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「今回」の地震で考えたこと ①

未唯へ。地震の一夜が明けた。まだ続いている。日本のインフラを超えるモノでしょう。全てが終わるまでは、何とも言えない、大きな地震です。

「次」=東海大地震を考えています。そのためにどうするか。これは戦争と一緒です。政治形態も変えないといけない。それだけの態勢が要求されます。

なぜ、マスコミは情報を持ってくるのか。次に使うためです。すべてをそういうカタチに変えていくことです。全てのものをそういうカタチに変えていくことです。どうなるのか。どうするのか。クライストチャーチでの報道と比べても、もっと変えていかないといけない。それをどう誘導していくのか。

今回の未唯空間のまとめも同じです。どうなっているのか、というだけでなく、どうなるのか、どうするのか。そちらから考えて、どういうカタチにすればいいのか。その思考があまりにも足りません。それをみんなで持ち寄るしかない。それで行動を決めればいい。行動を先に決めてはいけない。自分が何ができるのか、を含めて。

社会編についても、この部分を追加します。クライシスです。その時に必要となることも、一緒です。ネットワーク、コラボレーション、ライブラリ、そして事務局です。事務局は大きな役割を行います。

そのために、予測するためにすることは、いくらでもあります。それをシミュレートして、仮説を立てて、その検証をすることの努力をしない。起こる未来のために、起こる明日のために、今のような検証が必要です。そこから、行動を決めることです。矛盾があります。

実務者は、変えようとしない、人のいうことを聞かない、考えようとしない。起こってから考える。個人の言うことは聞きなさい。権威の言うことは聞くな。それにしても、政府が出てこない。だらしい。表に出てこない。行くにしても、原発に行って、何をするのか。避難指示の範囲を増やしただけです。そこに生きている人の姿は見えているのか。感じているのか。

災害の時にクルマがどういう役割をするのか、ケータイがどんな役割をするのか、それを支えるモノは何か。臨時事務局はどこが作るのか。どこかで考え方を変えるところをどうしていくか。

日本がこの体制を取ることが基本になれば、海外の事態に対して、即座に派遣できます。相手の承諾でも、覇権主義でもないです。地球防衛隊です。

起こるべきことが起こったのに、マスメディアが騒いでいます。それも一つの現象です。マスメディア本来の機能を発揮するならば、起こる前にすることです。起こったことに対して、次に対して、いかにシミュレートさせていくことです。

「作る」ことはこういう時は無意味です。トコトン「使う」ことです。全てが、仮の姿であると認識することです。日本人の価値観にしていくことです。元々、「無常」という価値観があります。

今回のことで、政局は大きく変わるでしょう。日本をまともにすることです。飢饉から、昭和維新が起こった。現実を変えようとした。環境問題も同じです。それが起こってから、対応するよりも、先に手を打った方がはるかに安くなるのです。だから、知らないといけない。
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