民数記 9章
久しぶりに晴れましたが、キーンという寒さの一日でした。日中でも氷点下。でも、近くの川で泳ぐ鴨たちは元気そう。人間ならばたちまち凍え死んでしまうでしょうに…。寒さで縮こまることなく、たくさんの人が公園を歩いていました。
9章には、過越のいけにえをささげよと神がお命じになったことと、イスラエルの民がいよいよシナイから出発する前の、旅の原則が記されています。特に、15節以降に記されている原則に目が留まります。イスラエルの民は、幕屋の上に雲がとどまっているうちはいつまでも留まっていなければならず、雲が動いたならば、雲とともに動かなければならないというのです。つまり彼らは、主の命令によって動き、主の命令によって留まったのです。
19、20節を読んで、いろいろなことを考えました。 人にはいろいろな都合というものがあります。「ここから動け」と言われても、今のところから動けないという事情もありますし、「動くな」と言われても動かなくてはならないという事情もあるかもしれません。しかしここには、そのような事情によって左右されない行動原則があります。つまり、神が第一であり、神の命令こそ絶対に正しいという前提です。
きょうの「みことばの光」には、「みことばと御霊が私たちを導く」という黙想への促しがありました。何が自分を動かしているのだろうか。自分の感じ方とかその場の雰囲気、空気がどう動くかが、いつの間にか影響を与えていないだろうか…などなど。
*天窓をキャンバスにして冬のかたち