物語から学んだ。この力を内省や努力によって得ることはできない。本人の努力や意向とはまったく関係なく、突然、外部から働きかけてくる力なのである。仏教的に言えば、絶対他力なのだ。これを使徒言行録の著者は、「天からの光」と表現した。このような、外からの力を受けた人は、ただちにその力に従うか、反抗するかの選択に迫られる。結論を先延ばしにするとか、答えを曖昧にするという態度を神は許さない。神は自分の意思に徹底的に従うことを人間に要求するのである。そして神の意思に従う人だけが救われるのである。

このような回心をした人は、人間の心がいかにいい加減なものであるかを知る。確かに人間には良心がある。ただし、誰一人として、現実の生活で良心を貫き通すことはできないのだ。それは周囲と妥協せざるを得なくなるからではない。そもそも人間の心に罪が内在しているからだ。そのことをパウロは、「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」と的確に表現したのである。このような認識をもつ人は、自己絶対化の誘惑から逃れることができる。自分か絶対に正しいと確信することであっても、罪から逃れることができない自分の確信なので、もしかしたら間違えているかもしれないと反省することができる。私は、世の中には絶対に正しいことがあると考える。ただし、それは私にとって絶対に正しいことであるに過ぎない。私から見れば間違えているように思えることであっても、他の人には絶対に正しいことが存在する。人間が生きる現実の世界に絶対に正しいことは複数存在するのである。それだから、複数の絶対に正しいことを尊重する寛容な社会をつくらなくてはならない。こういう私の考え方の根底にあるのが、ここで紹介したパウロの言葉だ。

戦時転住局の指揮系統の中での図書館

2015年09月06日 | 6.本
『アメリカ強制収容所における日系人の図書館』より 公共図書館の多様な意味

図書館が戦時転住局という基盤の内側で発展できたことは、驚くに値する。強制収容所の管理組織の中で、図書館は教育セクションかコミュニティ活動セクションのいずれかに報告した。教育セクションの方が資金は豊かだった。しかし学校教育長は戦前に日系人と大して接触がなかった。それに多くの収容所長は、文化的理解を容易にするとして「友愛化」をくじいた。大多数の教育長は自分自身の危機への対処に忙殺され、学校やコミュニティの図書館について気にかけていなかった。図書館の可能性を信じて支持した教育者は、ほぼミネドカの校長ジェローム・T.ライトに限られていた。

各強制収容所のコミュニティ活動セクションの予算はいっそう少なく、1943年には大幅に削減された。戦時民間人管理局のレクリエーション・プログラムと同じように、コミュニティ活動セクションは社会統制機関として機能していた。これは活動報告から明らかで、報告では非行の減少への影響を報じていたコミュニティ活動セクションは男性スポーツヘの貧弱な代替物として図書館を把握していた。スポーツが促進されたのは、緊張の解消とグループ活動の奨励のためであった。

西海岸や連邦議会の批判者は日系人を甘やかしているとの理由で戦時転住局(そして特にコミュニティ活動セクション)を攻撃した。例えば1943年の「日本人強制収容所(Relocation Centers)に関する調査」で、連邦捜査局の調査官マイロン・E.ガーニーは、戦時転住局は「必ずしもレクリエーション活動のすべてに資金を出す」べきではないと主張し、楽団の団員14人に戦時転住局から給料が払われている例を示した。戦時転住局のコミュニティ管理部長ジョン・H.プロヴィンスは、コミュニティ活動セクションの規模は「収容所(center)ごと」に異なると答え、いくっかの収容所は100人以上を雇っていると認めた。しかしながら、こうした人数は学校、映画、図書館を含んで、「主要な活動を提供するためである」と説明した。そして強制収容所の中には、コミュニティ活動セクションの下で生き延びたプログラムもあった。プロヴィンスは、「厳格な職員監査」を実施して、「コミュニティ活動の仕事の担当者が、コミュニティの利益と担当者自身の成長のために正当に雇われているか否かを確認する」と同意した。さらにプロヴィンスは、コミュニティ活動セクションの活動を組織化している多くの2世は強制収容所を真っ先に離れるので、コミュニティ活動部の雇用は自然に減少すると説明した。そしてプロヴィンスは監督者にたいして、職員をボランティアに置き換えるように勧めた。

