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決断の「環境」を探る

『運命の選択 下』より

ソ連史の研究で有名な碩学E・H・カーは、名著『歴史とは何か』で、もしも、あのときといった想像をめぐらすひとびとについて、「私の見当では、その主たる根源をなすものは、思想上の--というより、感情上の『未練学派』とでも呼ぶべきものであります」と、辛辣な評価を下している。彼はさらに、ロシア革命は不可避であったかというような疑問を例に挙げ(その裏には、ロシアが第一次世界大戦に参戦しなかったらとか、ケレンスキー政府が成功したなら、という反実仮想があることはいうまでもない)、「未練学派」を皮肉った。やや長くなるが引用してみよう。

「そのために、この人たちが歴史を読む場合、起ったかも知れぬ、もっと快い事件について勝手気優な想像をめぐらせたり、何が起ったか、また、なぜ彼らの快い夢が実現しなかったのかを説明するという自分の仕事を淡々と続けて行く歴史家に腹を立てたりするということになっているのです。現代史というものが面倒なのは、すべての選択がまだ可能であった時期を人々が覚えているためであり、これらの選択が既成事実によって不可能になっていると見る歴史家の態度を受け容れ難いと感じているためであります。これは純粋に感情的で非歴史的な反応であります」(『歴史とは何か』、清水幾太郎訳、岩波新書、一九六二年、一四二~一四三頁)まさに「感情的で非歴史的な反応」に基づく出版物が氾濫している現代の日本にあって、カーが振るった寸鉄は、いよいよ鋭さを増しているといってよい。歴史の「イフ」を考えてみるのは、たしかに楽しいことだが、度を過ぎれば、なぜ歴史はおのれの善しとする方向に行かなかったのかという理不尽な異議申し立てにすぎなくなる。

ところが、である。プロフェッショナル、それもカーの教えぐらい百も承知であるはずのイギリスの歴史家、すなわちイアン・カーショーが、第二次世界大戦の決定的時期に下された各国の指導者たちの決断について、あり得た可能性、つまり歴史の「イフ」について検討を加えたということになると、どうだろう? それは、「未練学派」に堕すことにならないのか?

イアン・カーショーは一九四三年生まれ、現在はシェフィールド大学の教授を務めている。もともと中世史を専攻しており、ドイツ語も中世ドイツ農民に関する史料を読むために習得したという。そのカーショーがナチス・ドイツ研究に転じる契機となったのが、一九七二年の南独バイエルン州訪問の際に経験した、ある老人の発言であったのは、本書『運命の選択1940-41 世界を変えた10の決断』の「訳者あとがき」に書かれている通りだ。それは、人種主義と冷戦時代の反共主義が混淆されたような内容で、しかも草の根の声であるために、いっそうショッキングである。

ホロコースト以後であるにもかかわらず、こうしたことを公言する人物がいることに衝撃を覚えたカーショーは、以後、ナチズム研究、とりわけ「普通の」ひとびとか、何故にヒトラーとナチスを支持するようになったかという問題の解明に打ち込むようになる。一九七五年には、ナチズム研究の権威だったマルティン・ブロシャートの指導のもと、ドイツ現代史研究所が進めていた「バイエルン・プロジェクト」(ナチ時代のバイエルンの民衆が、日常的にどのような生活を送り、ナチズムに対してどう対応していたかを探る、史料収集・研究プロジェクト)に参加した。このような研究活動の結果、カーショーは一九八〇年にナチズムに関する最初の著作をドイツで出版した(『ヒトラー神話--第三帝国の虚像と実像』、柴田敬二訳、刀水書房、一九九三年)。

カーショーは、ヒトラーのイデオロギーに基づく決断がそのままドイツの政策となったとする議論(日本の学界では、この説を支持する研究者はわずかであったものの、欧米のナチズム研究にあっては、いねば「保守本流」というべき地位にあった学説である)に与するのではなく、社会経済的な緊張を背景とした官僚的な諸組織の競合こそがナチズムの過激化、いわゆる「世界観戦争」とホロコーストヘの動因だったとする学派に属する。このナチズム解釈をめぐる論争と学説の相違は複雑多岐にわたり、紙幅の都合上、ここでは詳述できない。関心のある向きは、歴史・政治学者、田嶋信雄の要を得た研究史のまとめを参照されたい(『ナチズム外交と満洲国』、千倉書房、一九九二年)。

ただし、カーショーが両方の学派の止揚、社会経済的な枠組みのなかでヒトラーを論じるという試みに取り組んでいることは特筆しておかなければならないだろう。一九九八年ならびに二〇〇〇年に上梓されたヒトラー伝二巻は、その成果であり、世界的なベストセラーになった。また、彼のヒトラー論を示す一書もすでに邦訳されている(『ヒトラー 権力の本質』、石田勇治訳、白水社、一九九九年)。

さて、冒頭の疑問に戻ろう。本書『運命の選択1940-41 世界を変えた10の決断』は、第二次世界大戦のもっともクリティカルな時期、戦争の帰趨がいまださだかではなかった一九四〇年から一九四一年における、主要各国の指導者たちの決断がいかになされたかを究明せんとした著作である。

その際、カーショーは、「戦争の歴史を俯瞰するときは、一般の歴史を見るとき以上に、ほとんどの場合、あらかじめ固定された目的論的な見方をしてしまう。起こったことはそれ以外に起こりようのないことだった、と。本書の目的の一つは、そんなことはない、と指摘することにもある」と宣言している(上巻二七頁)。多少なりとも歴史学の方法論を知っている読者なら、カーショーともあろう大家が「未練学派」に走ったのかと、当惑せざるを得ない。
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