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東富士に呼んでくれたINOさんに会いました。希望がわきます。

未唯へ。昨日・一昨日と6時半過ぎまで、会社にいたので、部長から「そんなに遅くまでいていいのか」と冷やかされていた。今日は5時半前に帰ることにしました。

ふつうは、23階から、B1階に直行するのですが、受付のNAKさんの笑顔が見たくて、24階経由にしました。それから、エスカレータで23階へ行き、B1に降りました。このバイパスが幸せにつながりました。

なんとそこに、東富士でお世話になった、INOさんが居ました。びっくりして、声をかけました。そして、握手。25年前に、電算部から東富士に呼んでくれて、東富士に赴任した時に、最初にあいさつした時と同じ握手です。それが人生で最初の握手でした。「そんなに強く握るものではない」と言われました。

私が「松尾流」という茶道をシステム設計とか、ものの見方に生かしているのを評価してくれました。社長になるつもりがなければ、「会社に単純に従うのではなく、自分の目標に向けて、会社を使おう」という言葉は私の行動指針になりました。この会社は「使うだけの価値がある」とも言われました。私の会社生活が知恵が溢れたものになりました。

直接の部下であったのは、最初の1年だったけど、研究所ではいつも関心を持って見ていてくれました。その大きな傘の下で、自由に動けました。さまざまな知見を得ることができました。私を「専門家」として扱ってくれました。

「ゆっくり話しましょう」と日時を決めて、今回出会った場所を集合場所にしました。ずっと、考えてきた「サファイア循環」を語りたいと思います。本当に楽しみです。話せる相手がいることは、本当に幸せです。それが本当に聴いてくれる人なら、最高です。


仕事の方は、ライブラリの説明を販売店の担当者に継続して、電話で語っています。今日は20販売店に行いました。私の「思いをつなぐ」「思いをためる」「グループで情報共有」ができるライブラリで、本社からの一方的な指示で動くのではなく、お客様との接点であることを生かして、店舗の知恵を元に動き出すことができます。

「作ること」よりも「使うこと」、「使うこと」よりも「変化する」こと。それらの以前に「考える」こと。これが私の設計手法だと、電算部に語ったけど、彼らは「効率的に作る」ことしか興味がない。だから、私はどんどん現場(ローカル)を志向します。
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