ガーニーは部外秘の報告でミネドカの図書館を批判し、カリフォルニアの歴史に関する600冊の時代遅れの教科書といった「役立たない図書」の寄贈(おそらく「勝利の図書運動」の寄贈)を問題にした。そしてこうした教科書はアイダホに住んでいるワシントン州やオレゴン州からの日系人には適切でないと主張した。また他の強制収容所の図書館が実施しているように、ミネドカの図書館も「最近のフィクションなどを提供するために自前で」レンタル蔵書を設置すべきと提案した。いっそう重要なことだが、ミネドカの管理者や図書館員が「知りたがっているのは、学校で使用する図書費を除いて、図書費として充当される正確な額である」と強調した。連邦捜査局の調査官の報告が明らかにしたのは、ワシントン・D.C.にいる戦時転住局幹部にとって、図書館は重要な関心事ではなかったということである。そうであるなら、各強制収容所の図書館員だけが、蔵書やサービスを向上できた。

2か月後、戦時転住局本部は各収容所の分析者にレクリエーション活動の調査を指示した。その調査結果が収容所の図書館の役割を枠付け、また多くの弱点を明らかにした。例えばヒラ・リヴァーの場合、コミュニティ活動への直接的な監督はなかったし、コミュニティ活動セクションの職員の転職は頻繁であった。ローワーのコミュニティ分析者によると、コミュニティ活動セクションは仏教徒にはサービス「できない」ということであった。コミュニティ活動セクションの職員数には大きな開きがあった。1943年1月の時点、日系人「職員」の数は、グラナダの50人からマンザナーの160人まで幅があった。その後の1943年に、戦時転住局は出費を削り、「忠誠な」日系アメリカ人に収容所から離れるように奨励したため、収容されている日系人は自分でレクリエーションのニーズを満たす責任が高まることになった。戦時転住局は、コミュニティ活動セクションの職員を、グラナダ30人、マンザナー140人に削り、ジェロームは31人になり、ミネドカでは16人が残ったにすぎなかった。コミュニティ活動セクションの職員はレクリエーション事業を指導したのだが、大多数は戦前にこうした事業の専門家としての経験を持ってはいなかった。ほとんどすべての収容所の分析者は、コミュニティのニーズが満たされつつあると指摘したが、1943年1月の戦時転住局によるレクリエーション資金削減を非難した。それに適切な施設設備の不足も批判したのである。例えばハート・マウンテン強制収容所の場合、レクリエーション・ホールは元来の意図である学校やレクリエーション目的だけでなく、靴の修理、クリーニング店、さらには警察本部としてさえ用いられていた。

「現在までの最も傑出した達成物は何なのか」という質問にたいして、トパーズの分析者だけが収容所の図書館を挙げた。グラナダの分析者は次のように結論した。レクリエーションでの成功はほんの部分的で、それは限られた施設設備と、「個人的な責任と指導の受容に控えめな住民」のためである。ジェロームの分析者は、戦時転住局が運動活動にほんの1、500ドルしか投じていないこと、当初の補助金終了後のレクリエーションは日系人自身が少ない給料から資金を工面していることを指摘した。そして戦時転住局が「スカウト、クラプ、アメリカ流の運動といったアメリカ型の活動にいっそう財政的責任」を負うように強く主張した。さらに、「このグループのニーズを満たすために必要な資金をけちることは、……アメリカの将来について日系人の心に疑念を生む」と付言した。使い古しの図書館蔵書も同じような疑いを生むだろう。