民数記 13章1−24節
土日、フランクフルトからおよそ200キロほど北西にあるデュッセルドルフに伺いました。土曜日には家庭集会で、日曜日には礼拝で話をさせていただきました。「みことばの光」を用いて、聖書を通読している方もおられ、うれしかったです。デュッセルドルフ日本語キリスト教会の皆さん、いっしょの時間をありがとうございました。
途中、ICという、日本ではほぼ消滅した「急行列車」に乗りました。狙いはライン川下りを列車で楽しむこと。あの有名なローレライとも初めての対面(写真)。3時間があっという間でした。帰りの車中は、ちょうどブンデスリーガのサポータ一行が乗り込んで来て大変な賑わい。陽気に歌ったり、気勢を上げていました。
きょうの箇所を読み、以前夏休みに行うキャンプのための下見を毎年のようにしていたことを思い出しました。その目的は、狙いを定めた場所がキャンプにふさわしいかどうかを調べることで、だめな場合は中止にするという前提で行うものでした。ある年には、なかなかふさわしいキャンプ場が見つからずに、山の中まで入って行き、いよいよ道が終わろうとする場所に、吊り橋を渡ると別世界のようなすてきなキャンプ場を見つけたこともありました。
けれども、ここでの下見は違います。神が約束なさったカナンの地を偵察するように、お命じになったのです。つまり、結果が悪ければカナンを与えるのはやめにしようということではないということです。神の約束を信じて行動する信仰が求められている下見(偵察)なのです。
「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」という主イエスのことばを覚えます。→マルコの福音書11章24節