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超資本主義論

『吉本隆明の経済学』より 超資本主義論

一九九〇年代の半ば頃から日本経済は一転して不況期に入った。不況に対処する処方能としては、二〇世紀にはケインズ的な政策が有効だと考えられてきた。そこで当時の自民党政権も、建設や土木工事などの公共事業に国費を投入する、ケインズ的政策で不況を乗り切ろうとした。吉本隆明はそれを、資本主義の現在の段階を理解していない間違った政策として、きっぱりと否定した。その理由は、彼の考えていた資本主義の未来像(超資本主義)と深く関わっている。

消費資本主義の段階に入っている先進国では、第一次産業の人口が大幅に減少している。第二次産業についても似た傾向が見られる。そのかわりサービス業や金融業や情報産業などの第三次産業に就いている人の割合が増えていっている。資本主義じたいが金融グローバリズムの時代に入っていた。こういう社会で、ケインズの時代と同じような不況対策がはたして有効だろうか。ケインズの時代には第二次産業がもっとも重要で就業者の数も多かったから、公共投資をさかんにしていけば、人口の多くの部分がそれによって潤うことになった。ところが消費資本主義の社会で同じ政策をとっても、一部のゼネコンなどが大儲けをするだけで、社会は全体として豊かにならない。

先進国がとらなければならない不況策が、ここから自然と見えてくる。公共投資は教育医療、福祉などの第三次産業へ向けられていかなければならない。いやそもそもなぜ先進諸国が現在軒並み不況に陥っているのか。それは社会生産の主体がサービスや金融や情報などの第三次産業に移行してしまっているのに、政治家も経済学者も古い「支配の思考」のレペルで止まってしまっており、その幻想性ゆえに現実の経済の姿が見えていないからである。

消費資本主義の社会のほんとうの主人公は、いまや国民と企業体である。彼らのおこなう消費が社会を左右する力をもっている。「支配の思考」は、国民や企業体がそのことに気づき、消費資本主義の主人公として彼らの意志を政治に直接反映させようとする事態を恐れている。しかしここが突破されると、先進国ははじめて超資本主義の段階に入っていくことになる。

吉本隆明はこの超資本主義の世界がどのようなものであるか、興味深い着想をいくつも残している。なかでも興味深いのは「アフリカ的段階」の要素を保存したままの世界にたいする期待である。人間の心の原初構造がハイパー科学技術と結合して(つまり人類の「アジア的段階」を経ることなく)つくりだす見たこともない未来を、吉本隆明は夢見ていた。
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