ジャマするのが商売
パートナーとの電話相談しているときに、自分の中に気づきが発生する。
ジャマするのが商売。子どもたちから「お父さんの商売は何?」と聞かれたときに、「皆のジャマをすること」と応えた。何の問題意識を感じるに、従来通り、仕事しようとしている技術員などの意識を変えることと言いたかったけど、このロジックは小学生には難しかった。
全体を考えて、先を見たら、システム設計である限り、どう見ても無駄なこと。これをパートナーに言う時が来ています。皆から、煙たがれるけど、社会を変えるというのは、そういうことです。堂々と立ち向かってください。
未唯空間第8章
第8章に入るわけですが、これを新しい見方にします。今までは、仕事、特にパートナーの仕事を見つけるためにやってきたけど、退職したことで大きな見方になってきた。あくまでも、販売店を地域に根ざしたものにしていく。
8.3「地域要望」
一番のポイントになるのは、8.3「地域要望」でしょう。クルマというものは、単体ではありえない。走るということから、道路が必要だということから、地域のインフラになっていきます。国のインフラではなく、地域にとって、インフラです。地域にとってはお金を使う部分、日常的な部分です。
メーカーの一方的な思いとか、単なるお客としてではなく、地域として、これをどういうカタチにしていくのかが課題になります。
8.8「クルマ社会」
これは最終的に、8.8「クルマ社会」につながっていきます。それは資本主義のあり方、民主主義のあり方、日本の方向、全てに絡んできます。
そして、個人の生活のあり方、地域でのお金の使い、それらすべてを変えます。仕事の見方ではなく、クルマをどういうカタチにしていくのかを提案していきます。それで、8章全体を再構成していきます。
その中から、単にメーカーとしてではなく、全体のシステム屋として、パートナーがどう対応していくかの根源を作り出していきます。併せて、販売店の進む道も示します。
8.4「ソーシャル」
8.4「ソーシャル」もある意味では、面白いです。クルマという個人のもの、インフラに絡むもの、それと共有意識がぶつかったところで、現象としてあるのは、ソーシャルです。公共です。これが情報共有と名の下で、地域を変えていきます。分かりやすのは、道路と車との関係です。
今、あまりには、クルマというものが個人的になりすぎています。本来は公共のものなのに。そろそろ、自分たちが幸せになれるのかに気づく頃でしょう。クルマを買うことではなく、クルマを使うことであり、情報共有に持って行くことです。ソーシャルの世界をどうしていくかを、内なる世界で作り出せる時代になりつつある。
8.5「システム設計」
この例はスマホみたいなもの、固定であった電話を持ち出すことによって、個人のものとしてあることによって、コミュニケーションが変わってきた。これは10年ぐらいの傾向です。私は20年以上の経験を持っている。
それは先人たちの思い、パソコンしても、本来のパーソナルをどうやっていくのか、それをどうつなげていくのかが言うのが、あの小さな筐体に活かされています。それはすべて、商売に乗っかるかどうかで自分たちの稼ぎを変えているが、本来はもっと大きな意味を持っている。パートナーには、大きなシステム設計をお願いしたい。
8.7「コミュニティ対応」
第8章は、そんなことをクルマということから見ていく。クルマは販売店のものだけではなく、メーカーのものでもない。そして、お客様だけのものではない。クルマという横軸。
内なるものとして、クルマを中から作って、クルマのベースをコミュニティに持って行くという、未唯宇宙のシナリオを活かすことができる。
それが8.7「コミュニティ対応」。内なる世界で完結したものを作るという意味で、それに当てはまるかもしれない。
内と外の関係でクルマを作り上げる
内と外にした時点で、内でコンパクトなものを作り出して、それを外へ押し出していく手法、コミュニティに個人の思いを掛けると同時に、全体の中の核として、動けるようにして、全体を変えていく。
この発想自体が、従来の国から持ってくるハイアラキーに対して、新しい配置の関係になってくる。どれをどういうカタチに配置させていくのか。コミュニティが近傍系が上に、トポロジーの概念が生きてくるという、設計全体にかかる部分です。
新しい意味での8.8「クルマ社会」
外なる部分というのが、8.8「クルマ社会」。公共の中でどうしていくのか、地域のインフラとして、それをどう発展させていくのか、また、変えていくのか、そこから地域を統合させていくのか。そして、新しいクルマ社会を作りだしていく。
クルマ社会自体がコンパクトにまとまれば、資本主義とか民主主義とかも含めて、更なる外側の世界をどうしていくのか。立場を大きくして、どこまで表現できるか。
「クルマは誰のもの」、この問いからはじまる
「クルマは誰のもの」。社会のもの。
色々な状況の変化が考えられる。クルマが簡単にできるようになる。タイヤとハンドルとバッテリーさえあれば動ける。インフラが変わる。ところが道路が変わらない。道路が占める、駐車場が占める。その役割がどう変わる。道路は誰が作る。インフラは誰のもの。インフラの優先順位をどのように決定する。これは制度と大きく関係します。
仕事については、第5章があるから、第8章はかなり、跳ばせます。クルマの本来の位置づけに。
人が通るはずがないのに、信号機に従うのか
閉店したスーパーの駐車場が閉鎖されているのに、スーパーへの横断歩道の信号はそのままです。誰も来ないから、クルマだけが道路交通に従って、無意味に停止している。。スーパーは完全にうら寂しい。
徐々に起こるクライシス
クルマに関するクライシスは現在、起こっています。ある時に急に起こるだけでなく、こういうタイプもあります。渋滞というのは、道が駐車場になっているのは、どう見てもおかしい。これがクライシスです。
パートナーとの電話相談しているときに、自分の中に気づきが発生する。
ジャマするのが商売。子どもたちから「お父さんの商売は何?」と聞かれたときに、「皆のジャマをすること」と応えた。何の問題意識を感じるに、従来通り、仕事しようとしている技術員などの意識を変えることと言いたかったけど、このロジックは小学生には難しかった。
全体を考えて、先を見たら、システム設計である限り、どう見ても無駄なこと。これをパートナーに言う時が来ています。皆から、煙たがれるけど、社会を変えるというのは、そういうことです。堂々と立ち向かってください。
未唯空間第8章
第8章に入るわけですが、これを新しい見方にします。今までは、仕事、特にパートナーの仕事を見つけるためにやってきたけど、退職したことで大きな見方になってきた。あくまでも、販売店を地域に根ざしたものにしていく。
8.3「地域要望」
一番のポイントになるのは、8.3「地域要望」でしょう。クルマというものは、単体ではありえない。走るということから、道路が必要だということから、地域のインフラになっていきます。国のインフラではなく、地域にとって、インフラです。地域にとってはお金を使う部分、日常的な部分です。
メーカーの一方的な思いとか、単なるお客としてではなく、地域として、これをどういうカタチにしていくのかが課題になります。
8.8「クルマ社会」
これは最終的に、8.8「クルマ社会」につながっていきます。それは資本主義のあり方、民主主義のあり方、日本の方向、全てに絡んできます。
そして、個人の生活のあり方、地域でのお金の使い、それらすべてを変えます。仕事の見方ではなく、クルマをどういうカタチにしていくのかを提案していきます。それで、8章全体を再構成していきます。
その中から、単にメーカーとしてではなく、全体のシステム屋として、パートナーがどう対応していくかの根源を作り出していきます。併せて、販売店の進む道も示します。
8.4「ソーシャル」
8.4「ソーシャル」もある意味では、面白いです。クルマという個人のもの、インフラに絡むもの、それと共有意識がぶつかったところで、現象としてあるのは、ソーシャルです。公共です。これが情報共有と名の下で、地域を変えていきます。分かりやすのは、道路と車との関係です。
今、あまりには、クルマというものが個人的になりすぎています。本来は公共のものなのに。そろそろ、自分たちが幸せになれるのかに気づく頃でしょう。クルマを買うことではなく、クルマを使うことであり、情報共有に持って行くことです。ソーシャルの世界をどうしていくかを、内なる世界で作り出せる時代になりつつある。
8.5「システム設計」
この例はスマホみたいなもの、固定であった電話を持ち出すことによって、個人のものとしてあることによって、コミュニケーションが変わってきた。これは10年ぐらいの傾向です。私は20年以上の経験を持っている。
それは先人たちの思い、パソコンしても、本来のパーソナルをどうやっていくのか、それをどうつなげていくのかが言うのが、あの小さな筐体に活かされています。それはすべて、商売に乗っかるかどうかで自分たちの稼ぎを変えているが、本来はもっと大きな意味を持っている。パートナーには、大きなシステム設計をお願いしたい。
8.7「コミュニティ対応」
第8章は、そんなことをクルマということから見ていく。クルマは販売店のものだけではなく、メーカーのものでもない。そして、お客様だけのものではない。クルマという横軸。
内なるものとして、クルマを中から作って、クルマのベースをコミュニティに持って行くという、未唯宇宙のシナリオを活かすことができる。
それが8.7「コミュニティ対応」。内なる世界で完結したものを作るという意味で、それに当てはまるかもしれない。
内と外の関係でクルマを作り上げる
内と外にした時点で、内でコンパクトなものを作り出して、それを外へ押し出していく手法、コミュニティに個人の思いを掛けると同時に、全体の中の核として、動けるようにして、全体を変えていく。
この発想自体が、従来の国から持ってくるハイアラキーに対して、新しい配置の関係になってくる。どれをどういうカタチに配置させていくのか。コミュニティが近傍系が上に、トポロジーの概念が生きてくるという、設計全体にかかる部分です。
新しい意味での8.8「クルマ社会」
外なる部分というのが、8.8「クルマ社会」。公共の中でどうしていくのか、地域のインフラとして、それをどう発展させていくのか、また、変えていくのか、そこから地域を統合させていくのか。そして、新しいクルマ社会を作りだしていく。
クルマ社会自体がコンパクトにまとまれば、資本主義とか民主主義とかも含めて、更なる外側の世界をどうしていくのか。立場を大きくして、どこまで表現できるか。
「クルマは誰のもの」、この問いからはじまる
「クルマは誰のもの」。社会のもの。
色々な状況の変化が考えられる。クルマが簡単にできるようになる。タイヤとハンドルとバッテリーさえあれば動ける。インフラが変わる。ところが道路が変わらない。道路が占める、駐車場が占める。その役割がどう変わる。道路は誰が作る。インフラは誰のもの。インフラの優先順位をどのように決定する。これは制度と大きく関係します。
仕事については、第5章があるから、第8章はかなり、跳ばせます。クルマの本来の位置づけに。
人が通るはずがないのに、信号機に従うのか
閉店したスーパーの駐車場が閉鎖されているのに、スーパーへの横断歩道の信号はそのままです。誰も来ないから、クルマだけが道路交通に従って、無意味に停止している。。スーパーは完全にうら寂しい。
徐々に起こるクライシス
クルマに関するクライシスは現在、起こっています。ある時に急に起こるだけでなく、こういうタイプもあります。渋滞というのは、道が駐車場になっているのは、どう見てもおかしい。これがクライシスです。